90 明ける午前の
「んぁ? ……あいや?」
目が覚めたら、夜中だった。
………おかしいな。
飯食って、風呂行って、ハージェストが帰ってくるのをベッドでだらりとして待っていたのに。ちゃんと待っていたのに。なんで寝てんだ?
……………そうか、このベッドの魔力が良過ぎなんだな?
一人で納得した。
灯りが消えてる。 誰か消してくれた? いや、オートで落ちるんだっけ?
適当に閉めたカーテン。
隙間からの光が部屋を照らしてる。
月灯りだろうか?
夜明けの… 消えゆく月を見たのは、僅かな時間だった。
月を見たいと、起きた。
『へっ!?』
自分じゃない揺らぎを感じて振り返る!!
したらば、ハージェストが隣で寝てた。がちで寝てた。いやまぁ、べったり横にはいなかったけど同じベッドで寝てた。
『うわ、まじだったよ』
頭が「言ってたろ?」と呟くが、それに「そうだ」と頷くが! 長いこと硬直して、有言実行なこいつの寝てる姿を見てた。だまあ〜〜〜〜って寝顔見てた。
見てたは見てたが、よーく見えてたのは顔じゃなくて髪。なんせ、うつ伏せで寝てるから。ばったりな感じで寝てるから。掛け布団が一応掛かってるんで、寝返りでもしたんだろう。
俺とは違う金の髪。
目印になって「あーあ」になったと落ち込んだ、髪の色。
俺は髪を染めた事はない。脱色した事もない。金が乏しかったから、理髪店でカットだけだ。大体そんな金があったら、生活費その他に回す。
俺とは違うその髪に、触れてみたいと手を伸ばして… 止めた。
伸ばし掛けた手を下ろす。
窓の方を向く。 ベッドから降りて、室内履きを履く。 音を立てずに静かに歩く。 テラスに通じる窓辺へ行く。
カーテンを掴んで、少しだけ捲る。
見えた外は暗い。月はわからない。でも、見上げる位置から瞬く星の光は強かった。
あれが一等星なら 望む月は どこにある?
カーテンを放し、テラスに出ようとして鍵に伸ばす。手を止める。
コ ッ…
窓に指先を当て、考える。
『この部屋を出て外へ行く。 出たら拙いか? こんな時間帯に… 誰が歩く? 歩く人なんていないだろ? 大体、館内じゃねーの』
窓に当てた手。巻いた包帯。
ため息となって出そうな息を飲み込む。深い息をして、ため息とは違う息を吐く。 細く、密やかに 気付かれないように 息を 吐き出す。
胸元を押えて探る。服の内から引っ張り出す。お守りを握り締める。 開く。 緑の玉。 握り締める。
窓の外を見る。
こんな風に見た。
夜中に起きて、窓の外を見た。 あの時も 月は見えなかった。 見えない、月。
開いた手に、緑の玉。
テラスに出れば見えるかもしれない。
暗い外を見て、目を閉じる。
開いて転じた視線の先には広い室内。高そうなテーブルの金色のライン。置いた教科書。比較にならない大きなベッドに、眠る人影。
もう一度、窓の外を見た。
植木に、花壇が黒影となって存在する。風がないのか、影は微動だにしない。
あの時と今と。 同じ様な、夜。
世界は回る。回り巡って日を変える。止まらない。
同じで違う、違っている。
唇が、少し持ち上がって緩く笑えた気がした。
窓から離れてベッドに向かう。ベッドの脇に立つ。そこに在る、人影。
室内履きを脱いで、揺らさない様に気を付けて、ベッドに上がる。
眺めた。
眠ってる顔は昼間とは違う。雰囲気が違う。
寝てるんだから、印象は違うもんだろ。だけど疲れてるのかなぁ?
「なぁ、何かわかった? この手、治りそう?」
小さく話し掛ける。
眠りを妨げない為に、小さな声で。 聞こえない様に。
聞こえないから返事はない。
その返らない返事を、暫く待ってた。
うん、意味ない事してる。寝ようか。
干してくれた毛布様は、干す前とは違うね。感触が素晴らしいね! しかし、保温が良過ぎて寝てる内に、ぬっくぬくで暑くなって蹴飛ばす気もしたんで使わずにいた。
毛布様を手にして考える。寝てる姿に視線を移す。
静かにそろそろと、現在使用中の掛け布団を引っ張る。途中で引っ張るのを止め、様子を伺う。大丈夫そうなんで、再びトライ。
そーろりそろりと時間を掛けて。
よし、剥ぎ取り成功。
…………いやな、着てねえなとは思ってたけどな? お前さあ、人に寝間着着ろ・着ろ言うくせに自分は短パンだけかよ、おい。 風邪引くぞ?
