68 実状と現状と現象と
「まだまだ、山が残ってからに… 進んだのは片方だけかよ… どう動かすかねぇ」
読み終えた書類を投げ出したい所で止め、書類で自分を扇ぎながら天井を見上げて、経緯を思い出す。
竜舎に居ると聞いて向かい、見つけたので声を掛けた。
「爺様、一人なのか? 他はどうした?」
「ん? セイルか。三人ばっかし、外に出した。後はほれ、帰ってくる前に取りに行かせただけだ」
「なんだそうか、それなら良いんだ。ところで竜騎兵は残りを考えても、どの程度動かして良い?」
「…お前自分で把握しとるのに、わざわざ聞きにきたのか?」
「あ〜、一応了承を取りに。 爺様、リリーから話を聞いたよな?」
「ああ、聞いたぞ」
「する事は済ませた。これ以上は俺が死ぬ」
「死にそうにない顔しとるな」
にやっと笑う爺様に、しれっと笑い返す。
上着を脱いで、腕まくりをして、鉄叉を手に取り、竜舎の清掃と言う名の尊い戦列に加わり話をする。
替えるべき藁の山に、ザクッと突き刺す。
「エルト・シューレに行ってくる。締め上げる最後に竜騎を並べるのが最適と見た。実行しようかと」
「ほ。手を入れる事にしたか? ロベルトに任せっきりで、どうかとは思っとったが据えるか」
「爺様ぁ… 幾ら俺でも、この身は一つだぜ? 並行にも限度がある!」
「そうかぁ?」
疑わしそうな爺様に酷いと思う。孫をなんだと思っているんだ?
「確かにシューレの方が爵位は上だ。だが、実利を取るならノイゼラインだ。俺は実利を取るし、その為の経験と言う名の実績を取る。取らんと、やってられない。シューレの懐が痛過ぎる。手入れには金が要るんだ!」
「だから、手を入れんと回すんかと思っとった」
「あー、最初そうしようと思ってたんだよな〜。しかし、俺のアレとか色々で完全に期を逸してよ。その間に任せたロベルトが、かなり頑張ってくれてた。良くなったんで考え直してる内に虫が涌いてた」
鉄叉で粗方取れたら、次にガリガリ、鋤で湿気った藁を掻き集める。
方向を定めて風で飛ばす方が簡単で確実に早いんだが… 寝床を術で整えたら「荒らした!」と、あいつらも怒るからなぁ。
「虫が涌いたか」
「元々居たのが繁殖か増殖したみたいな上に、どっからか妙な毛色の違った虫も混ざったらしくて、また鬱陶しいのなんのって」
「ほー、侵入経路は判明したのか?」
「それがまだ。目星は付けてるんだけどよ、この決定打が無い」
「押えが無いのは厄介じゃの、っとい!」
ドササッ!
「爺様、腰痛めんなよ」
「まだ、イケるわい。儂を誰だと思っとるか」
「爺様」
「……まぁの」
集めた藁を更に階下への落とし口に纏めて落とすが、時折、姿勢が崩れる爺様がぎっくり腰にならん事を祈る。
「で、だ。ロベルトが木の手入れをして花が咲いて実が生った。しかし、木の手入れに力を掛けて、他に回した手は薄かった」
「味見には最適じゃな」
「虫が涌くのも道理だわ。だが、入り込んだ毛色の違う虫は、どうも味見が第一じゃないらしい」
「また涌いた駆除が厄介だのう」
「本気であそこの手入れは迷ってた。忙殺されて決め兼ねた。あんな場所でも自分で確保した土地だから、一応の思い入れはあったしなぁ。まぁ、薄いけど。
本気であんな場所と思っているが、虫に好き勝手に荒らされるのを眺める気はない。俺個人なら笑うが、ラングリアの、延いてはランスグロリアの名に泥を塗るのはな〜、はははは」
「はははは。ほっといたら、どついてやるわ。それで竜騎か」
「簡単だろ?」
「まあな、それで終わるか?」
「終わらせるし」
「ほ。リリーの務めは?」
「爺様。警備兵達には、野郎より姫様の方が良いだろう?」
「そりゃ、やる気を出させるなら男より姫様だな」
「だろう」
二人して、まだ散らばる藁を箒で掃きながら頷いた。
ガタン!
