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召喚  作者: 黒龍藤
第三章   道行き  友達に会いに行こう
50/239

50 ランスグロリア伯爵家

少しばかり超えた。


前書き連絡文削除、本文編集無し。


 

 

 ドドドドドドッ!!


 土煙を上げて、道を駆け抜ける音が大地に轟く。

 轟く音の発生源は、疾走する竜にある。竜を駆り、竜と共に戦う者達は一般に竜騎兵と呼ばれている。


 竜に跨がるその者達は同じ服を着用し、纏う略式の鎧には紋章が刻まれている。

 そして、竜に取り付けられた鞍や直垂にも同じ紋章が印されている所から、何処かの一軍の小隊か傭兵を生業とする集団であるかの、どちらかであると見受けられる。


 軍か、傭兵団か、この違いもまた紋章にある。



 大地を駆ける竜の背に翼は無い。

 しかし、鈍く照り返す鱗は厚く、その強靭な身を覆う。太腿骨はがっしりと太く、筋肉は発達し、駆ける事に適した体躯であると同時に、竜種独特の力強さが伺える。尾もまた強靭で、薙ぎ払うが如く振られる尾に当たれば、無事ではいられないだろう。

 速さを競い戦闘に於いても怯む事の無い、角を持つ力強い軍用馬も実に良い勝負なのだが、基本竜種が上回る。どうあっても、肉食は強い。



 晴れた青空の元、ざっと数えて十五騎ほどが街道をひた走る。

 一団の中、走る竜に体躯で劣るが、速さでは全く引けを取らない黒い影があった。土煙を避ける為か、その影は一団の半ばでも隊列の端を並走している。

 影の体躯は竜と比べなければ、でかい。



 一団は田園風景の続く中を走り続け、一つの小高い丘に到達しようとしていた。


 丘との距離を目測する先頭者が、後方を僅かに振り返り確認する。

 団の真ん中で駆ける男が手を挙げて、号令の合図を出せば、そこで初めて速度を緩めて諾足となり、丘の上に登り切って一糸乱れぬ隊列で姿勢も美しく停止した。


 停止後は、竜達が身動ぎに出す小さな音や鼻息が聞こえる。


 規律が行き届く中、先ほど合図を出した男が、同じく隣で竜を駆っていた若い男に話し掛ける。

 他の騎乗する者達は警戒に周囲を見回す者もいるが、どう取っても上官となるだろう二人を意識し、私語も無く、やり取りに耳を澄まそうとしていた。


 その二人、一人は薄い金の髪、もう一人は鮮やかな金の髪である。



 「ハージェスト様。ここまで来れば、もう大事ないかと」

 「そうだな。とっくに発覚しているはずだ。この丘まで辿り着き、見える範囲でも気配はない。なら、追っ手は気にせずとも良いか… 」


 自分達が駆け抜けて来た街道を振り返り、周辺の様子を確認する騎乗兵も同意に頷く。



 『追っ手』 の言葉が示す通り。


 そう、彼は逃げていた。


 ランスグロリア伯爵カイゼルの二番目の息子、ハージェスト・ラングリアは、二時間ほど前に自分の家であり、城とも呼ばれる屋敷から同行する小隊と共に逃げ出して来たのだ。

 逃げて来た相手は、次期ランスグロリア伯爵である己の兄、セイルジウスからである。



 小高い丘の上から街道を眺め、道の続く先にある我が家を思い描き、逃げ出して来た相手である兄を思い浮かべて彼は呻く。



 「  兄さん、申し訳ありません…  本当に申し訳ないと思っています。 ですが、 もう、 無理です。 俺には、 もう無理なんです。 もう、耐えられない。


 この事は姉さんにも申し訳ないと思っていますが……



 俺は、本当に…  もう…




     もう… !




 もう! これ以上の書類残務デスクワークは耐えられません!!   勘弁して下さい!!!



 こうなった経過は知っていますが!     兄さんに非は無いとは思いますが!




             お・も・い・は、するんですがぁぁぁっっ!!




  あれっっ… だけ!  書類を溜め込むなぁぁ!!   何もかも回そうとするんじゃねぇよ!!





          自分で もっと、  やりやがれぇぇぇ !!     





   馬鹿兄貴ぃぃぃ!!!         あああああああああああっ!!  