周囲をもう一度確認。
長椅子にタオルが引っ掛かってるよーだが、寝間着は見当たらない。ふ。
毛布様を横にして、そーっとそーっとハージェストに掛けた。これで寝返りうっても暑くなって除けても、絶対どっかが体に掛かってる。…だろう、きっと。
ほんとに効くのか不明だが、俺はそんな事なかったと思うんだがあ〜〜〜 体が楽になれば良いと思う。よ〜く考えたら、こいつずっと働き詰めって言ってた訳だし。俺、なんもしてないし。いやまぁそもそも、なあ〜〜〜んもできんのだけど。
「お休み」
横になる。寝顔を眺める。
金の髪は目印。
キラキラの金の髪は太陽だろうか? それとも満月だろうか? ここの満ちた月は 金色に 輝くだろうか?
どーでもよさそーな事を、てきとーに考えてたら眠くなる。
こいつ、鼾掻いてないから静かでいーや。…自分が鼾を掻いてるかどーかわかんねーのがアレだけどな〜 ふ、あああああ ふ。
寝よ。
雑魚寝でもないのに、こーんな至近距離で人の寝顔見ながら寝るとは。夢にも思ってなかったな。 …はぁふ。
「…ぬ?」
目が覚めた。明るい。カーテンが半分開いている。
「ううううう」
ベッドの中で伸びをした。
「おはよう」
「あ、はよー」
爽やかな顔で着替え終わってた。
「毛布、ありがと」
「…いんや」
体調良さそうだけど、効果あったのか? …ま、俺も着替えるか。
半分開いたカーテン。外は明るい。
夜は明けた、今日の始まり。
さて、ご飯。ご飯。ごーはーん〜っと。
「今朝は隣の部屋で食べよう」
「あ、隣? 了解」
寝室で待ってたが、呼ばれていそいそ隣に行く。
うーむ、正にルームサービス! ホテル暮らしと同じですね! ふ、ふふふ。ちょ〜っとだけ、この生活に慣れてくのが怖い。自分がダメダメになりそーですよ?
部屋に入れば、顔を覚えたメイドさんが待ってた。
笑って、席に着く。
彼女は椅子も引いてくれるんだ。ちょーーーーっと嬉しいんだけどさー、まぁ何てぇの? 俺、いそーろーにしても立場はっきりしてないと思うし? だから後は極力自分でしますんで。
大体だな、ハージェストと二人で食べるのに、きちきちした礼儀作法必要ないだろー? 食べた気しないしさ。…元々無いけどな、礼儀作法のスキルなんて。
「後ほど片付けに参ります。ごゆるりとどうぞ」
笑顔で会釈して出て行った。
メイドさんの控えを断るのは礼儀に反するかと思ったが、ハージェストが良いって言う以上、もう何も問題ない。
「じゃあ、食べようか」
「頂くね」
ハージェストは食べる前に祈りをしない。代わりに、食べる前に必ず声掛けをする。目を合わせる。だから、俺も目を合わす。それに返事をしてから食べる。
ハージェストが席に着いてこっちを向いて、声を掛けてくれるのがご飯の合図です。おにーさん達と一緒に食べる時の合図出しは、きっとおにーさんでしょう。
食事はスプーンとフォークとナイフで、箸はない。
寂しいが問題ない。
食べ方がわからない場合は、ハージェストを見る。まじまじ見てれば、「こう」とわかり易い様に見せてくれる。口頭でも説明してくれる。それを真似て食べる。
マンツーマン指導です。メイドさんもいないので大変気楽です。
しかしだな、今朝のご飯は微妙。つか、これ何?