「あっ! セイルジウス様! お久しぶりです」
「おー、久しぶりだ。元気にしてたか?」
「はい。少しずつですが竜達とも交流できてます!」
「そうか、しっかり世話をして顔を覚えて貰え。下へ落としたから、そっちを頼むな」
「はい。外に置いてますので、下に行って片付けてきます!」
「よしよし、取って来たか。下は任せたぞ〜」
「外だから力を使うのは構わんが、気を付けろよ〜」
「はい! 失敗しません、ちゃんと皆と一緒にやります!」
竜騎見習いの一人に手を振って、下の掃除は任せる。
「爺様、あいつは育ってるか?」
「まずまず、筋は良い」
「じゃあ、嫌われん事を願うしかないな」
掃除に一息ついたから、次に進むか。
「あ〜、それで話を戻すけどな。虫の居場所を突き止めるまでは無理でも、見分けができるだろ」
「……そうじゃなぁ。リリーは同調力が強い所為か、魔力の違いに聡いからな。しかしな… 」
「心配しなくても、リリーは一番安全な場所で、ゆっくり優雅に田舎を満喫しつつ少しばかり妙な虫の気配に怒ってくれれば、それで良いんだ」
「……… それで、知ったリリーが黙って終わるのか?」
「………… まぁ、大丈夫じゃないかと」
違う意味を込める爺様の生温い視線から目を逸らして、竜舎の壁を見る。
そーいや、あの辺りをハージェストが蹴り破ったんだよなぁ。よく頑張って蹴破ったもんだよなぁ。 そういったセンスはあるんだけどなぁ…
「あ〜、お前、自分が楽をするのにハージェストを行かせたのか?」
「爺様! なんて人聞きの悪い!! 俺は楽になってない! ちっとも休めてないとゆーに!!」
「しかし、ハージェストを扱き使っとるだろが」
「そりゃまぁ。使えるから、つい。 苦労は仲良く兄弟で分かち合おうと」
「「 ははははは 」」
「兄弟仲が良くて何よりじゃ、うむ」
爺様の頷きに笑顔を返しといた。
「それで、小隊一つ連れて行こうかと思ってるんだけどよ」
「名目は? リリーの護衛か? 側仕えはどうする」
「リリーが要らんと言った。そりゃあ、最低でも一人は連れて行くが、向こうに着けばメイドは居るしさ。爺様、落とすから、そこどいてくれ」
「おう」
ドンッ!
二階に上がって、高圧で圧縮して固めた藁の塊を下へ落とす。ゴロン・ゴロンと転がるのに、もう三つばかり追加した。
「十分じゃ」
「好きにばらすだろうから、奥に転がすだけでいいよな?」
「それで構わん。手を掛け過ぎると後々疲れる。自分でやらせぃ」
ゴロッと奥へ転がして終わる。
あれに竜達が掻き付いて、穿りばらして藁が舞い飛ぶのも見物なんだがなぁ。後の掃除を考えんと楽しいんだけどな〜。
「ハージェストが六十連れて、リオネルが二十だろ? 王都へ六騎程、連れてったとしてだ」
「お前が行くんじゃ、小隊の一つで十分にしとけ。シューレの近辺は問題なかろうが煩いとこは煩いからな」
「そうだよなぁ、文句だけは垂れ捲る奴も居やがるしよぉ…! 親父様達も出てるから、出し過ぎは控えないとな」
ダダダッ! ダッ!
「キューイ!」
「ピギャー!」
「ギャーギャー!」
「クアーッ!」
「おお、皆! 元気にしてたかっ!?」
俺は諸手を広げた。
久しぶりの竜達との触れ合いを堪能せねば!
「ソディア、変わらずバランスの良い体型だ。ソードレッド、お前は大きくなったな。もっと成長しそうだな。ソレンド、以前の怪我は痛まないか? ソランディ、食べる量は足りてるか?
