86 思い出す、その現実
ゴクリ。
注いで貰った水を飲んだら、地獄が甦る。…甦らんでいーってのに!
「……!!」
「え?」
どっかに残ってたゲキ不味さが、口中で一気に広がった…
ゴキュ。
ゴッキュ、ゴッキュ、ゴッキュ。
菓子の甘味をほんのすこーし感じるのが、もうさいあくー。うがいでペッができないんで、水をがぶ飲みした。ぐいっとコップを差し出せば水をすかさず注いでくれ、サッと菓子皿を寄越してくれる阿吽の呼吸が素敵過ぎ。
モシャモシャ、モシャモシャ… ゴクッ ゴ〜〜〜〜ッ キュ。
…ふぅぅぅ〜 げふ。
「落ち着いた?」
「ん」
「もっと食べる? 追加持ってこさせようか?」
「や、いらない」
ほんとーに、あれはもう飲みたくないです。
そしてあのゲキ不味さで、何を聞こうとして言おうとしてたのか明後日に飛んでった。…あー、なんだっけ? おーい、戻ってこ〜い。
ちょおおっと放心してたら、奴の目が右へ左へ泳ぐ。
ソレ見てたら間が持たなかったんか、俯き加減で続きを話し出した。 …俺のターンは飛んだっぽい。
「ええと… 結局、結果がどうであれ、俺の召喚は成功です。俺の三年半費やした、『召喚を成功させたい』の願いは叶いました。即終了で、召喚を望んだ本来の願いである十年掛けた、『魔力量を増やしたい』は叶わず、どこか本末転倒の喜劇の様な終わりで… いえ、どちらも重要だったのですが…
もう内容が内容だっただけに、その他を含めて公言してくれるなと。されると俺が潰れます。学友達にも告げる気は一切なかったんですが、内容そのものが漏れる事はなくても… ふ。 現実の推測を止めさせる事は不可能と言うのです。
召喚した翌日、兄と姉と三人で学舎に行きまして。…兄が怒ってくれたんです。失った事への対処の抗議に、貰ったアーティスへの対応に。
話し合いの場は学舎の応接室でした。来客室ですし、対魔力防御の結界なんて張ってません。初めから意図持って行使した兄の魔力は… 術ではなく単なる指向性を含めた威圧でしかなかったのですが、単純に強かっただけに、室内に留まらず滲み出てしっかりと余波が飛んでいました。
教師には来客連絡は伝達済みだったらしいのですが、生徒に逐一そんな連絡はしません。兄達と学舎へ行った時間帯は午後からの授業の始まりと重なる時間帯でしたし、遅刻には厳しくもあり。
馬車で学舎の玄関口まで乗り入れましたが、生徒が普段から使用するのとは別でした。なので、直接他の生徒に会う事はなく。
…感知能力が高い者は、滲んだ力にそれはもうびびったそうです。勇気があるのか馬鹿なのか、どちらか不明な者は教師の制止を聞かずに教室を飛び出し、それを教師が追い掛ければ他の生徒は騒ぎます。悪循環の典型ですね。まぁ〜、そんな状況で大人しく我関せずと教書を読んでる者は少ないでしょう。居ないとは言いませんけど。
それで、兄と姉と現場確認に施設棟へ向かう姿を見ていたそうです。遠目でしたが… 良いのか悪いのか… はぁまぁ、この髪が目印になってしまって…
同行者の中に居たのが黒翼で… あ、王都の警備兵とでも考えて貰えば。それらを含めてわかる者には、アレは俺だとわかった次第です。召喚を行う施設棟に向かうのに、昨日なんかあったなと推測するのは非常に容易な状況でした。
その後、再び応接室へと戻ったのですが… それからまた一揉めありまして、今度は廊下で兄がガツンとやりました。遠慮なくやりました。俺もしたかったです。止められてさえいなければ… !
