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モスト・インポータント

作者: 居酒子歌廊

バッタ人間であった。

人型の肉体全身に昆虫独特の甲殻が備わっており、

人であれば頭がある場所に、人間のそれと同じくらいの

大きさの「バッタの頭」があった。

そんな生き物が少年の目の前にいた。

「それ」を表現するには

「バッタ人間」が最もふさわしい、と少年は思ったが、

それは「あと」で「思い返した」ときのことである。

少年が「バッタ人間」に出会った時はそれどころでは

なかった。

夕暮れの草原である。日はほとんど沈んでおり、

空には藍色と紫色が偏在していた。

普段なら少年が「いい空だなぁ」なんて気持ち悪いセリフを口から出す(勿論、周りの人間に聞こえる)ところである。

しかし「普段」ではなかった。

「ゆきからはなれろよっ」

少年は怯えた声で「バッタ人間」に呼び掛ける。

ぼくは妹をさがしにきただけなのに。もうばんごはんなんだから。おかあさんにたのまれたのに。家につれてかえらなきゃなのに。

「だから」と「なのに」があふれ出てくるが、その類の言葉は

口に出しても仕方ないことを少年は知っていた。

ゆき、少年の妹、10歳、毎週水曜日にピアノ、金曜日に

スイミングに通う女の子。

そして今「バッタ人間」のそばに意識を失って倒れている。

助けなければいけなかった。でも、どうやって?

少年には突如現れた謎の生命体「バッタ人間」に対抗する術は

なかった。

残酷な過去とともに備わった異能力はない。

「バッタ人間」に対抗できる特殊技術をもった美少女は来ない。

現在、今、進行中の自分の能力値で戦うしかなかった。

頼みの綱は右手に握りしめる木製バット。

野球遊びの帰りに妹を探すことになったのだ。

「絶対に人に向けて振らない」という約束で父親に買ってもらったバット。幸い相手は人ではなかった。

覚悟を決め少年は一歩踏み出す。

「大人を呼んでくる」という選択、そんな時間はなかった。

更に一歩踏み出す。

「勝てないかもしれない」でなく「勝たなくてはいけない」と思った。

バットが届く距離に近づいた。

「バッタ人間」の真っ黒な眼球から透明の液体があふれる。

泣いていた。

鳴くでも哭くでも啼くでもない、「泣く」。

心をもつものにのみ許される感情の発露。

少年は困惑した。

もしかしてこいつは悪いやつじゃないのかも。

少年は「バッタ人間」の背にしがみつき、

肩越しにこちらを見ているものに気付いた。

―――こども。少年にはそうとしか思えなかった。

「子バッタ」は「親バッタ」に比べ小さかった。

2、3歳の子供ほどの大きさ。その命を「親バッタ」に完全に預けている。


そしてひどく衰弱していた。


少年に「バッタ人間」の衰弱ぐあいを判断する知識はなかったが、「子バッタ」の瞳には死にゆくものがもつ鈍い光があった。

短い人生と少ない経験の中だが、少年はその光を何度か見たことがあった。

―――エサがいるんだ。

少年は直感した。「親バッタ」の涙は、なんとしてでも我が子を助けようという強い想いの涙だった。


少年の眼球から透明の液体があふれる。

世界で、宇宙で、宇宙の「そと」があるとして

そんな「そと」においても、「これ以上」はない、

と少年は確信した。

どんな何よりも大切なこと、「愛する者を守ること」。

醜い「バッタ親子」が今までみた何よりも美しかった。

「親バッタ」は「子バッタ」を守ろうとしている。

その過程で妹を殺そうとしている。そこに悪意などない。

純粋に子を助けるための親の愛。その執念だけがある。


少年も「大切なこと」に従うほかなかった。

しかし強制されるわけではない。完全に自発的であった。

少年は嬉しかった。生きる目的を得た。妹だけではない。

親、親類、友人、彼らを守ることが少年の生きる理由。


ここが始まりだった。

ここから少年の、彼の人生が本当に始まった。

最初の一撃。決意の殺意。



少年はバットを振りかぶる。



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