アンダーザローズ
アンを伴って他人の城を歩く。先導するのはさっきの黒猫で、人の気配は確かにあるのに誰ともすれ違うことが無い。
目くらましの魔法の類いなのだろうか、それとも単純に誰かの命令だろうか。時々アンが後ろをついてきてくれるか確認したくなってしまう。なにしろ、この城は広く、古く、寒くて暗いのだ。
招待状にはこうあった。
薔薇の下でお待ちしています リュファス
「ジゼルお嬢様、どうかご無理はなさいませんよう」
「ありがとう、アン。あなたも疲れているのにごめんなさい、でも」
暗がりの向こうで黒猫が振り返る。金色の目が値踏みするようにまっすぐ見上げてくる。
「どうしても一度、確かめておきたいの」
クタール侯爵夫人は、狂おしいほどに魔力持ちの令嬢を欲していた。それなのに、強い魔力を持つはずのジゼルはユーグの婚約者にならなかった。
お茶会からも、晩餐からも、リュファスが排除されたことは明白だ。そんなに強い影響力がある人間がクタール侯爵家にいるなら、リュファスがまるで存在しないような扱いを受けているはずが無い。
では、誰がジゼルをリュファスの婚約者に定めたのか。
接触すること自体が死亡フラグを立ててしまう可能性もある。一切を無視してしまうことも考えた。だが、知らないということが一番危険だと判断した。これは保険だ。もしも、万が一。魔力がないととぼけることに失敗したときのためのプランB。
その『誰か』がクタール侯爵夫人よりまずそうな人物なら、最悪ユーグの婚約者になる道を選んだ方がいいかもしれない。いや、もちろんどちらもお断りだし断れる限り断りたいけれど。
やがて猫は庭に出ると、蔦に囲まれた温室へと入っていく。
アンが燭台を持って前に進み出る。背の高いアンの横顔がいつもと同じ無表情なことにほんの少しだけ安堵して、手を引かれるまま扉をくぐった。
二人の足音だけが明かりの無い温室に響く。こつり、こつり、固い音が響くたび、ほんの少しだけアンの手に力がこもる。
季節外れの薔薇のアーチをくぐると、突然温室に明かりが灯った。
『薔薇の下へようこそ』
「!」
アンが私を守るように進み出る。さっきまで真っ暗だった温室にはオレンジの明かりが灯り、冬の寒さは一切感じられない。
声のする方へ目をやって、うっかり悲鳴を上げるかと思った。紅葉した楓の木の上に、大きな蛇がいたのだ。
『招待に応じてくれて嬉しいよ、ダルマス伯爵令嬢』
「……!」
『ああ、名乗らなくてもわかるわ。菫の瞳、イリス様と同じ』
『髪の色までそっくりなのね。あの悪人面の血が入っていないんじゃなくて?』
『ちょっと。失礼よ』
先ほどの猫と同じ、使い魔の類いだろう。
言葉を失ってしまう。明るい温室の中には、小鳥、猫、蛇、梟、犬、様々な生き物がいた。彼らが身じろぎし、嘴や舌先をちらつかせるたびに、人の声がする。
そして温室の中央にある小さなテーブルに、子供が一人座っていた。
すこし癖のある黒髪に、ルビーのような赤い瞳。ビスクの肌。人形のように美しい少年。
「……誰」
ぽつり、少年が口を開いた。
『リュファス。あなたの名前でお招きしたのよ、誰はないでしょう、誰は』
『ジゼル伯爵令嬢だ。お前に会うために足を運んで下さったのに』
「え、知らない。そんな予定だっけ?」
テーブルに乗った小鳥に窘められながら、リュファスと呼ばれた少年は素っ気なく答える。
リュファス = クタール侯爵令息に間違いないのだろう、その色彩には見覚えがあった。運命の人と呼ぶべきだろうか、マイナスの意味で。
「はじめまして、リュファス様。ジゼル = ダルマスです。お招きいただきありがとうございます」
「ふぅん。あんたさ、貴族のお嬢様なんだろ?俺が言うのもなんだけど、こんな怪しげな招待よく受けたな。黄昏時のお誘いは人の姿をしてたって受けない方が良いっておふくろさんに教わらなかったの?」
「…母は、私が幼い頃に亡くなりましたので」
「! そっか、ごめん」
