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冬に見つけた光


 睡蓮池を渡る風が冷たく、魔力で春の陽気を維持していても冬だということを思い出させる。アンが持ってきてくれたショールのぬくもりがありがたい。

 枯れた葉ばかりが浮かぶ池を見下ろすと、庭の奥の方まで続いていることがわかる。大きな池一面に、同じ品種を育てているようだ。


「夏になったらきっと綺麗な蓮が観られるんでしょうね。何という品種なのですか?」


 何気ない、天気の話をするような話題に、ユーグが足を止めた。

 口元にうっすらと乗った微笑みに、なぜか背筋が寒くなる。やはり風が冷たいからだろうか。


「……『ユーグ』といいます」


 気のせいじゃなかった。

 地雷が爆発する音を聞いた気がする。 


「母上が僕を身ごもったときに、母方の親戚が作らせた品種だそうです。同じ名を持つ花は、子供を守護するといいますからね」


 花のない蓮池を見つめるユーグの瞳はどこか寂しそうだ。

 新種の花は年にいくつも作られるが、名をつけられる花は少ない。美しい品種であれば、その年に子供が産まれた貴族の家か、金持ちの商家が命名権を買い取るのが常だ。侯爵家にふさわしい魔力を持った嫡子の誕生を心待ちにしていたのだろう。今日に至るまで、クタール公爵夫人とユーグが受けてきた苦痛を思うと胸が痛む。

 

「ダルマスにも『オディール』がありましたね。薔薇の館と聞いています。ダルマス伯爵が、娘の名前を持つ赤薔薇を門外不出にするために館の塀を高くしたとか」

「まぁ、お父様がそんなことを?」

「ご存じありませんでしたか?」


 くすくすと笑う、その声も目も笑っているのに、とても冷たい。冬の池を写し取ったような温度のなさだ。


「『ジゼル』はないのですか?」

「え?……さぁ、どうだったかしら」


 あるのかもしれないが、記憶を探っても庭にあるのは真っ赤な薔薇ばかりだ。

 同じ名前の花があったなら、ジゼルももう少し体が強かったりしないだろうか。

 というか、さっきからやたらと少年の言葉に棘がある。

 ユーグの真意がわかりかねて顔色をうかがってみるが、あいかわらず冷たく微笑んでいるだけだ。妹の名前を持つ薔薇しかないなんて、姉のジゼルが愛されていないみたいじゃないか。私が正真正銘の13歳だったら泣いているかも知れない。日々オディールの逃走には泣かされているけれど。

 気まずい空気をなんとかしたくて、鳥の鳴き声でも聞こえない物かと耳を澄ませると、カラカラと人工物がぶつかる音がした。

 見上げると、城の影になっているとばかり思っていたが、壁からせり出した広いテラスが影を落としているようだ。テラスと呼ぶにも、大きすぎる印象があるが。


「空中庭園ですよ。あとで行ってみませんか」

「すごい、ぜひ見てみたいです」


 遠く、滝のように水が流れ落ちている。

 ということは、水をくみ上げているということだ。

 いったいどんな仕組みなのかと周囲を見渡すと、睡蓮池に注ぐ水の他に、水路が見えた。好奇心のまま水路に近づくと、さきほどのカラカラという音が近づく。

 果たして、その正体は小さな水門だった。

 木でできた歯車と、いくつかの金具が重なり合い、ずっしりと分厚い石が幅にして1mほどの水路を遮っている。蓮池への水量を調節するための門のようだ。

 石には精巧な蜥蜴の彫り物がしてあって、見慣れない細工に首をかしげる。

 少し、違和感があった。

 ここでは魔力こそ貴族的な万能の力であるという考えが強いので、こうしたからくりじみた物を見るのは珍しいことだった。それを蛮族の技術と見下す風潮まであるのだ。蛮族とよばれる外敵はいなくなって久しい今となっても。


「それが気になりますか?ダルマス領の蜥蜴の大門を模したものです」

「では、魔力で動くのですか?」


 オディールに散々いって聞かせた歴史の授業の一環だった。

 ダルマスが誇る蜥蜴の大門、かつて賢者と呼ばれるほどの魔法使いが作った、古代魔法の遺物。今となっては再現性のない魔法の建造物だけれど、魔力さえあれば使用することはできる。丁寧にメンテナンスされている遺物は、大陸の至る所にあり、ダルマスで最も有名な異物は蜥蜴の大門。文字通り蜥蜴の彫り込まれた水門だ。

 ダルマスで一番太い河を横断する水門で、水害の際に河流の水量を調整する機能を持つ。どれほど水をたたえても、壊れることのない石の門。

 ただし、それを動かすのには聖女に及ぶほどの魔力を必要とする。つまり、並の魔力しか持たないオディールや、魔力量は多くとも使用に体が耐えきれない私では使えない無用の長物と言うことだ。

