39 三人の軽い茶会
それは東屋の中で行われた。
カウチの上で眠りに落ちた体が空間に生み出された道に乗り、静かにゆっくり降りていく様を三人は見送った。その様子を一番心配気に見送っていた女は、一つ手を打ち、にこりと笑う。
「規定通りに降りていますから、大事に至る事などありませんわね。無事に辿り着いて、早く会えると良いのですが… きっと、あの子も喜ぶことでしょう。 ああ、本当に… 本当に喜ぶ顔が目に浮かぶのですわぁぁ〜」
「うむ、これからが坊の頑張りどころじゃの。ほんに良い子であったの。 …ああいったのが儂の孫であればのぅ」
三人は茶会の続きを行うべく、カウチから椅子へと戻った。
明るく華やいだ笑顔と気分の高揚を如実に表す女の声に、ため息を織り交ぜて首を振っては悲哀を語る年を経た男。見送った後は、椅子に深く凭れて右足を左膝の上に組んで座り直した男が苦笑を持って返す。
「隣の芝は青いって言うぜ」
年を経た男の言に、ちょっと目を見張った女もころりと笑み崩れる。
「うふふ、この先どのような人生を歩むかは、私達でもわからないものです。でも子供達の幸せを祈りますわ。祈れる事が今の幸せですもの。 …一寸先は闇と申しますが、光であったとしても強すぎる光ならば結局の所、何も見えないのですわ。 ええ、ええ、 真、先の事など… 見えた先など、わからないものですわねぇ」
感慨を持って自分自身に対して深く頷く女に、それでも愚痴を垂れる年を経た男。
「あー、孫が精神成長するのは、夢のまた夢かのぅ… 」
「まぁぁ、そのような心にもないことを。うふふ。 心配の言葉も度を過ぎれば良くはありませんでしてよ。それに、そこまで本気で言ってはおられないのでしょうに。 ほーんと嫌ですわぁ、うふふ」
「…そうじゃろうか。しすぎかのう。 …まぁ、そうじゃな。儂じゃないからな。どうあっても、儂と同じ状況には無いものなぁ。 失敗して成長していくものよなぁ」
三人が顔を見合わせ、緩く笑い合う。
子を思う大人の対処を伺わせるその中、男が笑みを絶やさず笑って問い質す。
「ところでだな、軽量化の縫い取り以外もしていただろうが? あと水筒にナニしてたんだ」
「はいっ!?」
「じーさんも頼んだ玉以外に、なんかやってただろ?」
「あ? さてはて、なんかやったじゃろかな〜? いや、年寄りはもの忘れがひどくてのぅ… 近頃とーんと思い出せんわ〜 いやいや、困ったもんじゃの〜」
「まぁっ、私、縫い取りは久方ぶりでしたの。ですから、腕が落ちてないか指慣らしをしただけですわ。他意など、全く、何一つ、本心から、思いも寄らぬことですわぁ。嫌ですわ。 そんな疑い深そうなお顔で見られましても、なーんにもございませんことよ。
……………だぁってぇ、男の子でもアップリケがある方が無いよりも、ずうぅぅっと良いでしょう〜〜?? 男の子ですもの、持つのならカッコいい方が良いだろうと思ってアレにしましたけど、本当に可愛らしさからは離れた品になってしまいましたもの〜。
喚んだあの子も、今さっき降りたあの子も、私にとりましてもどちらも本当に子供ですわ。ええ、可愛くて心配なのですわ。
それに子供の持ち物には、アップリケを使って名前を入れるのしょう? 人里には住んでおりませんが、私だって昨今の子供への流行は、ちゃあーんと知っておりますのよ? 流行を押えずに、子供に独り寂しい悲しい思いをさせるようなへまは致しませんわ! ええ、決して致しません。致しませんわよぉぉ〜〜!! お〜ほほほほほほほっ!」
どうあっても男には気付かれる。
ドコの世界の何時の時代の流行なのかは不明だが、女が想いを込めて縫ったアップリケも込めた力の為に人の目には全く見えないのだが、女が最後は自分の世界に入って自画自賛に高笑いしたのに合わせて年を経た男が話題を変えようと別の話を男に振った。
「そうじゃ、そうじゃ。のう。人生と言えば、かつて言っておったではないか? ほれ、不老不死になってやると息巻いとる奴がおると。そやつのその後は、どうなったんじゃ?」
年を経た男は、最後は勢い込んで男に尋ねた。
意図的に振った話題だが、思い出せば脳を刺激したようだ。それでも最初に返事をしただけ、まだましだ。きちんと会話に成っている。酷ければ会話が会話として成り立ちはしない。成り立たない会話でも会話は続き、最後に会話が成り立つ所が年を経た者達の怪しいまでの不思議さ加減だ。
