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表と裏の狭間の世界で  作者: 珠椛
プロローグ
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プロローグ

 

「–––此処は何処?」


  静かな空間に声がよく響く。

「此処は此処さ」


 問いに答えた青年は、片足をテーブルに乗せた行儀の悪い状態で質問をした青年を見やる。ニコニコと笑うその表情から、答えに関する真意は読み取れそうにない。


「答えになってない。僕が聞いているのは、具体的な名前だよ。固有名詞」

 呆れた様に質問をした青年が言う。それは心底呆れた、とでも言いたげな言い方だが、もとより彼は質問に対する明確な答えなど求めてはいやしないだろう。


「具体的な名前?...キミそんな事聞くんだ、何だか別人みたいだね」

 クスクスと笑う声はなんだか楽しそうで、場にそぐわないその声は気味が悪い。

「此処が何処か、なんて聞くまでもないよ。だってキミは此処が何処で、何をする場所か分かっているんだもの。ねぇ?」

「...分からなければ、今頃ゴミ処理場に捨てられていることくらいは理解しているよ」

「それはいい!キミがゴミ処理場に体を埋もれさせていたならさぞかし滑稽だろうからね。けど...中々に魅力的なその案は、次回に持ち越させてもらおうかな。今はキミの最終処分の話よりも、別の話をしたい気分だから」

 カツンと靴をテーブルに当てて鳴らした青年が、クルリと顔を話し相手の青年へと向ける。


「例えばどんな話?」

「夢とは何か、とかね」


 うっすらと目を開けた青年が言えば、「抽象的過ぎる」と溜め息まじりに問いかけられた青年が呟く。

「第一、夢と言っても色々あるよ。将来の夢とか、眠った時に見る夢とか」

「何でもいいさ。ボクが知りたいのは夢という形の無いものについてだからね」

 「哲学的な問いだね」青年はふと口に手を当て、考え込んだ様子で言う。「それに明確な答えはあるとでも?」

 何の感情もないその声からは、さして答えに興味を持っている雰囲気は感じ取れない。

「さぁ...それは分からない。だってボクは学者じゃないからね。だからキミに尋ねているんだよ。別の人にも聞いてみようか。...ねぇ、キミはどう思う?」

 青年が暗闇の中に向かって問いかけると、コツコツと軽い足音が二人の方に向かって近付いてくる。

「えー...どうなんだろうねぇー...分かんないなぁ」

「興味なさそうだね...まぁいいや、いつも通りだし」

 前髪で目が完全に隠れてしまっている少女が欠伸をしながら席に座る。「だって、夢を見る事がなくなったからねぇー...それを考えるなんてー...ふぁ...難しいよー...」

「それは言わない約束」

「あぁ...そうだったねぇー...」

 嗜めるように言った青年の言葉に頷きながら返答する少女は、うとうとしているのか動きがとても鈍い。そんな少女を見ていた青年は、ふと少女の腕につけられた時計に目をやる。

