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召喚  作者: 黒龍藤
第二章   選ぶ道
27/239

27 此処に居る

 

 白く輝く光の円の内側、倒れた俺を見て男の人が笑って言う。


 アレはお前だと、お前の一部から作り上げたお前だと。


 

 「なぁに。光壁にもたれた時、髪だけが幾筋か越えたんだよ。そのまま問題無く越えてくると待っていりゃあ、急に意思を失って丸くなったからな。どうした事かと焦ったぞ。光壁に引っ掛かりでもしたか? 」


 苦笑しながら俺に向かって話すその表情に気負いは無かった。


 「お前の傷は、お前の器と差し替えた。見た目がアレだが、アレに意思などない。単なる器だ。気にするものじゃない。まぁ、間に合って良かったな」


 満足そうに頷く、その顔が。



 円の中の俺はうつ伏せになっていて、俺から見えるのは背中だけ。顔は見えない。

 それでも、あそこに倒れているのは自分だと、本当に自分だと思う。例えるなら、俺の双子の片割れだろう。俺には、姉しかいないけど。


 白い円から外れた外で、俺は目を見張って円の中の俺を見ていた。

 聞く声が震える。


 「でも、あれは。 …あそこは」

 「お前は生きていたかったのだろう? 消えたくないと願っただろう?」


 頷いた。それ以外、何もできない。


 男の人が片手を腰にあてた姿勢の苦笑めいた顔で、さらっと話し始めた。


 「あのな、あの若木の光が織りなす花囲いの中にいれば、お前は生きてはいられない。あそこは境の一つだからな。通じた場所であるから、帰ることは確かにできる。

 道としても良い道でなぁ。良い道なんだが、帰ろうにもお前が保たなかったな。あそこは安全地帯でもあるが、こうなれば逃がさぬ帰さぬ鳥籠よ。決して出られぬ白き檻。

 お前の為にひらけた道だ。お前が至れば道は消える。適応外の者に道は生まれん。

 生を望むなら、あの場所から出ねばならん。が、さりとて無体はしたくない。それは本音だ。あの手のモノは生育に時間がかかる。試しに力で引いたアレは、しなり返して折れずに立てた。あの後の対応反応を考えても実に良い成長過程を経ている。潰すには惜し過ぎる。大事として残すが妥当。だからこそ、最善策としてお前の意思が必要となる」



 何を問えば良いのか、わからなくなる。


 「残る者にも、体は要るものだ」


 え? と思った。




 何でもないような顔で、唇に優しそうな笑みを刻み噛んで含めるように。

 もう一度説明をしてくれた。



 お前は消えたくないと願った。

 だから、溶けて流れかけたお前を淵から引き上げた。同時に生きていたいと望んだお前にわかりやすい場所を選んで降ろした。


 道は通じる。通じる道は混じり合う。

 お前が道に乗った時、お前は混じりに耐えられなかった。

 正しく帰るその道に、戻るべき場所へのその時に、痛みに呻いてあたわなかった。

 現世うつしよであるお前の身が保たず、その身の重さと時の経過にお前も保たなかった。

 あの道渡りにお前とお前の身が保てなかった。

 道に意志は無い。あるのは適合だ。条件に適合した故に道は開いた。なれど道を渡らぬ。道を下りん。ならば次に段階を引き上げ、より良く整え渡りを支える。


 渡りに保てぬ以上、道に留まればかかる力に潰えて終わる。それは消えるのと大した差は無い。


 結果、その道を通うことができん。


 つまり、戻れん。


 自力での帰還が適わん事が判明したお前の生きていたいと望む願いを叶える為に、安定を優先して先に手にしたお前の一部を使って、本体と繋げて強制的に引き上げた。

 繋げた本体の同じ部分()から複製の器(クローン)を作り出して、現世の身に致命傷となった組織を移し替えて準備した。

 新たな器にお前自身を移すべきかとも思ったが、同じとはいえども始めからのモノの方が定着は確実だ。何より作り出したあれ(クローン)には僅かだろうと俺の質が残る。移しただけの部分なら本体に馴染み薄れて残りはしない。どこかが、なにかが違うと後々の意識の不具があってはならん。


 円を抜ける時に、上手く重なるようにゆっくり混じり合わせたからな。

 抜け切った時に少し反動が出るかと心配したが、差し替えに不合の総てが上手く流れた。仕込みが生きたわ。手間暇掛けずに強制することもできるが、あんなもの、やっつけ仕事の様な符合合わせでは襤褸が出る。それを力で覆って誤摩化したに過ぎんものなら違和が残るか、やがては綻ぶか。