気まずそうに目をそらしたリュファスに、首を横に振る。
その程度の事前情報も何も知らされていない、その事実がどうにも居心地が悪い。クタール侯爵夫人経由の情報は無くとも、この周囲の使い魔達は彼に何も教えてないのだろうか。
『リュファス』『ごめんなさいね、照れ屋なのよ』『まぁ子供の言うことだ』
動物たちは口々にそう言って、リュファスの向かいの席を空けてくれた。座れ、ということだろう。
アンの視線を感じる。この魔法の気配が濃すぎる空間から今すぐ退出すべきだと無表情から読み取れる。多分、彼女なりの険しい表情なのだと思われる。
見た目だけは某映画製作会社のプリンセスみたいなファンシー空間に、なるほどこれがジゼルをリュファスの婚約者にした『それ』だと理解する。正直、クタール侯爵夫人とどっちもどっちだ。
尻尾を巻いて逃げた方が良いだろうか。気が弱くて使えないみたいな評価のほうが。いやでも、元々のジゼルだったらこれだけで気絶してそうだし、気が弱い娘の方がお人形としてはいいのだろう。
ここで魔力ほとんどないんですアピールをしてから帰ろう、そう決めて腹をくくる。
一歩踏み出すと、アンは私の意図を悟ってすぐに椅子を引いてくれる。
『申し訳ない、本来であればクタールの家の者に任せるべきなのですが』
『この通り手足も無い身ですからね』
蛇が低く呟けば、くすくすと小鳥が笑う。
「素敵な温室ですね、オディールも連れてくれば良かったわ。あの子は薔薇の花が大好きなんです」
『ええ、是非。ダルマス家の皆様なら歓迎しましてよ』
猫がゴロゴロと喉を鳴らす。視線が合うのは、遠くから見えているということだろう。ただ生き物を使役しているのでは無くて、そういう生き物を作っているようだった。だとすれば、とてもお金と時間と魔力のかかった魔法生物だ。その正体は簡単に思い至る。
「歓迎、ということは皆様はクタール侯爵家の方なのですか?」
『ええ、といってもこうして影しか出入りすることを許されぬ身ですけれど』
クタール侯爵家に連なる、中央の魔法使い達だ。
通常爵位と領地は長男に引き継がれ、跡継ぎ以外の兄弟達にはわずかな遺産が渡されて放り出される。たいていは領地で何らかの仕事を任されるか、中央で官吏として仕えることになる。
特に侯爵家に縁のある人間ともなればヒラでの扱いはできず、仕事は全然できないのに地位ばかり高い官吏ができあがるわけだけれど、中には実力で仕事を得る人もいる。
近隣諸国と小競り合いの絶えないこの国では国王軍は大きな力を持っていて、中でも強い魔力を持つ人間は魔法院で重用される。
強い魔力を持つ人間が軍の内部、そして王宮でも権力を得て、出身家の人間をコネで要職につかせ、さらに家の影響力を増す。魔力を至上とする考えはもう古いといいながらも魔力を求める貴族が多いのは、歴史や伝統を重んじるだけでなく甘い汁を吸ってきた結果でもある。
だからこそ魔力の低いユーグを次期当主として認められないのだ。魔力が引き継がれないと言うことは家の勢力が削がれるということでもある。
しかし、従者もメイドも使用人一人、リュファスにはついていない。
徹底されている。
家を預かるのは女主人の仕事だ。有事に夫の代行として領地を治めることもあるくらいなので、城の人事くらいは掌握していて当然のこと、ユーグを跡取りと認めない縁戚とそれに連なる使用人をことごとく排除したのだろう。
リュファスを引き取った1,2年でできることではない。彼らとクタール侯爵夫人の対立関係が表面化してすでに長いのだと知れる。
ここからどうやって勢いを盛り返したのだろう。ジゼルをリュファスの婚約者にするために、彼らがまっとうな手段を使っていないだろうことは簡単に予想ができた。リュファスを表舞台に出すために、クタール侯爵夫人の手駒を削っていく必要があっただろうから。
ワゴンに乗せられたポットからアンが勝手にお茶を淹れて、テーブルに置いてくれる。
花の香りの湯気ごしに、リュファスの赤い瞳が宝石のように光って見えた。