本当に、無念でした。
兄は極めて狭い範囲で、恐ろしく強い力を短時間で構築して強烈にやったんです。それが感知できる範囲から、円を描いて全くズレないんです。ズレない事は当たり前と言えば当たり前ですが、下手な者や初心者なら、問題ない程度でも失敗したって感じで出ちゃうんです。そしてそれを皆わかるんです。あいつ、あそこで外した〜、なんて感じで。
突発な力の強さ重さ構築速度に出来映えに、感じ取れる自分との距離。
結果、バレバレです。
二度目でしたから、もう完全にです。しかも二度目には姉も構えていたので、相乗効果出てました。
「な、に…!? まさか…! き、貴族! 上級貴族来てるー!」 「え、なんでぇ!? 何で来てるの?」 「そんな連絡受けてないよっ!!」 「うっわ、口先の下級じゃねえよ!」 「実力の上級!!」 「だだだ、だれだれだれだれっ!? どこの誰が来てるの!?」
「うっ わああああああ!! ちょ・く・で 会いたいぃぃいいいいい!!!」
感じる威圧にびびりながらも、教室に学友達と一緒に居る事でそれを忘れ、興奮から大騒ぎしてたそうです。そんな事全く知りませんでしたが」
…………放心してた俺より遠い目してるわ。こいつ。
「教師の方はですねぇ… 問題が発生したから来てるのを理解してるんです。その上で問題が片付かず、収まらないから、実力行使に出たんだと理解したはずです。そこに輪を掛けて、生徒が群がって見物に行ったりでもしたら? 相手の機嫌を損ねるのは予測できますが、それより問題に上がるのは自分の教師としての能力です。少しの間も生徒を静かにさせていられないのかとか、お前の説明に納得できる程に教師として信頼されてないのかと言われでもしたら、それはそれで問題なんでしょうねぇ… ふっつうに。
それで教師が「静かにせんかぁ!」と怒れば、生徒が「隠し事なしー!」と叫び返して、まぁ、どこの教室でも収拾がつかなかったそうです。
あの時は俺自身、そんな事は思いもつかず自分の事しか考えていませんでした。失った事以外に思考なんて回りませんでした。
最終は俺が失敗したと、そーゆー結論に達したよーで。それがまた変な感じで尾ひれが付いて… ははははは… はぁぁぁ、あ。
その連絡を受けた時は、さすがに嫌になって少し学舎を休みました。
休んでる間は名前を考えたり、躾けたりする事で穏やかに居られました。 ……思い出すその都度、気分は荒れて落ち込みましたけど。
貰った子犬には、アーティスと名付けました。とても賢い犬で大人しくもしますが、根が大人しい犬ではなかったので現実に落ち込み続けては居られませんでした。体力の総てで振り回してくれました。
そんな日を過ごす中、考えまして。
自分で最後と決めた召喚が終わったんです。学舎を辞めても良かったんですが、一応終業の目処まで行って終わろうと決めました。家は、「やって来い」と金を出して送り出してくれたんです。中途退学になるのは… 状況が嫌過ぎるからって辞めるのは… ちょっと微妙でした。
辞めるは、『逃げる』に値する言葉ではありませんし、自分に取って最早不要と判じただけの事です。ですが、中途退学した学友を思い出しました。金銭問題ではなかったらしいのですが、明確な事は本人が喋りませんでしたから知りません。でも、その時の顔は思い出せます。
それに比べるとですね… 俺は、全てに切羽詰まって他に考えられない・耐え切れない状況ではありません。それと途中で辞めた、辞めなかった場合の将来の利益と不利益も一応天秤に乗せました。そんな事を考える程度には頭は回ってました。
それで最後の目処まで学舎に行って終わろうと。
そうしましたら、身分を打ち明けていた学友から再び連絡が来たんですね。読むだけで、鬱陶しい事になってるなと行く気がサラッと失せました。ええ」
素早い方針転換だな。…でも、別に良いんじゃね? そんくらい。
命に関わる事でもないし、余裕があって選べるんなら、選んで良いんじゃねーの? 俺も最後にあやめ姉ちゃんと、『自分、大事に』って約束したし。