その言葉に呆れた眼差しを返した後に男は呟く。
「そうか、じーさん。ボケたか。 まぁ、降りたしなぁ。今更だ、良しとするか」
それから思い出す様に少し半眼で首を捻った男は頷いた。
「あれか? ちっと魔力が強くて命汚い奴が、どこぞの世界でのさばってたあの話か」
「そうじゃ、それじゃ!」
「あ〜、はいはい。魔力が他よりちいっとばっかし多いから、 『我こそが不老不死と成り、他の者に命を与える生命の根源を司って、この世界の頂点にあって絶対至上となる者である!』 とか、なんとかほざいてた魔術使える奴な。そういや、あの後は見てねぇなぁ」
「あらま、そのような方がいらっしゃったのですか?」
「ああ、いたぞ」
「で、どうなったんじゃい?」
「なったぞ。俺が望みを叶えてやった」
「え? まぁ… それは、御自分の配下となされた、ということですの?」
女が目を見開いて驚いた顔をするのに対し、男が笑って答える。
「いんや。どんな馬鹿でも理解できるように、 『汝が望みを叶えてやろう』 と、わざわざ声を降ろしてだな。不老不死で生命を他者に与えることが可能にして、世界の頂点に立ち他者から至上と言われる存在にしてやった」
「…どうやったんじゃ? 不老不死といえども死者としたわけではあるまい?」
「死者となれば生命の授与は難しいでしょう。確かにそれも表裏一体と言えますが…」
「なぁに、簡単なことだ。体を作り替えてやっただけだ。 樹にな」
男は軽く笑う。
「あの世界で最高の魔力とかほざいてただけあって、まぁ、良い感じにでかくなってなぁ。 あの世界に冠たる至上の世界樹。世界で唯一つとして存在する樹。己が葉に命を乗せ他者に生命を与えることが可能な樹。世界から力を得て、その力を命として還元させ循環させる。
命を与える力に特化させたが故に、還元する力を身内にどれだけ溜め続けられても、その力を己の都合の良い様に操る事などできん。筋を作ったからな。最後はどうあっても放出する。葉に乗せられた力は常に世界の大気によって巡り返る。巡り返る力の源となった以上、不老不死となったわけだ。
そして、他者からは尊い存在であると敬われる。
望んだ通りの良いこと尽くめだろう? まぁな、その場からは全く動けんし、意思の疎通も計れんしぃ? 理解されるまでは敬われんから、せっかく俺がしてやったのに人の身近にあって切られたら哀れだ。考慮の上で、ちゃんと人の立ち入れない場所に突っ込んでやったわ。
次いで、人に理解される様にと、ちっとばっかし葉から滲む命の昇華散華を見られる様にしてやったからな。理解後なら、たまーに勇者とやらが大当たりを引いてやって来るだろうしよ。それなら、奥地にあって人の手の届かない所にある方が有り難みが増すと言うモノ。
アレになることを望む奴は、なかなか居ないんだ。
あの後は、世界の偏りが改善され還元が上手く回り出したから最適だったな。あれがそれまでに搾取した分を差し引いても十分な釣りが出る。あれはこうなる為に生まれたのかねぇ…
一つの命で世界が保つ。ならば比重は叫ぶ命の声より世界に傾こう。一度完全に組み込まれた以上抜け出る事はできん。
いや、あれは実にいい世界樹になった。俺は、あの世界にとって真に良い遊びを成してやったわ。感謝して貰ってもイイもんだがなぁ」
思い出して薄く笑む男の顔は、嘲りを込めた何もかもを理解している実に良い顔で、梓には終ぞ見せることのなかった顔でもあった。
世界の頂点に立つとされる世界樹を男が現地のモノを用いて構築した。
それはその世界が男の手によってマーキングされた事態を指す。世界樹の核は現地のモノの望みに答えた男の力である。
世界樹が立ち続け、その経過時間が伸び続けて世界の安定が続けば続くだけ、その世界は形成される命に混じって構築した男の力が世界に浸透する。循環の柱である世界樹によって、初めからある異物は取り除かれ、消失するか染め変えられるかの二択となる。
一度根付き、世界の命として立つ世界樹が立ち枯れることは、世界の滅亡である。代替品がない限り、免れない。
世界樹となった現地のモノの自我は残る。
狂わず残る自我が男の慈悲であり、遊びである。慈悲は男の哀れを示す確かな情であるが、慈悲は慈悲であって、救いある慈愛ではないのだ。
やがて、世界樹は核に染まる。
