可及的かつ速やかに
悪役令嬢の定義とはなんだろう。
悪役の、令嬢であること。
まず、悪役とは何か。主人公に倒されるべき敵対者である。主人公の敵対者は悪人でなくてはならない。自己の欲望を満たすために主人公の前に立ちはだかり、主人公がこれを勇気と知恵でもって打ち倒したとき、喝采があがるような存在で無くてはならない。
こと恋愛において、恋路を邪魔する者はすべからく敵対者だけれど、そのなかでもとびきり自己中心的で、自己愛が強く、思い込みが激しくて自分が正義だと信じきっている人物。歪んだ正義を遂行するため、他者を傷つけることを厭わないマイナスの行動力がある同性。正義の狂信者。これに令嬢の身分を追加することで乙女ゲームにおける悪役令嬢と仮定する。
その正義が、たとえば半分だけ正しかったらどうなるのか。
妾腹の子によって立場を脅かされている嫡男のストレスだとか、一族郎党、母親にまで魔力の無い自分を否定されている少年の心の傷だとか。そういうのを丸ごと無視して。
片方の言い分だけを聞いて、『おかわいそう』と『助けて差し上げる』の上から目線思い込み見切り発車で動けばどうなるか。
使用人達が集まっている扉の向こうから、聞き慣れた声がする。見知らぬ館の見知らぬ部屋の前なのに、そこが誰の部屋で中に誰がいるのか嫌でもわかってしまう。
「……アン、私が中に入ったらすぐにオディールを回収して頂戴ね?」
「かしこまりました、ジゼルお嬢様」
立っていられる自信が無い。
推定ユーグ侯爵令息の部屋から、ほぼ間違いなく可愛い妹のさえずりが聞こえるのだから。
アンを伴って一歩踏み出すと、集まっていた使用人達がモーセの拓いた海のごとく綺麗に真っ二つに割れた。痛いほどの視線を感じながら、部屋付きだろうメイドに面会を申し出る。
メイドがドアをあけた瞬間、さっきまで空耳であって欲しいと願った声がはっきりと鼓膜を叩いた。
「ユーグ様はリュファス様をおかわいそうだと思いませんの!?」
「ですから、オディール嬢。僕には何の話だかさっぱりわからないんですよ」
きっと睨み付ける顔は少女ながら迫力満点で、悪を糾弾する声は自信に満ちあふれている。対するユーグは『困った小さな子』の扱いだ。苦笑しながら、どうしようかな、と次の言葉を探している。正直面倒くさいな、というのもありありと滲んでいる。
オディールの後ろで、メアリが半泣きになりながら二人を見比べ、扉から入ってきた私たちを見つけた瞬間、礼拝堂で熱心な信者が主神エールの像を見るときのような顔をした。神にすがるしかない状態になる前に、自分の主人を止めてやって欲しい。無理だとわかっていても。オディールはまだこちらに気がつかないらしく、断罪イベントは進んでいく。
「おとぼけはおよしになって!私、リュファス様に直接お伺いしましたのよ。ユーグ様がリュファス様を閉じ込めて、その上暴力をふるっておいでだと!」
それを言っていたのは周りの小動物達だけれど。
その瞬間ユーグの表情が一瞬動いた。クタール侯爵夫人と同じ、澄み渡る泉の色をした瞳に深い影が宿る。昨日のお茶会と同じ怖気を感じて、慌てて部屋の中央に進み出た。
「オディール」
「お姉様!」
ぱっとオディールがこちらを振り向いて、得意げに顎をあげてみせた。
「お姉様からもユーグ様に言うべきことがあるでしょう?」
「ええ。そうね、オディール」
なんでそこで味方が来たわこれで勝てるみたいな表情をしているのかしら、我が妹は。どの分野の先生をお呼びしてお勉強すれば空気を読む能力は身につくのか、誰か教えて欲しい。
しっかりとユーグの顔を見て、ドレスの裾をつまみ深々と丁寧なお辞儀をする。
「妹が大変失礼を致しました。どうも長旅で疲れて夢を見ていたようです」
「なっ」
信じられない、オディールがそんな目でこちらを見る。そして3秒後、爆発直前のオディールがメアリとアンに同時に押さえられて口を塞がれる。
令嬢に対してあるまじき使用人の態度ではあるけれど、日々オディールを簀巻きにしてきた甲斐があるというもの、慣れた様子で扉の外まで運んでいった。
目を丸くしているユーグに、再度深く頭を下げる。
「お騒がせをして申し訳ありません、少し休めばすぐに回復すると思います。お邪魔を致しました」
「……いいえ。姉妹、仲がよろしいのですね」
苦笑しながら言われた言葉に、なんと答えて良いかわからなくなる。回答につまってしまう。
私はオディールに嫌われているだろう、間違いなく。オディールを再教育したいのは私の都合だ。けれど、結果的にオディールを救うことにもなると信じてはいる。その様子が、仲が良いように見えるというのなら、それは誤解でしかないけれど。
そんなことをほぼ初対面の少年に言う筋合いは無い。言われたところで困るだろう。だから、色々と飲み込んで頷くことにした。
「……ええ」
肯定をするには時間を取り過ぎてしまった。
私の回答をどうとったのだろう、ユーグは利発そうな瞳をまっすぐにこちらに向けて、何か考えるように口元に手をやった。
退出するタイミングを逃した私に、ユーグが口を開く。
「あの。よろしければ、今日の午後にでも、お茶をご一緒しませんか」
僕と二人で。
そう付け加えて、ユーグが微笑む。
言外にさっきのオディールの無礼があるので断るわけ無いよね、といわれた気がしたが、穿った見方をしすぎだろうか。
「そうですね、妹の体調が戻ったら。是非ご一緒させてください」
「ありがとう、楽しみにしています」
にっこりと、まるで少年らしい笑顔でユーグが笑った。