あ〜、すまんかったなぁ。寂しかったか? そんな事も無さそうだがな… ああ、人じゃないお前達に『忙しい』だけじゃ駄目だってのにな」
「全くじゃな。ま、若い頃は同じ事をしとったから、強く言えんがなぁ」
「「 ははははは〜 」」
さすが爺様、話が早いな。歴代同じ苦労なら、わかってくれるよな。
「残りの連中も、もう少しすれば帰って来よう。ソールとソラリアには二人が乗って行ったからな」
「了解。すっきりと駆けてくるかな」
『駆ける』の単語に反応して、帰ってきたのも忘れて走りに行こうと喜ぶ顔に俺自身が嬉しくなる。
「のう、セイル。大木に巣食った虫を一匹一匹潰すのは面倒い。しかし、大木を切り倒して虫を全滅させる手もある」
「爺様、その場合は木が惜しくない時だけだろ? しかも、倒れた後始末を誰がするんだ?」
「そりゃそうじゃ。 …言いたいのはだな、セイルジウス。 お前が本気でやったら、虫の一匹を選り分けて摘み出すのは簡単なんじゃないのかぁ?」
「…………あはははは。 嫌だなあ、爺様! そんな事したら、疲れるのは俺だけな上に、誰も能力が上がらないじゃないか! 『最後は俺さえ居れば、大丈夫』それは構わないさ。信頼される頭でないと、やっていけないからな。
だが、『後は、お任せ』なんて思考がこびり付いたら、どこまでいっても屑で役に立たないモンにしか育たないっての! 俺一人に押し付けて自分は楽をしようだなんざ、許すわけないって。 ははははは!」
「あ〜、やっぱしそっちか。しかし、そこそこで決めてしまえよ」
「わかってるさ、爺様。ちょっとそこら辺回ってくるわ」
ソードレッドに騎乗して、大笑いしながら走りに出た。
出れば、残る三頭も一緒にと駆け出して並走する。走れば風に、これ以上ない心地よい爽快感を得た。
「けっ」
美しく描かれてはいるが、題材が好みでない天井画を見上げてつくづく思う。
「領主館が見劣りするのは問題だが、もっと他に手を掛けんか。馬鹿共が」
今までの任期領主の奴らに対して愚痴っておく。
それにしても、あの時の爺様の顔を思い出せば苦笑するが〜〜 事態は面倒い。痕跡が上手く消されて残ってない。実態が掴めない。おそらく仕業だ。時期に符合が重なるが、確たる証拠がございません。
こうくると俺でも範囲を絞らねば厳しい。
この地の気象に周囲の天候。地形に報告を読めば、どう考えてもこの地で実証実験でもしてるとしか思えん。人の領地で好き勝手してやがると思えば、心底腹が立つ。
規模に人員。時間に金。継続には知識欲か、契約か。
長く続けば、気長な嫌がらせか。個人趣味か。
気付かれずに済めば、能力の高さのアピールに都合の良い実験場。
ほんとにまぁ、この俺が甘く見られたもんだなぁ。どっから流れたものかねぇ?
金の工面を考慮すれば、どうあっても組織運営だろ。そうなると〜〜、幾つかに絞られて〜〜、その上でなら〜〜 一連の事態は敵対勢力の適当なとこと見るのが正解か? それとも… 本当に俺と認識していないのか。
どちらにせよ、こちらの逆鱗に触れるとわかっての行為であるのだから、見上げた根性と誉めてもやるが俺との喧嘩だ。
代償は、この上なく高く積み上げてやろう。
扇ぐ手を止めて、書類を見る。
「金が要るな…… 」
働けど働けど楽にならざりき。
があああああっ!!
青臭かったなぁぁ、俺もぉぉっ! 読みが甘かったなぁぁ! あの時見た書類、誤摩化しに手ぇ加えてやがったなぁぁ! 完全に水増ししてやがったなぁぁ!!
