02 願い
明るい日射しの中から暗い棟の中に入れば、明暗反応により一瞬だけ目が眩んでしまう。
カツン カツン カツン…
棟の廊下を歩いていく音だけが響く。人の気配は薄く静かな廊下を行けば、一つの部屋の扉の横に机と椅子が一脚ずつ置かれ、その傍らに女性が一人立っていた。その女性の胸には記章が一つ飾られている。
受付役であるその女性に声をかけ、鞄から今日の為の許可証を取り出し差し出した。
「ハージェスト・ラングリアです。本日の召喚獣の召喚の許可をお願いします」
女性は差し出された許可証を受け取り、机の上に束ねて置いてあった書類を捲って確認する。それから、別の用紙を取り上げて記名された名前欄に確認印を指しながら応えた。
「はい。ハージェスト・ラングリア君、到着と。召喚に関する注意事項についての再度の説明は必要ですか?」
その言葉に「不要です」と返事が返る。
返事を聞いて女性は一度頷いた。
「では、いつも通り最端の部屋を割り当てます。こちらも注意しておきますが、準備が整いましたら速やかに合図を下さい。召喚は必ず監督役がついてから始めるようにして下さいね。今日のあなたの成功を祈ります」
「ありがとうございます。成功するよう努力致します」
女性の対応の言葉から、ある程度の顔なじみであるようだ。
再び廊下を歩き階段を降りてたどり着いたのは、事故が発生した時の対処の一つとして造られた窓の無い部屋。地下部分に作られた、この廊下の並びの部屋の造りはどれも同じ。
その最端の部屋である。
室内に入って設置された常夜灯を動かして明るさを保つ。同時に空調も稼働させ風の流れ作り、室温を適切にもっていく。室内を目視確認してから、部屋の隅にある備え付けの小さな机の上に鞄と脱いだ上着を畳んで置き、袖を捲り上げた。
ーーいつもの最端の部屋か… ある意味、俺専用みたいなものだな。それも今日で終わりだ
自分自身を少し嘲笑しながら、床に大きさの目安をつける。白墨で円の外縁の四点を決め、その十字の中点を定めてそこを基点に召喚陣の概要を薄く描き始めた。
ーー俺の魔力量が、一般に普通と定められた量ほどあれば、直に魔力だけで描きだして短時間で終わるのにな… ああ、 違う。 普通量あれば、それで納得して良しとして折り合いをつけて、それで終わったんじゃないかな? 召喚を行おうとは思わなかったのではないかな…
ーー俺の魔力量はどうやっても普通とされる規定量には達していない。 だが、全く無い者達や本当に微量とされる者達の量よりは十分にある。 …兄と弟の魔力量は遥かに多い。 双子の姉達は普通量だが、一つのものを二人で分けたからだろう。その証拠に姉達の同調によって成される術の威力は兄達に劣りはしない。 得意な術だけであれば、その威力は兄を上回ることもあった。 兄弟で、いや、一族内で魔力を持って普通にも達しない魔力量は俺だけだ
キュッ キィィ カツッ。 ちびた白墨を変え、二本目の白墨を手にする。
ーー召喚には制約がかかるから、今回で都合 …十回目か。 そりゃあ、陣を描くのも慣れるってもんだな。描くのを間違えないよう練習もしたわけだし。 陣の形状だけならば、もう脳裏にも描けるというのにな。
…脳裏に描けても魔力量が足りないから、意味にならない、か
白墨で描きつつ、思考内容に薄く自身を嗤う。
嗤うその顔は次第に苦渋に変わっていった。
ーー…俺の描くこの陣は、ほんとうに見えているんだろうか? 俺の声は、ほんとうに届いているんだろうか? 今まで一度として兆しも気配も感じられなかった。 召喚術自体、合ってないんだろうか…
ーーいや、そんなことはない。 俺はちゃんと渡すべき召喚の証を作ることができた。 できた以上適性はあるはず。 術の行使ができないはずはない
ーーなら …やはり届いてないとみるべきか。 同じ術の行使をしても、人によって威力が違ったりもする。威力が違うのは魔力量に左右されるというのが通説だ。 俺の術が間違いなく完成しているのなら、弱すぎてはっきり届いてないと考えるのが… 妥当なんだろうな
少し離れて陣を眺め、三本目の白墨に変えて形状を補足し直す。
ーー召喚には通常の術よりも多くの魔力量が必要だ。 一般的には普通とも標準ともいわれる量を持つ者が儀に挑んで術を行使する。 普通に満たない俺ではどれだけやろうとも無駄なのか… いや、過去の事例では喚べた例があった。 確かにあった。 成功させた奴は居る。 それなら俺にだって可能性はある。 そして、成功した奴の魔力は増したという
ーー召喚獣と契約できたからといって、自分の魔力が絶対に増すという保証はどこにもない。願ったからといって、成功した奴と同じような召喚獣が来るとは限らない。 ただ確率が上がるというだけだ。 その事例を聞いて、安直に召喚獣を得たいと思った俺は間抜けだろうか?