            や っ て ら れ る かぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!            」


                                          





 最後怒鳴り上げた声には、やけに実感が籠もっていた。

 握り締められた拳は高々と上がって、ブルブルと震えている。そこには聞くだけでもキツいほどの非情な苦痛と怒りが伴われていた…


 主家の実状を知る小隊の連中は、その声に賛同も何も言えず、誰一人として顔を合わす事も無く、静かにそっと遠く屋敷の方角を見るに留める。



 唸り上げて怒鳴れば少しは清々したのか、彼は深々と息を吐き、首を振り、足元の影に目を止めて声を出した。


 「アーティス、怪我などないか?」

 「ガウ!」


 黒い影にしか見えない、でかい獣が野太く一声吠えた。


 その姿を確認した後、同行する兵に向かって告げる。

 告げる蒼い目は冷静を取り戻していたが、口調は先ほどの名残からか、どこか荒れていた。



 「さぁて、気晴らしに次の仕事に行くぞ。内容は把握しているな?」

 「はっ! 準備は抜かり無く」


 「よし、これより諾足で行く。通過する領内の各所の様子を確認。その後は任務地まで様々に目を光らせろ、気付いた事には報告を。領内を出てからは小隊長が前に立ってくれ」

 「下がられますか?」

 「ああ。居ると居ないでは話が違う。居た方が圧にはなるが、居なければ出方に寄って実状が見える。下がろう。どう取って動くか見物だ」

 「それでは、いつもの場所で改めましょう」

 「頼む」

 「先行させた者達の連絡も来ているやもしれません」

 「連絡があれば良いが… 合流については内容確認してからだな」

 「それが一番ですね。良い連絡を希望しますよ。 では、常に万事怠り無く」



 互いに頷き、二人の会話は、それで終わった。

 小隊長と呼ばれた薄い金の髪の男は軽く部下を見回し、全員の顔を見て職務内容を理解している事を再確認する。


 「全騎、出立!」

 

 ランスグロリア伯爵家の竜騎小隊は隊列を整え、小隊長の号令の下、丘を出立した。



 …気晴らしに仕事に行くのである。休みではない。

 己の仕事机にうずたかく積み上げられた書類整理デスクワークを仕上げた彼が、次に向かうのは仕事である。気休めに遊びとは程遠い、仕事である。

 彼はランスグロリア伯爵家の仕事に向かっている。領内視察も行いながら、仕事に向かっているのである。本来なら兄が片付ける仕事であるので、兄からの苦情は決して受け付けない。



 『これを片付けたならば、さすがに少しは休みたい…! いや、絶対に休んでやる!! 』 



 竜を駆りながら、心に誓うハージェスト・ラングリアが居た。


 









 ランスグロリア領にあるランスグロリア伯爵家。


 居城である、一つの部屋。


 その部屋の窓は少し開いていた。風が、そよそよと優しく室内に流れ込む。

 日中のこと、南窓から光が明るく射し込み、優しい風も相俟って、室内は快適に過ごせる気温である。昼寝には、もってこいの条件だ。


 しかし、その部屋は重厚が感じられる部屋であった。

 広い室内には、どんっと執務机が場所を取り、その机に相応しい椅子が、これまたどんっと場所を取る。そして、部屋の壁に添って棚がひしめき立つ。棚には書籍ではなく、綴じ合された書類が鎮座している。

 棚の脇には小さくとも、黒檀の輝きを持つ見事な円卓と椅子も佇んでいた。


 執務室に華美は不要としたものか、調度品の類いは見られないが、その華美不足を補って余り有るほど執務机の正面には見事な花と鳥が描かれている。

 花は清廉とした風情で、鳥は優美に見えても目付きは鋭い。可愛らしさとは無縁の鳥である。

 対になる椅子の背にも同種の鳥が描かれている。それらを際立たせる為の色の塗りに、装飾として鳥の目や花弁、花心の随所に埋められた小さな宝玉が高貴に光を放っている。


 この部屋の主と言える立派な机と椅子であったが、机の上には書類が山積し、雪崩を起こし、散乱していた。

 そして、人として現在正しく部屋の主であるセイルジウス・ラングリアは、到達感と共に椅子に凭れていた。



 「終わった… いや、ほぼ終わった…  後は最後の掛かりの確認で良しとする、か… 」


 呟いた言葉は完全な終わりではなかったが、深く重い息を達成感と共に吐いた声には安堵が滲んでいた。





 領主としての仕事に一年に一度領地の上がり(損益)を確認する。今年度の上がりに対し、前年と比較検討しながら、次年度の予算配分や継続事業の試算を弾く。

 書類自体は一から十まで自分でする必要はない。ちゃんと担当者がいる。そこから上がって来た書類を確認するのが筋で、確認後に重要な要望に対して最終通達の決定を下すのだ。


