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家出もとい、これは悲しみからの逃避行です。

作者: 福神漬

私が初めて家出をしたのは、10歳の時だった。



それは、10年過ごしてきた我が家の引越しの日。


両親がバタバタと出発の準備をする中、私は一人自分の部屋で泣きじゃくっていた。

大好きなこの家と友達と分かれるのが辛くて、仕方がなかった。


そろそろ荷物を車に乗せ終わる頃、両親に遣わされた妹が私を呼びに来た。

仕方なく玄関へと向かった私は、その時たまたまキッチンに置きっぱなしになっていたフランスパンを見つける。


そのとき私は決心したのだ。

このフランスパンを持って家出をしようと。



フランスパン片手に勢いよく家を飛び出した私。

両親と妹は何事かわからずにただ走り去っていく私の後ろ姿を眺めていた。



私の行先は決まっていた。

もちろん一番の親友の家だ。


彼女は私が引越しをするにも関わらず、家に閉じこもっていた。後で、私が居なくなるのが寂しかったからだと言っていた。



無事親友の家にたどり着いた私は、戸惑う彼女と抱き合って泣いた。そして、このうちの子にしてくださいと頼んだ。

親友はしばらく迷った後、私に家族の元へ帰るようにと言った。今頃心配してるから、と。



またしても私は泣いて、それを拒んだ。

そんな私を見て、また親友も泣いた。



そうこうするうちに、彼女の母親の連絡により駆けつけてきた両親に私は引き渡された。



いくら暴れても、泣き叫んでも所詮は10歳の子供。軽々と父親に担がれて家へと帰った。


あの後、悔しくて悔しくて。

車の中で泣きながらフランスパン食べたっけ。




あれから20年。

ついに三十路へと突入した私は、今日家出をする。あの時と同じように、フランスパン片手に。


家出の理由はなんてことない。

ただ、同棲している彼が、せっかく二人合わせてとった休暇を仕事でパーにしたからだった。


彼は優秀な営業マンで、いつも仕事が忙しいのはよくわかってる。そんなでも家事を分担してくれたり、たまに美味しいものを買ってきて私をよろこばせてくれたりすることにも、感謝してる。


