93 深き夜を言祝ぎ、暁を欲す
美味しいよ〜美味しいよ〜。ほ〜らほ〜ら、良い匂い〜。早くしないとなくなっちゃうよ? 本当に美味しいんだからあ〜〜。
素晴らしい香気が鼻腔をくすぐるのに抗えず、目が覚めた。
何という事でしょう!
テーブルの上に、ほかほかご飯が! もう、とっくにスタンバイしてるじゃありませんか! 素晴らしい目覚めです。
いそいそ起きた。
「………」
起きてから気付く。
なんで俺はベッドで寝てんだ? 確かあそこでばったり倒れたと…
ベッドの上の自分を見直せば、残念感が満ちた。自分が残念だ。本当に残念感しかでない。
ぐううううう〜〜〜うっ!
腹が良い声で返事した。
部屋には誰も居ない。ここにある以上、食って良いはずだが… 仕方ない。待てをするか。
起きて椅子に座って、ご飯を前に相手を待つ。それがせめてもの礼儀だろう。涎が垂れて腹がもっと鳴りそうでもな!
「起きた? 大丈夫?」
ベッドから立った所で、ハージェストが入ってきた。 ……あいた、まだ何て言おうか決めてないのに。
「あ、あー…」
「体調おかしくない? 気分は平気?」
「あ、それは 平気」
「良かった。お腹空いてる? 食事できそう?」
ぐう!
俺より先に腹が返事をした。
恥ずかしさもなーんも襲って来ないんで、腹がぐうぐう催促するのに俺も返事をする。
「食べたい」
「じゃあ、先に食べよう」
腹が鳴るのに馬鹿笑いもクスッと笑いもしなければ、スルーもしない。そんなお前はすごい。
テーブルの上のご飯を見る。セットされてる二つのご飯。量が違うから間違えんが… 中味が違うのが…… 何も言わずに席に着いた。
「食べようか」
「ん、ありがとう」
野菜と一緒に食べる肉は美味い。ドレッシングが絡まって、実に美味かったんだが笹身の様で… 茹でられた肉はこれまた淡白な味わいだった。いや、噛み締めると本当に美味しい。
だが、一方のハージェストの皿から匂う焼かれた肉の香気が… 素晴らしい香気が… ごきゅり。
「食べれそう?」
ハッ!
「食べるよ、美味しい!」
止めてた手を動かし食事を再開する。
俺の体調を考慮してくれたメニューであるのだろうが… 悲しい。そして箸が欲しい。
「はい、どうぞ」
うおおっ!?
差し出されたフォークの肉に、「がぶっ!」といった。すかさずいった。これにいかいでかあ! む、今回のソースは前と違うな! これもうま〜。
なんて素晴らしい、この幸せ。
むぐむぐ噛み締めれば広がる肉汁。以前と同じで餌付けをされている気もするが、ただ飯食ってる時点で餌付け以前の問題だろう。
「もっと要る?」
「んにゃ、要らない」
一切れで満足すべし。欲を出し過ぎてはならんのだ。
自分用のご飯を食します。
そして、ごちそうさまでした。満足です。
大変嬉しい事に黒薬湯Xはでなかった。ラッキー。 ……やっぱりね、お前も不味かったんだろ?
「は、ふ。 ごちでした」
「食べれて何より」
食べて落ち着いた。
では食器を片付けて、言わねばならん。流されてはならんのだ。
「えー、俺をベッドに移動させたのは」
「ん? 俺だよ。 そうだ、できればあんな所で寝ないでくれると嬉しい。テラスへの扉が開いてたから、出て行ったのかと思った。揺れてる扉に愕然としたよ。咄嗟に部屋を見回したら居たからさ、自分の早とちりに笑ったけどね」
…うわあ、やまった。やってしまった。
苦笑してる顔に、「ありがとう」と「ごめん」を繰り返す。追い出した事を含め態度が悪かった事を謝れば、それこそ謝る必要はないと言われた。
「怒って当然だよ、怒鳴ってくれる方が良いし」
怒るのに正当性があるとも言ってくれたが…… そうだろうか?