 のだが、これが大層難儀であった。


 本来、セイルジウスは自分が預かったノイゼライン領の上がりを伯爵である父に報告し、そこから了承を得て終了する。同時並行させる自領のエルト・シューレについても話し、領主としての意見を求め、家の融通の確認を取る。また家全体の流れを父と話し合い、大筋を決定するのが基本方針だ。


 この大事を、こいつはできるからと部下に任せきってはいけない。

 部下の意見は聞かねばならないし、任せもするが、部下に任せっきりにした挙げ句、裏帳簿を作られて横領される話は普通にある。それにより潰れた家も存在する。


 『良きに計らえ』 では、済まさない家である。




 それが今回一任された。


 「セイルジウス、今年はお前が全部差配してみろ」

 「は? 親父様、全部ですか!?」


 「おう、何れはせねばならん事だ。俺が生きている内から始めておくのも有効だろう」

 「それは有り難い話ですが」

 「使える者を使ってやってみろ」

 「わかりました。纏めましたら報告に伺います」


 「ああ、出掛けるからな。報告より何よりお前全部やっとけ」

 「え? あ!?  まさか!!」


 「最後には、シェルトシュレンからノイゼラインまで回っておく。安心してやっとけ」



 事後修正を把握し、それに掛かる最終時間を弾いた上で父は息子に丸投げして遊びに行った。現場視察をすると言ったが、それは最後だ。鼻歌交じりで母を伴って出掛けていった。


 その際、嬉しそうな母親が息子に対して話した言葉は、「しっかり、やるのよ。お土産持って帰るわね」それだけだ。どれだけ地獄であるか知っているのに、それだけだ。

 自分がしなくていいのも嬉しいだろう。この時期だけは毎年疲れていたのも知っている。しかしそれは今となっては、自分も一緒だ。同じなのだ。

 それが今年は遊びに行けると喜ぶのも理解する。任せられる事実に子供の確かな成長を見出して、嬉しいのも理解できる。

 

 だが、突然の丸投げは止めてくれ。非道と言うのだ。



 そこから兄弟姉妹四人の連獄が始まった。正しく地獄であった。

 ラングリア家が所有する領地は現在四領ある。


 今年に限っては、四人だけで、上がってきた四領分の総確認を取るのだ。



 強制試練である。










 俺の確認作業は、初っ端からつまずいた。

 ラングリア家の本拠地であるランスグロリア領の上がりの確認から目を通せば、紙面上の計算が合わない。合わないのに合っとるのは、どういう事だ? どこで何がズレとる? 書き間違えとるのか? 一つの間違いから完璧にズレていく。やり直せと差し戻す。


 その間にも後から後から仕事が発生する。しかも、この時の為に溜め込んだのだ!と言わんばかりの愛情溢れる書類の山に目眩がする。

 山の書類を確認すれば、出欠を済ませた行きたくもない夜会の招待状が出てきた。


 「親父様、 逃げたな… 」


 日時を見直して、放り投げる気分で呟いた。

 残る案件書類の山は、どれもこれも糞面倒な件ばかり。だから、残っているのだろうが…

 

 使える者を総て使うと言えど、通常の仕事も存在する。時間も待ってはくれやしない。



 第二領のシェルトシュレンに掛かれば、こちらは前年度対比に唸るモノがある。どうするかと頭を悩ます所で、執事に近隣領主からの内談の予定を聞かされ、書面を渡され内容を見た。



 「親父ぃぃ! 逃げやがったなぁぁ!! こっちが本命かぁぁぁ!!」



 用事があるなら、そちらから出向けと思うが今は駄目だ! 今は来るな、来るだけ邪魔だ!!