…ああ、そうだ。俺が助けたはずのあの子。どーしてるだろ? 友達でもなかったけどなー。変なトラウマになってないと良いなぁ。んでもってできりゃ〜、一回くらい遺影に手ぇ合わせてくれてたら良いなー。あやめ姉ちゃんの為にさぁ。
ん? …い、遺影あるかな? あるかな? 姉ちゃん、置いてるかな?? ……置いてる場合、変な写りじゃないの希望。
「その間、学舎を終えたらどうするか?を兄と話しました。学舎が休みの期間には領の家に帰ってもいましたが、帰らない時もあったので… 王都の方が馴染み深くもあったのです。だから、王都で家の為に働こうかと思ってましたけど、兄から帰って来て手伝えと言われまして。そこに不満はありませんでしたから、それはあっさり決定しました。
我が家は後援に入りましたが、俺が通う間は後援の事実を表に出さないと決めてくれてました。それは家の恥を晒さないとも取れますが… それを憂う俺を気遣ってくれてたんだとも思います。それなりの金を出しているんです。後援してると告知すれば、対外的にも… 金や人材の流れは大きく変化したでしょう。それをわかっていて、しなかったんです。
この事に自分で気付けた時は嬉しかったです。家の恥だから、の名目だけではなかったとつくづく思いました。それに後で知ったのですが、弟は二つの学舎のどちらかに行くとされていまして… 最初から決定してはいなかったんです」
……………そーなんだ。へー、そー。 ふーん。 そりゃー、良かったねー。
「帰ると決まれば、兄に青田買いのできる目を養えと言われまして。残りの学舎生活は、人材発掘の為に人間観察してました。観察眼が育ったのかは不明です。本当に不明です。
卒業も間近になって、初めて正式に我が家が後援に入ってると学舎内に通達しました。それまで真偽は笑って右から左へ全部流してました。
そこからの変化は劇的でしたね。人を見る目が随分変わってましたね。こんな中から人材選んで良いのかとか、みょ〜うに不明でしたね。良さそーなの数人上げとけと言われてたので、不安になりました。自領でも使える者はいるだろうから、それで良くないか?と兄に問えば、他所で使える目と手足の確保だと諭されました。 まぁ、色々でした。はい」
………………ふぅううううううううん。
「その後は家の仕事を。親からは、人材育成は必要だが不足で非常に困っている訳でもないから、しなければならない絶対用件を外さない限り好きにして良しとも言われてました。
貴族家の生まれですが、次期ではありません。自分が次期になる事はありません。もし、兄に何かあれば、その時は弟が次期です。それは確定です」
……ふーん。
「兄には本当に俺の事で骨を折って貰って。だから、兄の手伝いを喜んでしていたのですが… ほんとーに扱き使われまして。ええ、とこっとん使われまして。
これ以上させられるとキレそうだったので、案件片手に逃げ出しました。別の仕事を握って逃げただけなんで、ある意味どーしよーもないんですが。でもそれが終わったら絶対に休むと決めて逃げたんです。
それが此処、エルト・シューレでの案件でした。
それでその… 必要な時に気付かず馬鹿をしました。連絡を入れずに不安にさせました。申し訳なく、すいません、ごめんなさい。悪気は欠片もありませんでした。本当です。
やってられない現実から逃げる為に案件引っ掴んで来ただけですが、来て良かったと思ってます。あんな形でも来て良かったと思ってます。 もう一度、会えて嬉しいです」
遠慮がちな笑みで俺を見てくるこいつに思う。
全説明をしてくるこいつは律儀だと思う。躊躇いなく謝罪をしてくる点でも、非道い奴じゃないと思う。でも、悪気なく何気なく放置選択する時点で常識の違いを思い知る。
んだが。
その世界が構築して来たじょーしきの違いってイタいですが〜〜〜〜あ、向こうでのリアルだって似たよーな事ありそうだけどね? 発覚するかしないか、その出方と取り扱われ方だけのよーな気もするけどね? 見て見ぬ振りって、ふっつうにあるんじゃねぇの? しなかったぁ?