その後、伯爵様達が聞きだしてくれた向こうの言い分が何であるか話してくれた。それに対して、はっきり言おう。えー、なにそれー。
「なぁ、それほんと?」
「本音だそうだ。微妙に何とも言い難いが、そうであるのなら通らない言い分ではないのだけどねぇ?」
見交わすハージェストの唇がヌルく緩んで、蒼い目がどうする?と聞いてくる。 だけどさぁ… どうしろって?
「何故、あの様に激怒した? 俺の妹は何を見て、激怒した?」
「わ、私共は成すべき事を忠実に行っていただけです! 姫様が怒られたのは、暴れられていたのをご覧になられた事によるものだと思いますが、殴る様な事は致しておりません!」
「まず、どうして暴れた?」
「…採寸をしておりまして、最後にお手を計ろうとしました。疲れていた様子でしたが、そこから動かれませんでした。ですので手早く計り終えようと致しました」
「それで、何故に暴れる?」
「計るのに、巻かれていたハンカチを解きました。解きましたが、ご本人は見ているだけで何も言われませんでした。その後、体がふらつかれました。
どうしたのかと思いはしましたが、血の気が下がったご様子はなく。残すは手だけでしたので、早く終える為に二人に体を支えさせていました。計ろうとした矢先に、突然暴れ始められたのです!」
「嫌がっていたのを無理やりしたから、暴れたんじゃないのか?」
「お口が利けない方ではありませんでしょう!? ちゃんと姫様と話しているのを聞きました。ですが、本人は何も言われませんでした!」
「非礼を承知で言わせて頂きます。我らとは話すなとした決まりがあるのでしょうか? それとも、あの方は我ら如きとは話すのがお嫌であったのでしょうか? ……自分の様なモノが伯爵様と直接会話する事もご無礼であるとは存じております。申し訳ありません、お許し下さい」
「我らには一言も喋られてはいません。その上で暴れられたのです。話さず、動かず、そこに居られるだけの、初めてお会いする方のご機嫌の総てを正しく汲み取れと言われましても… 誠に身勝手な言い分 と受け止められましょうが難しいです」
「ほ〜う、自らを卑下して相手を誹り落とすか。悪くはないが気にもならんな。 全く… 伏せても隠せん、その目色に嗤うぞ?」
「まぁあ、そうなの。それならあの子の優しさを知り、機嫌の向きをあなた達より把握している私の目が節穴であると言っているのかしらぁ? ねぇ、あなた。 あなたは、どうしてあそこにずっと立っていて?」
「え? あ、あのその… 私は 私はただ控えとしていましただけで、それだけです!」
「何も言わなかった。そうだな、確かに言わねばわからん。それは重大だ。だがな、感情の向きを表情から汲み取れないのであれば、隣に居る必要は認められん。連ねた文字を読んでいるだけでもあるまいに。お前、どの様な生を生きてきた? どうやって生きてこれた? そうよな、店に勤めてどの程度経つ?」
「ああもう嫌ね、ほんと嫌。話してない事がまだまだありそうねぇ、あなた達。 包み隠さず話しなさい。そこに仕舞ってある感情を言ってごらん。それもないと言うのであれば、笑ってあげてよ。 うふふ、そうね。忘れたとでも言うのなら、思い出させるのに泣かせてあげましょう。 ええ、すっきりしてよ」
リリーさんと伯爵様が直接したのかも知らんけど、どーにかして聞き出した内容ってのが… 可哀想な俺の為を思ってやった事だって言うんだよー?