「そうそう。あ、それ新作の時計じゃない?」

「よく分かったねぇー...。可愛かったからー...買ったんだぁー...」

 少女の腕に光る淡い薄桃色の時計はダイヤモンドをはめ込んでおり、凡そ一介の、それも平凡そうなこの少女が買える代物ではない。

「買った?...冗談、贈ってもらったんでしょ」

「あー...バレちゃったぁー...?...うん。この間頑張ったからってー...ちょっと奮発してもらっちゃったー...」

 嬉しそうに言う少女に誰がこの高価な時計を贈ったのか、青年二人は見当がついていた。敢えて言わなかったのは、その場の雰囲気を守る為だろう。


「...それで?今回集まった理由が、まさかこれとは言わないよね?」

 少し苛立った口調で、今まで会話に参加していなかった青年が言う。先程からの二人の会話のテンポの遅さに苛々していたようだ。

「せっかちだなぁ。ちょっと知りたくなっただけ。そう、皆に聞きたくなっただけだよ、あの事」

 「あぁ」と何かを察したように青年が呟く。「それこそ興味がないよ。ないものねだりをしているのと同じだし、僕等には分かり得ない事だから」

 「つまらないなぁ」青年の表情は、言葉と相反して楽しそうだ。

「まぁいいや、そろそろ行こうかな」

「呼んだ理由は?」

 テーブルから足を降ろし、席を立った青年が、感情の読めない笑みを浮かべて二人の方に振り返る。


「今に分かるさ–––––そう、案外すぐにね」



「...相変わらずだね」

 去っていく青年の後ろ姿を見つつ、残った青年はポツリと言う。

「あぁして自分を守ってきたんだものー...私達がとやかく言える事ではないよー...」

「それは、僕らが生み出す者だから?」

「うぅん、消し去る者(・・・・・)だからー...」

 間延びした声で少女が言う。「変な事言うねぇー...私達は何にも生み出せやしないのにー...」

「...分かってる」

 今日の自分はどこか変だ。何故こうなってしまったのか、何が変なのか、そこまでは明確に分からない。しかし、どこか変だ、という事は本人が一番良く分かっていた。

「追求しない事...それが私達の中の暗黙のルール、でしょー...?」

「...うん」

 「もう行くよ」そう言って青年が席を立つ。その瞳にもう感情は映っておらず、色を失った世界を見ている様で、寒気を覚えるほど空虚だ。

「行ってらっしゃい...今回は、流されないで(・・・・・・)ね...?」

 警告の声が静かに響く。強調された言葉は鋭利な刃となり、青年に突き刺さったのを少女は見逃さなかった。

「...分かってるって」


 闇の中に青年の足音が溶けて消えていく中、少女は未だ席に座ったまま、誰かを待っている。


「あれあれー?皆いないのですー」


 甲高い少女の声が響く。軽いステップでやってきた少女は、わざとらしく額に手を当ててキョロキョロと周囲を見回す。

「あっ、まだいたのです!皆は帰っちゃったですか?」

 ぴょこぴょこと近付いてくる少女に気づかれぬ様溜め息を吐いた少女は「うんー...」と返事をする。

「つまんないのですー!お話したかったのに皆がいないなんてあんまりです!」

「来るのが遅いからだよー...」

 そう言った少女に「ごもっともなのです...」としょんぼりとしてもう一人の少女が言う。

「でも、甘いケーキがどうしても食べたかったのです!それで買って食べていたら、すっかり遅れてしまったのです...」

「ケーキは美味しかったのー...?」

「はい!とーっても美味しかったのです!」

 先程の落ち込みとは打って変わり、ふにゃりと天使の様な笑みを浮かべる少女。少女の見た目と笑みはとても愛くるしく、それを見た人はたちまち少女に魅了されてしまうだろう。

「皆がいないという事はそろそろなのですか?」

「うんー...」

 小さく頷いた少女に「なんと!」と素っ頓狂な声が上がる。

「それは大変なのです!大至急準備にとりかかるのです!」

「んー...そんなに急がなくても良いと思うよー...?」

「善は急げなのです!先人さんの言葉を信じて、パパパーッと準備しちゃうのです!ではではっ!」


 「準備するですー!」という声と共に、風のように少女が去る。残された少女は疲れたようにその後ろ姿を見送る。

「やっぱりー...あのテンションはー...慣れないなぁー...。嵐みたいだもんー...」

 短く息を吐き、独り言を呟く。そしてふと何かを思い出したかのように少女が暗闇の一点をジッと見つめる。まるでそこに誰がいるかのように、少女はそこから目を離さない。


 –––––否、最初から(・・・・)そこにいたのだが。


「...出てきたらー...?」

「...気付かれてたか」

「最初からねー...。多分、あの子以外の二人は気付いてたよー...」

 ギィと椅子を引き摺ったときの独特な音が真っ暗な空間に響く。

「...仕事の話か?」

 まるで自分が最初からそこにいなかったかの様に青年はわざとらしく問う。聞いていたくせに、と少女は言いかけたが、その言葉は口の中で反響しただけで音になりきらず、空気として溶けていく。

「仕事っていうかー...雑談してたー...」

 「そうか」そう言って青年は椅子の背凭れに寄りかかる。長い溜め息は憂鬱さを帯びており、「また?」と呆れた様に少女が問いかける。

 「あぁ」青年がか細く言う。

「消し去る者、か...欲深い奴らも鬱陶しい奴らも、消してしまえたらどんなにか–––––」

「それは違反だよー...」咎める様に少女が言う。

「恐ろしい事言わないでー...首が飛ぶのは自分だけじゃ済まなくなるんだよー...?」

 青年の言葉を切った少女の声は至って真面目だ。それどころか緊迫した様子すら感じられ、青年は居心地が悪そうに頭を掻く。

「...はぁ、はいはい」

「“汝、その炎燃え上がらせし時、数多の灯火も消えん。故に汝、決して揺らぐ事なかれ”」

 少女が紡いだ言葉は呪文であると同時に、青年にとっては呪いの一言でもある。

「チッ、揺らいでねぇよ」

 苛立ち気味に青年が言う。怒りを含んだその声は、図星を突かれたと言っているに等しい。

「どうだろうね...?」

 本当にそう?少女の一言には、そんな裏があるようだと青年は感じ取る。

「...じゃあ、私も行くねー...」

 フラフラと隔測ない足取りで少女が去っていく。それを片手で見送った青年は、疲れ切ったように息を吐き、天を仰ぐ。

「今回も欠席...ったく、いくら異端だからって毎回来ないっていうのもな...」

 呟いた所で当の本人が来るわけでもないのだが、愚痴くらい言いたかったのだ。青年の立場にもし自分が立ったのなら、きっと誰だってそう言いたくなるに違いない。


 少女にあぁ言ったが、青年は実の所、随分と揺らいでいた。というのも、青年の周囲で最近ややこしい事が起きているからなのである。加えて青年は、繰り返される日常にどこか物足りなさを感じていた。

 いつから自分はこんなにも傲慢になったのだと、鏡の中の自分か、或いは何年か前の自分に問いかけてみたい所だが、生憎そんな事をした所で答えなど出る筈もない。


 –––––そんな中、ふと聞き覚えのある音が響き、青年は聞きたくないとでも言いたげに目を瞑る。


「...分かってる、分かってるって。聞かせんじゃねぇよ...」

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