「どうかした?」
「えーと…」
視線で不味いと訴えてみた。
「変な味がする?」
「味って言うのか…」
「ちょっと待って、食べるの止めて」
さっと席を立つ。
「一口貰うよ」
「うん」
隣に来て、味見をしてくれた。
匂いを嗅ぐ。舌先で舐める。 目を閉じた。 新たに少し口に含む。 暫く含んでた。
「………変わらない。こんなもんだよ」
頷いて言った。
ハージェストの分を一口貰えば同じです。俺の好き嫌いが発揮されただけでした。そして、これを食わねばならんかと聞けば… 半分は食えと言われた。仕方ない。
「ごちそうさまでした」
「はい、食べれて何より。問題は食感とみたけどね」
「おそらくそうだと思います」
食いましたが、残りました。
普通に盛りつけが多いですよ。多いんですよ、俺には。 …確かに食べる量が減ってる気もするけどな、それも不明な程度に多いんだよ。どーしてそんなに食っても、その体型なんだ?
食べ終わって、ご飯についてあーだこーだと話した。
それから、食器をワゴンに移動させる。片付けてくれるメイドさんいませんからね〜。テーブルに食器あるままじゃ、真剣な話はちょっと。
二人で一緒に片付ける。
「昨日は待ってるつもりだったけど寝てた。ごめん」
「え? 無理に起きてる必要ないよ。寝てくれてた方が良いから」
「うー、ところで昨日はどんだけ掛かってた?」
「あ〜、まぁちょっと遅くて」
「……取り調べは時間が掛かるもんだよな? 直ぐにわかる訳ないか」
「あ、いや、えーと。 取り調べ終えた後、兄に報告に行って、そこで叱られてたから」
「はぇ?」
「いやー… 一連の経過を報告してる内に、ちょっと以前端折ってた箇所に行き当たって。そこを根掘り葉掘り聞かれて判明した結果、ぐだぐだと叱られてた。その後、『同じ事態に遭遇した場合、どう行動するか?』の課題について、口頭弁論させられてた。その所為で時間食ってた。
『この館内に居て、俺も居る。気を配るとした。先とは違う、心配要らん。 それよりな、後ですると言って何時する気だ? あ? さっさと今やらんか!!』
早く戻りたかったんだけど、この言葉で逃げられなかった。それで遅くなった、ごめん」
見上げた顔が「しんどかった〜」って言ってた。
一人反省会じゃなくて、指導反省会だったらしい… 俺がだらけて待ってる間、絞られてたのかと思うと… あああああ… 大変お疲れ様です。
ううむ、夜中に外でなくて良かったかも。もし、出てたら、おにーさんの伯爵様がお越しになられただろうか? いやー、こわいー。 でも庭だからな。庭は館内だ!
思考が明後日に飛んでった。
「ええと、じゃあ」
その一言で帰還した。
コトン。
椅子に座った俺の前に蓋付きのカップが置かれた。
蓋を取らなくてもわかる。食後のデザートならぬ、魔の物体Xだ。
Xカップを白々と眺め、脇に立つハージェストを見る。二人でニコッと笑い合う。カップを取って、おもむろにサイドに寄せる。サイドに置いた姿勢を維持する。手を離して姿勢を戻す。
再び顔を合わせて笑った。 出してくんなよ、そんなもん。
「わかった。後でね」
やなこった。苦笑しても知らんぷりっと。
「昨日の取り調べで、わかった事だけど」
着席したハージェストから聞いて理解したのは、作成の基本形は通常と変わらないって事。制作者が飛び抜けてすごい人でもないって事。試しに手法を変えたのは確かだけど、それでも画期的な何かとは程遠いって事。その証拠に、既に実証済みの者に変わった点が見られないって事だ。
実証済みって言った。
その事に思う事はある。現在進行形で誰かが同じ状況に置かれたって事だ。言い方に間違いない実験性を感じたんで、「え?」とは思った。
そこへ罪状認否が前後とか、それに見合う刑罰が何とかと、他にもちょろりと話してくれた。その中で、「領主の意向に反してる」この一番肝心な点でアウトな者だから気にするなと言った。問題ない事だと。
…もしも〜 これで領主側が負けたら、政権の移行ですかね〜? 此処じゃどうなんでしょうね? …あ? 反乱軍とかじゃないから、他から討伐隊がくる?
あ〜、領主側が最低だったら怖い話になるんですね? わかります。
それにしても犯罪者を一括りにして、碌な取り調べも設けずに、刑が確定するんじゃないから法が稼動してますよね〜。どこまで調べて、それを確定するのか知りませんけど。
でも、やだよね〜。ガキの使いの下っ端と幹部の刑罰が同じってさぁ。けど、わかってやってんのなら、上でも下でも同じですかね? 犯罪者には違いないってか。
上でも下でも取り纏めて同じ刑に処す。
もし、これが世界で浸透している刑罰なら、やってる方も知ってるって事だろ? 下っ端でも、知った上でやってるって事だろ? じゃあ、そこにどんな感情が入るんでしょうね? どんな言い訳なら許されるんでしょーね? どこら辺が加味されて許されるんでしょーかぁ?