「ど、奴隷 印をしてっ!」
「そうね、印があるわ。だから、手袋を作ると話したでしょう?」
「あ、ああ… そ、れで も 印に ある じ が、なく…っ! ひぃ!」
「主が決まっていない奴隷が珍しい訳でもあるまいに」
「ゆえ、に まわされっ…… るのだと!! あ、あぐ あ、ああああああ! う・ぎぃっ!」
「「 回され? 」」
奴隷印に、こいつは奴隷だと判断した。
そんで奴隷印が見えた目に、定まってないのも見えた。契約実行のスタンバイ状態のまんまで首を傾げるおかしな状態が読み取れた。
そんな不明状態で新品の服を作る。それも姫様ご自分が選び、可愛らしく似合う物にしようと苦心される熱の入れ様で、枚数も作ろうとしている。作る手袋もあの状態を隠すなら、普通の手袋では意味がないのに作るのは普通の品。不思議。
ココまでの言い分はわかるんだよ。嬉しくないけど、おかしかないよ。
理由は不明でも、その状態を維持する必要があるって事だと判断した。そこから考えると、有り得ない状態を維持させる事が可能な実力を有している事の宣伝。どっかへの誇示。実験でも試作でも何でも、普通の奴隷に極上の服なんて作らない。
つまりだ。
俺は、贈答品。贈答用奴隷。 チーン♪
もう愉快過ぎて泣けそうです。
「あ んなっ たい、ど では どんなに ぎ、い…! あ、あ、 あ! もうゆるっ 許し!」
「態度?」
「どんな態度だったんだ? リリー」
「いえ? 特には。あれこれ見せて話したけど… そんなに要らないって遠慮するものだから。枚数を作らないなら本当に良い似合ってる物を作ってあげないと、とは思いましたけど?」
「遠慮する必要なんぞないが… あ〜、ハージェストは何をやっとるんだ」
そんでさぁ… 贈り物の俺が、「あれ嫌、それ嫌、えー」みたいな態度取ってんのに色々思ったんだと。
奴隷なんてさ。
移譲が完了してしまえば、元の持ち主だろーと何だろーと普通に口出しする権利はない。ココでそれが許されていたとしても、贈られた先でそんな態度取ってたらあかんだろと。幾ら贈答用で価値あったとしても、嫌われて価値下がったら、そんなんどーでもいーわになって『ポイ』だと。そーゆー時にも活きるのが持っていける品なんだから、有り難く「はい、はい」言って貰っとけとか何とか。
贈られる先は確実に貴族。なら、行った先にも奴隷は居るはず。
今の態度で居たなら影で絶対いびられる。無視される。そんな免疫がなさそうな状態で行くのが一番危ない。対応取れずに孤立してくのが目に見える。最終的には、何の文句も言えない立場の奴隷である事をちゃんと理解してるか?ってな話だった。
ねぇ、まじですか?
「あの女の人…」
「ん〜、要するに狭い輪の中で生きる術なら決まってくる」
さらりと話すハージェストが… あ〜。
俺の為を思ってやった。これから先、あって不思議でない事を予行演習しといた。それがせめてもの思いやり。
俺に対する有り難い、思いやりだってぇぇえ!!
んでもって、あの四人。あの四人の中には奴隷が居たですよ。ちゃあーんとってか、オーナー爺さんを主とする正真正銘の奴隷さんがぁ 居たですよー!
本物さんからの有り難〜いご忠告ってか、リアルな経験則からの優し〜い行いだったそうです。俺の心を潰して免疫をつけさせる、大変お優しいお心からした行いですってよぉおおお!
他にも聞きました。
魔力制御環がっちり嵌めてたから、だーれも俺と契約できない状態にあったと。だから安心していて良い状況だったと。
唯一の例外はリリーさんですが、これは俺も論外で良いです。それでぇー、リリーさん達がなーんでそれを事前に話してくれなかったのかっつーたら。
消せるはずなのに、消せない奴隷印。精神的に既にキてる。寝てる時に横に立っただけで、あの反応。直に見せれば安心するかもしれないが、逆に自分がされると考える可能性大。疑いに不信を覚える可能性特大。過剰反応の確率最大。
マイナスへマイナスへと思考が落ち込めば、もう最悪。だから、全部見せない形で『今回は』終わらそうとした。
一連の出来事は、優しい優しい皆様方のお心遣いの果てに起きた不幸な出来事でした。以上終了。
もう、それほんとにまじですか!?
そう思いました。ええ、本当に何度も思いました。それこそ驚愕に不信の眼差しで見たと思います。
ですけど、制御環に関しては流せます。流します。ハージェストが隣から取ってきて見せてくれた制御環は、犯罪臭がぷんぷんしてました。どっちの意味で臭ってんのかわかりません。でもハージェストが言うには、ここの備品は型遅れだそうです。
まぁねぇ、ヘレンさん蹴ろうと思いましたから。ご心配はご尤もでしょう。
ですけどね? ですけどねぇぇ! その他の言い分につきましては、ほんと〜〜〜〜〜〜うにっ!そうだと思いますかぁ? 思えますかぁああ!?
鵜呑みにできませんよ!