何時でも何処でもどんな時でも、自分がどーんな気分でも。総てに手を差し伸べてたなんてゆーんなら、そんなんそれこそ嘘だって。ちょっと顔顰めて、スッと離れるもんじゃねぇ?
はっぁ〜〜〜〜あ。
俺、優しくないし。 んじゃ、聞くこた聞こうか。さくさくと。
「あのさ、俺が人っての、ほんとに理解してる? 納得してる?」
「…う。え、あの。 あの、自己申告を信用してます、はい」
「ほんとにぃ?」
「え、あの… えーと。俺が習得した陣では人は喚べません… ですので、最初は人ではないと思ってました、はい」
「じゃあ、ほんとは納得してないんだな?」
「……それは無く!! むしろ、人である事を希望・切望・懇望します!」
「は? 自分の所有物じゃなくて良い判断って、どっから出てんの?」
「え? 所有。 しょ ゆーは ……………あの、その、ええと。 ………………猫の姿もとても可愛いけど、人の方が良いです。とても素敵です。
それに、金銭感覚がしっかりしてます。
通常、召喚獣はそういった方面には疎く、自分の好物でもないと覚えようとはしません。まず何よりも、基本概念が無いんです。金を使う事には、その価値観が必要です。金に価値を見出すから、物が買えるんです。
契約者が買うのを見て覚えたり、教えて貰って初めて覚えます。でも、基本は欲しい・頂戴で、その後に買ってくれです。待ては有効ですけど、待てば良いだけなら知識欲旺盛でないと、必要外として覚えようとしないんですね、これが。あはは。
二つの魔力水の値段に、ギョッとした。あれで確定だろうと。
荷物を盗られた話とか当たり前過ぎて流したけど、よくよく考えると最初から人の対処だった。召喚獣が長く居て覚えたにしては、その… 対処が甘いと言うか、反撃を一切してない時点でおかしいと言うか… まぁ、その今回の場合は… 最初の時点の思い込みと言うか、してなくてもおかしくないと普通に考えていて、あ〜〜。
自分の所有物ではない。その事については確かに思う事はあります。嘘じゃなく、思います。だからこそ、人であるのなら考えを改めるべきであると はい、思います」
そっから、もうちょっと突っ込んどいた。
固まったり、思案にくれたり、固まったり。それでも、文章の読み上げじゃない返事をくれる。考えた返事をくれる。
…バイトでもないし? こんな状況の対応マニュアルなんてないはずだしぃ? それにしてもナンだな。召喚獣を喚ぶ陣で来ちゃう自分が理解できない。人を喚ぶ陣は完全別物って言われた衝撃がイタい。しかも、猫に成れる人って自分で言ったのがイタい。
「推測でしかないけど、『猫に成れる』それが原因じゃないかと思う。こちらでは有り得ないけど… その技術が召喚陣に適合したんじゃないかな?」
「向こうでは、猫に成れませんでした」
「え?」
「こっちに来る途中経過で初めて成りました。つい先日の事です。向こうとこっちの時間の経過が明確でないので不明ですが、おそらくそっちが言う召喚時期に俺は猫に成る技術を習得してはいないはずです。向こうでも人は動物には成りません」
「「 …………………… 」」
不明って、ヤだね。
「えええーーーーーと。 能力の先触れ? 僅かな間でも、俺と此処で契約した事で成れる様になったとか?」
「お前が元凶か」
「ええええええっ! そんなそれちょっと違うんじゃないかと!?」
ショックを顔に表すこいつに、嘘が吐けないタイプかと思う。
でも、どーなんだろなー?