そーいや、俺への疑惑は偽造でしたね。
偽造なんかしてないけど、偽造でしたね。偽造は重罪ですかね? あー、貨幣の偽造は国家経済の根幹を揺るがすのと、その国の信用度を落として面子を潰す重大行為だから、ほんとーに重罪なんだぞーって社会の先生が仰ってましたねぇ。ええ、覚えてますとも。
俺はこの世界で流通可能な物は貰っても、金は貰ってませんよ。そうじゃなくても普通に当たり前に貰いませんでしたけど。
………今はどうでも良い話。そんな事を考える程度に逃避。
押された、えー、犯罪者は俺とは違って普通の状態だそうです。俺と同じ状態にはないって事です。もうねぇ、ナンででしょうねぇ?
「取引を持ち掛けるから、余程の事かと思ったけどね」
取引したとは言わなかった。しかし、内容は聞き出せたと。どーやったのかは流した。それは俺には関係ない。必要性を取り間違えない。
んで、そっちは製作に関わる事じゃなかったと。
つまり、俺の手に関する話じゃないから、どーでもいーの。そっちを聞いても、俺の手が良くなるとかないの。どんだけすごい内容だとしても、「だからどうした?」なんだよ。
その内容で金を搾り取れたとしても、金でどーにかなる話じゃないですよ? どーにかする為に金が要る場合もあるけどさー、どーにもなりそーにないですよ。
どうにもならないなら、一番簡単なのはこの手を潰す事だろう。自分の手を誰が潰したいと思うよ? 潰した後、印の力だけが転移したって言ったら嗤うけどなあああああ!!
もう、どん詰まり。
作成時の裏技はなかったです。ってかぁ、お試しに裏技なんかないわな。お試しなんだから。できて初めて裏技もどーのって話になんだろ。
「は ぁ」
自分で巻いた包帯の上から手を擦れば、止めようもなく落ち込む。本当に魔力を纏う事ができるんだろうか? 覆い隠せるんだろうか?
不明過ぎな点を突き詰めて考えると、楽観視できない。
「落ち込むなとは言えない。でも、このままにはしない。したくない」
気遣う声に、決めたって声。表情は俺よりも強い。
…どー考えても、お前とバイバイする選択肢は消滅したな。 ……まぁ、ナンだな。ナンな思考で頭回してたら歪みそーだけど、お前は歪みそーにないね。
ふ、と息を吐いたら。
「少しでも良くなる様にしたいから。まずはコレを飲む事からしよう!」
寄せたXカップを戻しやがった。
…ふ。 ふ、ふふ、ふ。 あああ? 待・ち・や・が・れぇ! ソコへもってくんなぁ!! このボケがぁ! ああ、ああ、それも現実だけどな! そうだなぁ! 〜〜〜〜良いか悪いかわからんが、たった今、雰囲気全部飛んでったなあああああ!!
カップを笑顔で差し出す姿に、じっとりと目を向けた。
「朝の食事も少ないし、これで補おう。そうしよう」
「そうしない。これで気分悪くなった」
しれっと言ったら、けろっと言いやがる。
「大丈夫。これ、最初に飲んだ分だから。最初の分は横にならなかったろ? さすがに飲んで気持ち悪くて横になるのは気になる。俺も強すぎると思う。だから、こっち。こっちの方が早くできるんだ。二度目に飲んだ薬湯の製造過程で抜いてる分だから」
くらっとキた。棒読みの声出たー。
「あんなの飲む人いるんだあ」
「今はちょっと必要になってて」
「そーなんだー。飲んでる人いるんなら、その人に悪い。そっちに回して上げて。俺は要らないから」
「そっちは飲んでも飲まなくても、どーでも良いくらいに問題ないから。気にしないで飲んで。飲んでくれないと心配だよ」
俺の隣にわざわざやってきて、カップの蓋を取る。笑顔でズイッと差し出しやがる。 心配の単語を全ての免罪符にしてないか? お前。
俺にカップを持たせた上で、自分の手を重ねてきた。 …笑顔のまま力づくで俺の口に当てそうだな。うあー、匂いだけでも遠慮する!