 綻ぶ前に首尾良く終わろうとも、覆いの隠しなど見る者が見れば簡単に見抜けて笑いを誘う程度のモノでしかないわ。


 俺が成す以上、そんな程度の低いことはせん。お前に下らぬ隠しなど充てがわん。

 今のお前は、先ほどと違い確かに生身よ。生来からの間違いない体だ。


 終わった器は不要だし、均整を計る為にも差し入れた。

 お前は世界から抜け出たが、確かな器が残り均衡が保たれた。保たれた以上、波は無い。これより先、あの世界が生きるお前を因子として阻害することもない。

 お前の身も歪むことなく安定している。その身に置いて何一つ心配することはない。安心していい。





 教えられた内容が頭に浸透する。


 体、体。今のこの体。

 倒れた時と、同じ服。同じ靴。あの時と変わらない自分。


 痛みのない体。震えた恐怖。生きていられたその喜びに嬉しいと歓喜が沸き起こる。

 その代わり、もう、あそこにお前の居場所は無いんだといわれた内容そのものに、それってなんの冗談? と頭の中で疑問が膨れ上がっていく。頭の片隅で、何か(シグナル)が明滅する。



 周囲のこの空間が圧迫する。

 圧迫する事実が、理解しろと強要する。

 理解するべきその内容に、じわじわと血の気が引いてくる。


 俺を見ている男の人。笑っているこの人。





 いつしか、若木も花囲いも見えなくなっていた。

 光の円の内側に居た俺もいない。



 俺が今いる場所は、どこ?

 清涼な気配でもない、重く昏い中でもない、ただ薄暗いだけの空間で助けてくれた男の人を見上げる。



 「そうだな。少し動かすか。 ほら、見ろ」 


 男の人が指差した地面に目を向ければ、地面がなくなってぽっかり開いた穴があった。

 そこに色が映り、次第に発光して人影が見えた。

 映る影がだんだんと大きくなっていって、まるで屋上から階下を覗く構図で何かの画面を見ているようだと思ったが、映り出された映像の真ん中に倒れた俺がいた。


 さっき光の円の中で倒れたのと同じ格好で倒れている。


 俺と同じ服装で倒れている俺が…  いる。

 周囲には、血を流して泣きじゃくっている女の子と、その子の肩を支えて必死に何かを言っている誰か。

 茫然自失として座り込む子を自身も震えながら、「お願い、しっかりして」と揺さぶっている子。揺さぶられるまま座り込んでいる女の子の服に、 『あ、あの子だ』 と思った。


 警察か救急にか、携帯を握り込んで話している奴がいた。

 倒れている俺に呼びかけたり、傷口から流れる血をなんとか止めようとしてくれている友達の姿があった。痛いと泣いてる彼女に話しかけ、患部を押えようと皆が動揺しながら、なんとかしようと動いていた。


 そこに、人だかりができつつあった。



 視点を広げれば、別の場所でも同じことがなされていた。

 

 警察官がきて、救急隊の人がきて、俺の前で時間が映像として流れていった。




 地面に手をついて、食い入るように見た映り出されて変わっていく時間。


 俺は此処に居るのに、あそこで救急車に運ばれていった俺は… 何?

 さっき聞いて理解したことが、ぐるぐると頭の中で踊り続けて回る。


 なんだか喉が乾く。心拍数が上がってない? 俺。




 「お前は、ちゃんと此処に居る。生きているぞ」


 男の人がくれる答えが、安堵と一緒に心に何かを寄越す。


 

 「生きたいと、消えたくないと願うこと自体は何もおかしなことじゃねぇぞ。ただな、その願いが叶わぬまま流れていくのが当たり前に多いだけで、絶対の何かによる癒しみてぇなのが普通に無いだけだ」


 「でも、それならあなたは…?」

 「あ〜、俺は癒しの類いは、あんまり使いたくないんだよ。ん? …できんわけじゃないぞ? きっちりできるがな。

 ただなぁ… 基本てめぇで可能なら、それをけてやる程度が最良だと判断してだなぁ。 …総てを視野に収めれば、やり過ぎるとお前が異常とされて異端視されかねん。奇跡的な回復を喜ぶ位の事ですみゃあいい話だがよ? 細胞がナンだと、研究対象だとかヘンな感じで言われたら嫌だろ? 