これからの対処法に、あれもこれもと考える。
館の中をパタパタと走る音や、何やら言っているらしい声を無視する。俺への呼び掛けでない以上、各自で対処せよ。今、頭の痛い内容を形にしとるんだ、途中で止めると成りつつあるモノが霧散する。そうなったら、誰がこの懸案事項と格闘してくれるんだ? ロベルトも多少は休ませんとなぁ。
部屋の外から飛び込む雑音を聞き流し、必要な子細を書き留めていたが、窓の外の竜達の鳴き声が増える事に手を止めた。昼を回った光の射し込みに窓の外を見る。
懸案さえなければ良い光であるんだがな、心境としては微妙だ。
「そうか、終わって帰ってきたか」
此処に来る道中で、竜達が群れの仲間があそこに居ると喜んだ。それで、あっさり網を張っているのに気がついた。
確認に一騎を出せば、ハージェストに付けたルーヴェルが現場の指揮を取っていた。
「次期様! お越しの前に掃討が完了せず、申し訳ありません」
「構わん。予定に確定は入れてない。弟達はどうした?」
「はい。リオネル様はご予定通り王都へ向かわれ、ハージェスト様は別所にて掃討を遂行中です」
「そうか、予定通りだな」
「本来ならば、この場にてハージェスト様が指揮を執る所を申し訳もございません」
「ん? ああ、堅実で良い。場数を踏んでるお前の方が確かだ。頭であるのなら、手足の感覚を自分で体験してから上がる方が理解が早い。理解のつかぬ、感覚を把握できぬ頭など使えんわ」
「お兄様、私は何をしましょうか?」
「リリー」
「リリアラーゼ様もお越しでしたか! 道理で。やけに連中が騒がしいと思いました」
「まぁぁ。うふふっ」
その後の行動予定を確認し、支援に隊を分けて街へと向かった。
ロベルトの抑えは効いていたが、どこか浮き足立つ風情の街並みが竜騎兵の登場で更に揺れかけた。しかし、騎兵に守られ前面に居るリリアラーゼが、それを抑えてみせた。
騎乗姿に歓声が湧いた。
さすがに見せ方を心得ている妹は良い。実に良い。
土地柄、主家の姫様に馴染みがなくても、「姫様がいらした」で見に出てくる。出てくれば男からも女からも歓声が上がる。優雅に手を振り、此処に在りと見せつけ観衆の意識を引きつける。
人混みに紛れて逃走を図る増殖虫に、何を考えるか向かってくる繁殖虫。
その掃除を楽に終え、俺の機嫌は良い。俺は楽と堅実を優先する。その結果、俺の影が薄くなる程度は些末事だ。
兵が帰ってくれば、その出迎えをリリーに頼んだから俺はもう少し後でも構わんのだが〜 これをやっつけてからでも良いはずだが〜〜
「やってられんな」
頭の中に叩き込んだ内容にため息を一つ吐き、書類を纏めて片付け、引き出しを施錠して部屋を出る。こんな時に一人、書面格闘してたくないな。
さ〜て、皆の慰労をするかねぇ。
竜の声に人の声が賑やかに俺を誘う。一つの半分でも終わったと思えば、まだ気も晴れる。
部屋を出て、玄関先へと出向けば細々と指示を飛ばすルーヴェルがいた。
「次期様、只今帰還致しました。一通り終わりましてございます。先の報告と同じく騎兵に死者はおりません。負傷者はおりますが、重傷者はおらず。ですが、警備兵の方に負傷者が多く出ました。また、残党の捕捉に現地民の動向監視を兼て騎兵の一部を残し、警備兵と共に最終確認をさせています」
「そうか。よくやった、ルーヴェル。騎兵の人員の動かし方については、隊長同士レイドリックと話し合え。大まかにはダレンも交えとけよ。負傷者は一部でも連れ帰ってるのか?」
「はい。最終措置の移行を踏まえ、サンタナ子爵ともよくよく話を詰めておきます。負傷者は皆、軽傷ばかりです。現在は庭の方に」
「庭? …ああ、あそこも庭の一部と言うか。 ふ、行くか」
「有り難く。皆が喜びます」
負傷者の元に赴いて労を労った。行ってみれば、負傷者の割にピンピンしてるのばかりだったがな。
皆の間を声を掛けつつ、歩く。
兵達の話す内容に頬が緩んで苦笑するが、沈痛がないのは良い事だ。
しかし、弟と妹の姿が見えないのはどういう事だ? 面倒な報告は一番に済ませると明言している弟が、報告に来ないはずはないんだが〜 まだ帰還していないのか?