けど、まぁいい。『ちび猫なれるもん』は有効だ。猫に成れば、完璧猫だ。飯だって猫食いする。人じゃないから猫食いしても何とも思わねー。ポーズは犬食いと変わらんけどな。
人間なら尊厳が潰れる食い方だが、猫の俺にはなぁんも響かない。舌舐めずりしてペロッと食える。
にゃん権行使中は、奴隷印無効化現象は確認済みだしな。へっ。 何にせよ、その場凌ぎでも持ってて良かったって事だ。うん、最高。
「ところで… その、本当に違う世界の人ですよね? あの、その辺りも伺いたいのだけど」
あ? ダメだな。
さっき飛んだから、まだ俺のターンの続行だ。
「そうそう、まだあるんだ。聞いても判断基準が無い以上、無駄だと思うから詳しい事は流す。けど確認はする。俺はする。
召喚した際、契約したんだよな? 再契約を希望するって言った際も、提示がどーのって言ってたよな?」
「あ、はい。最初は自分が提示した内容で契約をしました」
「その契約の内容はもういいよ。わからないから。でもさ、その内容、再契約の時も提示しようと思ってた? 俺が提示内容示せって言ったら、同じ内容を提示した? その内容条件って、再契約でない、今の俺に出しても通用するもんだった? 提示した内容は、どういった状況下まで有効なもんだった? その契約、俺にとって少しでも良い事あった?」
……………動かねーぞ、こいつ。
…………………あー? 完全に動かねーな〜。何でだ? うーん、こういう時はアレか? 『動けよ!いーま動かないで、何時動くんだよ!? うーごーけーよ〜〜!!』 とか言ってバンバン叩いて揺さぶりゃー勝手に再稼動し始めるんか?
ん〜〜〜、最初に契約した内容ってナンだろねぇ? 気になるねぇ? にしても、やあっぱこいつ、嘘吐けないタイプ? 固まった時点で思考だだ漏れじゃねーの。
椅子から立つ。
くりっと九十度向きを変更。いっ〜〜〜〜ぽ、踏み出して正面の奴の隣へと移動開始。はい、到着。俺に顔を向ける奴の目と合わせて外さない。
顔を近づけて、目を合わせたままガチで聞いた。
「固まるくらい返事できない内容ってぇ、なにそれ愉快」
契約において、ソレは遜色なきモノで有るか否か? 再度の提示に有効性は認められるか? お前自身はどう思うのか?
聞かれた内容に心臓が跳ねる。
ドクッと血が流れて、新しい熱が生まれた。
何を約束していた?と、直接聞かれた訳じゃない。本人も詳しい事は流すと言った。確認は大事だ。間違いないか、思い込んでないかの確認を取るのは必要で当たり前の事だ。
だけど、俺にはそう聞こえない。
『約束破らなかった? それ、本気で言ってる? 嘘、吐いてない? 本当に約束、守る気でいた?』
問い質すだけ行為が俺を的確に突いてくる。
アズサにとって有効で良い事? 少しでも? 交わした約束は一つだった。
一つだけだと頭の中で繰り返せば、どこまでが真実ですか?と返る気がする。聞かれない内容にこそ、問い詰められる。話さなかった内容が、息づき声を潜めて語ってくる。
さっきの言葉、どうして言った?
言っても、わからないって? ねぇ、それほんと?
話さないままに終えた行為を詰る様に、笑う様に、 内側で反響する。 ガキじゃない頭が最悪を嗤う。
ガタン!
音に正気に戻れば、席を立った音だった。隣へとやってくる。
黒い目が俺を覗き込む。
見上げるその目に俺が映る。間抜けそうな自分の顔に笑えるが、そんなのは真実どうでもいい。
唇が動いて言葉を紡ぎ、笑みを浮かべる。
その笑みに、違うと思った。こんな笑みじゃなかった。こんな風には笑わなかった。
させているのは、俺の態度。
覗き込む黒の目は見極めようとしている。安全を確認をしているだけでも、あの時の顔がダブればそれはキツい。キツい。キツい。笑顔の違いが、キツい。
こんな顔をさせている自分自身に腹が立つ。
ん〜〜〜 ちぅ。
…………………いきなりなんかが『ど』アップになってね? 俺のでこに、みょ〜〜〜〜うな湿った感触があったんですけどね? え? ナンですかね? これ。 ああ?
