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召喚  作者: 黒龍藤
第二章   選ぶ道
34/239

34 呼び水

  

 俺の周りに、とても優しい気配があった。


 その気配に安心して、ひだまりの中ぬくぬくと微睡んでいた。

 いたんだが、そこに一つの影が差す。俺の上で何度もその影は旋回を繰り返した。繰り返す旋回の影に眠れなくなって目を開けば、大きな鳥が空を舞っていた。



 あの鳥うざい。

 そう思って見上げていたら、悠々と旋回していた大きな鳥は唐突に向きを変え、俺に向かって急降下!




 「ほんと気持ちよく寝てんなぁ。しかし、そろそろ起きんかな?」


 驚きに、さっと身構えて鳥を迎え撃つ! 鳥の影が近寄ると同時に手を伸ばし、爪を持って捕まえる!


 「お、起きるかな?」



 あ、逃げられた! 腹が立つ。もう少しだったのに…



 再びの旋回から舞い降りてくる鳥が、嘴とその鉤爪で俺を襲う。


 本音で言えば大きな影が、ちょっと恐い。

 でも、ひるんじゃ駄目だ、負けるもんかと自分を鼓舞する。掴まえて俺が食ってやる! 大きさがなんだ! 鳥はご飯だ! 俺がご飯になってたまるかぁ!! 


 不屈の闘志を燃やして立ち向かえ! 



 スッと降りて来たのを待ち構え、パッと飛びつき懐に入り、両手の爪でがっちりと押さえつけてかぶりつくっ!


 「いてっ!」



 離れていこうとするのを許さない。 逃がすもんか!

 今度は体全体を使って鳥に掻き付き、足も使って攻撃する!


 喰らえ!

 にゃんこキック! にゃんこキック! キック!キック!キック!キック!  連打。連打。連打。連打。

 れ・ん、 だだだだだだだだだだだだだだだ 打っ!



 「いでででででっ!! やめんかいっ!」



 爪も牙もしっかり立てていたが弱ったはずの鳥に振り切られ、ペイッと体を転がされる。 負けるかぁ!と跳ね起きた。


 でも逃げられた… 

 どこ行ったと周囲を何度きょろきょろ見回しても、影も形も見えない。 しょんぼりした気分になる。


 俺、がんばったのに…



 あ、そうか! 鳥を食べることはできなかったけど、自分より大きな鳥を追い払ったんだ。 俺のスーパーデラックス超絶ウルトラサンシャイン連続にゃんこヒーローキックが効いたんだ!


 俺は勝利したんだ!!



 思考を切り替え、勝利の余韻に浸った所で夢から覚めた。




 両手を揃えて〜 腰を下げて〜 体を伸ばして〜 片手を更にもっと伸ばして〜 右をやったら今度は左〜 

 次に上体を前に〜 背中を反らして〜 右足を伸ばして〜 左足地面につけたまま〜  はい、反対〜


 ぷるぷるしながら尻尾も先まで、ぴんと伸ばす。一緒に、くあぁっと大きくあくびもする。


 ん〜、目が覚めた。



 顔をあげた目の前におにいさんがいた。

 しゃきっと背筋を伸ばして「おはようございます(にゃーん)」と挨拶した。


 「ああ、 おはよう」


 返してくれたけど左手で右手首を押えているのは、どうかしたんだろうか?

 なんか、顔も笑っているのか、引き攣っているのか絶妙にわからない。怒ってはいないけど。


 「お前、夢でもみてたのか?」


 なんでわかるんだろう?

 首を傾げながら、胸を張って自分よりも大きな鳥を撃退した夢をみた!と答えた。



 「大きな鳥を…  鳥。 はははは、そうか、そうか。 よくやったな〜 鳥を撃退したか〜」


 なんかすっげ、誉められて頭を撫でられた。夢話でなんで?


