Iという少年
チャリ...と少年が身に纏う紺の布を止めている、首元の飾りが音を立てる。
キラキラと光る赤と黒の菱形の結晶は、仄かな光を出し自ら発光している。
「綺麗ね、その結晶」
その光に見惚れていたアカリがニコニコと笑いながら言う。
「ありがとう。昔ね、僕を助けてくれたお兄さんに貰ったんだ」
気付いてくれた事が嬉しいのか、少年は菱形の結晶を愛おしそうに指でなぞる。
「そうなの?その人、とっても良い人なのね」
ふわりと笑って答えたアカリに、少年は一瞬表情に影を落としたものの、すぐに「うん」と答える。
「...あ、そういえば名前言うの忘れてた。僕はI」
「私はアカリよ」
「......アカリ?」
「えぇ」と答えたアカリに、少年は顔を歪ませ「そう」と返す。苦虫を噛み潰したかの様なその表情は、幸か不幸かアカリには見えなかった。
しかし見えずとも、様子が違う事くらいは感じ取れる。
「どうしたの?」
急に周囲の温度が低くなった様に感じたアカリが、Iに問いかける。
「うぅん、何でもない。早く行こう?」
それでもIはアカリの問いに対して何か言うでもなく、緩く首を振って歩き出す。その行動にアカリは首を傾げつつも先程のは気のせいかと捉え、Iの横に並んで歩く。
「二人は何処にいるの?」
先程から黙り込んでしまったIに、アカリは居心地の悪さを感じつつも問う。
「もうすぐ...この先だよ。さっき、教室に入っていくのが見えたから」
その言葉にアカリは「そうなの?」と返す。ひょっとするとタクマが見つかったのかもしれない、なんて希望が胸に宿る。
だから、先程からの違和感にはちっとも気付かなかった。
「ねぇお姉さん。お姉さんは、幸せ?」
ふとIが突拍子もなくそんな事をアカリに尋ねる。
Iの問いに、アカリはきょとんとしてIを見る。何故彼は唐突にそんな事を聞くのかと思ったからだ。
「...そうね、幸せよ」
「どうして?」
それでも答えるのがアカリである。ニコリと笑って純粋な疑問をぶつけてくるIに答えを言う。
「皆がいるからよ。私の我儘の為に一緒に探してくれる友人がいて、タクマがいる。だから幸せ」
「タクマ...?それってお姉さんの大切な人?」
「そうよ。私の彼氏なの」
Iの目が見開かれる。それは驚きだけを含んだものではなかったが、アカリは知る由もない。
「タクマさんは、どんな人?」
「とっても優しい人よ。私を見つけてくれて、話しかけてくれた。助けてくれた。暖かくて、太陽みたいな人。...いいえ、あの時の私からすれば、暗闇一面に差し込んだ光みたいなものだもの、まさしく太陽そのものだったわ」
はにかみながら誇らしげに言うアカリに、Iは俯いたまま「ふぅん...」と相槌を打つ。興味がないから適当に返したわけではないというのは、Iの僅かに震えた声が証明していた。
「タクマさんが凄いのは分かったけど...親は?親はお姉さんの幸せな部類に入らないの?」
Iの言葉に、アカリの雰囲気が変わる。Iは己の質問ミスに一瞬で気がつくが、もう引き返しようがない。
「入らないわ」
はっきりと言い切ったアカリの声は、先程と一切変わらない。
「だって、死んだもの」
その言葉にIは思わず顔を上げる。Iが見たアカリの表情は、何処か傷ついていて、それでいてその場に不釣り合いな笑顔だった。
「交通事故でね、三年前に亡くなったの」
さして悲しがる様子もなく紡がれる言葉に、Iは違和感を覚える。
両親が死んだら悲しい筈なのに、アカリにはその様子が全く伺えなかったからだ。それは三年という月日が悲しみを癒したのかもしれない。否、そうだとしても...アカリの表情は嬉しそうにすら見えた。
不気味すぎるその表情と声に、Iは無意識の内に一歩下がる。
「...何で、そんな表情をしていられるの?」
「何でって...」
どうしてそんな事を聞くの?とでも言いたげにアカリが首を傾げる。
「過ぎた事を掘り返しても仕方がないじゃない?だってどんなに悲しんだって変わらないんだもの。だったら、泣くんじゃなくて笑っていようと思ったの。泣いてばかりいたら、お父さんとお母さんも心配するだろうし、笑われちゃうと思ったから」
「それにね?」ふわりと笑ってアカリが続ける。
「タクマがいるから寂しくないわ。彼の兄と私の両親の仲が良かったおかげで、色々と良くしてもらっているし」
タクマの家、凄く大きいのよ?花が飛びそうな位嬉しそうに話すアカリ。違和感は、知らぬ間に消え去っていた。あれは何だったのだろうかと、Iは強張った筋肉をほぐす様にさすりながら考える。
「...変なの」
「皆そうやって言うのね」
掠れた声で言ったIに、アカリはクスクスと笑って返す。アカリ自身は、その違和感に少しも気付いてなどいない。
Iの表情は、先程よりも浮かないものになっていた。それをアカリは気付いていない。否、気付いた所で、アカリにはどうしようもない。
本人が気付いていなければ、どうしようもないのだ。笑顔で語るその言葉に秘められた狂気をIが今ここでどんなに分かりやすく説明した所で、アカリには何も届かないだろう。
Iは分かっていた。この狂気は、きっと氷山の一角にしか過ぎないのだらうと。全て知ってしまえば、恐ろしい事になってしまうだろうと。
心の中に随分と大きくて凶暴な獣を飼っているとIは思った。そしてそれを普段は微塵も感じさせない事に、尚更恐怖が募った。
「どうかしたの?」
笑みを浮かべるアカリに、Iは「別に」と曖昧な返事しか出来なかった。
「Iは?私、Iのお話も聞きたいわ」
そしてアカリは、知らずの内にもう一匹の獣を檻から出そうとしていた。