「お、ま…」
「俺の態度が悪い所為だと理解しているけれど、お願いだから、そんな風に笑わないで欲しい」
「はあ?」
キリリと真面目な顔で言われました。奴のツラには反省の欠片もございません。何やら根本的議論が掏り替っている気が多いにします。
怖いですね、怖いですね、怖いですねぇぇぇ!! いきなりナンでしょねぇぇえ!!
では、恐怖のあまり片手を上げて〜〜 恐怖のあまり〜 下ろしましょう。 そーれっと。
ベシィ!
「だっ!」
平手で一発、ストレートに頭叩いといた。
「彼女に問い詰められて返事に困った男が誤摩化しに雰囲気で流す技を使うなぁ!!」
ノンブレスで怒ったら、『え? なにそれ』みたいな顔されたー。えー、なにこいつまさかで天然? えー、うそぉ! 絶対それ嘘だってぇ!!
しかし、ナチュラルに行動しやがるのが恐怖を呼ぶ。距離を取るのに、ザッと室内を見たが意味がない! 逃げ隠れにバリケードになるもんがない!!
仕方ない。
黙って、スササササッと反対側の席に戻る。
良かった、この前みたく隣に座ってなくて。ほんとーに良かった。今日の俺の選択、オッケー。今日のラッキーアイテムなんだろなー? 椅子とか?椅子とか?椅子とかあ? あー、誰か教えてくんないかな〜? ラッキーカラーでもいーけど。 はあー、疲れる…
逃避終了して正面向いたら、あー… みたいな顔してたが知らん。
「返事が遅れました。契約の内容が認められたから、契約できたのだと思ってます。約した以上は適う限りに、実行するとしてました。再契約においても… 提示しようと思っていました。受け取り方は様々ですが、どんな状況下でも有効であると自分は考えます」
一変した静かな声と表情と。
…返答内容に固まる理由が、さっぱりわからん。うーん、流さない方が良かったんか? しっかし、聞いた後でそれ嘘ーって言ったらなぁ… マジでそれで契約してたら俺が馬鹿って話だしよ。
「そっか、どんな状況下でも有効ってのがピンと来ないけど、いいや。きっと悪くないんだろ。うん、ありがとう」
話通って嬉しいかと思ったら、目ぇ瞑って拳握り締めて、ナンかキツいって顔した。 …わっかんねーなー、でも嘘吐くの無理っぽい奴。
「ところでさ、俺ってどんな風にやられちゃった?」
ビシッて固まった。また固まりやがった。
しかし、ボソボソ話してくれた。そして俺が固まった。
服の上から腹にそうっと手を当てる。ゆっくり椅子の背凭れに凭れ掛かながら両肩動かす。腹も肩もなんともなかったが、凭れ切った時に妙な感じがした。どうしてか背中の心臓の下のほーのあそこにナンか痛みが走ったよーな、気の所為のよーな…
俺は思う。
こーゆー時に覚えてないってのは、自己防衛本能が成せる技だと聞いた。覚えていたくないから、覚えてないんだ。それを覚えてないからって、わざわざ頑張って思い出す必要性があるだろうか? 記憶の抜けは怖い、ものすごく怖い。特にその間、自分が殺人事件でも起こしてたらとか考えると、ものすっごく怖い。不安を払拭する為に思い出そうとすると思う。
けど、いーや。俺の場合は時間の無駄だ。
自分がやられちゃう場面は心底思い出したくもないわ!! 映画見る感覚でもごめんだわ! 聞くだけでも残念交ざってアウトだわ! 覚えてないのは、絶対それが原因だろ!! ……大体だな、こっちで酷い目にあって、あっちで酷い目にあって。俺ってどんだけ酷い目にあってるんだ?
不幸中の幸いって聞くけどさ、俺には該当してないわ。
酷い目に必ず遭って、命だけは助かったっての… 幸い? 必ず遭った上での幸いって、そー言わないんと違う? 助かってない状態で助かってるって… 幸いでもどっか違う思う、俺。
心配そうな顔が、なんでか近くにあった。
「大丈夫? 気分悪い? 水飲む?」
「へ?」
「……何か思い出した?」
言葉が不明で顔見たら、俺の腕とか手を見てた。
自分で結んだ包帯は、綺麗に巻けてない。その手が妙にぶるぶるしてた。自分でも驚くが、はい、もう、この記憶に関しては不要品分類で結構です! どっかで拙い気もするが! あの人達が言ってたナンかが掠めもするが!!
