07 適性検査
先生かと思われる男のこっちを見る目が非常に気に入らなかったので、促されるまま別の扉をくぐると廊下に出た。
右肩に鞄を引っ掛けて前を歩いていく背中を追いながら廊下を歩く。
廊下に点在して灯りはあったが窓はなかった。皓々としたその光は強いものではなかったが、視界は十分に確保できる範囲で安心する。
歩くうちに足に違和感を感じた。
立ち止まって足裏をちょっと持ち上げて確認する。
足の裏は少し汚れた程度でそれ以外になんともなっていない。特に痛みが走るわけでもない。何をおかしいと思ったのかわからない。
「ラングリア君! 成功したのね! おめでとう!!」
女の人の喜ぶ声が耳に飛び込んでくる。
褐色の髪を首の横で一括りにまとめて胸元に垂らした髪型の女の人で、服装が… なんというか… デザインが現代のものと思えない。
どっちかって言えば、ゲームのパッケージとかでも見かける受付のお姉さんの服装のような、違うような… でも、地味な服装とは言わない。言い直すなら落ち着いた服装だよね?
借りた上着は型としては学ランっぽいような、長ランのような。うん、制服の上等な感じ。袖口とかところどころに刺繍がされていて、ちょっと雰囲気が違う。でも、さっきの男が着ていたものもこれと似た感じだった。
女の人は、ひとしきり話をしてから笑顔で俺を見て、目を開き、目を眇め、『はい?』とでも言いそうな顔で笑顔がだんだんと消えていった。
最後に間違いなく『なによ、これ?』そんな顔をした。
女の人にこんな格好見られて恥ずかしいと思った俺のささやかな気持ちは、その顔で溝へ投げ捨てた。その気持ちに従い一歩離れてもう少し距離を取る。
振り向き、問い質そうとした女の人を笑顔で黙らせた彼はすごいと思う。
笑っていない笑顔が怖い。斜め後ろから見る横顔でも怖いのに、あんなのまともにみるもんじゃない。なんで、大人の人にそんな態度で平然と対応できるのか? ある意味、不思議で怖い。
けれど、そのまま続けられた会話に険悪感はなかった。てきぱきと事務的に話は終わって「行こう」と言ってくるが、なにかこう、その、自分とのなんかの差を見せつけられた気がして動けなかった。『なんかってなんだよ』と自分の思考に突っ込みを入れていれば、もう一度「行こう」と促されて手首を掴まれて歩きだされた。
後ろで、女の人の「検査の方は始まっていますから。人数も少ないですし、早い移動をお願いしますね。あなた達がおそらく最後になりますよ」と呼びかける声がした。
手首を掴まれたまま廊下を歩く。
手を繋いでいるわけではないが、やはり微妙だ。微妙すぎる。
放してくれと言おうとした所で手首に違和感を覚えた。足裏に感じた違和感と同じ気がした。相手の手に上着の袖口の一部と一緒に直に手首を掴まれている。そこがおかしい。ヘンだ。上着の部分はよくわからないが、直に掴まれている部分が変だ。
相手の手に掴まれている部分にのみ、ビニール袋かラップフィルムでも一枚挟んでいる感じがする。直に触れられているのにソコに何かがある。
そんなものはどこにもないのに。
おかしいと思う反面これがあるから大丈夫、そう思った。何をもって大丈夫と思ったのか、何に対して大丈夫なのか判断出来ない。違和感と覚えながら違和感があることに安心する自分自身がわからない。
おかしいと思う事態に理解が追いつけず頭の中がおかしくなりそうだ。
廊下の途中で人に会う。俺をみたその人の眉根が寄っていく。借りた上着しか着てないのもあれなんだが、ここまでくればどう考えても意味合いが違うだろう?
わからないままで嫌な気分にしかならない。
廊下の突き当たりよりも少し手前で一つの部屋に入った。結構広い。壁の全面に棚が並んであって、棚の中にはいろんな物が綺麗に整頓されていた。そして小さめの机と踏み台を兼ねたような丸椅子が一脚あった。
そこで待望の服を貰った!