あそこに奴隷さんが居たですよ。んじゃあ、普通に自分と比較しませんかね? 自分の時と比べませんかね? 俺の時はこうだったのに、あいつは違うと。
そりゃ全部の比較は無理でしょう。状況が違うんだから! だけどそんだけ苦労したってんなら、妬み、嫉み、僻に逆恨み。そーゆーもんが、まあっったく出てこないって有りですか?
俺は贈答用。同じ奴隷であっても、ランクは違う。いや、俺は奴隷じゃないし、そんな生活送ってないし!違うけど!! でもどー考えても、プレゼント仕様で贈られる時点で違うよね? ラ・ン・ク・が!
その上さぁ、俺には魔力が見えなかった。基本使えなけりゃー、下っ端ってその人は言ったって。
だーからより一層心配だったとか言うんだけどーーー ねぇ、それほんとーーーーーー?? 送り出されるとは言え、自分よりず〜〜〜〜っと使えなさそーなヤツが大事そうにされてあれこれして貰ってるの見て、ほんとーーーーーーーーーに心配するもん? できるもんっ!?
そう思って疑う俺の方がアウトか!? アウトなんか!
更なる言い分に、オーナーの爺さんは人が良いらしい。
爺さんのトコ居て、大変良かったんだと。助かったんだと。だから皆さん、爺さんと店の為に頑張る。そこからの仲間 連携は言葉にしなくても、ば〜っちりだ・と・さ。 あ〜〜〜っ そ。
しかもオーナー爺さん、一代で店を大きくして財を築いた人なんだと〜。
コツコツ努力したから、店を大きくできた。その上、皆から慕われてる。すごいよね。夢を叶えたって、成功したってヤツだよね。 それはほんとにすげぇ。
しかし、そう思った俺は甘い。甘かった。
「それが不可能だとは言わないよ? 強運や幸運と呼べる物があったのかもね。だけど、普通にやってるだけではね。一代で、こうもでかくはなれない」
つまり経営とゆーか手腕において、これまたギリギリセーフな綱渡りをしたよーだ。もしかするとギリギリアウトもあるんじゃなかろーか?
オーナー爺さんの人が良いとするのが、どこら辺を指して言ってんのか俺にはわからん。ウソかホントか知らん。
んじゃあ、なんでそんな店の人を呼んだのか? 俺の言動からです。
俺を誘拐… で、良い んだよな? うむ、逮捕であってたまるか!
連れ去りをしたのは警備兵さんだ。誰がした? もし、誰もしてないなら制服はどこから出た。あれはコピー品か? なら、それはドコが作りやがった?
これを追求せねばならん。以前から色々調査をしてた男爵様のお調べの元、即行動。
なんかね、芋づる式ってこういう事を言うんですかね。いえ、まだ判明してませんけど。でも、内部手引きがなんとか言ってるし。
そんな人、呼ばんでよ。
そう思うが、黒に見える灰色でも白に引っ掛かってるならまぁ〜なんとか? 決定じゃないし。一連の膿を絞り出すなんちゃらに引っ掛かるかもとかになると、俺は確証を出す絶好の機会をご提供したのかなんてのか。
伯爵様… 大変なんだな。いや、男爵様もか。あ? 下調べの男爵様が一番大変なのか? いえ、俺も大変でしたよ、本当に。もう絶対嫌ですけど!
でもさぁ… 奴隷のその人が真実思ってやってくれたんなら、満たされるとまではいかなくても落ち着けてるって事で。人の心配をできる程度に余裕があるって事で。人としてのある程度の尊厳が守られてるって事で…
「それで彼らをどうしたい? どうしてやろうか?」
「へ?」
今の言い方、なんかヤバくね?