循環通過地点の核であるが故に、確実に染まっていく。
自我を失う事なく、根底から時間の経過と共にじわじわと染め上がる。悲鳴を上げて逃げ出す事もできない。自身が染め変えられていく事実を理解して理解を拒絶し、狂わんばかりに足掻いても狂うこともできない。
世界樹として確定したモノが違う核に染まることはない。世界でただ一つのモノの有り様が複数の核など受け入れない。混じらないモノを強制されたなら、世界が歪む。
強制を受けぬだけの力を備えたモノが世界樹として立ち得る。立ち得る現地のモノの本来の力が強ければ強いだけ、染まるのに時間が掛かる。
そうして、染め上がる時間が掛かれば掛かる分だけ、染まり上がった時の仕上がり具合が良い感じで違うのだ。
世界樹が失われる時。
それは立ち枯れる時も、単に省かれる時もある。命題によって終焉を迎える時もある。
そして、今一つ。
世界樹が核に染まり切り、核に対して絶対忠実な妄信を顕示し、隷属を矜持とする力あるナニかに新しくその身を転変させて世界に君臨する時である。
世界が安定して存続する。その平穏なる現象で男の手中に陥る。
安定する世界は男のモノとして確立される。確立後の世界樹の有無はどうでもいい。世界は既に確立されてしまったのだから。
確立された後の世界が繁栄を迎えるか搾取場になるか、はたまた別の用途に使われるかは男の気分次第。
悉く男の手の内。
「世界樹の構築で矯正をするか。そりゃ、特異性からしても、うってつけじゃがなぁ。あーんなモンの構築… 儂の知り得た方法とは、だいぶ違うの。最も、儂が知っとる方法で正しく構築できるかと言われれば不明じゃがな… なんせ実証なんぞした事ないからの〜
やり方は様々じゃろうが… いや、それなら、逆にそやつ一人で終わらせたところが… おお、怖い、怖い。 おっかないのぅ。 儂には、まず持って無理じゃわぁ。 ひひひひひ」
「あ? 使うのが一人だろうと、複数だろうと大した違いはないぞ? あんなもんの最後は決まっとる」
「確かに願いは叶ったのですわねぇ。直にお会いする事もなく、希望を述べるだけで想いが叶えられるだなんて… なぁんて運がよろしかった方でしょうか? ねぇ、うふふ」
手法を考えるだに青褪めて顔色を変え、思考に頭を悩まし最後は笑って投げた年を経た男と、聞いても特に顔色を変えず、手法ではない所に重きを置く女の含む笑い。男の何でもない笑み。
そして、茶会の語りは多岐に渡って賑やかに続いた。
茶も菓子も粗方食べ尽して、残りに誰も手を伸ばさない。茶会としても終わりに近づく時分。
薄い揺らぎが泉に波を成し、波紋を広げて静かに示す。少し経てば、コツンコツンとした小さな音が空間に響く。その音は実に遠慮がちであった。
「あら?」
揺るぎに気付き、周囲を見回す女の目に何が見えるのか?
何も無い空間を見上げた女は、見上げた空間から視線を外さずに立ち上がった。その顔には一瞬の変化があった。
速やかに自分の編み籠を引き寄せる。
その籠の中に茶碗を仕舞う。どこかしら、急いている気風が感じられるが、それでもその動作は優雅であった。自分の茶碗を仕舞えば、テーブルの上に並べられていた菓子皿や茶碗、まだ中味が残っている茶器も勝手に編み籠の中に次々と舞い込んでいく。
中味が零れるかも、といった心配は全く見受けられない。だが、見ている方からしてみれば、茶器の中の茶以外は空であった事が幸いと思える様相である。
「真に非礼な所作でございます。お見苦しく申し訳ごさいません。 ご配下の方がお見えの様です。こちらにお越しになられるのですから、お急ぎのご用件なのでしょう。此の度は大変楽しく、嬉しゅうございました。次の機会を楽しみにお待ち致しております。この無作法のお詫びもまた後日に。では、お二方、御機嫌よう」
男二人に衣の裾を持ち上げ、背筋を伸ばしたままで膝を曲げて腰を落として優雅な礼と笑みを伴って会釈をした後、女は編み籠を手にそそくさと帰っていった。振り向きもしない。
「ん〜、なんじゃ? あやつ。 あー、来られたご配下はあの方か〜 あの方は苦手じゃと逃げおったな」
男二人で苦笑した。
「しかしまぁ、存外時間も経ち申しましたでな。今日は実に良き日和でした。では、儂も帰りますで。また酒盛りも致しましょう」
「ああ、ではな」