ーー……どう考えても間抜けだな。 結果だけを願って召喚後のことなんぞ全く考慮しなかった。 召喚獣を得るということは、食い扶持が増えるということだ。 生きている以上、食事や寝床、必要最低限は構えられなければ意味ないだろ。俺。 家には財があるがそれは俺の財ではない。 得たいと願った時点で今の俺は家に了承を取らねばならないのに。 ああ、心底、兄には頭が上がらない…
通常描かれる陣よりも幾分小さく描いた陣を再度確認してから、白墨で描いた召喚陣を今度は外縁部分から基点を終点として魔力を込めてなぞりあげていく。
陣紋に意味が宿り力が宿るのは、形状紋に魔力が回りきって初めて生まれる。どこから描き始めてもそれは問題ない。
ーー完全に手詰まりになったら国に援助申請して、国仕えでもして済ませようかとも思っていたんだが… そうなると最悪は軍属だよな。
ーーだめだ。 俺はほんとうに自分のことしか考えてない。 軍属したら召喚獣も共に戦場に出ることになる。 俺は戦場に出ることを前提にして、その為に喚ぼうとしているわけじゃない。 いつかは出ることになるかもしれないが、生死がかかる大事なことを俺の一存だけで決めていいはずないだろう? 結果的に戦闘をするにしても個での一戦闘と、常から行われる集団戦闘では意味合いが違い過ぎる。 相手の意思を最初から蔑ろにするつもりか? 俺は。 それに兄は軍属に難色を示していたしな… 難色を示しているのにごり押しするのは馬鹿だな。 あと軍の立ち位置がなぁ 援助申請なんかでいったら使い捨て状況になりそうだ。それなら始めから兄の勧めに従って家の方に従事するべきか? しかし、家に頼り切りになってもと思ったんだがな…
陣に魔力を込める行為を止やめることはしない。
ーーいい加減、早くに見切りをつければ良かったのか? でも、やっぱり… 諦めきれなかったんだよな。 時期が来たら今回こそは、みたいに思っていたし。 何もしないで手を拱いているのは嫌だったんだ。 それに、制約のある召喚をこうもできるのは、学舎にいられるうちだし…な
ーー今回もおそらく、 …無理だろう。 術が届いてないと予測ができて、それでもまだ術を行使しようとしている俺は浅ましいのか?