「そこに居るのは、ウェルズか」
「はい? …! 次期様!」
気の緩んだ顔が一気に引き締まるのも、面白いけどな。
「弟の首尾はどうであった? 今はどこにいる」
「は、ハージェスト様と共に拠点の一つを制圧したのですが… その… 怪我人がおりまして。制圧終了後は、その者に掛かり切りとなられまして」
「掛かり切り? 重傷者はいないと聞いたが違ったのか?」
「いえ、重傷と言いますか… えー、意識が無い状態でしたが、医師によりますと呼吸は安定しているそうです。また一般の者につき、兵の数からは除外致しました」
「一般の… あ〜、それは被害者と見るべきものか?」
「それが、その… 何と言いますか。被害者なのかどうか、現時点では不明です。制圧拠点である館から出てきた者でして、その手には奴隷印が有り。
遠目でしたが、拠点の出入り口の扉には魔力錠の二重円を見て取ったのですが、その扉を難なく開けて出てきました」
「ほ〜、奴隷で魔錠破りか? 二重を破るなら、よほどの魔力保ちか?」
「いえ、魔力は感じられませんでした。一人で出てきた事も有り、合わせの鍵でも手に入れたかと推測して内々に居た奴隷の逃亡と判断しました。即座に人手が掛かりましたので、静観を。
追って出てきた連中に引き倒されたのを機に、仕掛けを施そうと画策していたのですが… 何に興奮したのか、アーティスが戦闘状態に突入しまして戦闘に雪崩れ込む事に成り。
その後はハージェスト様ご自身が、その者の安全を優先されました。被害者ではあると思うのですが… 」
「アーティスが口火を切った? なんだ、それは?」
答え様が無い風情のウェルズに対して、意味は無いと思っても眉根が寄る。
「申し訳ありません! アーティスの心情までは及びが付きません! それで、その奴隷は黒髪でして… 先には静観の姿勢を取りましたので、旧知の間柄とも思えず」
ウェルズの焦りを含んだ返答に、俺は斜めに空を見上げた。 あー、空が青いな、眩しいなっと。 ああ、わかったから、もういい。皆まで言うな。言わぬで良い。
「それで、帰ってはいるんだな」
「はい」
「意識が無いのなら、医室に入れたか。どれ」
「…いえ。 あの、客室を開けろと言っておられましたので」
「あ?」
俺はウェルズと顔を合わせた。
慎重な面持ちで立つウェルズに俺。周囲は成功後の帰還に喧しいほどに楽しげに話しているというに。その中で、こんなツラをしていてはイカンな。ああ、イカンなぁ。
「静かな奥の客室を開けろと言われて行かれました。気付いたリリアラーゼ様がメイド達に指示を飛ばされ、皆の間を一巡後に客室へと向かわれた… はずです」
「…………… そうか」
その後も俺は労いの言葉を皆に掛け、負傷した警備兵達に治るまでは飲み過ぎるなと笑って釘を刺し、話を聞くだけ聞いた。
それから、おもむろに客室へと向かった。
「弟が客室を開けたと聞くが、どこだ?」
「あ、伯爵様! はい。清流の間に、お通し致しましてございます」
……そうか、客室の中でも日当たりも良い特上の部屋を開けさせたか。さすがに俺の弟だな。自分の大事なモノには遠慮なく良い物を充てがう、それはそれで間違いではないがな。ふ。
「リリアラーゼ様も、今し方お部屋にお入りになられました」
「わかった」
鯱張るメイドに頷き返して、廊下を進む。
…弟の手の者か? しかし、ソッチの方は保有していなかったと思うがなぁ? ウェルズとの面識もないとなると〜 うーん、奴隷ねぇ…
清流の間の扉を前に立てば、なんとなーく開けたくないが仕方ない。中に入り、控えの場を通り、寝室への扉を前に立ち止まる。
…… カ、チ
「嘘だ」
静かに極力音を立てずに扉を開けば、感情の籠もらぬ声が耳に滑り込む。すっぱりとした否定語が見事だな。それこそ本当に無音を意識して室内に入り、扉を閉め、俺は部屋の中を眺めた。
南向きの窓のカーテンは開けられ、明るい日射しが射し込む。
窓から離れたベッドの脇にはハージェストと、その少し後ろにリリアラーゼがいた。そこから、四歩下がった位置にメイドのステラ。ステラの五歩斜め後ろにロイズが控えていた。