 お前を助けることは範囲内だが、それ以外は範囲外だ。

 その場やその後に繋がる包括には手を出さん。必要以上の手は他の在り方を考慮すれば、あまり良くない。どうでも良いものならどうでも良いから、どうなろうとも知った事ではないと好き勝手にどうでもするが。

 お前が道を通れずにこうなった以上、助けるのに一番簡単で確実で時間を大して喰わん方法が移し替える事だったわけだ」


 苦笑のような軽い声と共に返ってくる答えに、頭が真実ついていっているはずなのに、どっかで思考落ちしそうなこの感覚。


 話の内容を理解してしまえば、それは… それは現実では不可能な夢物語で、本当にそうならその事実を… 当たり前に受け止められんの? 

 すげーで終わっていいわけ? 神様、助けてくれてありがとう。とか? 


 ほんとにそんな思考だけで?

   

 まじ終われんなら、その無神経な鈍感さが拍手もんだよ!





 笑む顔は優しい気がした。

 だから、問う。怖い疑問を問わない事には、やっぱり怖い。


 「あの、あのですが。どうして、その… 普通は無い事が可能になったんでしょうか?」

 「ん〜? ああ、お前が覚えていなくてもこっちは覚えているからな。お前の願いに、一度だけ手を差し伸べてやろうと決めた事だ。その期限の内にお前は願った。だから、叶えてやろうと俺が来た。それだけだ。この事は俺らで決めた話だから、助けた事でお前から何かを貰おうなんぞ思っちゃあいないからな。そんな心配なら不要だ。気にするな」


 軽い口調の返答に疑問が増える。答えになっていても、疑問が増す答えだった。俺の聞き方がダメだったんだろうか…? 増えた疑問がツラい。



 『どうして、移し替えるなんてことが可能なんですか?』


 …聞きたい反面、口にしたくない気がすごくする。触れて怒られないか怖い気がする。問題は言い方だと思うけど、その程度なら怒らないと思うけれど。

 この優しく見える顔が怒ったら、どう取り繕えばいいのか想像もできない。

 意識の片隅が怖いと告げる。存在感が怖い。


 この人が怒ったら、きっと俺なんか簡単に消し飛ばされる。


 どう、すればいいのかわからない。

 覚えているって何を?


 俺は会った覚えなんかないよ?




 俺は、素直に助かって良かったと言えばいいんだろうか? 

 ここに生きているのに、居ないモノとして世界から弾かれたこの状況下でも。

 俺がいるはずの場所がなくなったこの状況下でも、ああ、良かったと言うべきなんだろうか? 

 善意と思われる行動から助けてくれたこの人に、こんな結果は望んでいないと。嫌だ、あそこに帰して欲しいと言って良い?

 帰して欲しいと願って、帰してくれたらあそこで俺は生きていけるんだろうか? 生きてない俺があそこにいるのに。


 それに今、均衡を保つのにって… 器があるから、波が無いって。

 波。

 波って… 海で波に攫われたら溺れる… 波に呑まれて浮き上がれなかったら、死ぬよ… な、普通?


 助ける為に、この人は移し替えたと… それがなかったら。

 してもらえなかったら俺は… 俺は生きて、いた?




 思い返す、自分が保てず流れ出していくあの恐怖から離れた安堵。激痛から解放された安心。

 震えるほどに嬉しかった。


 間に合って良かった、そう言って笑ってくれた。

 俺を実質助けてくれた、この人の行為に感謝して礼を言うべきだと思う所で声が出ない。


 笑ってこちらを見ているこの人の善意こそが、息が詰まる程恐ろしい悪意にも思えた。






 願いは した



 叶えてもらった 願いは







 どう


 なにが どう違えば     なにが違えば、こうならなかった?  


 どこで なにが いけなかった


 いけないこと あった?


 俺 なにかした?



 わからない



 笑い返すことも、怒鳴り散らすこともできない。

 どう動けば良いのか、どう考えても判断がつかなくて手を握り締めた状態で動けなくなる。その人の顔を見ることしかできずに頭が回らない。立ち上がれない。


 薄暗いだけの空間に乾いた硬い地面が、ここはお前の領域テリトリーではないと告げてくることだけを確実に理解した。




 「もっと見るか?」と言われた。

 「お前の器に取り縋る家人の様子をここで見るか?」と繰り返される。


 かじんにピンと来なかったが、姉を思い出す。

 即座に頷けば光景が変わる。




 病院の内部と思わしき場所で、白衣の人の声が聞こえる。


 被害者は、男性で…


 刺された位置は、ここ。

 刺し傷の広さの程度が、どう。

 その深さは、これほどで。

 その際の形状が、このようになっているところから、おそらくはこういった状態から、これこのように。

 力の加減が、どれほどかと言えば… 

 即死ではありません。 

 この位置が… この臓器に それで出血量と… 


 それから周囲の証言からすれば…


 

