うわべのお茶会
メアリにくれぐれもオディールが暴走しないように言い含めておいたけれど、あまり効果があるとは思えない。
部屋を出る直前、オディールは『まず現場の意識を変える必要がありましてよ』云々と大演説をぶっていた。嫌な予感しかしないので可能であれば今すぐ踵を返して帰りたいくらいだ。妹の調子がよくないので。本当に、よろしくないので。
今にも積み上げた大理石の隙間から冷たい幽霊が染みだしてきそうな廊下を歩き、午前中に見たばかりの扉にたどり着く。ダルマスの館は、こんな白亜の城ではない。日向の香りのする煉瓦と薔薇色の大理石を組み合わせた暖かな色合いの館で、いつだって花が絶えないのだ。ここにきてまだ二日目なのに、いるだけで気が滅入りそうになる。
「ダルマス伯爵令嬢、ジゼル様がおいでです」
先導のメイドについて部屋に入ると、ユーグは窓際の椅子から立ち上がってにこりと笑う。仕立ての良い藍色の上着が窓越しの日差しに艶やかな光を反射した。リュファスと違って癖のない金髪は綺麗に切りそろえられていて、育ちの良いお坊ちゃんといった風だ。
「招待に応じてくれてありがとう、ジゼル嬢。まだお疲れのところをお呼び立てしてすみません。オディール嬢のお加減はいかがですか?」
「ありがとうございます、今は休ませておりますわ。お招きいただきありがとうございます、ユーグ様。今朝は妹がご迷惑を」
「ああ、もう謝らないでください。僕は気にしていませんから。あなたと、話をしてみたかっただけです」
向かいの席を示されて、着席する。同時にお茶とお菓子が運ばれてきた。リュファスのお茶会とはずいぶんな違いだ。控えているメイドの数もうちよりずっと多い。さすがは侯爵家と言うべきだろうか。
「お話、ですか?」
「ええ……そうですね、昨日母が言っていたことを、もう一度お尋ねしたくて」
冬の日差しがゆるゆると茶器の中で反射する。ユーグの微笑みは優しい。本心を見せない笑みの中で、泉のように澄んだ水色の瞳が揺れている。
「淡雪の君のことを」
「お母様のこと、ですか?」
予想外の言葉に、茶器へ伸ばした手が止まってしまう。ユーグと私の年の差は一つ。母が亡くなったときユーグは4歳だったことになる。接点があったとして、覚えているものだろうか。
「申し訳ありません。私が4歳のときに、亡くなってしまったので……あまり記憶にありませんの。私も人づてに聞く程度のことしか」
「違、そうではないんです!お許し下さい、ジゼル嬢。言葉が足りませんでした。あなたを悲しませたかったわけじゃなくて……淡雪の君は、それほど、魔力の強い方だったのですか」
ユーグの瞳が揺れる。
確かに傷ついた表情をした少年に、胸が詰まる。彼は、理解者が欲しいのだ。私が昨日魔力がないと言ったから、自分と境遇を重ねている。
母親と似ているという理由で比較され、魔力について否定され、ついでに妹に手を焼いているらしい。もちろんそれは私の嘘が前提なのだから、ユーグは誤認している。
「……そう聞いています。聖女様には及ばずとも、男であれば魔法院にお仕えすることもできたと」
「そう、ですか」
ユーグの瞳に映ったのは憐憫の情だった。同じ傷を持つはずの偶像を哀れんで、自分を慰めているだけだ。
昨日のお茶会からずっと思っていた。せめて、クタール夫人、彼女だけは。母親である彼女だけは、息子であるユーグの味方であって欲しかった。もちろん侯爵夫人とて、ユーグの立場と未来を最大限考えての行動なのはよくわかる。それでも、伴侶にひたすらに魔力を求める侯爵夫人の姿は、魔力がほとんどないためにこの家の親族に否定され続けたユーグをもう一度踏みにじることに他ならないのだ。
無条件の肯定を誰からも得られない。これでは、ユーグが歪むはずだ。
自分を肯定できないから、余計に自分を脅かす立場にあるリュファスにつらく当たってしまうのだろう。紅茶を一口飲み込んで、嘘を吐く苦さを飲み込む。答えを待つ水色の瞳を見つめ返した。
「ユーグ様。私がお母様の魔力を受け継がなかったこと、お気遣いをいただく必要はありません。領主が優れた魔法使いだったとして、領民が救われるわけではありませんもの」
ほんの少し、見開かれる瞳に、届いて欲しいと気持ちを込める。
「私はいずれダルマス伯爵領を治める身。私の民が心安らかに、少しでも豊かであること、それを望むのに、私の魔力は必要ではないと思っています。優れた魔力を持つはずのダルマス家が母の代でどんな状態だったか、ご存じありませんか?」
ダルマス伯爵家を立て直したのは父テオドールの財力だ。
あるいは母イリスの美貌があれば、もっと別の場所から融資や協力を引き出すことができたかも知れない。軍につながる、あるいは中央で権力を競う家以外にとって、魔力がものを言う場所は少ない。
ユーグが囚われているこの家は、とても狭い場所なのだ。
壁に飾られた巨大なタペストリーは、クタール侯爵領の地図だった。嫡男の部屋に代々飾られてきたものなのか、古い布地の領地は現在とは変わってしまっている。つられるようにユーグがタペストリーを見上げた。
「と、偉そうなことをいっても、叔父様がいなくては何もできない勉強中の身ですけど」
「……僕もですよ」
おどけて肩をすくめると、初めて、ユーグが笑った。
少し照れくさそうに、目を合わせて笑ってくれる。傷の舐め合いでも嘘でもきれい事でも、この傷だらけの少年の自尊心を立て直すことができれば、リュファスと対立することを止められるかも知れない。
冬の日差しはどこまでも優しく柔らかい。面はゆくも罪悪感のある見つめ合いからふと窓の方を見ると、見慣れた赤色が横切った。
気のせいだと思いたい。だってそこにはテラスがあるものの、出入り口はすぐ手前の扉しかないように見える。ユーグは反対側のタペストリーに向かって遠い目をしていた。見えてはいなかったらしい。
二階から見えるはずのない生首が、とかそれなんてホラーですか。
妹が心底心配なのでそろそろ失礼します、そう丁寧に述べると、ユーグは朝と同じ声で、姉妹仲が良いのですね、と笑った。