原爆投下による戦争論
はじめに断っておきますが、このエッセー作品は私の「わがまま」戦争論です。知識の足らなさ、思想の至らなさがあることは十分、承知しています。しかし、どうしても書きたい。そして、読者の方々が「題で想像した戦争論と違うじゃないか」とおっしゃってくれるならば、私の今回の戦争論は「あっ題とは違うことを分かってもらえたんだ」と納得することもできるだろうと考えています。
今回の題ですが、これは原爆投下をしたアメリカ、された日本ということに焦点を絞った戦争論だという意味です。さっそく本題に入りましょう。つまり、アメリカは世界一悪い国だと思います。世界一ダメな国かと思われます。なぜなら、原子爆弾を広島、長崎に落として、何十万人もの日本人の命を奪っているからでしょう。しかし、それはあくまで原子爆弾を落としたという一点に絞って考えてみる場合においてです。何から何まで悪い国だと言っているわけではありません。
それから、日本は世界一美しい国です。なぜかと言いますと、やはり、アメリカという国に唯一原子爆弾を落とされてとてつもなく大きな被害にあった国だからです。日本はかわいそうな国です。しかし、ここが最も日本人に美しい心を持たせることができるのだとも言うことができるのです。なので、日本という国が原子爆弾を落とされたという事柄一点に執着して考えるところによるならば、何も悪いことはしていないということがハッキリと言えると思います。逆にこんな被害を受けた国であるのならば、自信を持って「平等」を説く権利があると言っても言い過ぎではないのです。
そして、逆に言います。もう一度アメリカに戻ります。もし、仮に原子爆弾を落としたという一点に限って考える(そういうことが可能であるとする)ならば、アメリカ合衆国のどこに反論の余地があるのでしょう。反論どころか、言い訳も醜く、やはり個人的には世界一悪い国だと言うことができるのではないか、と思われます。だから、原子爆弾を落としたアメリカを、この点においてかばうことなど不必要だし、反対に(この点において)日本が反省をすることなどもっての外だと言い切ることができるでしょう。
最後に、戦争というものを正面から論じようとするならば、やはり私は絶対に反対だという気持ちを押し隠すことはできません。なぜなら、戦争は起きれば最も「こわい」ものとして、我々の世界に影響を及ぼすものと考え得るからです。だって、殺されるかも知れないんですよ? だから、私にとって戦争とは肯定するべきものじゃないと確信に似た思いにとらわれます。理由は簡単。ただ単に「こわい」ものであるからです。たぶん、実際に戦争が起きた時のことを考えてみれば、誰でも「こわい」という感情にとらわれることはあると思うんです。それをどう思い、どう行動するかが、私の戦争論の核心部分になります。どうもありがとうございました。