 複数の声が交わす会話が、刑事か医療ドラマのワンシーンのようだった。

 言葉の意味を半ば理解したと同時にきつく目を閉じた。




 消えていく、俺の居場所…



 理解に、息が詰まるようで    息が。





 再び開いたところで目に映ったのは、白い空虚な部屋だった。



 白いシーツを掛けられて横たわる俺の前に姉がいた。俺が横たわっていた。

 姉は何も言わずに見ている。

 そっと頬に手を差し伸べ触れた所で、さっと手を引っ込めた。


 「冷たい」


 姉が呟いた、その一言が俺の中の何かを突き刺して俺を凝らせた。

 そして、俺と同じように凝った姉が泣きもせず、瞬きもせず、胸の前で固く手を握り合わせて横たわる俺を見ていた。



 そこにいるのは () なんだ。




 もう一度、姉の手が伸び頬に触れる。

 今度は離されることなく何度も頬を撫でた。

 撫でながら呟いた。


 「苦しかったのかしら。それとも言ってらした通り、苦しむ意識はさほど無く終わったの…? 私の大事な弟は、一人でどこにいったのかしら… 」


 シーツを捲り、手を取り出す。

 その手を姉が両手で包み込む。



 「ああ… やっぱり冷たいわ」


 一言、そう繰り返してずっと握り締めていてくれた。



 握り締められた手は姉の温かさでほんの少しの温もりを維持しても、保持し続けることもそれ以上の温もりを姉に返すはずがなく。




 姉の手が、指が、白くなった気がした。


 姉は天を仰ぎ、地に俯き、横たわる俺の手を握り締めて額に押し当て何事か話しかけている。

 顔は俯き見えないままの姿に、どうしたらいい? 



 「姉ちゃん、あやめ姉ちゃん!」


 叫んでも全く届くことのない声は、乾いた空間に吸い込まれて消されていく。

 それが、俺と姉の隔絶した距離を正確に現した。自分の力で全く何もできないことだけを否応なしに理解させられる。




 差し伸べようとする手は始めから届かない。

 自分でできない事実を自分でどうにもできなくて、どうにかして欲しいと見上げた男の人は。


 俺を見ていたその人は。

 何も言わずに俺を見る目は、何もしないと言った。否定も肯定もしない。手は貸さない。何をどうしても良いが、俺が動くことはないと揺るがし様の無い眼差しで俺を見ていた。



 静かな目が、何もしないと。


 喉から叫び上げた所で、何一つ変わらないと。

 どう足掻いた所で、理屈でも感情でも動かないと。


 俺の前に、揺るぎない確固たる何かが人の姿で立っている気がした。


 それは… 大人だからって言ったら合ってる?

 俺はこの人が、人じゃないと思っているから願おうとしてる?

 人の姿だから、縋ろうとしているんだろうか? 


 人じゃない姿だったら、こんなこと思わないんだろうか。

 動かない大きな岩に向かって助けて下さい、なんて誰も言わないよ。



 でも、力があるならしてくれたっていいじゃないか! 




 心が痛いと軋り叫ぶ!

 その叫びに、片隅で小さく返す声があった。



 驕りとか、傲慢とかとソレって似てない? 何の屁理屈? あるなら当然ってどっから出る思考? 僻みって知ってる? 


 自分の思考だけに浸ってふやけんの?  




 冷めた呟き。




 諦められないけど、届かない事実にお願いする事もできなくて、心が逆さまになって抑えられて痛くてどうしていいか、どうしようもないと捩れて苦しい!




 「 …ュッ  ……   …         」




 口を開ければ息が上がる。言いたい事が言葉に成り切らずに息になる。



 息が、熱を帯びて。





 「 あ  …ぁ 」


 上がった息から迫り出す声が単語になってブツ切れる。ブツ切れたから意味を成さない音として口から溢れ始める。上げた息に想いが押されて堪らず涙が滲む。

 滲むのを見られたくなくて、地面に突っ伏したら止まらなくなってみっともないくらい泣き上げた。


 それしかできなかった。




 泣いて、泣いて。鼻水も啜り上げて。

 隣の気配に気づいた時、大きな手がほんの少し俺の髪を撫でた。

 小さな子供にするような慰めと人の手にどこかで心が縋っていく。だけど、同じだけの想いでそれは不要だ、俺に触るな!と心が喚き出す。それでいて、その手を振り払えなかった。



 心が。


 相反しても。










 泣き上げた心が時間の経過に眠りを望み、思考は落ちようとする。


 ぼうっとした。

 どれだけ経っても周囲は何も変わらない。目の前に広がる薄暗い空間は見るものもなく、見る為のものもなく、虚ろで心に映らない。




 「ずっと、ここに居るか?」


 「お前は、ずっとここに居たいか?」




 声に顔を上げた。

 静かな目に俯いて手元をみる。視線を動かし周りをみる。

 泣くことに占められ閉じていた頭が 『此処に居る』 という言葉の意味を、解そうとした。




 此処に置いていかれる  捨てていかれる


 「居たいか?」の問いかけに、そう思った。



 自分ではどうすることもできないこの場所に。一人で取り残される。

 此処。

 此処で、一人で生きる? 生きれる?



