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表と裏の狭間の世界で  作者: 珠椛
第1章
8/14

Iという少年

 チャリ...と少年が身に纏う紺の布を止めている、首元の飾りが音を立てる。

 キラキラと光る赤と黒の菱形の結晶は、仄かな光を出し自ら発光している。

「綺麗ね、その結晶」

 その光に見惚れていたアカリがニコニコと笑いながら言う。

「ありがとう。昔ね、僕を助けてくれたお兄さんに貰ったんだ」

 気付いてくれた事が嬉しいのか、少年は菱形の結晶を愛おしそうに指でなぞる。

「そうなの?その人、とっても良い人なのね」

 ふわりと笑って答えたアカリに、少年は一瞬表情に影を落としたものの、すぐに「うん」と答える。


「...あ、そういえば名前言うの忘れてた。僕はI(アイ)

「私はアカリよ」

「......アカリ?」

 「えぇ」と答えたアカリに、少年は顔を歪ませ「そう」と返す。苦虫を噛み潰したかの様なその表情は、幸か不幸かアカリには見えなかった。

 しかし見えずとも、様子が違う事くらいは感じ取れる。

「どうしたの?」

 急に周囲の温度が低くなった様に感じたアカリが、Iに問いかける。

「うぅん、何でもない。早く行こう?」

 それでもIはアカリの問いに対して何か言うでもなく、緩く首を振って歩き出す。その行動にアカリは首を傾げつつも先程のは気のせいかと捉え、Iの横に並んで歩く。



「二人は何処にいるの?」

 先程から黙り込んでしまったIに、アカリは居心地の悪さを感じつつも問う。

「もうすぐ...この先だよ。さっき、教室に入っていくのが見えたから」

 その言葉にアカリは「そうなの?」と返す。ひょっとするとタクマが見つかったのかもしれない、なんて希望が胸に宿る。

 だから、先程からの違和感にはちっとも気付かなかった。


「ねぇお姉さん。お姉さんは、幸せ?」

 ふとIが突拍子もなくそんな事をアカリに尋ねる。

 Iの問いに、アカリはきょとんとしてIを見る。何故彼は唐突にそんな事を聞くのかと思ったからだ。

「...そうね、幸せよ」

「どうして?」

 それでも答えるのがアカリである。ニコリと笑って純粋な疑問をぶつけてくるIに答えを言う。

「皆がいるからよ。私の我儘の為に一緒に探してくれる友人がいて、タクマがいる。だから幸せ」

「タクマ...?それってお姉さんの大切な人?」

「そうよ。私の彼氏なの」

 Iの目が見開かれる。それは驚きだけを含んだものではなかったが、アカリは知る由もない。

「タクマさんは、どんな人?」

「とっても優しい人よ。私を見つけてくれて、話しかけてくれた。助けてくれた。暖かくて、太陽みたいな人。...いいえ、あの時の私からすれば、暗闇一面に差し込んだ光みたいなものだもの、まさしく太陽そのものだったわ」

 はにかみながら誇らしげに言うアカリに、Iは俯いたまま「ふぅん...」と相槌を打つ。興味がないから適当に返したわけではないというのは、Iの僅かに震えた声が証明していた。


「タクマさんが凄いのは分かったけど...親は?親はお姉さんの幸せな部類に入らないの?」

 Iの言葉に、アカリの雰囲気が変わる。Iは己の質問ミスに一瞬で気がつくが、もう引き返しようがない。

「入らないわ」

 はっきりと言い切ったアカリの声は、先程と一切変わらない。

「だって、死んだもの」

 その言葉にIは思わず顔を上げる。Iが見たアカリの表情は、何処か傷ついていて、それでいてその場に不釣り合いな笑顔だった。

「交通事故でね、三年前に亡くなったの」

 さして悲しがる様子もなく紡がれる言葉に、Iは違和感を覚える。

 両親が死んだら悲しい筈なのに、アカリにはその様子が全く伺えなかったからだ。それは三年という月日が悲しみを癒したのかもしれない。否、そうだとしても...アカリの表情は嬉しそうにすら見えた。

 不気味すぎるその表情と声に、Iは無意識の内に一歩下がる。


「...何で、そんな表情をしていられるの?」

「何でって...」

 どうしてそんな事を聞くの?とでも言いたげにアカリが首を傾げる。

「過ぎた事を掘り返しても仕方がないじゃない?だってどんなに悲しんだって変わらないんだもの。だったら、泣くんじゃなくて笑っていようと思ったの。泣いてばかりいたら、お父さんとお母さんも心配するだろうし、笑われちゃうと思ったから」

 「それにね?」ふわりと笑ってアカリが続ける。

「タクマがいるから寂しくないわ。彼の兄と私の両親の仲が良かったおかげで、色々と良くしてもらっているし」

 タクマの家、凄く大きいのよ?花が飛びそうな位嬉しそうに話すアカリ。違和感は、知らぬ間に消え去っていた。あれは何だったのだろうかと、Iは強張った筋肉をほぐす様にさすりながら考える。

「...変なの」

「皆そうやって言うのね」

 掠れた声で言ったIに、アカリはクスクスと笑って返す。アカリ自身は、その違和感に少しも気付いてなどいない。


 Iの表情は、先程よりも浮かないものになっていた。それをアカリは気付いていない。否、気付いた所で、アカリにはどうしようもない。

 本人が気付いていなければ、どうしようもないのだ。笑顔で語るその言葉に秘められた狂気をIが今ここでどんなに分かりやすく説明した所で、アカリには何も届かないだろう。

 Iは分かっていた。この狂気は、きっと氷山の一角にしか過ぎないのだらうと。全て知ってしまえば、恐ろしい事になってしまうだろうと。

 心の中に随分と大きくて凶暴な獣を飼っているとIは思った。そしてそれを普段は微塵も感じさせない事に、尚更恐怖が募った。


「どうかしたの?」

 笑みを浮かべるアカリに、Iは「別に」と曖昧な返事しか出来なかった。

「Iは?私、Iのお話も聞きたいわ」

 そしてアカリは、知らずの内にもう一匹の獣を檻から出そうとしていた。

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