「 心配 」
「うん、早く元気になろう?」
見交わした蒼い目に嫌みはなかった。 この野郎、本気だ。
「………俺も心配」
「え?」
「俺も、お前が心配。夜中に目が覚めた。倒れた感じで眠ってた。毛布掛け直しても起きなかった。疲れてるんだろ? 調べてくれて疲れた所に、おにーさんに叱られてもっと疲れたんだろ?」
「え… 」
「言わないだけで、ほんとは疲れてるんだろ? 俺の事で色々して貰ってる。お前が心配してくれる様に、俺もお前が心配だから。 だから、お前が、コレを、飲めよ」
蒼い目に笑い、腕をグイッと伸ばす。 負けねぇ、その程度の力くらいある!
カップを挟んで笑顔で居続けた。
無事、シェアは完了した。
一つのカップの黒薬湯Xを二人で飲んだ。げろ不味かったけど、二人で飲んだから少ない量で済んだ。最高なのは、こいつが半分強飲んでくれてた事だ。
ああ、良かった〜。半歩の地獄ですんだわ〜、ふぅ。
だがな、あんな不味いの飲んで直ぐに動きたくない。無理。 二人して食後の休憩〜。
「失礼します」
メイドさんが来て下げてくれるのを機に、寝室へ戻る。
「庭に降りようか」
その一言で、テラスへ出た。
直射日光様がすごいですね。出るだけで、世界が違ってきそうですよ。 あ、ここに紫外線問題あるだろか? あっは。
テラスから繋がる階段を、トントン降りて庭に到着。花壇に咲く花の色。黒影ではわからなかった色に、見上げる木。
ほんとに少しの距離で、何もかもが違うモンなんですねぇ……
庭に立って振り返る。
出てきた開けっ放しのドアを眺めて思った。
「文字は自分で覚えないと、どうしようもない。でも、ずっと部屋に居たら気が滅入る。気分転換に出ると良いよ」
こいつの言葉が素直に嬉しい。
庭に出ただけの事が嬉しい。前の俺なら信じられん事態だ。
それから、ここが館内のどの位置って説明貰った。どう行けば館内から、敷地内から出られるのかも聞いた。
一緒に歩いて見て回りたい。
でもやっぱりね、何ゆーてもね。気になるんですよ。こいつと一緒に歩いて回れば安全でも、より一層皆さんに見られるだろうなと思ったら、今の気分は「やめて下さい」です。
落ち込みが薄れても、消え去った訳じゃありませんし? 興味対象物として見られたいと思いませんし、ねぇ?
「それと、これを」
取り出して渡してくれたのは、小さな棒状のブツだった。
「こっちを口にして吹いてみて」
笛でした。
「あれぇ?」
吹いたが音は鳴らなかった… ピーとも、プーとも鳴らなかった。なんでだ。
「それの注意事項としては、吹いても直ぐに来ない場合がある。ここでの行動制限なんてさせてない。近くに居ない場合だと、ちょっと時間掛かる時があるからね」
「へ? 音、出なかったよ」
「音域が違うだけ。ちゃんと聞こえてるから、大丈夫。 あ、ほら」
シュタンッ!!
「うおっ!?」
黒点が見えた。地面に降りてた。 見事な速度と跳躍でした。
「ワオン! ヘッヘッヘッへ」
一声吠え上げ、こっちを向いて舌を出し、尻尾を振るのは黒犬でした。
「アーティス、早かったな。ほんと近くに居たな」
ハージェストが頭を撫でると、尻尾が更に振られた。
手を差し出すから笛を返す。
犬の前で口に咥えて、小さく吹いた。吹いたと思う。鳴らないから、わかんねー。けど、犬の耳がピクッて反応した。
「はい、吹いて。至近距離だから、本当に少しで」
ハージェストの手を介して笛が回って来る。黒犬の目と顔が、それを追って動く。
「アーティスを見てやって」
「え? あ〜、うん。 よろしくな」
黒犬に向かって笑う。 笛を咥えて、少しだけ息を込めた。
「ガウッ」
「アーティス、笛はアズサに渡した。わかったな、聞こえたら直ぐに来いよ」
耳が動いて尻尾が揺れて、小さく吠えたのが「了解」な感じで聞こえた。
尻尾を振る黒犬と。
言い聞かせるハージェストと。 使わない、俺の名前と。
「あのさ、笛」
「それ持ってて。チェーンに下げといた方が失くさないかな?」
「いや、そうじゃなくて。これ、その… アーティスの犬笛なんだろ? 貰ったら」
「ああ、俺の方は平気。声で呼ぶから。それにアーティスは竜達と一緒にいる事が多い、そんなに探し回る必要ないんだ」
「でも、その犬は俺の犬じゃないよ」
「そんな事ないよ」
あっさり笑って言うのに、なんつーのか。 …こんなでかい犬の面倒見切れませんし? ……美味しいとこだけ貰ってませんか?