入室に空気が動き、増加した気配に二人が間髪入れずに振り返る。俺を認めたステラが目礼をし、ロイズもまた静かに歩み寄ってくる。館舎の見回りに出たかと思えば、お前はこちらに来ていたのか。
「先ほどから、この状態が続いております」
俺の視線に、囁きで答えたロイズの顔に緊張は見られなかった。
室内は白熱しているわけでもなんでもなかった。
弟が語りかけている声だけがよく通るが、対する返答は薄く、その所為だろう弟の抑揚が必死な感じがする。妙に哀れを誘う…
繰り返す言葉に返る言葉は、ぶつ切れた単語だった。
だが、それよりも俺が目を見張っていたのは、アーティスだ。ベッドの上で伏せの姿勢を取り、問題の人物に寄り添い成されるままに大人しくいる。
「ロイズ、アーティスはずっとあの状態か?」
「いえ、私が来た時は脇にいました。少し前にベッドに跳び乗り、姿勢を維持しています」
「本当か… 」
アーティスはでかい。
子犬の頃は小さく可愛らしかったが、見事な体躯に成長した。特筆すべき能力も失うことなく成長して、半端な与太者など相手にもならん。
大人しく利口で、見知らぬ者に対しては愛想の一つもしない。
『家族以外には慣れ合わない』
さしたる問題でもない。逆に、賢いと言っても良いだろう。
社交的でないとも言えるが… そんな為に居るわけではないから構わない。だが、普通は人の出入りが多ければ人に慣れ、懐こく誰にでも尻尾を振ることが多いのが犬の常だ。
しかし、アーティスはしない。一切しない。
アーティスは、確実に人によって線引きをしている。
躾けることは確かにしたが、絶対忠実服従とまでに徹底して躾けたわけではない。非常に聞き分けが良く賢かった為もあるが、一度、家族以外の者が教えようとすれば相手にしなかった。鼻で嗤うような態度をした揚げ句、しつこいと牙を剥いた。剥いただけで動かなかったが家族が言えば、あっさり止めた。あからさまに態度が違った。
そこで皆がしみじみ理解したのだ。こいつの中で、上下ががっちり組まれていると。
その黒犬のアーティスが、凭れ掛かられた上にぎゅうぎゅうと抱きしめられている。嫌がる素振り一つせずにいるどころか、嬉しそうに尻尾まで振っている。
以前、それを親族の子供にされた時は嫌っそ〜うな顔をしつつも付き合い、短時間でも付き合えば一応の義務は果たした顔をして、するっと離れたものであったにな。それでも、一応の愛想をするのが素晴らしいのだが…
その後は遠くから見守っているというか、挙動を監視しているというか、自分に被害が及ばない距離を測っている、そんな態勢を取る。何かあれば直ぐに駆け出して行きそうな姿勢であるのが、どっちの為なのか不明であったけどなぁ。
その事を考えると、成されるままのこの状態は驚嘆に値する。
しかし、俺がアーティスに驚いている間にも変化はなく、情勢は変わらなかった。
「俺だから、俺がそうだから! 違わない。 信じてくれ!」
「嘘だ」
単語の返事も変わらなかった。
黒犬に凭れてその首に腕を回して下を向いて拒否している者と、必死で言い募っている者の姿。
傍から見ている分には生温く微笑ましく、片方の奴に胸中だけで 『頑張れよ〜』 と声援を送って静観するのが正しかろう。
俺はそう思う。事実、そうすべきだ。
何せ、本人同士が目の前に居るんだ。お互い腹蔵無く言い合わせた方が、すっきりするだろう。ついでに弟の熱弁も聞いてみたいものだと、そう思って静観を決めた。
大体、嘘だと返されるのなら知り合いだろうしな。どこで知り合ったんだ? 奴隷解放の約でもして、潜入させてたのか?
うむ、静聴してやるから言え。椅子が欲しいな。
「アズサ!」
声を張り上げる弟の言葉に頭を捻った。
聞かない珍しい名前だと思ったが、何時か何処かで… その名を舌に転がした気がするのだが…
確か… 確か、お前の召喚獣の名前じゃなかったか?
ようやっと思い出した己の思考と目を疑うが、尻尾を振り続ける黒犬の姿と弟の態度が裏付ける。…そうだ、召喚獣から得た。アーティスは死に至りかけた魔獣の変身であるとされる。故に揉めたのだ。
死んだ召喚獣が生きて此処に居る?