「親切心を否めなくても、本人は嫌がってる。その上でしてるんだ、どっかに悦が入ってるもんだよ。本気で思ってるのなら、基本の親切の種類と出し時を思い違いしている。思い上がってるんだよ。
まぁね、そーいう時でないと理解できない場合もあるけどね。だけど、そんな時は大抵気付かないよ。負にしか受け取らずに自分の中で螺旋を描いて下へと落ちていくだけさ」
ハージェスト… お前、淡々と言い切るんだな…
「それに不合しない。された事と、したと言った内容。しやがった事を端折ってやがる」
「……あのさ、俺が嘘吐いたとは考えない?」
「え? ………嘘吐く必要ないじゃないか。される想定も身構える必要もない所にされたから、怒ったのに。そっちを疑って考える方がもっと不合しないよ」
ちょっと驚いた顔から苦笑する顔へ。
テーブルに肘付いて、手を組んで、顎乗せて、俺に向かって笑って言う。柔らかいと称せそうな顔をする。
「信じる・信じない以前に、俺は君を第一の基軸として考える」
「え?」
「もちろん、家の事も第一だよ。何と言っても生活の基盤だからね」
「え、あ、うん。そうだよな」
………『君』って呼ばれたのに、なんかびっくりした。どーしてか驚いた。名前を呼んでないのは、俺も同じだけどな?
「で、どうする?」
「あ」
そこから話したんだが… なんやこー… 加減がわからない。心臓が潰れる思いして、怒って、めっちゃ怒ってナニかを思ってた。でも終わった。
終わってナンか流れていくけどさ… その時の気持ちは本物。けど今は脱力。でもあった事を流し切るには不満。しかしその限度がだな… 見極めがさっぱり掴めません。裁判官でもないし。 まー、そうだったとしても、制定の在り方からして違えばそれは押し付けでしょう。
とかなんとか考えて、結局ぐるぐる答えが出せません。明日に持ち越しします。良いよって言ったしさ。
もう一つのイベントを先に終わらせます。
ヘレンさんとのお話です。
「早とちりして、ごめんなさい」
「…いいえ。いいえ!私がもっと考えて気を配っていれば良かったんです。私は知っていたんです。聞いていたんです。聞いていても、聞いただけで どうなるかをもっと考えてさえいれば! …そうしたら、事は全部違っていたのだと思います。
今回の事でよくわかりました。私は上手にやってるつもりでいた、だけでした。この事がなければ、自分を突き詰めて考える機会はなかったと思います。本当に申し訳ありませんでした!」
そこまでせんでも良いのに、その後も謝られた。その謝罪を受け入れて、俺ももっかい謝っといた。これでお互い終了です。もう良いからね〜。
俺の前で泣く事はしなかったヘレンさんの鼻の頭は、すこーしだけ、いつもより赤い感じ。それでもすっきりしゃっきりした雰囲気で綺麗に一礼して、ワゴンの片付けをしてくれました。
無事に終わったんで、心底ホッとした。
『ん?』と思えば、ハージェストが笑ってる。
「なに?」
「いや、優しいと思って」
「へ?」
そんな事はないと返した。
シャワーを浴びて、俺もすっきり。帰ってきた部屋にハージェストは居ない。伯爵様と話をして、する事があるから先に寝ていてくれって行った。
「あいつ、何時頃寝てんだろ?」
待とうかと思ったが欠伸が出る。疲れた。 …ばったりしたのに不思議だなあ。
ベッドに入って横になれば体が楽。しかし頭が話を反芻する。したら、だんだんだんだん顔が歪んでくのがわかる。 …眉間と口元に皺できてるな。
起きて顔を〜 むにむにしといた。
…もう誰とも会わなくていい時間で良かった。夜で良かった。ほんと良かった。こーんな顔、誰にも見られなくて良かったー。
では、寝ます。明日も色々あるでしょうから、どうぞ明日は良い感じになれますよ〜〜〜に。
「兄さん、姉さん。お待たせしました」
「ああ、気にするな」
「どう? 落ち着けて?」
「はい、食事もしましたし、その後は態度が悪かったと謝ってもくれました。説明も、落ち着いて聞いてくれました」
「そう、良かった。ごめなさいね、ハージェ。私が居たのに…」
「いいえ、監視をする状況ではなかったんです。それに俺の遅れも一因です」
「…謝罪がきたのか? あー、参るな」
「それでどうでした?」