 撫でてくれる手首に引っ掻かれたような傷があった。深い傷はないし、治りかけな感じなんだが、なんか痛そうだな〜と思ったから、ざりっと舐めてみた。

 良くなるかと舐めてみたけど舐めた俺の方が気持ち悪くなった。気持ち悪いと意識したら、もっと気持ちが悪い。うげぇぇ。


 「おまっ…」


 声を耳にしながら、げへげへ咳き込んで、ぺっぺっと吐いた。吐いても微妙だったから、もっとぺっとしていたら水を入れた皿をくれた。


 水を飲んだら落ち着いた。


 あ〜、びっくりした。

 もっと落ち着く為に顔を洗う。ついでに爪の間も舐めてみる。爪を出して〜 引っ込める。出して〜 …ん? 爪を出す? 



 自分の爪を見る。


 出す、引っ込める。出す、引っ込める。出す、引っ込める。

 わきわきする。わきわき出来る。

 右ができたら、左もできる。普通に出来る。うん、どこも問題ない。異常なし。


 おにいさんに、もう大丈夫と返事をした。

 その時、おじいさんの人がゆっくり歩いてやって来た。


 あっ、この人がきっとそうだ!


 二人の内の一人だと判断して、とととっと前に進み出て頭を下げて上げて、最初の肝心なご挨拶。


 「おはようございます(にゃーーん)

 「おう、おう、おはよう。 坊」


 目を細めて返事をしてくれた。にこにこと笑っているおじいさんでした。長めの髭が綺麗に整えられて、長衣の服がみょ〜に似合ってて、なんか格好良かったです。

 その後ろから軽い足音が聞こえて、ちょいと首を傾げて見れば女の人と、…姉がいた。女の人に少し介助されるように歩いてくる姿は、間違いなく姉だった。服装だって見覚えがある!



 ぽかんと口を開け、目を見張って駆け出した!


 「あやめねぇちゃーん(うなぁぁぁん)!」

 「梓!」


 一直線に走りよれば、両手を広げて抱きしめ上げてくれた。


 「梓… 良かった。良かった。ほんとに良かった。無事で居たのね。ああ、良かったぁぁ。 ところで、梓…  一体どうやって猫になったの?」


 「()?」


 目元に涙を滲ませるあやめねーちゃんの顔を間近に感じながらの、その言葉に口を開け、自分の体を見返して頭が真っ白になった。



 ねこ  猫   ネコ    neko   なってる。よ?


    えええええーーーーー!!!!


 俺、ねこぉぉ!!??  はいぃぃぃ!?  あれ?あれ? 俺、さっき自分でにゃんこって言ったような…  あれ?あれ、あれぇぇぇーーー?


  はあああああ?  なにが、なんでぇぇーーーー!!?




 激しく混乱した。したが、姉の腕の中で女の人と目が合う。


 反射的に「おはようございます(にゃぁぁん)」と言っておく。

 女の人は口元に手を当てて、なーんか言ってたような気もしたが、それどころじゃない! 今の猫語じゃねぇか! にゃぁぁん、てなんだ!? なんで通じてんだ!?



 俺の頭を撫でる姉が、おにいさんに向かって歩き、俺を腕から下ろす。


 「ちょっと離れてなさいね」

 

 おにいさんの面前にて、膝に手をあて服の裾を撫で払う仕草と並行して両膝をつき、三つ指を揃えて頭を下げて口上を述べていく。

 申し開きをするように姉が述べていく内容に俺の方が青褪める。青褪めて跳び上がり、その場をぐるぐる回ってしまった…


 姉とおにいさんの顔を交互に見つめ、たまらず姉の横に駆け出し、お座りして顔を見てから頭を下げた。






 いやまぁ、なんだ。姉弟揃って可愛いもんだ。

 非常に寛容の精神が出てくるのは、なんでだろうな? というより、特段姉の行動に何にも思っとらんけどな。刃を向けたという事実はあっても単純に面白かっただけだしよ。玩具のような刃でも、やはり使えるものは使えるものだと認識し直したしなぁ。

 どっちかといえば、乱入した女の蹴りの方がアレなんだがよ。

 