 冷たい気配が近寄ってくるのを感じた。



 そうだよ。

 そもそも、この人は誰で、どうしてこんなことができる? 


 躊躇って聞けなかった疑問が顔を覗かせる。

 上がる疑問に心のどこかが口に出すことに待ったをかける。言うなと制止する。広がる目の前のこの現実に、今必要な理解じゃないと否定する自分の声が聞こえた。

 …鈍感でいるのが正解なんだ?




 「居たくない」


 震える声で、小さくそれだけ絞り出すように答えられた。

 


 「ああ、それなら良い。ここでお前は生きてはいけない。自分で渡ることもできないのだからな」


 うん、うんと頷き、座り込んだ俺とわざわざ目線の位置を同じにして話しかけてくる。

 俺を覗き込む黒い目が本当に優しそうに見えた。上辺だけじゃなく、本当に心配してくれている人の目に思えた。



 「これ以上みても、あまり楽しくもないだろう。お前の器がなくなり、お前の家人の負の感情をみるだけだ。器があそこにある以上、お前の家人の心も時が経てば、いつかは薄れるだろう。その為にも器はいるもんだ。

 ここで最後まで見届けるのもいいが、見届けてもここからお前が離れられなくなりそうだ。わかってはいないだろうが、お前の体は強くない。それもまた考慮すべき事だ。

 もう、ここに帰ってくることはない。このように、あそこを見ることもない。

 お前にとっては想いも由らぬ決別かもしれないが、生きること選択したのだ。すぐに納得することができなくても。


  …お前が、  生きるために、  こちらへ、  おいで   」




 そう言って、差し伸べられた手を見る。


 下から助ける様に差し伸べられた手。気遣いが忍ぶ黒い目に、口の端で微笑む優しい表情。




 言葉が頭の中で回る。


 言われた言葉を信じていいのか。

 疑おうとしても何から疑えばいいのか思いつかない。反面、話が出来過ぎじゃないかとも思う。けど、自分が何もできない事実だけが重く伸し掛る。何を基準にしていいのか、わからない。


 自分の望み、自分の身の安全、自分自身の為に繋がることを最優先に考える?


 助けてもらって、ここは良くないから安全な方へ移動しようと言われて、納得はできないかもと配慮がきて? 

 

 これを何からどう疑えば正しい。

 俺自身に、そこまでしてもらう価値があるのか?


 代わりに何かをもらうこともないって言った。

 これが好意じゃないとしたら、何が好意になる?



 それでも決めかねて、視線がさ迷う。

 さ迷い振り返った先の地面は、あの場所にまだ繋がっていた。繋がっていたけれど、もうそこに姉の姿はなかった。


 器の俺だけが、寒々しい白い部屋に取り残されていた。




 …いや、違う。あそこが、アレの正しい居場所なんだ。


 いま此処で生きている俺が此処に居るということは

 差し伸べられたあの手を取らないということは


 アレになるのだと思い至った。

 至る事実に心臓がキツく締め上げられて、小さく身震いする。



 目を閉じ、息を吐く。

 震えを散らして、その手を取った。



 「生きていたいです」




 花の光は優しく慰めてくれた。若木の光も綺麗で救いだったけれど、どちらにも温もりはなかった。


 触れたその手は確かに温かくて生きていた。

 この薄暗い場所で初めて触れる確かな命の脈動に心が震える。

 花灯りを手に道を歩いた時には、さほど思いもしなかった。でも、命の感じられないこの場所は恐ろしかったのだと、本当は心は逼迫していたのだと触れた温もりに教えられる。


 取ったその手を、握り締めた。

 握ったその手が、俺を引っ張り立ち上がらせる。


 立って見上げたその人の優しい気配。




 生きていた。 


 生きていたいと、涙が滲んで心からそう思った。





童謡 赤い靴 

深く深く深遠に考えることもなく口ずさんで一部を書いていた。


はて、この場合曲名は伏せ字にすべきであったろうか?

…本文に内容記載したわけじゃなし、いいか。つか、後書きに書かんのがいいか。

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