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ライラックの季節(1)

2017/11/19 改稿

 枕元で医者が回復を告げると、控えていたメイド達が一様にほっとした表情を見せた。

 この病弱な令嬢が身体を壊すたび徹夜仕事で看病をしなくてはならないので負担が大きいのもあるが、万が一悪化して死んでしまうようなことがあれば解雇される可能性もあるのだ。

 まずは健康にならなくては。折れてしまいそうな手首に触れて気合いを入れる。


「叔父様にご挨拶に行きたいの」


 そう告げると、医者が頷くのを待って支度を手伝ってくれる。

 瞳の色に合わせたすみれ色のドレス。鏡の中の令嬢はそれは楚々として愛らしい。地顔がはんなりとした微笑み顔というのか、柔らかく下がった目尻と少し困ったような眉の形がそうさせるのか、とにかく優しげな面差しだ。色の薄さと相まって儚く見える。妹とは似ても似つかない。


 丁寧に髪を結い上げてくれたメイドに鏡越しににこりと笑いかけ、立ち上がった。

 私の二冊目の人生を、早々に終わらせないために。

 屋敷の中を歩きながら、壁に掛けられた厳めしい肖像画を眺めつつこの家の歴史を思い出していく。始まったばかりの令嬢教育の知識と、前世の知識を組み合わせ、すりあわせる。

 

 ダルマス伯爵家の歴史は古く、この国の歴史の中ではかなり初期にその名前があげられる。

 遡ればその祖は興国の王に仕える魔術師で、その力で蛮族との戦いにおいて功績を挙げ、蛮族から奪った領土の一部を与えられた。蛮族とは非道い言い分だと思うけれど、そんな呼び方ができるような他民族がこの国の近隣にいたのはお伽噺のような昔の話、古き王国は分断し今では三つの国になっている。

 そんな時代の変遷の中で、ダルマス伯爵家はわかりやすく没落していた。

 歴史ばかり重く時代の変化に鈍かったこの伯爵家は、じわじわとその資産を減らしていき、3度重なった天災による税収減で、完全に再起不能になった。


 古めかしい肖像画の横に。比較的新しい肖像画が現れる。

 プラチナブロンドの髪、すみれ色の瞳、そしてすみれ色のドレスを纏った儚げな女性。

 今しも消えてしまいそうな微笑みを浮かべる女性は先ほどまで鏡の中にいた少女とうり二つだ。


 没落のどん底時代に、私の母となるダルマス伯爵令嬢イリスは生まれる。


 古くから家に仕えているというメイド長がいうには、国王陛下に見初められてもおかしくない、社交界の花と歌われた女性だったそうだ。その今にも消えそうな微笑みをして、『淡雪の君』なんて呼ばれていたらしい。


 しかし、名は古くとも中身は借金まみれであることはもはや貴族達の世界に知られていて、持参金もろくにないだろう花嫁を迎え入れる家など無かった。そんな伯爵家に手を差し伸べたのが、当時子爵だった私の父、パージュ子爵家の嫡男テオドールだ。

 当時出資していた海運事業が成功し、金はあった。いわゆる金で爵位を買った、成り上がりのできあがり。


 全部人づてなのは、私がこの肖像画の女性、母に会った記憶が無いからだ。

 私を産んだ4年後、オディールを産み落としてすぐに、母は死んでしまったのだから。 

 おそらく、これが悲劇の始まりなのだ。

 爵位目当てと陰口をたたかれたダルマス伯爵だが、美しい妻を心から愛していたらしい。その哀しみから妻が亡くなった翌年、後を追うように死んでしまった。愛する娘達のために弟であるロベール=パージュ子爵に後見を託し、絶対に何一つ不自由なく育ててやって欲しいと強く訴えて亡くなったそうだ。

 叔父は父の遺言をご丁寧にも忠実に守り、オディールの望むものはなんでも叶えてきた。結果が惨憺たる悪役令嬢の完成である。


 ただ身分が低ければ、もっと上手く立ち回り…否、宮廷で騒ぎを起こすこともできなかっただろう。財も歴史もある家系であれば、ぽっと出の庶子の子女に自ら手を下すような無様はさらすまい。成り上がりの蔑みと、古い爵位のプライドが絶妙にトッピングされた結果、全方位に棘だらけで隙だらけな悪役令嬢のできあがり。

 ため息を重ねてしまう。


「ジゼル」

 