「ああ、店の方も抑えた。あっちもこっちも愉快だ。愉快過ぎで笑うが代わりに色々片が着く。俺が描いていたのとは違う形になるが、より良い感じで終われそうか」
「良かったですわ、お兄様」
「すまんな、遊びにと誘って働かせとる」
「嫌ですわ、お兄様。これで動かないなんて嘘です。これを動かずに見ているだけ、だなんて… お母様が聞いたら鼻で笑うでしょうね。 くぅっ!」
「まぁまぁ… 姉さん、落ち着いて。 その扇子を下ろして」
「そうだ、ハージェスト。お前の所のが報告を上げてきてな」
「どの分ですか?」
兄弟三人の愚痴を交えた話し合いは長々と続いた。
「では、おやすみなさい。お兄様、ハージェ」
「おやすみ、姉さん」
「ああ、きっちり休めよ。リリー」
「それじゃ、明日だな」
「はい。あ〜、兄さん。ちょっと遅いんですが今から良いですか?」
「ん? 何をだ?」
ヒュッと腕を振る。
「はん? ん〜、そうだな。暫くしてないな、良いぞ。外でやるか?」
「えー、今回は室内希望で」
「室内? なら、型でやるか?」
「はい、そちらで。構いませんか?」
「問題ない。広間でやるぞ」
「ああ、舞踏室ならちょうど良い」
カチャン。
扉が開き、室内に光が灯る。ゆっくりと光度を上げて照らし出された室内は広かった。
部屋の隅に長椅子に椅子が立ち並ぶ。テーブルは慎ましい大きさだが、装飾が凝っていた。しかし、そんな物より室内全体が凝っていた。
照らす数機のシャンデリアの内部で魔光が煌めき、反射してより輝く。それに呼応するかの如く壁の一部が反射する。反射するのは吊り下げられた壁掛けである。
壁の一面を覆うそれは重厚であり、羽を大きく広げて躍動感を見せる鳥達が金糸銀糸を縁取りに縫い取られ、光に浮き上がり、実に色艶やかで舞踏室に相応しい。
それに輪を掛けて、壁や柱の全面に細かい装飾が施されている。敷かれた赤の絨毯と合わせて赤を用いて作られたその舞踏室は、贅が込められていた。見るが良い!と力が込められていた。
「ふ。ココの財力で、よくこれだけの物を」
「財力を理解し切らない馬鹿が、よくやりやがったわ」
「何時の任期の奴でしょうね?」
「全くだ。しかし、持ち出してはいないからな。この地に残す形で使ってやがる。還元したと言えば、通らん事もない。しかも館内だからな、もて成す為の見映えで通しやがったんだろうなぁ」
「還元でもココには回ってないでしょうね」
「おそらくな。あそこまで作るなら、この地で作成する技術者はおらんだろ。外注したな。室内も技術者を呼び寄せて資材も持ち込ませたなら、回った金は限られる。まあったくよー」
「単品売りにしてもどうでしょうか。壁が焼けてませんかね? でしたら、外せば面倒いですね」
「忌々しい」
「まー、領主館に相応しいで良いんでしょう」
「題材は悪くない。しかし、俺の好みの柄とは違うもんばっかりだな」
「いまいちセンスが違いますよねぇ…」
誰が見ても「素晴らしい!」「なんと見事な!」と評される舞踏室を眺める兄弟二人の目は、冷め切っていた。
「やるか」
「はい」
室内の広さに奥行き、家具の位置を確かめるだけで、それ以上装飾には目もくれなかった。
「型はいつも通り。剣舞に体技だ。良いな」
「はい、お願いします」
息を整えた。
兄との稽古は久しぶりだ。
久しぶりの型稽古。魅せる為の型ではなく、常に実践を想定した型。それでも、型は型でしかない。型通りに動く相手はいない。だが、相手をこちらの型に嵌め込み狙い通りに回せば勝ったも同然、だから疎かにはしない。
ふぅう…
細く長く息を吐く。
静かに音を立てずに剣を抜く。真剣で行う事に恐怖も覚えるが、身も心も引き締まる。真剣でつける稽古。手を抜く事なく真剣で遣り合っても死ぬ事がない、稽古。この上ない贅沢。
真剣を片手に兄を見れば、変わらぬ自然体。
「いきます」
「おう」
キィン!
交えて生まれる高音。
一の合わせで、二の払い。三の入れ替えに、四で突く。突き込みからの変化は稽古でも、気まぐれに変わる!
「はっ!」
ガッ!
「おう、いいぞ。前よりは上がったか?」
対応速度が上がったと誉められてもな! 対応できんと俺がざっくりいくからな!! 殺される事はない、死ぬ事もないとわかっていても!
ざっくりいってたまるかよ!!
ジャッ、ギャリッ!