 治水は農業の命、領地の屋台骨なので、後見人兼領主代理の叔父もかなり金をつぎ込んでいる。


「いいえ、これは歯車を使ったからくりです。一枚の岩ではなく、数枚の岩を使って水門の形にしているんです」


 説明を受けて、首をかしげる。


「魔力がいらないのですか?」

「ええ。両脇にロープが止めてあるでしょう。これを引けば、重い岩も簡単に持ち上げられるんですよ」


 おかしい。いくら庭の片隅とは言え、そんなものがここにあるのはおかしい。

 なぜならここはクタール侯爵の城で、その魔力を以て中央に強力な魔法使い達を送り出してきた血族の本拠地だ。魔力を大量に必要とする道具があるならともかく、魔力を不要とする道具があるのは、それを庭に置いてあるのは、おかしい。そんな発想に至るのは、そんなものを庭に作って許されるのは、魔力を持っていない令息くらいしかいない。

 そもそもどういうつもりでこの小さな水門を話題に出したのか、わからなすぎて冷や汗が出てくる。いっそ直接質問して楽になりたいけれど、『ユーグ様は魔力なしだからこんなからくりを作ったんですね』というとんでもないディスになりかねないのでなにも聞けない。飲み込めないつばが口の中にたまって気持ちが悪い。

 沈黙をひたひたとひたすように、木枯らしが遠くの木を揺らして通り過ぎる。

 水が流れる様を二人してみおろしていると、ユーグが口を開いた。


「僕が作りました」

「んぐっ」


 呼吸するタイミングと中途半端にかぶって、つばを飲み込みきれず変な音がした。

 挙動不審なとなりの令嬢を、特に感情もなく見下ろして、ユーグは相変わらず微笑んでいる。


「蜥蜴の大門は僕の憧れでしたから。でも、遺物サイズの水門は、作るのも維持するのも難しいですし。まぁ、実際に使うなら、魔力を多少なりとも使うことを前提にした方が簡単なのでしょうけれど」

「……使えるのですか?」

「はい?」


 小川に魚でもいるのか、ぽちゃんと跳ねる音がした。

 

「この水門を、大きくしたら、たとえばダルマスを流れる河を、蜥蜴の大門の代わりを、務めることができるということですか?」

「え、と。はい、きっと」

「それは……素晴らしいことではありませんか!」


 思わず声がうわずる。

 目を丸くしているユーグの手を取って大きく頷いてみせる。


「これが世に広がれば、洪水や渇水に悩む領民をたくさん救えます!国にはもう壊れてしまった遺物だってたくさんありますし、ダルマスの蜥蜴の大門だって、動かなければ彫刻と同じですから!すごい、すごいことですよ、ユーグ様!」


 ユーグから反応はない。

 少し大げさすぎたかも知れないけれど、喜ばずにはいられない。

 自分の成果を褒めてほしい子供心。存在を否定され続けたユーグが、そんなまともな感情をまだ持っていたことに思わずガッツポーズをするところだった。

 蛮族の技術上等、昔のような魔法使いがわさわさいた時代ならいざ知らず、今現実に困っている民草が大勢いるこの時代において、この技術は確かに必要とされるものだ。少なくとも商人である叔父なら3秒でそろばんをはじいてにっこり笑顔になってくれるはず。クタールが魔法使いのプライドにかけてこれを作れないというなら、ダルマスはもうそんなものこれっぽっちもないのでさっさと作らせてもらう。

 魔力以外の素養が認められれば、ユーグがこれ以上ゆがむこともないかもしれない。薄曇りの冬の日差しが、天使の梯子のように降り注いだ。


「叔父様にも教えていいですか?きっと喜びます」

「あ、ええと」

「ああよかった、これで春の雨に困る領民が減りますね。本当に良かった」

「つ、使えるか、わかりませんよ。手遊びに作ったものです、僕には」


 魔力がありませんから、という言葉が透けるようだったので、握った手に力を込めた。


「魔力がいらないのなら、もっと素晴らしいじゃないですか」


 水門はいわゆる川の上流や難所にあるので、洪水の気配があるたびに魔力持ちの貴族がわざわざ山を越え野を越え魔力を注ぎに行かなくてはいけない。腰の重い貴族にとっては高貴な義務より夜会の方が優先されがちで、民草はよく犠牲になっているのだ。

 それなら、魔力なしで現場の役人が操作できた方がいいに決まっている。

 

 どこを覗いても闇だらけのクタール侯爵家に、ほんの少しでも光明が見えた気がして、私はこの城に来て初めて心からの笑顔を浮かべられた気がした。

 

 

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