「アーティスはね、見間違えなかった。言ってた通り、アーティスが助けた。 すごく、すごく嬉しがっていたんだよ」
木の緑と花壇の彩りの花。
その中で、金髪蒼眼の男に寄り添う躾けられたでかい黒犬。撫でる姿。
何かね。様に成り過ぎて嫌なんですけどね〜? ま、僻みませんよ。 ……そんな事考える時点で終わってるのは考えない。
「事はまだ終わってない。現場に行って来る。だから、一緒にいれない。部屋から出たくても、躊躇ってるトコあるよね? メイドの誰かを付けようかとも思ったけど、人に対して躊躇ってる以上それはしたくない。その点、アーティスなら最適。そんな危険性ないし、十二分に強いから」
笑って言うんだ。
「外へはアーティスと一緒に出ると良いよ。護衛としても心強いから、俺も安心できる」
ハージェストの顔見て、犬の顔見て。
手の中の犬笛弄くって、返事をした。
「ありがとう」
「うわっ!?」
「ガゥッ」
「あ」
寄ってったら、アーティスが喜んで戯れてきた。この黒犬は後ろ足立ちすると、俺の背を超えるんですよ。しかも大きいんですよねーーー!! きゃ〜〜〜〜〜、やめい。
「あー、アーティス。喜んで押し潰さない〜 ほら」
それから庭で少し遊んだ。
追いかけっこ。同じトコをぐるぐると。俺が此処までと決めた範囲内、アーティスには狭かった。だから直ぐに並走される。だけど、楽しかった。
「はっ、はっ、はっ、はっ、はあああああ〜〜」
最後は息が切れて、ばったん。
倒れた瞬間、アーティスが駆け寄ってきて顔を舐めるーーーー!
「うわ。うべ、うぷっ もういいから〜」
ほんと〜〜〜に、体力が尽きそうにない犬です。
「あは。疲れた? 上がってきなよ」
「あ〜〜 そうする」
テラスへの階段を上がって、最上段の階に腰掛けた。差し出されたコップの水をぐい〜〜っと呷る。うま。
「アーティス、お前も飲むか?」
「オンッ」
水差しを片手に降りるから、どうするのかと見てたら、そのまま傾けて水を垂らす。
ビッチャビッチャ、ピッチャピッチャ。
空中キャッチで水飲んでた。水入れは要らんのだな。
しかし顔中を水で濡らした。それをまた身震いして散らした。 わぁお。 それを良いなと思うから。 俺も降りる。
「どうかした?」
「俺も」
「あ、了解」
垂らす水を手で受ける。顔を洗う。
「どう? 少しは気が晴れた?」
アーティスみたいに、顔を振って水滴飛ばして笑う事で返した。
階に座り直す。
水差しを部屋に置いてきたハージェストが隣に座る。アーティスも座る。俺を挟むか。
庭を眺めて、アーティスを撫でて話をする。
「アーティスを貰った時は王都に居てね。兄や姉達が来てたから、普段はいない竜達も居たんだ。一件で兄だけが最後まで滞在を伸ばしてくれて、その間に竜達とすごく仲良くなってた。
…ランスグロリアに帰還するのに居なくなるって、わかったんだろうね。一緒に行きたいってのと、どーして行くのってので、すごーく理不尽な顔してた。犬の顔があんなに複雑に動くとは知らなかった。最後に俺に、どーして一緒に行かないんだ!って拗ねたよ」
「うわぁ… それは〜〜 寂しかったな、アーティス」
体をポンポン叩いてやれば、顔を寄せてくる。顔洗ったとこだから舐めなくていい。 …犬の愛情表現だからな〜、うーんうーん。撫でて誤摩化そう。
「そうそう。アーティスは、巡回する犬だから」
「え?」
「縄張り確認って言ったら良いかな? 子供の頃から、敷地内をよく彷徨いてた。遊んでるのか思ったら、違ってた。繋ぐ必要もなかったし、好きにさせてた所為か日によって時間も道順も違うけど周回してた。必ず一周はしてた。ここに来てからも、それは必ずやってる。見てたから知ってる。