年を経た男は、にいっと笑って一杯飲む仕草をする。それに合わせて男も手をひらつかせ、にんまり笑って快諾した。
年を経た男の姿は空間にできた道を歩んで遠ざかっていった女と違い、その場で、すいっと掻き消えた。
二つの気配が薄れた後に、空間に亀裂とも言えぬ亀裂が小さく生じて、微かな風が入り込む。
瞬きの間を置いてから、新たな気配が滑り込み、東屋から少し離れた樹の陰に意識が生み出される。木陰から現れた姿は静かに東屋に近づいて、東屋の外で男に向かって額突いた。
「主様、ご歓談中の折りに申し訳ございません。 兼ねてより、お待ちになられていました時が到るようでございます。兆しが発生致しまして、その後は順調に経過しております。まだ時間は掛かると思いますが、一度ご確認頂くべきと判断してお伺い致しました」
「あれか。あれもそろそろ頃合いだろうと思っていたがな。そうか、到りそうか」
「はい」
「ふ… ん。久しぶりに、大掛かりな仕掛けにしてやろうか。それとも力で押し潰してしまおうか? どうするか」
配下の言を聞き、指示を出した時を思い出す。男の口角が徐々に持ち上がって喰らう者の独特の笑みが形作られる。
額突き、面を上げぬ配下の者に頷き返す。
思案を行動に移す前、男はちらりと下を見た。
今はもう失せた道に降りていった姿を思い出せば、先ほどの事が脳裏に浮かぶ。
だだ漏れる意識が、はっきりと 『聞いてよー!』 と訴えていた。
だから、全部聞こえた。
聞こえたその内容に、最初に怖かったのが尾を引いたかと、つくづく思うが仕方あるまい。あの怖がり様ならあの言い方で加護を絶対欲しがると見通せたからしたが、子供への手抜きは後に響くとよく分かった。ほんとになぁ…
その後の喜び様やら沈み様。
思い返すだけで忍び笑いが込み上げる。
まさかあんな事で助けを求められるとは思わなかった。確認の言葉に惜しくないと頷く姿。本当は理解してないんじゃねーのかと疑うが、アレは惜しいと思い出さない口じゃないかねぇ。
できたと泣き笑うあの姿に、俺はどうだったかと思い起こそうとして無駄な事は止めた。
なんとまぁ、柔らかい夢だろうか。
この俺が、あの程度の事に助けを求められて手伝ってやるなんてなぁ… それが嫌でもなく煩わしくもなく。楽しめた事実が、この上なく柔らかい。柔らかいと意識する。
過去、助けを求める声に応えた事はある。なかったなどと言わない。確かにあった、似たような状況に助けを求める事態。しかし、今と感情の向きが重ならない。
求める助けにしても、今回と同じモノは無い。助けをレベルに換算しても低い。求める内容が内容であった所為も否めないが、それでも、ここまで自分でも優しいと思える感情だけで動いた覚えは無い。
無い事実。
ならば、やはりアレが俺自身。夢の子供だからだろう。
結論に目を細めて、唇を浅く歪めた笑みを浮かべ。
降りた先を眺めた。
「夢の続きは静寂と眠りの間頃に、 か。 次に見る時は、どの様に変わるものなのか。 俺とは違う道であれ。 微笑ましいモノであれば和むがなぁ」
口中にて呟いた男の言葉は、どこにも零れず配下の耳にも届かなかった。そして、額突く配下に男の顔は当然のこと見えはしなかった。
「いくか」
視線を戻して立ち上がる。
配下の者を見る男の顔は笑んでいたが、そこに優しさは欠片もなかった。
今より先の時に己の手により行われるであろう悪辣と呼ばれてしかるべき事態を思い描き、実行する為に男は動く。
事態を事実へと移し替える愉悦を刻んだ冷笑で男の顔は鮮やかに笑んでいる。
最早、獰猛さを隠す事無く配下を従え、男も己の場を離れた。
誰も居なくなった泉のほとりには、白い花びらが風に乗って、ひらりひらりと舞い落ちる。
泉に舞い落ちた花びらは、水面に波紋を広げていく。その波紋が薄れて消える頃、花びらは泉の中に沈み落ち、水に溶け消えて、あったことすらなくなった。
男の基本は笑顔。自然体で笑顔。できる限り笑顔。笑顔の温度差は見ての通り。
普通にヒドい男だが、まぁ、まぁ、まぁ、まぁ優しい。男の憩いの場であることが響いてますけどネ。
男の愛情必須条件
自分と同じであること。同じでないこと。
その他いっぱいの細かいウザい条件あり。
前回の青い猫のポケット話。
一応明記。現在のリアル思考で本当に完全品なら手入れも何も要らんはずです。せいぜい、失くさない様に維持管理しとけ、な位かと。
次回から第三章。