金なぞ払わずにいいのか心配になって聞けば、さっきの女の人との話で手続き済みとのこと。後で請求がくるらしい。 …えー、なにそれ顔パス? ツケがきくってすごくない? やっぱここ学校? 生徒だから後日払いでいいの? それ、可能なんだ? でも、俺には請求は来ないようだから安心して貰おう。いや、絶対要るけど。
有り難いことに下着と靴下と靴も貰った。サイズがちょっとまちまちだったし、手触りもいまいち微妙だが新品だ。気にしない。デザインはシンプルイズベスト。気にもならない。靴は編み上げるタイプの靴だった。こんな靴どこかで売ってるだろうか?とか素材ってなんだろう?とか思ったけどそんな考えは放り投げた。登山靴と似た型だと判断できるだけでもう十分。
何より今、そんな些末なことを気にしていても始まらない。
全部着終わったら、猿から人へと進化した気がした。ものすごくした!
やっと、やっと、落ち着いた。嬉しくてもう涙でそう。服を着てるって本当に防御だよ! 防御が無いって怖いんだよ!!
向き直って服の礼を言う。笑って返された。
やっと気分が落ち着いた所でいろいろ聞かねばと勢い込めば「喉が渇いてないか?」と鞄から水筒を差し出された。
ついで椅子も勧められた。気を削がれたが言われてみると欲しくなる。
椅子に座って受け取り、コップがないから飲み口から注意して少し口に含んだ。思っていた以上にひんやりとしていて美味しかった。
水筒から小さく『 カラン… 』という音が聞こえたから氷が入っていたみたいだ。でも、口に当たらないからもう溶けてほとんど残ってないんだろう。続けて二口ほど飲んで返す。彼もそのまま飲んでいた。
…あれ? 飲んだ量と水筒の大きさの容量と手に持った時の重さの感覚とか、なんか… 合って… ない? 俺の気のせい?
ちょっと首を捻って考える。なんとなーく思考があっちに向かうので気のせいにして放棄する。
それよりも今度こそ聞くんだと思い直したが、また先を越された。
「俺の召喚獣として契約を受けてくれてありがとう」
見上げた顔に驚いた。
安堵と嬉しさが混じった顔とまた違う。
笑っているようで、泣いているような、そのくせ静かな、なんと言い表せばよいのか言葉にならない表情がある。
人間は こんな表情を することが ほんとうに あるんだ できるんだ と、初めて知った。
呆然と見上げているうちにやけにすっきりとしたいい顔になった。
その顔の変化を間近でみていれば、ものすごい理不尽を感じる。
こっちは気がついてから、恐怖で心臓に負担を掛け続けた連続攻撃を受けたいうのに! そうだ。それこそ、そっちの表情に驚き続けさせられている自分とどうしてこんなに違うんだ? なんかおかしくない? 俺、別に内気だとか大人しいタイプだね、とかいわれた覚えなんかないぞ。なんで、こんなになってるわけ?
それに、やっぱり俺、召喚獣で間違いないんだ? ゲームやってないんだけど。
「これから、適性検査があるんだが」
また先に言う。
なんかもう、後からしか動けないって呪いでもかけられてない? それとも俺がとろいだけなのか? でも、とろくさいとか鈍臭いとか友達に言われた事ない。
「俺達が最後らしい。早めに動けとも言っていたし、アズサの体調が悪くなければこのまま向かおうと思う。本当ならもっといろいろ話をしたいんだが、すること自体はそんなに時間はかからないはずだ。だから、検査を終わらせてからでもいいだろうか? その後で食事にしよう。好みの物があるなら遠慮なく言ってくれていいから。それを食べよう」
お伺いをたてられる。自然に名前も呼ばれてるし、なにかもういいや、そんな気分になってきた。そういえば最初と違って焦っていないと思う。あの違和感を覚えた安心感とは、また違う別の安心感がある。
なにが安心につながってんだ? そこまで考えて、…まずなんで会話できてるんだ?という遅すぎるほど遅すぎる疑問が湧いて出た。
…とにかく、いやもうとにかく! とにかく動かないと。思考じゃなくて動けよ、俺!