削除、削除、削除、さーくーじょ〜〜〜。もーー要らん! 強制、ペイッ!!
「ちょっと横になろう」
へーきと答える前に肩に手を回して、サクッと立ち上がり、さっさとベッドに連れてかれた。自分の足が追い付かないのがなんだな。
横になったら、体が弛緩した。どっかで緊張してたらしい。
「寒い?」
「…わかんね」
「指先が少し冷たいか?」
俺の手を握りながら、掛け布団を掛けてくれた。それから、肩抱えて貰って一口だけ水も飲んだ。水が食道通って胃に落ちる感覚を掴めるのが変。
「今の感覚で、俺の手は熱い? それともあったかい?」
もう一度、触れて来た手があったかいと思うから、ほんとに冷えてんのか? ……どーして、こーなるんでしょーね? 終わってるから、思い出さなくて良いと思うんですけどねぇ? 漫画なら、泣いても場面転換したら終わってる話だっての。さくさく進んでるだろー?
……逆から言えば、俺が高性能で繊細な取り扱い要注意の高額精密機器だからか? あ、機械じゃない、違う。ラブリーキャット。 あれ?
しかし、手の感覚が… 不思議だ。あったかいのは流しても、気持ちいい。落ち着く。少し強く握れば、伝わる熱に震えが治まる気がする。
横向きになれば掛けてるチェーンが首筋に当たった。お守りが見えた。緑に光るお守りを片手で握り締めたが、特にわからない。
手の熱を意識する。お守りより、こっちが落ち着く。 ホウッと息を吐いたら、全部が遠くなる。
「ごめん、もっと注意すれば良かった」
小さく聞こえた。
寝落ち入ってたから、流した。
「…………う、あ!」
心臓潰れる感じで、カッ!と目を開けて跳ね起きた。
「あ、あ、あ… 」
心臓がドクドク脈打ってた。ギュッと縮められたのが一気に解放された感じがより恐怖を呼ぶ。
俺はベッドに居た。周囲見ても、誰も居なかった。部屋の中は静かだった。
「あ、ゆーめ〜。 はああああ… はー、こわ かった… 」
ベッドにボフッと倒れ直した。
天井を見上げていれば、夢の内容が浮かんでくるが夢だから取り留めがない。薄れてく。
最初の内は良い感じの夢だったと思う。もう断片的にしか思い出せないが… どっかの袋小路で「あーけーてー!!」って叫んでバンバンやってるのに出れなくて、最後『ぷち』になりそーな夢だった。グロの一歩手前な感じだった。あー、やだやだ。
ベッドの上でゴロゴロして自分の無事を確認した。
「あ、起きた? 気分はどう?」
カチャッ。
ドアが開いたら、ハージェストだった。
ホッとした顔で、足早にやって来るから放置じゃなかったっぽい。そしてその後ろには人がいた。見事なまでのつるぴかきらりんな禿頭の、これまた体格の良いおっさんで、どっかで見たよーな気がした。
そして俺は知る。
つるぴかなこのおっさんが、医者のせんせーで、あの恐怖の黒い薬湯Xを作成したせんせーだと。そして俺は、これから黒薬湯Xのハイパーバージョンを飲まされるという現実を。
えー、やだー。薬は時間をあけて飲むもんだろー? 多用したら、副作用でるだろー? え? あれからもう昼回ってる? うっそぉー。
頼むからさー、勘弁してよー。思い出すだけで口ん中、最悪なんだって。
……なー、半分飲まねぇ? 俺、飲みたくない。これ、じよーきょうそーで体力回復なんだろ? 解熱とかじゃないんだろ? んじゃあ、問題ないじゃん。
なー、シェアしようってぇ。