 「得心したか?」

 「はい、思い込んだ故の心得違い誠に申し訳ございませんでした。…私が行いました、この咎めにつきまして「要らんぞ」


 姉の言葉を遮る。機嫌が良いのになんぞする所以ゆえんはないな。今回泣かす気は、これっぽっちもないんだ。

 それに、この姉には女が守りの手を差し伸べたい雰囲気丸出ししてるしよ。


 「だが、お前は自力で動いたのだ。帰らねばなるまい? お前が生きる場所は別にある。お前を力で保たし活かすことも出来るが、してやるほどの由縁もない。如何する?」


 何やら言いた気な女に、黙ってろと視線で押し込める。


 「はい、私は帰ります。帰ることを前提に探しに来たのです。無事に存在していた事実だけで十分です。本当にありがとうございます」


 安堵の息をつくように、気配が丸くなり晴れやかに笑う姉の顔は実に可愛らしかった。

 あの般若顔が嘘のようだ。他のが悪いとも別に思わんが、腹に何も含むことのない笑い顔は可愛いもんだ。ふっつーに愛でたくなるわ。しかし、有り過ぎて覚えてないだろうな、俺は。



 「そうか。ならば、二人で少し話して帰れば良い。今は良くとも留まり過ぎれば、お前の本体に支障も出よう。まして、お前は力を受け入れた。異質になるかもしれんからな」

 「はい。ありがとう… ございます」



 一礼して前を下がる。腕に弟を抱き上げる。女のかたが示して下さった泉に向かうその前に、三人の方々にもう一度軽く会釈する。





 私は幸運だ。

 いえ、本当の幸運は梓かしら? あら? でも女のかたから聞いた話は… ほんとに、 あら…? あらぁ?  良いのかしら??



 とても澄んだ綺麗な泉のほとりで猫になった弟と話をする。


 …今は、ほんとーに猫なんだわ、この子。いやだ、笑っちゃうわね。猫と話が出来るこの事実に笑っちゃうけど、此処は違うんだわ。

 確かに此処は違う場所。天国でも地獄でもないんでしょうけど。本来なら私が来れるような所じゃない…



 葬儀を上げた事や、心臓が止まりそうなったほどの衝撃を受けた事、魂魄が見つからなくて探しに来た事とか色々話す。

 

 「…ねぇちゃん、探しに来れるもんなわけ?」

 「来れたから、此処に居るんじゃない」


 「あやめねぇちゃん、すげぇ… 俺そんなの出来ないよ? というか、普通魂魄なんて気付けたりしないよぉ!?」

 「何言ってるのよ。あーちゃん、小さい頃何でも見てたじゃない」

 「へ? なにそれ…」


 「幼稚園の頃、見過ぎて知恵熱出しちゃって、それを何度も繰り返して。あーちゃん、なかなか学習しなかったのよねぇ。 でもさすがにキツかったんじゃないかしら? ある時からぱったり止めちゃって。だから覚えてないんでしょうね。夢でなんか見たんじゃないかと思うんだけど。あの時、あーちゃん、起きたら大泣きして大変だったのよ〜 半日ぐずり続けたんじゃなかったかしら?」

 「はぁ!?」



 口を開けて凝固する猫の顔って稀有すぎるわ。


 「私も、もう無理ね。何度も出来るわけないわ。梓と会うのもこれが本当に最後ね… それに、生きているのね。体を持っているのね。 …重いわけだわ。火事場の馬鹿力って嘘じゃないのね、ほんとよく持てたもんね。私ってば、すごすぎるわぁ」


 自画自賛して子猫の頭を撫でる。

 ああ、温かい生命… 触れられるなんて。そして、取り留めの無い昔話をすることが出来るなんてね。


 一頻ひとしきり話した後に、あの三人の方々の話をする。

 無償で助けて頂いたその内容に、女のかたの話が重なる。その後、あの男のかたが恐くなって、あの薄闇の中を逃走した話に納得する。

 それまではちゃんと人だったんなら、なんで猫になれたのかしらね? あーちゃん、そんなに器用だった? 場が反映しているのかしら? よくわからないわね。



 …でもね。猫耳とか猫尻尾とかなくて、お姉ちゃんは良かったと思うのよ。

 普段の姿に、猫耳があって、猫尻尾があったら… 想像するだけで、お姉ちゃん… 微妙だわぁ。似合う、似合わない以前になんか微妙なのよ。


 完全、猫で良かったのよ。

 動物って人間の言葉をしゃべらないから良いと思うのよね。言い始めたらやってられないと思うのよ。今だって、ちゃあんと目だけでも訴えてるのに。


 あら? 思考がちょっとズレた?