「ハージェ す、ト」
「…ああ、もし呼びにくければ、ハージェでも、ジェスでもいいが?」
言葉に詰まるな! 俺ぇ! 別段、舌噛むほど難しい発音じゃねぇだろが!! たった今、水も飲んだだろうが! …お前もそこでなんか微笑ましいような顔すんなぁ! 自分自身が恨めしい…! まさかの自滅型か俺は!?
しかし、いまみた口の動きがちゃんと読めるのはどういうことだ? 普通合わないだろ? 二重の副音声のようなのも、聞こえんし。
夢か? まさかの、夢オチか!? …それにしてはリアルすぎる。もう、わけわからん。
しかし、二度目の失敗を恐れて俺は逃げた。
「…ハージェ。体調は別に悪くない。できれば、今いろいろ話したいけど聞きたい事が多すぎて時間がかかると思う。その検査っていうのが終わったら、ちゃんと話を… することができるんだよね?」
話をしろよ。と断定言葉で言い切れない自分が物悲しい。
なんかどっかにびびりが残ってんだろうか… そういや廊下で会った女の人への笑顔と、いまみた笑顔の落差が激しいような… いやまて、最初の眼つきを思い出せ…… こいつ、もしかしたら怒らせるとやばいタイプかもしれない。
うん、最初だし対応は慎重にいってみよう。
そう、アレだ。 標語・命は大事に。
それにしても、検査… ゲームでいう適性なら、やっぱあれだろー?
『あれだろー?』と思った時、状況を忘れてどっかでわくっとした気分になったのは否めない。
部屋から出る前に服についてたタグっぽいのをなんかしてたと思ったけど、値札とかだろうか? …聞く追加事項がどんどん増えそうな気がする。
一緒に廊下に出て検査を行うという場所に向かう。
今度は隣。後ろなんか歩かない。
向かう間にも聞こうと思うが周囲の様子も気になる。というか現在位置も把握しておきたい。だが、そうしていると歩く速度となにかの長さの違いで先を行く相手に置いて行かれそうになる。気がついて速度がゆるくなったことが、ありがたくも腹が立つ!
しかし、厳然たる事実に言う言葉が無い。意識を合法かつ強制的に切り替えて、当たり障りのないとこから聞くことにした。
二番目に会ったあの男。
Q. 先ほど部屋であった男の人は先生?
A. 召喚を行う時に、必ず一人は居ないといけない監督役を務める人で学舎の教師ではないよ。
なにか気になることでも?と返されたから、話す声音がなんとなくきつかったと言えば「あいつはアズサを侮辱した」と少しばかり尖った口調の返事が返ってきた。
記憶を掘り返してみたが、『おめでとう』と『召喚獣』の二単語しか思い出せない。怒る内容の話をわざわざ聞き出すのもどうかと思う。だけど、俺のことで怒ってくれたようだし… と曖昧に笑ってみせた。
したらば、「ちゃんと怒っていいんだぞ」と心配そうに言われた。
曖昧な笑みは通じなかった。 なんか俺、もういろいろだめっぽい。ほんと、どうしよう…
なんとなく顔にというか額に手を当てる。指に指輪がみえた。意識して見た指輪は不思議だと思う。でもそれだけで他には何も思わなかった。
敷地の外れの方にあるらしく、中庭らしい場所を過ぎた先に見える建物がそうだと言った。
その中庭らしい場所には様々な木が植わっていて、目にした植物の緑色になんとなく気持ちがほっとした。
その中でも大きな木がやけに俺の目を引いたから、下を歩いた時になんの木だろう?と見上げたが元から木の種類に詳しいわけでもなかった。桜とか銀杏、松そんな辺りの木はわかる。木の名称も割と知っている方だと思う。でも実際の木を見て、この木の名前は何だと言えるほどには知らない。
自分の名前の木はわかるつもりでいるが、他については『なんの木だろうな?』と思っても一々調べるような事はしなかった。
だから、俺の中でほとんど木は木でしかない。
始めから分かるわけでもないのに、なんの木だろうと眺め上げて確認する俺。見上げてからその事に思い至ってなんだか自分が馬鹿に思えた。
頭の中で、花が咲いてたらもっとわかる! という声と、別に知らなくても問題ないよ。知らなくったって困ることじゃないって〜 という声が聞こえた。癒されると思ったはずの木に思いがけない攻撃を食らった気がして、なんか変なショックを受けた。
これなら、単純に大きな木だな〜と振り仰ぐだけの方がよっぽどマシだった。 …あとでこれも聞いてみようか?