 怒鳴り上げても、仕方ない。

 領主間の話し合いなので、次期である俺が領主代行として行くしかない。

 仕方ないからハージェストに確認作業と普段の裁決書類の確認に、その分類を頼んで定例会議としての場所に出向いた。


 話の内容にイラッと来たが、忍耐力の向上だと笑って流した。

 流したが、強く思う。


 このジジィ早く、くたばらんかな? 鬱陶しい話を振りやがってからに。



 話が長引き往復五日後に帰宅すれば、弟のハージェストの眼が据わっていた。

 外せない夜会に名代を頼んでおいた妹のリリアラーゼは、何故かムクれて機嫌が悪い。

 王都の学舎から帰って来ていた末弟のリオネルは、へばっていた。供で疲れたか、手伝いで疲れたか。



 三人を眺めて、優しくそのままにしておいた。

 第二領のシェルトシュレンの再確認から、やり直していれば弟の字で訂正と注釈が書き添えられていた。


 あ〜、楽だ。楽でいい。

 同時に本来なら、こういう時に居るべき腹心の部下二名が居ないのが痛い。一人はエルト・シューレに掛かりっきりだ。今一人はノイゼラインに置きっぱなしだ。

 俺専用の使える奴が、もう一人は欲しい。

 まだ学舎に通っているリオネルはともかく、ハージェストが本当に使えるから、これ以上なく使っている現状でもいいかと思ってしまうのが、兄としても駄目だろうか?


 第三領のノイゼラインの上がりを見るにつけ、可もなく不可もなく。今、この領を預かっている身としてはなんとも言えん。落としてないだけ、救いがある。


 そして、余り見たくない自分の第四領エルト・シューレの上がりに頭を抱えた。

 かなりましになったが、俺の前の代行者は何していたと罵りたい。王家の直轄の名目でも捨て置かれた場所は、こんなものだと割り切っても頭が痛い。だが、仕方あるまい。基本、拝領などそんなものだ。




 四領の全確認終了時点で、それぞれの領が持つ案件に上申書を確認する。領地内予算配分(仮)を思案し、上申書にある申請分を比較。


 それらを眺めた所で、総掛かり(連結決算)に取り掛かった。


 こればかりは、本家でないと決してできない。そして、本家の者でないとさせられない。




 朝食を取って通常書類に向かう。昼食を取って総掛かり(連結決算)に向かう。夕食を取って片付かない長期案件書類に向かう。

 弟二人に書類を割り振り、妹にも回す。嫁に行ったもう一人の妹がいないのが、こんな時は非常に寂しい…


 家だから逃げる先が無い。

 表の対応を任せたリリアラーゼはまだ良いはずだが、家の内部書類の仕事は初めてのリオネルは壊れ気味だ。急ぎの案件が舞い込めばそちらを優先せねばならん。遅々として進まん!

 総掛かり(連結決算)以外にも回した書類を黙々と仕上げるハージェストが実に頼もしい。リオネルの面倒を見つつ教えているのも助かる。時折、怒鳴っとるのは問題ない。やっぱり暫くは、この弟を使うかと思ったのが拙かったか。


 六日前にキレて逃走した。

 自分の分も、ちょっと回したのが駄目だっただろうか? 連続十五日間の書類確認(引き籠もり)くらい問題ないと思ったんだが、読み間違えたか? 確認以外に普段からの簡易手配処理もしていたから、適当な気分転換もあったはずなんだが? それに座り続けは、さすがに体がなまる。



 書き置きを読めば、この案件を盾に逃げ出したかと唸るわ。これだと呼び戻せん。 

 案件書類の粗方を回した事が裏目に出たかと思う。

 いや、この件については愚痴ったから、「お前、行って来い」に聞こえただろうか? 終われば自分で行く予定だったが、その露払いと思えば可だ。逃げ出す口実の選びも良い。あの弟は本当に使える。手放さなくて良かった。


 

 「予定より早めだけど、時間まではちゃんと手伝うから!」 


 ハージェストの逃走二日後に、リオネルが家を飛び出した。

 あからさまな逃げだが、一応断る程度の理性は残っていたか。なければ、来年は部屋に縛り付けてやろうと目論んでいたのに残念だ。 …予定より保ったと思えば、まだいいか。しかし、覚えさせる為にもリオネルは、もっと扱き使うべきだろうか?





