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黒猫

 慣れない長旅に初対面の人々、いつもは元気いっぱいなオディールも流石に疲れの色が見えていた。

 私もとても疲れている。晩餐の席にリュファスはとうとう出てこなかった。クタール侯爵は息子の体調不良を軽く詫びたけれどそれ以上言及することは無く、叔父様もそのことをこれっぽっちも気にした様子もなく。ユーグは変わらず笑顔だった。正直上手く笑えたか自信が無い。昼間のお茶会でいろいろなものを削られすぎた。

 姉妹それぞれに与えられた部屋に入る前に、お休みの挨拶を妹にしておくことにする。


「おやすみなさい、オディール。今日はお疲れ様」

「ええ、おやすみなさいお姉様。お姉様こそお体がとっても弱いのですからお疲れでしょう。ふふん。主神エールへの信心が足りないのではないかしら。なんなら私が祈って差し上げましょうか」


 私は全然平気ですけれど!と勝ち気な瞳が訴えてくる。ちょっと眠そうだけれど、その元気さが少なからず今は救いでもあった。疲れている姉をこき下ろしているつもりなのかしら、なんてひどい悪役令嬢でしょう。というわけで。


「次は一人でご招待されても大丈夫なように、マナーのお勉強を頑張りましょうね」

「っ!!」


 釘を刺しておいた。元々色が白いので、顔に血が上ると真っ赤になる。こうやって感情を抑える術を知らないところもまた、ヒロインを虐げて逆上していたオディールとかぶる。本当なら、こういった部分も直していくべきなのだろう。貴族として生きるなら、今日のお茶会程度の腹の探り合い、楽々とこなしていかなくては。ユーグのように。

 それはまた、いずれ。いずれでいい。思い出すだけで胃袋の中が冷たくなるようなやりとりはすでにお腹いっぱいだ。


 さて、赤い顔のまま言い返しもせずにオディールは身を翻し、その後ろを慌ててメアリが追いかける。もしかして晩餐の間中こちらをちらちら見ていたことを気づかれていないとでも思っていたのか。いたのだろう。

 ドアが閉まった瞬間中から「どうして教本を持ってきてないのよ!この役立たず!!」「館に手紙を出しなさい!先生を呼んで!」という叫びが聞こえた。メアリが元気に謝っているが、流石に余所様の備品を投げたりメアリに直接手を上げている様子はない。罵声もなんだか前向きなので気にしないことにした。

 クタール侯爵家のメイドが目を丸くしていたので、何か聞こえまして?と笑顔だけ残して案内された部屋に入る。

 すでに1週間の滞在に向けて整えられた部屋にこみ上げるえぐみとか苦みとかそんなものを飲み込んで、ぞろぞろと下がっていくクタール家のメイド達を見送った。


 椅子に深く腰掛けると、アンがすぐに香りの良いお茶を用意してくれる。香草の香りが鼻孔を抜けて、まるで夏の草原にいるようなさわやかさな心地がする。今は甘いお茶よりこれくらいすっきりするお茶の方がありがたい。アンの細やかな気遣いに感謝した。御礼を言っても、アンはにこりともせず静かに烏羽色の髪を揺らして一礼するだけだ。


 揺れる燭台の明かりを眺めながら、思い出すだけで鳥肌が立ちそうなお茶会の光景を思い出す。

 そもそも母譲りの魔力があることは隠し通すつもりでこの場所に来たのだから、やることは何も変わらないと自分に言い聞かせる。プレッシャーが倍になっただけだ。問題ない。ないはず。

 正直に言うと、クタール侯爵夫人とユーグがリュファスとの婚約を阻止してくれるのでは無いかという期待がうっすらとあったのだ。今となっては甘かったとしか言いようがない。

 リュファスとジゼルの子供が生まれたなら、それはもう王国有数の魔力を持った子供に違いない。よほどの不運、そう、ユーグのようなことさえなければ。国王の覚えめでたい現当主を超えるだろう天才の輩出、あるいは王家に望まれる聖女の誕生、いずれにせよクタール侯爵家にとって期待値が高すぎるのだ。仮に現当主であるクタール侯爵の方針が魔力による跡取りの選定に否定的であったとしても、ユーグ達にとって可能な限り避けたい事態のはず。

 侯爵夫人とユーグに妨害してもらうことで私はリュファスと婚約せず、そのことでリュファスを跡取りに推すクタール侯爵家の身内が増長することは無く、その間にユーグはどこか有力な後ろ盾のある貴族から妻を娶り、魔力以外の力、たとえば政治力とか権力とか利権とか賄賂の力とかで跡取り問題が解決することによって兄弟の軋轢も無くなってみんなハッピー、というお花畑を描いていたのだ。あえなく全焼した。


 客室を飾るゴブラン織りは、赤い薔薇が精緻に織り込まれていて、中央には花を持つ恋人達が寄り添っている。高貴な女性の花嫁道具としてよく織られる図案だと思い至って、皮肉に目を伏せることしかできない。

 貴族の世界で愛人がいることなんて珍しいことじゃ無い。 そうして生まれた庶子が、魔力が強いという理由で引き取られるのもよくあることだ。

 そもそも『楽園の乙女』のヒロインであるソフィアだって伯爵の庶子だ。お手つきのメイドが屋敷を辞めてひっそり産んだ子供。逆境にめげず、くさらず、まっすぐで明るく優しいヒロインの鑑のような少女だった。

 珍しくないからといって、法で裁かれないからといって、夫を寝取られ一人息子の跡継ぎの座まで脅かされているクタール侯爵夫人の心が軽くなるわけがなく。ただでさえ、魔力の低い子供を産んだことでクタール侯爵家での夫人の立場がよろしくないことは明白だ。


 魔力があるとばれた日には監禁されかねない。

 事情が事情な分、リュファスの婚約者になるより寿命が縮みそうな気がする。婚約がいつ頃の話かわからないのがネックだ、いつまで隠し続ければ逃げ切れるのだろう。


 不意にアンが扉に向かって歩を進めた。メアリが泣きつきにきたのか、それともこんな時間にお客様だろうか。

 果たして、扉を開けた先には大きな黒猫が一匹いた。くわえた小さな封筒を器用に足下に置くと、低くニャアと鳴く。目を丸くしてそのファンシーな光景を見ていると、メイド服ごしに金色の目がはっきりこちらをとらえて、笑った気がする。

 動揺した様子もなくアンがそれを拾い上げ、猫はもうこちらに興味を失ったようにそっぽを向いて廊下の暗がりへいなくなる。


「招待状です、お嬢様」


 アンが封筒についた猫の毛をはらって、丁寧にこちらに差し出してくれる。

 歯形がつくのはご愛敬、といったところだろうか。


「……本当にお化け屋敷ね、ここは」


 どうしてだろう、ヒロインに成り代わりたいとか世界平和とか一切願ってないのに、死亡フラグ一本折るための難易度が高すぎる気がする。 


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