 「ねぇちゃん、すごすぎだよ… 逃げた俺どうなんの?」


 あの男の方に刃を向けた事なら、逃げておかしくないわよ。自分でもよくやったと思うわよ! 今、その事を考えると怖過ぎてて怖いのよ!! 考えないようにしてるのを掘り返さないでくれる、あーちゃん?

 それにあれは菖蒲しょうぶよ。邪気払いだもの。あんな場に降りてくるのに、無手で来たら危ないじゃないの! 基本、私だって立ち向かったりしないわ。見つからない内に逃げるが勝ちよ! 目を付けられたら嫌じゃない。



 でも、邪気払いと同種のような破魔の力。 『破魔の王』… でも、あのお色は… 本来のお姿って、あるのかしら… あのお姿が本来の姿なのかしら?




 ありのままの姿。   



 

 嫌。怖い思考は止めましょう。

 好奇心は猫をも殺すのよ。  …いやぁ! 梓ったら猫じゃないぃぃ!




 即座に、思考を落と(リセット)して、意識の外に叩き出した。

 

 「…それでね、梓。 あの女の方に聞いたのだけど、梓は別の世界に縁があるそうよ。その世界にいる人とご縁があったから助けたそうなの。別の世界とか言われたら笑うんだけど、今こんな所でそんなこと言っても仕方ないわ。

 もう、…梓は死んでしまったんだもの。死亡届の書類もまじまじ見たわよ。この一枚の用紙がそうなのかって、おねーちゃん見たわよ…」



 姉の口から出た 『死亡届』 の単語に俺は衝撃を受けた。



 そう、そうだよね。

 出生届があるなら死亡届もあるよねー。 うわあああぁぁぁ…

 俺、死んだんだよね? ここで生きてるけど…   確かに俺も、 見たよ、 あれ…


 

 「もちろん、火葬の許可証も死亡診断書も貰ったわよ。火葬の許可なんて頼んだ葬儀業者の方がやってくれたわよ。許可証も、じぃぃっくり見たわよ。 …梓が死んだ主原因は間違いなく刺されたこと。それが、刃物の刃がね、なんていうの、ええと、腰だめに突っ込んだ状態、という…か。なんていうか、そうね。 要するにまぁ、刺さ、れた、角度、が… 「ねぇちゃん、もういい〜」


 視線を遠くに向けて、段々無表情になり口調が変わっていく姉を止める。 


 あやめねぇちゃん、嫌な話は止めよう? 無理に伝える義務なんてないしさぁ。話の内容よりも、ねぇちゃんの姿の方に号泣するよ? 心臓にずくずく来るんだよぅ… 痛いよ…



 「…あ、そうね。もっと大事な話があるのに」


 腕を頭で押してくる梓に、我に返る。 いけない、いけない。限られた時間なのに。もったいない。



 「えーと、それでね。 なんだっけ?  …そうそう、経過とご縁自体をざっと拝聴したのよ。

 梓が、もう帰って来ることは出来ない。のよね… でも、生きているのだから、どこかの場所で生きて行けるんでしょう。その場所をどう決めるのかは、私の与り知らない事だけど、お聞きして考えたことを伝えておこうと思ってたの」



 姉は俺のことを考えていてくれた。

 背筋を正した姉の姿勢に向き合えば、自然に俺の背筋も伸びる。



 「あのね、そのご縁のあった人にね。どうやったかはお聞きしていないけど、梓は犬をあげたんですって。その人は、その犬を大事にしてくれているそうよ。


 ねぇ、梓。犬っていったら思い出さない? ほら。もうずぅっと昔に聞いたじゃない。思い出そうとしても、一文いちぶんしか覚えてないから、はっきり言って良くないんでしょうけど。

 確か、 『犬をけしやり追いやるぞ』 だったかしら? それとも、 『犬もて追いやりけしやるぞ』 だったかしら? 