 一連がほぼ終わって、さすがに疲れた。

 一年に一回の、この時期だけはやっとられん… これだけは、まだ親父様の後塵を拝してもおかしくない。はぁぁ。



 コン、ココン。


 「お兄様、リリアラーゼです。入りますわよ?」


 一息吐いた所に、扉を叩く音した。被さる軽やかな声。



 「ああ、入れ」

 「お待たせしました。これが最後ですわ」


 書類を持って来た妹の顔は明るかった。頷く俺の顔も明るいだろう。



 「お兄様、お茶にしましょう」


 安堵感に満ちた妹と二人で茶を喫することにした。



 別の意味で俺の腹心である、ロイズに茶の支度を命じる。

 支度が整うまで、任せた書類の内容報告を聞いて、予想通りであったことに満足した。



 黒檀の円卓にテーブルクロスが掛けられ、その上に並べられた茶器に軽食。サンドイッチにジャムをサンドしたクラッカー、エッグタルトパイ。


 甘い物が多いのは妹の好みに合わせたか。本当に、久しぶりの解放感だ。

 妹と二人、茶に酒精を垂らしながら満喫した。


 「ほんと、終わりだと思えば落ち着きます。ですが、今回ハージェに回し過ぎたのではありません? お兄様」

 「ん〜? ……そう思うか? 」

 「はい。普段から家の事を、よくやってくれていますわ。 …王都に長く一人で居たからでしょうか?」

 「それは杞憂だ」


 「王都と言えば、あれから今年で三年経つのですね。 たった三年なのに、その間に色々あって。  思い返せばハージェが失ったあの一件を皮切りに、ほんとう色々と。時期だからでしょうか? 思い出してしまいます… 」

 「リリー」


 茶器を卓に戻した妹の顔から、先ほどの爽快感が消えて、少しばかりの憂いが浮かんでいた。


 「リリー、色々あったが、悪い事ばかりではなかったはずだぞ?」

 「悪い事が多いですわ… 」


 妹の憂いに、それを何故、仕上がったこの爽快時に思い出すのかが不思議だ。女の心情の飛び具合を計るのは骨が折れる。


 「今でこそ落ち着いていますが、当時は上辺をどう取り繕うとも荒れていましたし…」

 「リリー、その後ネイの盛大な結婚式を上げただろう?」


 「ええ、ネイの結婚式は良かったですわ。この三年の間で一番の良かった事です。でも、その後のお兄様の内々での結婚に、三ヶ月後の離婚ですわよね…

 ええ、ええ! あの時ほど… あの時ほど、お式を後回しにする事を反対した自分を恥じ入る破目になろうとは! 思いもしませんでしたわ! お式を後回しにして、本当に… 本当に! 良かったのですわ!! 」