だけど、私は家出をする。

別に腹いせで困らせたいという訳ではない。

ずっと楽しみにしていた温泉旅行だったのだ。

それが急に消え去ったこの悲しみ、家の中にいてどう慰められよう。




そんなわけで家出を決意した私は、朝食も食べずに職場へ向かった彼を見送った後、家出の準備を整える。


Tシャツにジーパン。ラフな格好でいいや、家出だし。動きやすさ重視で。

スマホは置いていく。何故なら彼から連絡が来たとき、無視するのが辛いから。

後は、持ち歩くお金だけど、ここは3000円ぐらいにしておこう。長期戦に持ち込む予定はない。なにか美味しいもの食べて、適当に帰ってくればいい。



準備を終えた私は戸締りを確認した後、ついに玄関へと向かう。


私がふとキッチンを見れば、そこには無造作に置かれたフランスパンが。切ろうとして、そのままだった。

そういえばまだ朝ごはんを食べていない。


よし、持っていこう。


あまり深く考えることなく、フランスパンをつかむとそのままトートバッグに入れ、家を出た。


とにかくまず、電車に乗ろう。

行き先は少し離れた繁華街だ。

この間、職場の同僚がオススメのピザ屋があると言っていた。

たしか往復で800円。

お金が少し心配だけど、まあなんとかなる気がする。あそこら辺のお店、ランチ安いし。



では美味を求めて、いざゆかん。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



電車は空いていたので難なく座われた。

私は周りを見てびっくりした。サラリーマンと学生ばっかりだ。

そりゃそうか。私みたいな30過ぎた女がふらふら電車に乗ってるのが可笑しいのだ。



スマホも雑誌もなんにも持たない私は、朝日を浴びながらただただ電車に揺られる。

いつもより時間の流れがゆっくりだなあ。


途中で乗車してきた男子高校生が私を不思議そうな目で見てきた。

この電車の中じゃあ不思議でしょうよ。


ああ、この爽やかでスカした青年は、私が実はフランスパンを隠し持っていることを知っているのだろうか。

......いや、知るはずもないよね。


そう思ったら、なんだかこのフランスパンで彼を驚かせてみたくなった。

日本刀のように持って、彼の首筋にこの硬くて茶色の側面を当ててみてやろうか。


どうだ、驚いて声も出ないだろう。


当たり前だ。


そんな馬鹿なことを考えているうちに、彼は降りてしまった。


私は、再び無心で電車に揺られる。




どれくらい経っただろう。

ふと外を見ると、どこか懐かしい景色が広がっていた。

来たことがあるような無いような。よく思い出せない。

この方面に来ることは元々少ないんだよなあ。


目の前の街は、今私の好奇心を刺激していた。早く思い出すんだとせかす。


予定変更。


次の停車駅で私はすぐさま電車を降りた。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



その街は静かで落ち着いていた。

洒落ていて年季の入った建物がいくつも見える。

私は、赤レンガの敷き詰められた歩道をゆっくりと歩き始めた。

忘れかけた記憶の手掛かりを求めて。




花屋、古本屋、時計修理屋。

八百屋、靴屋、駄菓子屋。

時折私の横を駆けていく小さな子供たち。

道に水を撒くおばあちゃん。


何故だろう、こんなにも爽やかで初々しい嬉しい気持ちになるのは。

私は女子高校生か。




進む度、私の求めているものに近づいているようなのは気がする。




二十分ぐらい歩いただろう。

突然、甘い良い匂いがした。

その香りは歩いていた大通り反対側から。



そのとき私は、すべてを思い出した。



そうだ、この場所は......。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



私が彼と付き合い始めたばかりのころ。

たまたま休みを取って暇だった私は、お昼すぎ彼から急に連絡をもらった。


『 色々あって早く仕事が仕上がった。一緒にお茶でもどう?』


短いメール。それでも私は嬉しくてたまらなかった。彼が仕事を終えた後の夜以外で一緒にお茶するのははじめてだったからだ。

今振り返ればそんなに喜ぶようなことでもなかったんだけど。


あのとき彼が連れていってくれたケーキ屋さんが、今目の前___道路の反対側にあるお店だったのだ。


私はモンブラン、彼はミルフィーユを選んだ。

そして、お店のカフェテラスでコーヒーと一緒に食べた。




次々と蘇るたくさんの懐かしい情景に、私の胸は踊る。気がつけば、そのケーキ屋さんへと歩き出していた。


お店の前で立ち止まる私。

ガラスケースの中、綺麗に並ぶ色とりどりのケーキに目を奪われる。


ガトーショコラにミルフィーユ。ゼリー、ティラミス、マカロン。

あ、これは前来たときはなかったやつだ。

その隣はモンブランとフルーツタルト。


どれか買って帰ろうか。

しょうがない、彼の分も合わせて二つ。


喜んでくれるといいな。




家出という目的も忘れ、お店のドアを押したその時、私は聞くはずのない声を聞いた。


「先輩、まさかケーキまで私に選ばせるつもりなんですか? やめてくださいよ。」


「ミカちゃん、そこをなんとか。ほんと俺、ものを選ぶセンスないんだよ。」


紛れもない。


すぐそばに若い女の子と歩く彼がいた。




右方向からこの通りを歩いてくる二人。

彼は女の子と話していて、前方に立つ私に気が付かない。


まさか、これは浮気というやつなんだろうか。


最近、芸能人に間でやたらと流行っているとは思っていたが。ついにその波があの真面目で優しい彼のところまでたどり着くとは。


悲しいかな。

私は、一緒に住んでいる恋人ながら、彼のことをよくわかっていなかったらしい。




そうこうするうちに、着々と私と彼らの距離は縮まっていく。


どうする、どうしたらいい?

気付かれないうちに逃げてしまおうか。

うん、それがいい。


私は、「臭いものには蓋をする」タイプだ。

よし、これは見なかったことにしよう。




そう思って体を180度回転させるつもりが......。

何故だかうまくいかない。

かっちりと凍ってしまった氷のように、ぴくりとも動かない。


あ、あれ? どうした私。


彼らから目をそらしたいのに、私の視線は釘付けで。彼らの笑い声を聞きたくないのに、私の耳は一字一句聞き漏らすまいとしている。


どうして、どうして?


ただ戸惑うばかりだ。




そのうち涙が溢れてきた。

それと一緒に、今までの彼との思い出も蘇ってきた。



26のとき、友人の紹介で出会って。

初めてのデートで、緊張しまくってコケて。

春休みは北陸へ一緒にスキーに行って。


一緒に住むようになってから、お互いのことをもっとよく知った。彼は、私のだらだらしたところも料理があんまりうまくないところも、可愛らしいって言ってくれた。私も彼の服のセンスの欠片もないところが好きになった。

喧嘩は......あんまりしてないなあ。



そうして仲良く楽しく過ごしてきたのに、今になってこんな場面に出くわすなんて。


私はこの街に来たことを後悔した。

あーあ、知りたくなかったなあ。




ついに彼らとの距離は15メートルまで縮まった。

そこでようやく、彼はよく知った顔が自分たちを見て泣いているのだと気がついた。


「あ、朱里?!」


その声はかなり焦っている。

隣では、「やだっ、うそ?!」と驚いて後ろに下がる女子。


なんとまあ可愛いらしい女の子。

私が唯一勝ってるのは年齢くらいじゃないの?



あれ、なんでだろう。

悲しくて泣いていたはずが、今は悔しくて泣いている。

悔しい。やるせない。自分が情けない。


同時に、どこかでこう思っているが私いた。

ねえ、泣いてるままでいいの?

彼に一泡吹かせるべきなんじゃないの?





