多くは語らない
吉岡葵が言うには、兎角この世の中は生きづらいらしい。
いつもの彼女役を終えて、わたしと吉岡は珍しく放課後一緒にいた。実は本当に珍しいことだった。
同じクラスに所属していながらも、上位カーストに君臨する吉岡葵とどっちかというと地味目というか普通というか、端的に言えば中位カーストに所属するわたし、牧野莉央。わたしたちは単なるクラスメイトで、きっと同窓会で会ったところで話が弾むような関係ではなかったのだけれど、ある時その運命はがらりと変わった。それが確かひと月とちょっと前。
元々そんなだったし、今の関係もビジネス的な要素を多く含んだ関係だから、わたしたちはあまり一緒にいることはなかったのだ。
ビジネス的な関係ということで、依頼を受ければ報酬が得られる。至極当然の論理。そんなわけで、わたしは坂下公園で吉岡おごりの缶コーヒー(130円) を飲んでいた。吉岡のお礼は大概缶コーヒーだ。
「どう考えても生きづらいだろ、常考」
常考。常識的に考えて。
その言葉は最近流行りの言葉らしく、学校でもコンビニでも公園でも、言わばどこでも聞こえて、その言葉を使っているのは大抵が高校生や大学生といった若者だ。
その言葉が聞こえるたび、「ジョーコー」といったような発音に聞こえて何だかアホっぽいなと思っている。何が「ジョーコー」だ。どう考えても、そんな言葉使っている奴は常識的な人間じゃない。
そんな言葉でも、吉岡の口から常考って聞くと、何か賢そうなワードに聞こえるから驚きだ。「通俗的な見解によると」って言ってるように聞こえる。この違いはやはり地頭の差か。
まぁ、それはどうでも良い。こいつやっぱ頭良いわとかそういうことが大きな問題じゃない。
「世の中は生きづらい」と言っている人間が、学年一の頭脳を持ち、毎週毎週女の子告白されるような恵まれた容姿を持つ人間が言っているということだ。神様からえらい色々もらいまくってる癖にこの世界にケチつけるとか何なのこいつ。そこそこの学力と引き換えによく見れば可愛いかもレベルのルックスとタイミングの悪さを兼ね備えるわたしに喧嘩売ってんのか。
「どこがどう生きづらいって言うの。あんた結構人生イージーモードだと思うけど」
腹の中で色々考えてもわたしは割と大人だ。喧嘩売ったところでそれはただの妬み嫉みになるだろうということはわかりきった事実。
それだから、相手が自虐してきた時の対処方法「そんなことないよー」で応戦した。
「お前からそう見えんの?」
返ってきた言葉はナックルボールだったけどまぁ許容範囲だ。わたしはたぶんかなり筋の良いキャッチャーになれるに違いない。しかし、わたしの会話キャッチャーとしてのスキルは大した問題ではない。問題は、吉岡の表情が想定外だったということだ。吉岡は至極嬉しそうだった。ただし、口元だけが。それ以外ははどう見ても、捕食者の顔だった。「ふーん、あんたあいつのこと好きなんだー」みたいなやや小馬鹿にしたような、それでいて標的を見定めたような表情だった。
この言葉から自然な流れに沿わせるなら、吉岡を褒めなきゃならなかった。
それは嫌だ。
何が嫌って言えば、吉岡にはめられたような気がするからだ。
だからわたしはこう返した。
「そうは見えない」
必殺・多くは語らない。
これで会話の流れが切れようが何しようがどうでも良いのだ。吉岡の思い通りになる方がまだ嫌だ。いっつも吉岡の思い通りにさせられてるからこそだ。
「意外とそうでもないんだよな」
吉岡はミルクティーを飲みながら言った。
どうても良いけど、こいつ女子のわたしにおごるのは缶コーヒーな癖して、自分はミルクティーだ。普通絶対逆だろ。
「まぁ確かに勉強もできるし、人当たりは良いから友人関係にも周りの大人からも信頼されてて、顔も良いから女に困らない」
(よく自分で言うよ)
ナルシストだ、って思わなかったのは、きっとそれが事実だからだ。
「けど考えてみろ。話したこともない人間がいきなり自分のことが好きだとか付き合ってほしいとか言ってくるって怖いだろ」
「……まぁ、確かに」
それはイケメンで生まれてきた宿命じゃなかろうかと思うけれど、本人にとっちゃ嫌なんだろう。
確かに知らない人からいきなり好きだとか言われてもねぇ。相手が女子だから許されてるものの、男子が言い寄ってたらそれはそれで怖いかもなぁ。
「寄ってくる奴は決まって言う。『葵は良い奴』『葵はできる子』。俺のこと全て知ってるような口ぶりで言ってきやがる」
吉岡はまるで独り言のようにつぶやいた。彼の視界にわたしはいない。
「面倒くさいレッテルを貼られて生きていくって、生きづらいって俺は思ってる」
吉岡のその言葉を聞いた時、この間現代社会で習ったラベリング理論を思い出した。
ラベリング理論。1960年代アメリカの社会学者ハワード・ベッカーが、逸脱行為の原因として提唱した理論。逸脱行為は他者からのラベリングによって生まれるとか。他者から、こういう行為をした者は逸脱者というレッテルを貼られる。その結果、その行為をしたものは逸脱者ーつまりは、アウトサイダーになる。
「アウトサイダーにでもなるつもり?」
吉岡がアウトサイダーかどうかはまぁわかんないけど。こう考えてるって、アウトサイダーの素質があるよね。
「アウトサイダーだろ」
この言葉には裏があった。きっと、吉岡が指すアウトサイダーって言うのは、生徒が教師のことが好きだということだ。
だから、わたしはこう返した。
「吉岡はアウトサイダーじゃないよ」
どうだからアウトサイダーじゃないのか、その理由について多く語る必要はなかったし、語る気もなかった。
わたしはそこそこに賢くて、そこそこにずるい人間だった。
「そっか」
吉岡はにっと笑った。
その笑い方は、いつもの何か考えてるような腹に一物抱えた笑いではなかった。少なくとも、吉岡がクラスで見せる笑い方に違和感を覚えるわたしが、違和感を覚えない笑い方だった。
「お前がそこそこに賢くて良かったわ」
まるで、わたしの心を見透かしたような言葉だったけれど、わたしは吉岡から個性派とかへっぽことか言う形容詞をつけられても、女優だった。
「そりゃどういたしまして!」
多くは語らないのだ。