 「リリアラーゼ、その話はせんでいいんだぞ?」


 思わず見遣った妹の顔は自嘲と同時に眼が据わっていた。 何故だ? あれっぽっちの酒で酔うわけもなかろうに…



 「ふふ、その後、私の婚約者の死去ですわね… どう考えても悪い事の方が多いですわよ、お兄様」



 上昇した意気に急降下した感情。激しい落差。自分から口にする様子に落ち着いたと思えども、淡々と話す風情の中にやっぱり引き摺っている妹の顔。


 どうしてやればいいだろうかと悩ましい。

 忙殺されていても、こんな風に思い出すか… まだまだ情緒が不安定だな。ハージェストより、リリーに多く回した方が良かったか? いや、体調を崩して倒れると最悪だ。






 二年前の初夏を迎える前に弟のハージェストは、渾身の一念で喚び込んだ召喚獣を失った。引き替える様に得た子犬の能力の高いこと、高いこと。

 判明する高さに失った事実を口惜しいと荒れた。わかりやすく荒れた後、静かに根深くしつこく荒れた。あれもまた、何と言ってやれば良かったものか… 

 根源がどうやっても解決できんから、スッキリさせてやろうと娼館に放り込んだが、入り浸らんかった。そこら辺は俺の弟だと満足したんだけどな。



 その年の秋に妹のネイルゼーラの結婚式を盛大に行い、これで家としての善し悪しは相殺だ。


 翌年の一年前の春、俺は急遽結婚した。三ヶ月後の初夏を迎えた頃に離婚した。


 自分でも笑うわ。

 式は後回しにした。盛大なものにするとの名目で後回しにした。

 結婚誓約書には記名した。届け出は止め置いて俺の手元に保管した。正解だった。それでも、内々では上げたし、両名が記名した事実を踏まえると離婚者と見做すべきか。


 最も、どこにも届け出はしてない上に、足し書きしたので面白い書類になった。


 いや〜、なかなかに家が荒れた。親父様や男組は事実に普通に嗤ったんだが、女の母と妹達に内々に居た女の親族が荒れ狂ったよなぁ。



 その年の夏の終わり、リリアラーゼの婚約者であったあの馬鹿が一人で勝手に逝きやがった。秋の半ばに行う予定であった、待ちに待った結婚式は当然取り止めだ。


 リリーの場合は俺の時とは比べ物にならん打撃だった。しかし、正式な式も何もない。リリアラーゼ自身に非が付かないのが不幸中の幸いではあるが…

 俺の離婚が無ければ二組盛大に、離婚したから家の為にも本当に盛大にしてやる予定だったのにな。


 ハージェストの件を一番最初とするならば、今年で三年経過したか… 確かに悪いことが多いか。しかし、今年は何の予定も無い。いや、できればリリーの相手が見つかると良いが、リリー自身がなぁ…


 良くも悪くも打ち止めだと、言ってやろうとした所で妹の思考は既に飛んでいた。


 

 「あの検査官、身元調査はしましたが、その後はお兄様にお任せしました。色々ありましたし、よく考えれば半端にしか聞いておりません」


 本当に、どうしてこう話が飛ぶのか… 忘れていれば良いのにな。


 「思い出したくもない人ですが、どうなりまして?」


 「んー、なんだ。あの女に手落ちは無い。規定通りの行動だった」

 「そこまでは知ってます。謹慎もです。その後です、他です」


 「他はだな… あー、機関内の召喚獣の扱いやらを囁いて、専門の出先機関(里親の会)も引き連れて内部調査を強行した程度だ。明るみに出た一部の職員における召喚獣の扱いに、出向者が俄然はりきって動いてくれてなぁ。

 まぁ、あくまで 『一部の者に寄る問題である』 となったが、機関の縮小やら、どこぞの監視下に組み込まれたとかそんな所だ。俺は連鎖的に叩ける所を叩いたに過ぎん、慰謝料として取れるもんは遠慮なく搾り取ったがな。

 大体、規定に誓約がなんだと言われてもなぁ。誓約したハージェストでは無理でも、俺なら可能だ。題目の叩き口に意味が違う。それを防ぐ為の規定だろうが、あんな程度。鼻で笑うわ。


 それに引き合いに出した能力の開示に喰い付いてくれてな。

 問題が発覚した中で、言葉の総てを逆手に回せば、どう取れる? 俺が動かんでも出先の奴らが率先する。 …本音で言えば、叩いて落とした中に煩わしいのが居た。


 あれは良い口実になった。

 あの御蔭で目障りが一つ消えた。 …そういう意味でなら、死んだ召喚獣は確かに、このランスグロリア伯爵家が召喚獣だ。 来て、見せて、死んだ。 その事実一つで、この家の役に立った。 実に良い召喚獣だったな」


 「…お兄様。 …そうですわね、お兄様が 『ラングリア家の』 と言われないだけ良いのですわね。ですが、その様な言い方は止めて上げて下さいね。ここに居ないから言われているのでしょうけれど… ハージェが聞いたら、泣き……  いえ、歯ぎしりしますわよぉ?」


 妹の最後の語尾の上がり具合に、笑ってしまう。


 「もちろんだ、言ったりせんよ。それに、あの検査官は居ない」

 「え? …どういうことですの?」


 「あの検査官、ミリシア・ミルドだったな。ミルド家は娘のミリシア嬢の葬儀を出した。以上だ」


 「 …ええっ! 亡くなられたのですか!?   …亡くなられた の、ですか」



 目を見張り、死の連想に俯く妹に、可愛い妹だと思う。



 「楽しい内容でもないぞ。あの女は魔力が使えなくなっていただろう? 死因は苦にした自殺と聞いたが、さぁてなぁ。 俺の結婚で色々あった時期だったし、その後はお前が大変だった」