硬質の当たりが捩れて嫌な音を立てる。
剣に流す俺の魔力が仄かな色を帯びて、瞬間の制圧に牙を剥く。
シャッ…
あっさり受け流された。ムカつく。だが、心を平に 波を立たせず。 明鏡止水を志して。
ガキッ! ガン!!
まぁ、そんなもんの志は高い方が良いが難易度も高いしな! ちっ! 余裕の顔が崩れやしねぇ… くそ兄貴が!
対に描く円陣。体の振りも向きも角度も、さして変わらないと思える。 それが甘い。そう思う事が甘い。俺の考えがくそ甘い!
「うっ!」
「おら、のんびり考える余裕があるのか?」
あ〜〜〜〜! 型が崩れる!!
兄貴に押されて、対の輪が崩れて型が駄目になる!
「く、あ〜〜 がぁ!」
は。
持ち堪えて飛び退り、距離を取る。剣を一振りして力を纏わす。
「ハージェスト、俺とお前の剣技は違う。傍目にどう見えようと違う。流す量も掛ける力も。 忘れるな。 お前の力で、お前の向きで お前を伸ばせ」
「ふ、はぁあ… もちろんです。何一つとして恥じる事なく。恥じる気もなく!」
「ああ、それで善し」
息を整える間に、兄を見る。
ガキの頃から、前を行く兄。その背中を追った。負けたくないと思わなかったと言えば嘘だ。しかしそれ以上に、思える状態じゃなかった事が響いた。
なんでできないんだ?
躓いたこの時点で、『兄に負けたくない!』と願う気持ちまで成長できなかったからな…
型を繰り返す。一度終われば最初から。
要所要所で魔力を剣に纏わせ、己の内で回し続けて力を引き出す。自分の内の魔力量を限界まで引き出して稽古をする。
今、やらないと。本気でやらないと。この時にやらないと!
今、己を見極めなければ!!
「最後、いきます」
「来い」
普段なら聞こえる足音を、よくできた赤の絨毯が吸い上げる。息遣いに硬質音だけが響くのが外との違いか。
打突の払いに蹴りを入れる。体内で力を回して、蹴りに重点を置く。
ブンッ!
円を描いて放ったが、兄の足もまた小さく円を描いて範囲を外す。外した後は、上から俺の太腿を狙って蹴りを入れ返す。
ダンッ!
くそおおおっ!!
本当に通り一遍の型稽古じゃないからなあああああ!!
俺と兄では魔力差が有り過ぎて、それが体術にも反映されて敵いそうにない。
……ずっと、ずっと背中を見てきた。力を振るう姿を見てきた。それを口惜しいと喚く時期は短く、とうの昔に通り過ぎた。それでも思う。少しでもその距離を縮めたいと。それが馬鹿みたいに僅かなモノでも。
「そら」
「げ!」
あー、やばい。直撃コースだ。受け取り損ねたら、やば過ぎだっての! こんな時に要らん事を考える俺も余裕だな!? はーはーはーっ… 意地でも型は崩さんがな!!
この兄に対して、勝ち負けは捨てた。並びたいと思うのも投げた。それでも… まぁ、リオネルには剣術も体術も負けんけどな。絶対にな。
だからこそ、見極めを!
「おらぁ!」
最後の振り落とし。兄が受け止めて終わりになる。
それに全部出す。絞る、絞る、絞る、振り絞って空っ穴になるまで遠慮なく力を出し切る!! 兄貴がいないとできん!
ギジャァン!
ゴスッ! カッ
「はっはっはっ… あ、あ、あああああ!! あーははははははは!」
俺の最後の一撃は、スナップを利かせた兄の剣に上手く搦め捕られて弾かれた。反動良過ぎて、俺の手からも飛んでった。
絨毯に落ちて跳ね飛んで、椅子の足に当たって終わった。
「ハージェスト、お前… 」
兄の顔が珍しく驚いてる。俺も驚いてるが、それより笑いが込み上げて止まらない。どうしよう、本気で止まらない。
飛んだ俺の剣は、未だに俺の魔力を帯びて薄くもその証明に輝いてた。
「ああ… あはははは!!」
その場にしゃがんでも続く俺の馬鹿笑いと、未だ輝く剣と。
行っていた型を反芻していただろう兄の目が開かれ、唇が徐々に持ち上がって弧を描く。ニィッと吊り上がる。
「ハージェスト。 お前、魔力量が増えたか」
その一言が。
兄の口から出た一言が! 俺の推測を完全に裏付けた。この兄は間違えない。完全に俺の量を把握している。事ある毎に稽古をつけた。どれだけ誤摩化しに時間を長引かせても、誤摩化せなかった。
気付いた時には首を捻り、自分を疑い、最後に思い至って浮かれた。
俺の力の量が増えている。
間違いなく増えている。どうあっても変わらなかったモノが!
