正義令嬢
オディールに与えられた客室の扉を開くと、部屋の真ん中でメアリがぐずぐずと泣いていた。
部屋を見渡してみてもオディールの姿がない。
見間違いであってほしいと主神エールに祈っていたが、届かなかったようだ。
「ジゼルお嬢様っ、も、もうしわけありませ、私、オディールお嬢様を、止められなくて」
「いいのよ、メアリ。そんな気はしていたわ」
とにかく泣き止んで、状況を教えて頂戴。メアリが落ち着くまでと思って背中を撫でていると、バァン!と派手な音をさせてオディールが登場した。
観音開きに開いた扉はテラスに面した窓で、ついでにいうなら出入り口はそこしかない。基本的にそういう構造になってるはずの建物なので、すりぬけバグでも起こっているような気分になる。
よじ登ったのだとすればフリークライミングには立派すぎる高さだし、上から落ちてきたのだとすればそのバランス感覚と度胸は猫に等しい。着々とオディールの野生児化が進んでいる気がしてならない。
「あら、メアリ。先に戻っていたの」
けろり、ドレスの汚れを払いながら、オディールは気にした風もなく言う。
「お嬢様ぁっ!ど、どこに、行っていたんですかっ!私ほん、本当に心配してっ」
「どこでひっかかったのか知らないけど、ついてこられないお前が悪いのよ。私のメイドならもっと努力なさい」
「雨樋なんて通ったら落ちてしまいますっ」
見ればメアリのメイド服も真っ黒に汚れている。
オディールより頭二つ分背の高いメアリは、女性にしては小柄なタイプだけれど、トランジスタグラマーと言うべきか年のわりにはたっぷりとした胸と安産型のおしりをしているので、上から下までまだまだすっとんとんのオディールに通れる場所も通れなかったりするのだろう。
主にその二カ所に汚れが集中しているので察した訳が、そもそもの話。
「いったいどこで何をしていたのオディール。ユーグ様の部屋からあなたの頭が見えたとき、寿命が縮むかと思ったわよ」
「聞き込みよ、お姉様」
誇らしげに胸を張って、顔の汚れをメアリに拭われていたオディールが、不満げに眉を寄せる。
「でも、無駄骨だったわ。リュファス様に意地悪してる人がいるでしょう、って聞いたの。誰も名乗りを上げなかったわ」
「でしょうね!!」
想像以上に直球だった。
「悔い改めたら許して差し上げるってちゃんと言ったのに」
心底悔しそうに爪をかんでいる横顔は、言動も相まってとっても悪役令嬢だ。その語彙はどこからきているのか本気で調べる必要がありそうだ。そもそも、昨日遊びに来た、それも主家より格下の子供が、許して差し上げたとしても使用人たちに何の救いになるというのか。
お願いだからその正面から喧嘩を売っていくスタイルを矯正してほしい。
いや、格下だったら喧嘩を売っていいとか影からだったら喧嘩売っていいとかそういう話じゃないけど。無駄に警戒されてしまうだろうし、ただでさえ地雷が埋まりまくっているクタール家でタップダンスなんて踊りたくない。
「あなただって、ジャムをつまみ食いしたことを素直に名乗り出はしなかったでしょう?」
「……」
ぷっくりとふくれたほっぺたがハムスターのようで可愛い。
「だからその、犯人を捜して、断罪するっていう考え方を変えましょう、オディール」
むくれたまま、それでもオディールの視線がこちらを向く。
「ねぇ、オディール。あなたはリュファス様を守ってくれないかしら」
きょとん、と大きな瞳が疑問でいっぱいになる。
ノーガード戦法上等のオディールに、とりあえずヘルメットくらいはつけてほしい。
「私たちはお客様、でしょう?いくらリュファス様に意地悪をする人がいたとしても、お客様の前ではそうひどいことはできないはずよ」
そもそも最初のお茶会でリュファスが存在そのものを抹消されていたことはそっと記憶の外に押しやった。普通にやる。あの若干どころでなく病んでる夫人ならやる。使用人も、クタール夫人の意向があるから好き放題やっている。何なら日頃の鬱憤を晴らすくらいの泥沼いじめ行為をやっていてもおかしくない雰囲気だ。
けれど、クタール夫人のいない場所で仮にも貴族令嬢を相手にあからさまにリュファスを排除したりはできないはずだ。そんなことを、きっとオディールは許さない。こんなに主張の激しい貴族令嬢、平民なら当然関わり合いになりたくない。
「わかったわ、私がリュファス様の騎士になるのね」
キラキラとした瞳で頷く姿に、ひとまずほっとする。
このクタールの館はどうにも歴史の深さが嫌な方向に作用してお化け屋敷のようなので、これ以上赤毛の生首伝説なんて追加された日には私の心臓がいろんな意味で死ぬ。
オディールは、ただ己が正義と信じた物のために殉じているだけなのだ。それがたまたま、主人公に相対する物で、多分世間一般的にもあまりよろしくない方向に作用していて、悪役令嬢というポストにいるだけだ。ならば、その正義を倫理的に、世間的に、正しいものに誘導してあげれば、野生児令嬢から一足飛びに正義の味方に大変身できるのではなかろうか。風紀委員長系令嬢。めがねが似合いそうだ。
「その代わり、お姉様は犯人を見つけてくださいましね?」
「う、」
しっかりと釘を刺されてしまった。
ふふん、としたり顔の妹に、苦笑いで頷く。
「ええ、オディール。……頑張ってみるわ」
この場合の。犯人とは、誰に。何に、なるのだろう。