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表と裏の狭間の世界で  作者: 珠椛
第1章
7/14

消えた二人

 非常灯の灯りと消火器の赤い光が廊下を仄かに照らす。薄気味悪いという感覚は、もう完全に麻痺してしまっており、スタスタと歩けるまでになっていた。


 守衛もいなければ生徒の姿はおろか、気配すらも感じない。というより、この階に人の気配は全く感じられない。移動教室中なのだろうと、アカリは解釈する。

 そうでもして無理矢理思考を転換しなければ、到底耐えられない。


「...カナヤ」

「何」

 この、背後から感じる冷たい空気に。

「怒ってる...?」

 恐る恐るといった様子でアカリが問う。ただし、足を止めて振り返ろうとはしない。

 それは面倒だからではなく、ただ単純にその勇気がなかったからだ。

「...別に」

「怒ってるじゃない」

「怒ってたとして、何?僕の怒りを鎮めてくれるとでも?君の所為で、こんなにも苛々してるってのに?」

「さっきの事なら謝るわ。軽率だったのも、理解してる。でも、そんなのをいつまでも引きずらなくたって良いじゃない」

 アカリの言葉に、カナヤが盛大に溜め息を吐く。

「何様のつもり?第一、勝手に侵入したのはそっちでしょ。軽率な自分の行動は棚に上げて、僕には引きずるな?どれだけ上から目線なのさ」

「私はそんなつもりで言ったわけじゃ...」

「聞き手にそういう印象を与えたら、本人の意思と関係なんてないんだよ。あー...本当、うざったい」


 吐き捨てるようにカナヤが言い、それきり会話は途切れてしまった。カナヤが怒っている理由は宙ぶらりんのまま、気まずい雰囲気がその場に流れる。


 彼と私は違う。


 それは当たり前の事なのだが、そういう事を言いたいわけではない。

 本質的に根本からカナヤとは違う。何が違うのかと言われれば答えられないが、違うというのはアカリにはあった。



 暗い廊下を歩く三人分の足音がその場を支配し、誰も声を発しようとはしない。

「着いたよー...」

 数分後、ようやく出た声は、ミワによる到着を告げる声だった。目的地の技術室は案の定真っ暗で、怪談話に出てきそうな雰囲気がある。

「...あ、もう着いたのね」

 そそくさとカナヤから距離を取ったアカリが、技術室の扉に手をかけゆっくりと横にずらす。

 ガラガラと立て付けの悪い音とともに扉が開き、真っ暗な空間が三人の視界に飛び込んでくる。

 技術室特有の木の匂いは、木造校舎を歩いていた時とはまた違う匂いで、アカリの心がほんの少し落ち着く。

「...一応、探すー...?」

 この教室にタクマがいない事はミワも分かっているのだろう。それでも尚探すかどうかをアカリに尋ねてくる。アカリを安心させる為だという事は、話を振られた本人が一番理解していた。

「...えぇ、申し訳ないけれど、お願い」

「いいよー...。んー...カナヤ君行こうー...?」

「は、ちょっ」

 カナヤが返答するより早く、ミワがカナヤの腕を引いて技術室へと入っていく。その後ろ姿を追い、アカリも部屋に入る。


 体感温度が廊下より低く感じるのは、多少なりとも恐怖があるからだろうか。アカリはそんな事を考えつつ、部屋の中をぐるりと見回す。

 木の匂いと金属の匂い。技術室特有の匂いがはなにつき、アカリは顔を顰める。

 昔からどうも、この匂いは好きになれない。

 一応歩き回ってみたが、やはりというべきかタクマは見当たらない。

 これは早々に次に行った方が良いだろう。そう判断し、アカリは二人を探して技術準備室に入る。


 ところがそこに二人の姿はなく、もぬけの殻だった。


「...え?」

 出て行った音はしなかった。周囲を見回してみるが、二人の姿は何処にもない。

「...カナヤ?ミワ?何処に行ったの?かくれんぼ?」

 己の声だけが反響し、返事は一向に返ってこない。

「ね、ねぇ、何の冗談なの?出てきて」

 アカリは急に不安になった。何か二人の身に起きたのかもしれない。私がいる所を見られて、捕まってしまったのかもしれない。

 そう思うと、恐怖が一気に押し寄せてきた。

「カナヤ!ミワ!何処に行ったの!?」

 もしかして廊下だろうか。一縷の望みをかけて廊下に出てみるが、そこにも二人の姿はなく、深い闇が広がっていた。

「嘘...どうしよう」

 そう呟いたアカリの耳に、カツンと足音が聞こえた。

 廊下の奥から聞こえるその音は、確実にカナヤとミワではないとアカリは直感で感じる。


 –––––隠れなきゃ。


 そう思うのに、足はちっとも動かない。いざという時ほど、体が思い通りに動かない。

 足音は確実に此方に向かってきている。ここに立ち尽くしていれば、見つかるのは当然だ。


「こっち」


 耳に声が届くと同時に、後ろから手を引かれ戸棚に引きずり込まれる。

「や、離してっ」

「静かに。見つかっちゃう」

「んーっ!」

 狭い戸棚の中で縮こまる様にする中、背後の声の主がアカリの口を手で塞ぐ。

 慣れた手つきが、余計にアカリを恐怖に陥れる。

 カツン、カツンという足音が技術室の前で止まる。アカリの息が詰まった。


 足音は数秒止まった後、また何処かへと遠ざかっていった。ホッとするやいなや、アカリは戸棚の扉を開け、背後の何者かから逃れる。

 少々強引に逃れた為、背後の者はアカリが出た反動で壁に激突していた。

「いったー...」

「あ、貴方誰...?」


 暗闇にようやっと目が慣れてきたアカリが見たのは、深い紺の布をフードの様に被った少年だった。

 顔はフードと前髪と暗さの所為ではっきりとは見えないが、此方を見る右の黒の瞳と目があった事は、アカリにも確認出来た。

「助けてあげたのにこれは酷いよ...」

 あー、うーなどと後頭部を抑えながら呻く少年が、不満そうに声をあげる。だがアカリはそんな少年を気にする余裕などどこにもなかった。

「質問に答えて」

「少なくとも、お姉さんを捕まえに来た訳じゃないよ。ここで寝てて、一人分の足音が廊下から聞こえて騒がしかったから起きて...近くにいたからついでに助けただけだし」


 自分を捕まえに来た訳ではない。その事にアカリはそっと胸を撫で下ろす。

「それにしても変なお姉さん...迷子になったの?」

「え、えぇ、まぁ。友人とはぐれたの」

 まっすぐ此方を見てくる少年にしどろもどろしながらも、アカリは何とか返答する。

「友人?お姉さん、転校生なのにもうお友達がいるの?」

「えっ、えぇ、まぁね」

「ふぅーん...?」


 何かを探る様に少年がアカリを下から覗き見る。対するアカリは自分が此方の生徒ではないとバレてしまわないか、内心で冷や汗をかいている。

「...お姉さんの友達って、もしかして一緒に入って来た人?」

「そう、だけど...」

「そっか。その人達ならさっき見たから、案内してあげる」

「...本当?ありがとう」

 コクンと少年が頷き、廊下に出る。アカリも慌てて後を追った。

 闇に紛れそうな紺の布が、ゆらゆらとアカリの前ではためいた。

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