 「 そうでした。とてもありました。 そうだったのですか…  時が動いて、亡くなる方は…亡くなるのですね… 」


 

 目を伏せ、項垂れる妹に確認した。


 「湿っぽい話になったな。不要な話だ。 検査官の場合とは意味合いが異なるが、お前は死に逃げたりせんだろう? リリー」



 「  はい。  必要のない話ですわ 」


 俺を少し見た後に、きっぱり言い切る妹の口調と目の力に強さと矜持を見る。

 見るが追い詰める方に回ってない事を希望する。


 時の偉大さを、祈る。





 「セイルジウス様、リリアラーゼ様。お茶を取り替えましょうか?」

 「ロイズ、ありがとう。お願いするわ」



 気の効く奴は良い。

 温かい茶に息をつく妹に眼を細めれば、扉を叩く音に意識が移る。



 コンコン、コンコン。


 「はい」

 「リリアラーゼ様は、まだこちらに居られますでしょうか? リリアラーゼ様に、お客様がお見えです」


 ロイズが対応に出れば、メイドの声が返る。



 「え? 今日は、どなたの予定もなかったはずでしたのに? 嫌だ、私こんな格好。お兄様、失礼しますわ」

 「誰だろうな? まぁ、ゆっくりするといい」


 聞こえた内容に驚いて、慌てて部屋を出て行った妹を笑って見送った。

 

 さて、仕上げるか。

 妹が持って来た最後の書類に目を落とす。









 「差し出がましいのですが… リリアラーゼ様やハージェスト様に告げなくても、よろしいのでしょうか?」


 「なんだ? ロイズ」

 「あの、検査官についてですが… 真実お伝えしなくて良いものかと」

 「必要ない」


 手にした書類を繰りながら答えるが、まだ躊躇う気配がする。


 「関わった総ての者達に俺は話をした。話に対して行動があった。それに伴った結果だ。あれだけ膳立てして何も話さずに力ずくで事なぞ起こすか、阿呆臭い」


 繰った書類を手に体を伸ばせば、骨が鳴る。椅子から立ち上がる。 ああ、俺の体も鈍っているな。


 

 「ミルド家が娘の葬儀を上げ、墓があるのは事実だ。どこかで非常に良く似た女が生きていようが、それは赤の他人だ。検査官であったミルド家の娘は死んだ。似た女が生きていようと、あの家は関わらん。それだけだ」


 一連の事態を思い起こせば、苦笑しか出んな。


 「俺の決定が不服か?」


 実際、苦笑に唇が持ち上がれば気配が揺れる。



 「いえ、そのような事は無く。お二方のご心情を考えますと、つい。 申し訳ありません」


 「うん? お前は二人の気持ちを優先に考えてくれたのか。 …そうか、二人の兄としては感謝する。するが、そのやり方を俺がしても、二人にさせるのは好まんよ。

 名を出した話に対しての行動である以上、それはランスグロリア伯爵家に対する行動だ。決定権は親父様か、俺にある。そして、ハージェストの召喚に対して許可を出したのは、親父様ではなく俺だ。ならば、俺が始末を付けるが道理。

 知る事があれば、その時でいい。だが、二人が知らねば成らない絶対の必要性はない。まして、似た女と出会う接点もない。誰かが教えぬ限り」


 「はい、沈黙を。ご容赦下さい」

 「似ているだけの女の話をした所で何の益にもならん。不快なだけだ。この話は、これで終わりだ」




 納得に薄く笑う。


 一つの話を終了させ、執務机に戻り書き付ける。

 新たに白紙を手に取った所で、何かが派手にガチャン、ガチャン!と割れる音が連続発生し、その後、女同士の金切り声が、階下から窓を通して、この執務室にまで届いた。



 手に取った白紙を置き直し、視線を宙に飛ばして思考する。



 …もう。

 もう、好い加減に終わらさせてくれんか? 何時になったら、儲け金(剰余金)の分配まで書き終えられるんだ、俺は?






 

こんな家。




似た女のその後。   書こうとすれば、夜想曲。 

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