 長い廊下の反対側から聞こえた声に身体ごと向き直る。


「主神に感謝せねば。もう起き上がって大丈夫かい?」

「はい、叔父様。いまご挨拶に伺うところでした」


 燃えるような赤毛、つり上がった目。にらまれればすくみ上がってしまいそう、整ってはいるが悪人らしい人相の男性。海の色をした瞳の中で少女はゆっくりと淑女の礼を取る。


「おはようございます、叔父様」

「おはよう、私の天使」

 

 膝をついて視線を合わせながら、幼子を抱きしめる美丈夫。子爵は姪の回復をもう一度神に感謝したらしかった。この人も、たいがい姪に甘い。


「ありがとうございます、叔父様」


 素直に頷けば、こぼれんばかり否なんかもう男前がこぼれすぎた笑顔でパージュ子爵は頷いた。

 そして、すぐ横の肖像画に吸い込まれるように視線を移す。


「お前は義姉さんに似て身体が弱いのだから、無理をしてはいけないよ」

「そのことなのですが、叔父様」

「?」


 視線を合わせてくれる優しさに感謝しながら、精一杯儚げな笑みを作ってみる。

 肖像画の中の母親に一番似ている笑顔、角度。熱が下がるまでの数日、鏡に向かって一人で練習したそれ。


「私、夢を見ましたの。どこまでも光と花が尽きない、それは美しい場所で…きっとあれは主神おわす楽園の野だったのだと思います」

「ジゼル…」


 楽園の野。天国を示すその言葉にナイスミドルがみるみる情けない顔になるのをつねりあげたい気持ちで、表情筋に力を込めた。ここが踏ん張り処だ。


「ええ、きっと楽園の野だったのです、だってお母様がいらしたんですもの。私、お母様についていこうとしたのですけど、お母様は許してくださらなくて…代わりに微笑んで抱きしめてくださいました」


 無論そんな夢は見ていない。

 ゲーム中にイリスの台詞は無いので慎重に言葉を選ぶ。


「楽園の野でお母様とお話ししたこと、はっきりとは覚えていないのですけれど……オディールのことを、とても気にかけていました。どうかあの子を愛し、慈しみ、厳しく…そう、厳しく育ててほしいと」


 ぎゅっと胸の前で祈るように指を組んで、角度にして30度ほど視線を下げた。長い睫毛が愁いを帯びた表情を作り出し、噛みしめた唇の色がいっそう淡雪の肌を引き立たせる。これも鏡の前で練習した。病身のベッドが暇すぎたとも言う。


「主神エールはオディールを私の妹として遣わしてくださったのに、私は寝込んでばかりで…あの子に何もしてあげられていません。私、もっともっと元気になります。それに、オディールのことも、姉として支え導けるようになりたい。楽園の野から叔父様の元へ返してくださったお母様のお心に叶うよう。勉強も、作法も、淑女として必要なことを、全部オディールと二人で頑張りたいんです」

「……ああ、ああ!もちろんだジゼル。お前の母が、義姉さんがお前の命を守ってくれたのだから。お前がもう楽園の野へなど行くものか…たった二人きりの姉妹だ、力を合わせて共にあるのは当然のことだ」

「ありがとうございます、叔父様」


 顔面ぐしゃぐしゃで鼻水まで垂らしているナイスミドルにハグされながら、とりあえずの進展にぐっと拳を握った。

 ジゼルの体調不良の原因はこの叔父の過保護にあると考えたからだ。ゲーム中のオディールの台詞を思い出したのだ。『叔父様はお姉様が咳の一つもこぼしただけで部屋に閉じ込めておいででしたものね』と。実の姉にも毒吐き放題である。

 ほぼ全攻略対象のイベントを荒らすバイタリティとメンタルの持ち主であるオディールと比べるのもどうかと思うが、そんな妹に比べればジゼルは確かに身体が弱い。義姉の面影を重ねて叔父が過保護をこじらせるのは想像に難くない。

 

 部屋で寝ているだけではモブは死んでしまうので、動かなくてはならないのです。叔父様。


 朝っぱらから叔父と姪がひしと抱擁しているシーンを、使用人達が一瞬眉をひそめつつも見ない振りで通り過ぎていく。

 そろそろ誰か助けてくれないだろうか、と思ったところでカップの割れる音が遠くから聞こえた。

 ついで、ばたばたと走り回る人の気配。


 叔父様の頬に許しを得てキスを一つ。踵を返した。

 毎朝毎朝、この病弱で気の弱い令嬢が無視し続けた音に向かって、一歩踏み出すために。

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叔父様は妻子いないのかな
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