後、竜達と行動して、より持久力が付いて体力ありまくり。…ほんと子供の頃からあったけど。
皆と一緒に居て、静かに待機はできる。だけど、一日中ずっと大人しく部屋の中に居続ける事は無理。動かないとストレスが溜まるみたいでさ。出て行きたそうなら、出してやってくれる?」
「わかった」
なんて事ない話に笑って答えた。
「アーティスが色々した話なら尽きないよ。また後で話そう」
現場に行くんだ。
取り調べの進捗状況の確認もしてくるって言うから、見送った。その姿に付いて出て行く気配を見せたアーティスは、うろうろ足踏みしたけど居てくれた。
「ハージェストがお前の飼い主だもんな。 …俺も覚えてな」
頭をもう一度、撫でた。
一人いなくなったら、少し寂しい。
「ほんとに俺がどうこうしたから、お前がいるのか?」
疑問をアーティスに言ってみるが、返事はない。
しかしだ。舌も口も構造が違うのに、いきなり人語をベラベラ喋られたら怖い。
「アーティス、お手。……お座り。 ………お回り、とか」
なに〜?な顔された。どーも、そーいうスキルは取得してないらしい。うーむ。いや、待機ができるなら待ては取得済み。 んじゃ、指定の言葉が違うのかな? そーいや言葉もなぁ… はぁ。
「ん? どした?」
急に立ち上がって、一方向見つめて、行きたそうな顔するから行って来いと送り出した。
行く時は、俺を一周してから行った。テラスの階段タタッと駆けて出て行った。跳ねる足取り、あんなのを指すんだろーな。
テラスと室内での排泄は避けねばならん! ……後始末どーしてんだろ? ………街中猫歩きした時、糞とかあったっけ? 糞は肥料始末でいいのかな?
一人と一匹いなくなったら、もっと静かになった。
字の勉強しますか。
午後には呉服屋さんが来ます。…呉服屋っつったら、な〜んか笑う。やっぱ仕立て屋さん? 手袋を作るんだ、上着も一緒に。生地を選んで、一から始める。やる事なら山積み。
椅子に座って、テーブルに教科書広げて。 犬笛も置く。
貰った犬笛。
お守りと一緒にするなら、チェーンより革紐が良いかもな。生地の他に、革紐もあるかな?
指先で、転がす。
俺の中の何かが 明るいと感じる。
あ〜…… 革紐は、どんな字になるんだ?
ペラペラ教科書捲ってぇ。
「ふ」
わからん、先が長いぜ。
ひっさびさに音がしたんだ。けどさー、その音が弱い。
あっれ〜?って思ったね。父ちゃんは、こーんな弱い音させねーし、近頃はそれで呼ばない。だけど、呼ばれたんなら行かねーと。
走り出して、「あ、そうか!」って気が付いて猛ダッシュ!
や〜〜〜〜〜っぱり、母ちゃんだったよ!!
母ちゃん、父ちゃんと一緒に居るんだね! 良かったね、父ちゃん! 母ちゃんに捨てられなくて!! 俺も心配してたんだよ〜〜〜 すっごく。でも、巻き込まれが怖くてせーかんしよーと思っててさ〜〜あ。 してたんだ。
父ちゃんと母ちゃんの間で笛が行き来する。母ちゃんの手に収まったのに了解。
大丈夫だ、父ちゃん。ちゃんと聞いてる。
父ちゃんが行くのに、いつも通り俺も〜って一緒に行こうとして、「あ、ちがう〜」と回った。
「ぐるっと回る散歩に行くよ〜」
ねーちゃんとにーちゃんが言ってる。皆と行く散歩。けど、今日は母ちゃんといるんだ〜〜っ。 け・ど! 遊び足りなくて、行きたくてうずうずする。
母ちゃんが、「行っておいで」って笑って言ってくれた。
タッタと道を走って皆に追いついた。
ひゃっほー!!
今日は、すんごくいいてんきーーーーっ!!