 ん〜 だめねぇ。あった、という事実は覚えていても、一度しか聞いてないことは覚えていないわね。次から次へと流れるように唱えているんですもの。


 …知らない梓はその人に犬をあげたわ。あげた以上それはもうその人の犬で、梓の犬ではないわね。

 でも、きっとその犬は梓を覚えていると思うの。傍に居たら、きっと梓の悪いものも蹴散らしてくれると思えるの。 ふふ、これはお姉ちゃんのただの勘だけどね。


 ご縁のある人の場所に行く事になるのなら、一度はその人に会ってみるのもいいかもね? 

 でも、もしも。 もしも、よ? 

 もしも、会って馬が合わなかったら一緒にいる必要なんてないからね。折りをみて、さっさと離れちゃいなさいよ。我慢してまで一緒にいる必要は、どこにもないんだからね」



 にっこり笑って言う姉の言葉に微かに思い出す。


 その場面だけが切り取った様に脳裏に浮かび上がる。

 昔、どこかで何かの神事が成されていた。そう、思える記憶の一場面ワンシーン



 「ああ、うん、そうだったね。 『犬の声もて払いやれ』 とか言わなかったっけ? あれ? 違ったっけ…? 俺も同じでよく覚えてないや。犬… 犬なんかあげたのかな? 俺、なんで犬あげたんだろ?」


 姉と二人、顔を見合わせた。









 「そろそろ終わりでよいかの?」


 話していれば、好々爺然としたお方がお越しになる。


 言われて、今少しとも思うけど、考えて見れば今の状態の方が異常なのだわ。

 胸に手を当てて静かに思う。大丈夫。確約としたものなどないけれど、きっときっと大丈夫。


 「はい、ありがとうございます。これにて帰ることと致します」


 私は顔を上げて、そう、微笑んで答えることができた。 


 三人の方々に、改めてお礼と身勝手ながらもと弟の行く末をお願いした。叶わなくてもいい。私が落ち着く為でもあるのだし、全部お願いで叶ったら後々が恐ろしい気しかしないのよ…



 猫の梓を抱き上げ、じっと見つめる。

 言いたいことはさっき色々山ほど言ったから、これ以上はくどいわね。


 目頭が僅かに熱くなる。


 これで、もう二度と会うことのない別離なのだ。さよならも元気でね、なんて言葉も言いたくない。現実では、もうすでに終わらせた事だけど言いたくない。

 ましてや、「いってらっしゃい」なんて言いたくない。送り出す言葉を言ってあげなくてはと思っても、「おかえり」と言う事が絶対にないのに、    そんな言葉は言いたくない。


 誰がどうでも。私は、言いたくない。

 だから、私は言葉を移す。



 「おやすみ、梓。良い夢を」



 …ちょっと、私が堪えているのに、泣いたら釣られちゃうでしょう!?


 潤み出す水に視界が歪む。

 私も泣いてしまったら、腕の中で泣いてる子猫の梓が大きく震える。 

 驚けば、ぴょんと腕から飛び降りた。直後、人の姿で私の前に梓が立っていた。



 ………確かに、それはお気に入りの服だったわね。納棺にその服は入れなかったんだけど、入れた方が良かったのかしら?



 「元に戻ったぁ! ねーちゃん、戻ったぁ!」


 最後の最後で、ちゃんとできるじゃないの。あーちゃんったら。

 もう、結局二人して泣き笑いのみっともない顔して、それでも笑って終われたわ。ちゃんとおやすみの返事は貰ったから十分よ。





 三人の方々に辞す。



 「迷わないよう送って上げましょうね」


 優しい女の方のお言葉に恐縮する。






 送って頂く道すがら、お話を少しした。

 お話していれば、梓の前では出なかった本音が口をついた。


 生きているとわかって、もう二度と会えないと理解して、それでも、これからどこかで無事に生きていられるとわかって安堵できても! 