「どうかなさいましたか?」
小声で尋ねる声に答えられずにいた。
柄にもなく呆然としたが、理解に意識を切り替え『視た』。怯えさせぬ為に己が魔力を最小限に抑えて、その子の流れを見極めようと見た。
手の甲の奴隷印。
これだけが、はっきりと浮かび上がる。
包帯に意味は無い。消されぬ限り、この子は奴隷だ。魔力を保持せぬ奴隷だ。己が思考に少しだけ、目を眇めた。
不意に勢いよく顔を上げる。
こちらの意識に合わせたかの反応に、正直驚いたが俺を見てはいなかった。
正面から弟だけを睨むその目は、涙に濡れたとするよりも悔し涙を滲ませた風な、何と言うか… 不信に口惜しさに昂りが綯い交ぜになった… まぁ、怒った顔だったな。
「目、合った。見た。 動かなかった」
「だから、それは」
「助けてくれた? 違うだろ。休ませては貰った。でも、違う。誰も殴られる、俺を見て も 助けて、は くれ、 なかった」
「いや、だから… 話を聞いて欲しいんだ。お願いだ。それにどうしてあんな所に? あんな所にいるだなんて、思いもしなかったんだ!」
「話す? 話せば、どうにかなるとでも?」
「知りたいんだ… お願いだから、信じて欲しい。俺がハージェスト・ラングリアだ。嘘じゃない、本当だ!」
「信じる… そんなもん、信じれるか。お前がハージェスト? 嘘吐け! そんな事あるか! あって堪るか、ボケ。俺を見殺しにしようとしてたくせに。殴られてるの、ほっといたくせに。
あそこに居たのだって、こんな目に遭ったのだって… 訳わからないのに。
要するにアレか。人が言った事を信じたからか。こんな目にあったのは疑わなかったからか? 信じる、信じないの前が間違ってるからか!
信じた。 そこで終わりか! …もう嫌だ。 嫌だ、嫌だ、嫌だ。 あははは。 俺が嫌だ。自分が嫌だ。自分の馬鹿さ加減が大嫌いだ! あんたも嫌だ、ふざけるなっ。
もう嫌だ。何だよ、これ! う〜〜〜〜〜っ…… ちくしょう! こんな所、嫌だ!! 馬鹿だ。馬鹿過ぎる! こんな場所に居たくない!!」
熱弁とは程遠い冷静に似た声が、次第次第に引き上がり、溢れ返る奔流と等しく吐き出された。
アーティスから身を離し、弟に向かい合うその顔は歯を食い縛って泣くのを堪える子供の顔に思えた。
実際、掛布を握り締めるその手が震えているのを見て、子供の喧嘩の延長の先の果ての成れに同じだなっと思ったりもしたが… まぁな、どんな喧嘩でも喧嘩に割り入る時は注意せんと拗れて面倒い。
本当に子供の年齢とは思わん。さぁて、どうするか?
そう思いもするが… 内容の不明点を脳内補完すれば素晴らしい難問だな、おい。真実、放っておけばどうだと、やる気が脳裏を滑って流れて落ちていく。素通りさせる。
頭が痛いなぁ。
開いた口が塞がらない形で、黙って二人を眺め見た。
さっきの言葉でハージェストの後ろでおろおろしつつも、ハージェストの言葉の合間合間に話しかけていたリリアラーゼは止まってしまった。
ステラは静かに横を向き壁を見た。ロイズは俺と目が合うと見交わした後に、静かに視線を下に外した。
「俺のハージェストがわからない…
俺の大事なハージェストがわからない!
俺が逢いたいハージェストは誰で・どこに・いるんだよ!! でも絶対、お前じゃないだろ!!」
叫び上げる姿に俺の思考も停止する。
お前は何をやっていた?
要領が悪くないはずの弟に、何と言ってやれば良いのか残念すぎて俺にもわからない。
真っ青になって行動停止した弟が目に入る。
「ハージェストが… ハージェスト… 」
俯いて、名を呼んでいた。
目の前にいるのに自身を否定され、且つ名前を呼ばれながらどこにいる?と探し求められている、この現状。
お〜お、痛いなぁ。おい。 …どうするんだ、これは。
愉快過ぎて、兄は「知らん」と放っときたいな。
おかしいなぁ… 俺の弟はできる方なんだがなぁ。 おかしいなぁ、できなかったかなぁ?
しかしまぁ、眺めていても仕方が無いな。ハージェストの熱弁が当てにならんのなら、俺が動くか。今言った内容だけでも、聞かねばならん事が山とある。
…なんとかするか。
眉間を指で軽く揉んでから視線を上げれば、変化が訪れていた。
目をきつく閉じ、手を握り締め歯を食い縛る。
その胸元が煌めいた。
煌めく光は密度を増した。
輝き増すソレに、俺は力を感じた。