そして私は涙を拭いた。


「ねえ、これはどういうこと?」


震える声しか出てこない。

落ち着け、落ち着け私。

彼から目をそらすんじゃない。


「あの、これは別にその......デートとかそういうんじゃなくて。」


私の問いかけにオロオロする彼。

こんな姿、初めて見た。

よし、気持ちが落ち着いてきたぞ。


「じゃあ......じゃあデートじゃないなら何なの? 」


さあ、何と答える。

仕事の合間に一緒にランチしてました、とか?


......あれ、それって充分ありえるんじゃない?

もしかして私の勘違いだったりして。


いや、でも。

二人でケーキ屋くるか?

どう考えても、彼が女の子を誘ってるし。



「あ、あのさ。とりあえず、中に入って話さない?」


彼はケーキ屋のカフェテラスを指さした。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「私は紅茶で。」


「俺はホットコーヒーを。」


「じゃーあー、あたしはアイスコーヒーにしまーす。」


彼、若い娘 対 私。


注文を終えると、彼はおもむろに話し始めた。

しょうがない、まずは言い訳を聞いてあげよう。



「朱里も知ってるけど、今日は突然仕事が入って___」


ある取引先との契約で重大なミスが発覚したということだった。 それで、後輩( 目の前にいる若い女の子だった。 )を引き連れて取引先に行ったらしい。


「だけど、それが向こうの勘違いだったみたいで。」


お陰でお昼には仕事を終えた彼は急いでマンションに帰ることにした。

とはいっても、行くはずだった温泉旅館の予約は取り消してしまっている。


「朱里は絶対落ち込んでると思ったんだ。朝もちゃんと話もできないまま、俺は出かけたわけだし。」


「うん、そうだったね。」


朝ごはんも食べずに家を飛び出していったもんね。


「それで、手ぶらで帰るのはなんだか良くない気がして、朱里に何買っていこうと思ったんだ。」


「うん。」


ああ、話のオチが見えてきたぞ。


「俺、ほんと物を選ぶセンスないから、一緒にいたこの子に手伝ってもらうことにしたんだよ。」


ちらりと彼女を見ると、えへへと苦笑いしていた。


「悲しい思いさせてごめん。」


彼は立ち上がって、私に深く頭を下げた。


彼のシワ一つない紺色のスーツ。赤いネクタイピン。

二つとも前に私が選んだものだった。



彼は本当のことを言っているのかもしれない。


暗かった気持ちに光が差した気がした。


......なんだ、そんなことだったんだ。

私は何を考えていたんだろう。


勝手に勘違いして、勝手に泣いて、彼を困らせた。

本当に馬鹿だ。


「ううん、私が悪いんだよ。もう謝らないで。」


私は立ち上がると、身を乗り出して彼の手を握った。


ごめんね、ありがとう。


恥ずかしくて声にならなかった気持ち。代わりにぎゅっと握った手でそれを伝えた。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



帰りの電車。

二人並んで座りながら、話をした


彼の手にはケーキの入った箱が。


彼は昔のことを思い出して、わざわざさっきのケーキを買いに来たらしい。

それに何か別のお洒落な袋も持っている。


優しいなあ、もう。



ふと、彼が口を開く。


「そういえば朱里はどうしてあそこにいたんだ?」


それは......その。


「家出......をしようと思って。」


彼はぷっと吹き出して笑った。


「家出って......違うだろ。お出かけって感じだな。」


私も今になって薄々思っていた。


というか、そもそも家出って何だろう。どんな理由で、どこまで行けば、いつまで家を出ていれば家出になるんだろう。



私はふと、トートバッグに入ったフランスパンを思い出す。

10年前の引越しの日。

あの時も私は家出をした。いや、あれも家出とは言えなかったのかもしれない。

あんなに近所の親友の家に駆け込んで。30分もしないうちに両親に連れて行かれて。


幼かった私は、引越しがただ悲しくて辛かった。

1人だけ残るのは無理だとわかっていた。

無意識のうちに、悲しさから逃れようとして家を飛び出したのかもしれない。



今日もまた、私はただ悲しかった。

そして、その悲しみから遠ざかりたくて、私は家を出たのだ。





これは家出というより___




「逃避行だよね、ケンちゃん?」


「逃避行?」


首を傾けて不思議そうな顔をする彼。



いいよ、別に分からなくても。

言ってみただけだから。




もう、日は傾きかけていた。

電車の窓から見える空が、ほんのり赤く色づき始めている。


そうだ、夕飯の材料、駅前のスーパーで買って帰らなきゃ。

あ、でも今お金ない。


彼に払っていただこう。




しばらく電車に揺られていたら、お腹がすいてきた。


......フランスパン、食べよっかなあ。








こうして私の家出、もとい逃避行は幕を閉じた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。読ませていただきました。 子供の頃の記憶を追憶して、家出に出向くのはなんとなく共感を得ました。決して家出事態ではないですが、子供の時平気でしたことって、大人になってから同じように…
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