「心当たりは?」
「あの時ではないかと」
兄の笑い顔に俺も笑い返す。
「アズサが倒れたあの時、俺も倒れた。突然走った激痛に意味がわかりませんでした。それでもあれは、アズサの痛みを引き受けたんだと思ってました。言葉は不明でも、頷きに安心しきった顔をしましたから」
「あれか」
「ええ、その後の行方不明に追い掛けて、意識して使ったのも二度三度。その内の一度は本当に微風でした。以降は皆が率先してくれてましたから、力を使う必要がなくてですね。今日の昼に使った折、感覚が違うと感じました」
「それで気付いた」
「はい」
「追い掛けたのは倒れた翌日だったな。 …成り立ての時はわからんもんだしなぁ」
「あれから今日まで本当に、いつも通りだったんですよ」
「あの日から… 今日で五日か」
「ええ、明日で六日目です」
「時間の経過に体も整い、満ちた」
「もしくは、既に満ちていたが使わなかったからわからなかった。ですかね?」
「そうだな… 力を使うより、思う事の方が多かったんだろ?」
「はい」
自然に顔が笑う、兄と二人で笑った。本気で気持ちよく笑った。兄がその手で俺の頭をぐりぐり撫でるのも気にならん。いや、変に嬉しい。
「良かったなぁ、ハージェスト。力の増加、何よりも喜ばしい事だ。契約はどうなっている?」
「あ〜、まだです」
「そうか。急げと言いたいが… あー、昼間もあれだしな… 逃がすなよ? ん?」
「やだなあ、兄さん。絶対に誰にもやりませんよ。 ええ、本気でね。 …ですが、契約については 思う事がありまして。必要事項は話します。聞いて欲しい、説明しておきたい事はあります。ですが、それを俺が勝手に話す事は間違いだと考えてます」
「何でだ?」
「それがですね〜 肝心な話をまだ終えてないんです。それをせっついたら… がっついてると取られて失敗しそうで怖くて。その辺りを間違えると、本当に『ポイ』されそうなんですよ」
「は、ははは。 今日も色々あったからな… まぁ… 気難しくもなるか。とにかく、成功を祈ってやるから」
「それでお願いします」
見交わせば、再度笑いが零れた。
嬉しさがに、喜びに、悦に、誇らしさにーー 様々な感情が入り交じる。その浮かれた足取りで、剣を拾い鞘に収めた。
キィ…
「寝てる ね」
シャワーを浴びて、汗から何から流して拭き上げる。
髪に手を入れ乾き具合に触れながら、淡く灯した光の元、寝台へ向かう。ぐっすり寝てた。安心して寝ているのに、顔が勝手に笑む。
その笑みが、どうしても止まらない。声を上げない笑いが止まらない。考える事は山積みで、するべき事も山積みで。
だけど止まらない。
少しでも、近づける。少しでも、変わる。少しでも、違うものになれる。既に俺は違ってる。
一言「違う」で済んでも重さが違う。 重みが違う。こんなにも 違う。
笑う。
ふと気付いて手をやり、顔に触れた。
……歪んでる。今の俺の笑みは歪んでいる。 ああ、こんな顔を見せる事のない夜で良かった。暗き夜が隠して眠りを誘う時分で良かった。眠っていてくれて、良かった。
悦に歪んだ笑みを見て、嬉しい奴が居る訳ない。欲しか映し出さない笑みは幻滅ものだからな。
そろそろ明日に備えて寝るべきだが… 寝れそうにないなぁ。 はあっ… しかしこの現実を確かなモノとする為に、眠り、明日を待とうか。
おやすみ、アズサ。
国語辞典抜粋
暁
① 夜明け。 ② 物事が実現・完成する、その時。