 直ぐに納得して心が定まるわけないじゃない。



 当たり前のように聞いて下さる女の方に、申し訳ないと思っても止まらなかった。


 「あなたの心は、あなたのもの。自分で大事にしてあげてね。大事にしすぎて他を見なくなったら、堂々巡りになってしまうのでしょうけれど」


 言葉と一緒にくれる気配は労りを含んで、私自身に触れて流れて違うに何かになって落ちていった。


 不思議と瞼が下がっていく。 

 心配せずおやすみなさいと聞こえる声に促され、私の意識は静かに閉ざされた。








 意識が浮上すれば、布団の中。

 花瓶の枝が目に入る。ゆっくり首を回せば時計が見えた。




 ジリリリリン! ジリリリリン! ジリリリリン!


 見た瞬間にアラームが鳴り響く。

 手を伸ばして止めれば、何かの余韻か残り香か、わからぬものが朝の時を告げる音によって払われた。




 リッリン、リリン。 リッリン、リリン。 リーン、リーン、リーン。


 止めた時計を、ぼうっと見ていれば携帯のアラームが鳴った。

 …用心に時間差設定してたわ。


 二度目のアラームを止めてから、もう一度布団に寝転がる。寝転がって自分の手をじっと見る。その手を胸に当て目を閉じて思い返す。



 夢かうつつか、現が夢か。 …いいえ、私は胡蝶の夢など見ていない。



 気合いを入れて身を起こした。

 梓の部屋に行き、白と銀糸の骨覆で包まれている納骨箱に向かって、おはようとおやすみを告げる。


 見て自然に微笑めた。 

 人が居て下さる内に納骨しましょうね、と囁く。




 これから、私にも梓にも色々あるんでしょう。様々なことにあたるんでしょう。

 事実、私の心は怒りと哀しみ、痛みを覚えて泣いてる。微笑むことができた今この時でさえ、小さく嘆く心の痛みに涙が寄り添おうとする。



 でも、私は。

 そう、ほんの少し幸運。覆らない事実の中で、ほんの、少しだけ。



 泣いていた私の心に優しい水の雫が降ってくる。泣く心に静かにつつめいて慰撫してくれる。

 泣いていた私の心が優しい水に息をつく。

 泣いていた私の心は優しい水で満たされて、いつかきっと柔らかく凪げるでしょう。

 私の身の内で生まれた澱みの織りは、優しい水にすすがれて色と形を組み直し、いつかこの身を綾に彩ることでしょう。






 窓から射し込む朝日の光が、払暁のように私の心にも光を投げ入れた。



 窓の外には梓がいなくなる前と変わらない景色がある。その光に手を差し伸ばしながら私は思う。



 私は優しい水とこの光で私の心を育てたい。


 滲む憎悪も歪む思いも痛む心も抱きしめて、この水と光で立っていたい。

 今の心の想いを見失わないその為に、私は優しい水と払う光でよろうのだ。


 

 簡単に押し潰されたりしないように。

 単純に見誤ったりしないように。


 







 花は微笑むの。

 花精は水と光を身に纏うのよ。

           




















 あやめ


 菖蒲あやめ :花言葉・使者。

      使者=道を知り、歩む事が可能な者にして、事態を模索し判断できる者。総じて自力踏破可能者。届けるだけなら子供の使い。子供の使いのランクアップは、まだまだ遠い。


 菖蒲しょうぶ :勝負を通じて尚武ともされる。武家に好まれる花。邪気払いであり、剣に見たてられる事、多々有り。


 あやなる :綾=紋様・模様・機微・差異・仕組み(裏表)。 目=視力・洞察力・境目・その他諸々。


 漢女あやめ :織り女。





あやめについては他にも色々有り〼。表立っては、四点で充分。

花言葉については、伝言メッセージ・神秘とか様々に有り〼。著者の意訳や出版年代によっても違うものが…


花言葉(添え物)の為に名前を あやめ にした訳ではないです。始めからこの人は、あやめさん。


現実に霊能者等のご職業を確立し生計を立てている方々が居られる以上、魂掛けができる程度、さしたる問題ではないですね。はい。


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