ーーいや、違う。 そうじゃない。 …納得したいんだ。 始めから無理だとしても。 ああ、 そうだ。 これは、けじめだ。 そうだ。 これで最後と決めたんだ。
俺が、俺自身が、納得するための、先に進む為の行動だ。 決して届かないとしても最後まで、足掻いたことを誇れるように
もうこれ以上、あとに想いを残したりしない。 その為の、けじめだ
なぞりあげ切り魔力を内包する陣を確認しながら、呼気を整えていく。体を二度三度と動かし、自身に異常がないか確認する。
ーー魔力量が増大しないか色々試すうちに、操作することだけは我ながら上手くなったよな。 しかし、…この量じゃあな。 魔弾一つ放つより剣技に薄く魔力のせて、ぶった斬った方が使い勝手がいい気がするよな
完成した陣を離れて机に向かい、鞄から水筒を取り出して水分を口に含む。水分が体内を流れる感覚が分かる。足元を見て少し叩いて捲り上げていた袖を下ろす。手巾で手を拭ってから上着を着込んだ。
ーー少し汚れたか? …許容範囲だろ。 最後の儀にみっともない姿で臨むのは勘弁だ
己の魔力で形成された召喚陣をみて強く思う。
ーーこの陣で喚ぶんだ
思い定めて合図を出そうと部屋の扉を開けたその先に、こちらにやってくる人の姿があった。その人の胸にも先ほどの受付の女性と同じ記章が飾られている。
「ハージェスト・ラングリア君だね? 今回、君の監督役を務めるキース・ヘイゼルだ。外部からの委任組だよ。そろそろ頃合いか思ってと来たんだが、正解だったようだ」
ヘイゼルと名乗った男は人好きのするような笑顔をみせて言った。
それに合わせて笑みを返す。
「はい。ヘイゼル監督役、本日はよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく。理解しているとは思うが、確認の為にも一応言っておくぞ。こちらは隣接する部屋から窓を通して君の召喚の経過を監督する。介入するのは術の暴走や、召喚獣との契約に際して起こる突発的な事象に対してだ。他は… そうだな、契約が成されたとこちらでも判断できた場合にのみ、声による示唆はありえるな。しかし、それ以外の介入は一切しない。君の方で必要だと思った場合は合図をするように。 以上だ。 君の幸運を祈る」
「ありがとうございます。ハージェスト・ラングリア、これより召喚術の行使を開始致します」
監督役が隣室に入るのを確認し、もう一度部屋全体を見回す。確認と用心は怠らない。執り行うのは己。誰かが言ってくれなかったから、気付けず失敗したなんて言うのはお笑い種だ。
納得してから召喚陣を前に召喚の証を取り出す。 証である銀色の指輪。
ーー通常の物より小さい俺の証。 なんの装飾もできなかったけれど、取り繕ったところで何一つ変わらない。 これが俺の精一杯だ、恥ではないさ
ーーなんだかんだ思っていても、今になってもやっぱり願っているんだよな。 俺は
召喚の証を一度強く握り締め、握り締める拳を額に当てわずかに祈った。
召喚陣の真ん中に証を置く。
陣全体を視野に収める為に距離を取り姿勢を正し、一つ深呼吸をする。
空調の流れは有るか無きかの微弱に落とし、部屋の光度を弱めて、陽炎のように魔力を漂わせる召喚陣だけを際立たせる。
語るべき言葉を意識して切り替えてから詠唱に入った。己に残る魔力の量を把握しながら、常套句ともいえる唱句に己の請文を織り交ぜていく。
召喚において最も重要なのは召喚陣。如何に声を上げようとも、渡るべき道がなくてはどうにもならない。正しく己の元に来てもらわなくては意味がない。
召喚陣から魔力が完全に消失するまでの一定の時間が勝負。
紡ぐ、紡ぐ、紡ぐ、
魔力を保って紡ぎ、声を以て紡ぎ、意思を持って願いを紡ぎ、想いのすべてを吐き出すように謳い上げる。
ーー陣が内包する魔力が薄れてきた
召喚陣が発していた魔力からなる陽炎は視認が難しくなってきているが、他の変化は見受けられない。何かが動くような気配も感じられない。
ーーはは。 欠片の兆しもないな。 請文も望みに足りてないということか? どちらにしろ次の詠唱で陣は終わりだ。 …俺の行う召喚術もほんとうに最後だな
なにもないと見定める。
少しだけ考え、唱句に請文を改めて一言継ぎ足し最後の詠唱に入った。
詠唱と共に心の中で強く願う。
ーー願う願う願う ここに、 私の隣に、 力が足りない私をその力で補って欲しい
守る… から 力不足の私が言える言葉ではないかもしれないが、適う限りに守るから
だから、 どうか、 ここに、 この場に、 我が元に、 乞い願う!
召喚陣から魔力が薄れていくが変化はない。
立ち消えていく魔力を見つめ続けながら、 ここに、と願った。
薄れていく中、最後の魔力の一欠片がゆらめいた。
小さなゆらめきは消えることなくゆらゆらとした動きに変わり、次第に大きくなり、ゆうるりと周囲の空気を取り込んで一つ大きくうねりあげて場を形成した。
ーー来てくれる、のか?
最後の小さな一欠片から生み出された力場を、願いを込めてただひたすら見つめた。
ハーは罠を張ったの図。 証の形状からルビにリングと振りました。意味の繋がらない不明なルビ振りをする気はありませんが、ルビ遊びはしますのでそのつもりでお願いします。