建物の入り口に近い場所に大人が数人いた。その内の一人がさっきの男だった。
「ああ、来たか。他の者は全員終わった。後はお前達だけだ」
「ラングリア君、成功おめでとう」
そんな声がかけられる中、俺に視線が集まると皆が黙り込んだ。どの顔も嫌な感じか、『はあ?』みたいな感じの顔をする。
それら一切を無視して怒ることもなく、彼らと話を進めるハージェストはすごい。その心臓なんでできてるんだ? 俺は怒るよりも移動を希望する。そして、検査とやらが終わったら落ち着いて話をするんだ。
それから一緒にご飯だ。 …好きなの頼んでいいって言ったけど、どんなのがあるんだろう? 学食みたいなもんだろうか?
建物には監督役と三人で入った。
中は椅子等なく、がらんとしていた。灯りはあったけれど窓はないみたいで、規模が全く違うけど最初に居た部屋と同じような部屋だと思った。それに人が居る所には灯りがついていたけど、他の場所はなにかぼんやりした光で薄暗くてものすごく嫌な感じだった。
でも、一つの灯りが徐々に明るく光度をあげたと思ったら他の灯りにも次々に光が灯って、みるみるうちに室内全体が明るくなり完全な照明がついた。
薄暗い中で白く明るい光が連鎖的に灯されて、力強い光に変化していく様は綺麗だった。
光の元に照らし出された室内は広くて、学校の体育館より広い。建物全体を見てないからなんとも言えないけど、建物の正面入り口でみた感じよりずっと大きいんじゃないかと思ったのは思い違いかな?
中で話をしていた四人の大人は灯りがついた後、すぐにこっちにやって来た。
女の人二人が真ん中に立ち、残る二人は少し下がってその左右に立つ。
女の人の一人は赤茶色の髪で、両方の耳の前に一房垂らし残りの髪は編んで頭に巻き付けて纏め上げていた。服はスカートなんだけど、ひらひらした感じじゃなくて制服のようなスーツっぽい姿。
もう一人の女の人は赤茶色の髪の人より背が高く、すらっとした風情でその人に寄り添うように立っている。体形的にもスレンダー。銀色の髪の所為だろうか? 鋭利っていうか冷たいっていうか… そんな感じ。似たような感じの服でスカートじゃなくてスラックスだった。それで七分袖の服だったから手首がよく見える。小さな赤い石が幾つか並んでついている銀色の腕輪を片手にしていたけど、やけに腕輪が強調されて見えた。この人なんかどっかが変な感じがした。
向かって左にいる男の人は、いかにも年配者で恰幅が良くてバインダーみたいなのに羽根ペンらしき筆記用具を携えていた。右の男の人は、四人の中ではどうみても一番若くてこっちをにっこり笑ってみてた。なんか手でも振ってくれそう。
「私が今回の検査官を務めるミリシア・ミルドです。隣にいるのは私の召喚獣のイーリア。適性申請をなさられよ」
召喚獣と呼ばれた人が腕を持ち上げ、手首の腕輪をみせる仕草をする。ハージェストが頷く気配。
は?と思って召喚獣と呼ばれた銀髪に水色の目のその人をよーく見る。
瞳孔が縦になってた。道理で変な感じがするわけだ。リアルに追いつけない、頭の中が熱を出して飽和しそう。興奮するより現実にある事実に怖い感じがする。
なのに、俺以外はみんな気にしてない。慣れなんだろうか? それとも、夢? ゲーム? …これを現実として受け入れてない自分の方がおかしい? だけど、本当に受け入れたら負けな気がものすごく、ものすごくするのは、何故だ?
「ハージェスト・ラングリアです。こちらが私の召喚獣であるアズサです。召喚における召喚獣の適性検査を申請致します」
検査官という赤茶色の髪の女の人が明るい茶色の瞳で俺をみて、唇に納得できない笑みを描いた。
今日は13日の金曜日でしたか。