19 至らぬ道に至る為のその道は遠く
学舎からの帰途につき家に帰りつく。
改築して出来た王都の別宅をみれば、確かに家に帰ってきたかと思う。
この王都に構えた居は貴族家のものではあるが御大層なものではない。別宅も別宅なものだ。それでも変に見栄だけ張るような家にならなくて良かったと思っている。
これまでは定宿を見繕うのも良い情報で楽しく、たまさか王都の親戚にあたる分家等を利用していたが親戚筋というのは色々あるもんだ… やはり別宅でも我が家はいいな。落ち着くな、ほんとに。
兄弟五人が揃って夕食を取る。
五人全員が揃うのは久しぶりだ。俺はいずれ跡を継ぐ、その為にあちこち動いて確認やら領地の実状把握に努めている。今回は親父殿と入れ替わりで王都に来ていた。弟二人は王都の学舎で妹二人は本邸にいる。目出度く決まったネイルゼーラの輿入れの為の品を妹二人で見に来ていたことが王都で全員揃った理由だ。
賑やかな食卓というわけにはいかなかったが、子犬の存在もあって和やかな雰囲気になった。リオネルがハージェストの顔を頻りと伺って、何かと話かけているのが微笑ましい。
だが、やはり召喚獣の顛末の話になる。リリーが少し話すことをハージェストは穏やかに、しかし何も言わず笑っていただけだった。
「子犬の名前をどうするの?」
その言葉に、「どうしようかな… 」とだけ子犬を見て答えた。
食事を終えて居間に場を移す。
リオネルは子犬を構おうと手を出したが、子犬はその手の匂いを嗅ぐことに夢中だ。その後はどっちも楽しげに遊び始めて微笑ましいが、ハージェストが動くとあっさり止めて足元に走って行く。呼びかけても振り向きもしない。 こういう所も通常の子犬と違うんだよなぁ。
外に子犬を連れ出して排泄させに行く姿をみれば、室内に場所がいるかと考える。もう少し大きければ外でと思うのだが心情的にも今しばらくは無理か。
一声かけて部屋に上がっていく姿を見送ってから四人で話した。 ハージェストが上がってからのリリアラーゼの眉間の皺が何とも言えんな。…リリー、額に皺が残るぞ。いいのか?
「ハージェスト、入るぞ」
扉を叩いて入れば室内は暗いままだった。子犬が尻尾を振りつつ足元に寄ってくる。 よしよし、俺を覚えたな。
灯りをつけず、ハージェストに近づく。
酒とグラスを乗せた盆を机の上の置き、寝台の上に片膝をたてて座る弟を眺める。夜陰の中の星明かりの下でみた弟は思っていたより、まだましだった。
俺が話しかける前に先に口を開いた。
「今日はありがとう。兄さん。俺一人なら感情だけが先走って、何もかもを完全に片付ける事は絶対にできなかっただろうな… 逆に馬鹿な事をして子犬を取られていたかもしれない。 …俺は、あいつらを許したくなんかなかった。痛めつけて二度と動けないようにしたかった。俺の召喚獣があげた悲鳴と同じ目にあわせてやるとその事だけを誓っていた。 だけど、自分でしてたんだな。しっかり自分で仕返してたんだ。 何かしていたとは思えなかったのにな… 」
俺が弟の隣に腰を下ろせば、子犬はハージェストの片足の傍に陣取る。
「本当に魔力は無かったのか?」
「…なかった。本当に欠片もなかった。初めてみた時、魔力が無い事になんでだ?って八つ当たりした。その結果、怯えさせた。俺が契約を迷う間にもそこに居るのに、どんどんどんどん気配は薄れて、まともな会話も出来ずに帰還されて終わると思った」
初めて聞く契約状況の実状に開いた口が塞がりにくい。口元が引き攣るわ、弟よ。
「それは… よく、契約が叶ったな」
「本当に、そう思う。どうして受けてくれたのか聞きそびれた… 証を見ていた姿は適合者がいないから我慢して受けた様子もなかった。…魔力がないから俺の望みは叶わないと思ったけど、成功すれば区切りはつくと思った。俺は、ごちゃごちゃ考えて最後に自分の打算を優先した。相手も思うところがあるから来ているんだと。それらを含めた上での契約の行為だと。 なのに …消えていく時、痛いとも、俺を責める言葉も言わなかった。笑って、最後に犬までくれた。 兄さん、どう思う? 自分の欲だけ考えて動いた俺とは大違いだ。最後には自分でやり返して俺には何にもさせてくれなかった。 非道いよな」
淡々と語る弟に、もう一度会いたいか? と聞いてみる。
「会いたい… 会って話がしたい。叶うならもう一度願いたい!」
跳ね上がるように勢い込んだ声は、すぐに沈んだ。
「…生きているかわからない。あの状態が帰還だったのかも不明すぎる。…喚んで来なかったら、どう取ればいい? 生きていないのか、そればかり考えそうだ。それに… もし、喚んだとして、兄さんなら喚ばれて来るか? 自分を助けられなかった奴の所へ、喚んでいると気付いてもう一度行くか?」
俺なら行かんな。
言葉には出さなかったが、表情で理解しただろう弟は立てた片膝に顔を押し付けた。
もう一度、問いかける。
「それなら、俺が喚んでみようか? 俺とお前は兄弟だ。可能かどうかは不明だが、全くの他人よりは確率はあるかも知れんぞ。検査機関の奴らも言っていたがな、ハージェスト。終わったといえども、お前はあの召喚において挙げた誓約に召喚獣と交わした契約を他人に話す気はあるか?」
「無い!!」
打てば響く、弾けば飛ぶ、そんな反応だ。顔をあげてこちらを向いた弟は震えていただろうか?
「 ……! 話すことは無い!
終わったといえど契約は契約だ。俺の召喚獣と交わした契約をおいそれと口外して堪るものか! あいつらは、契約の意味をなんだと思ってる!? 内容が推測され、それが合っていたとしても自ら破棄するのと同じ行為を誰がするかっ!! 内容を話す気など欠片もない! あいつらは機関の者だというが、一体何を優先する事が当然だと考えているんだ!
…叶うなら、もう一度会いたい。それは本心からそう思う。
だけど、だけど、あの召喚獣は俺の召喚獣だ。もし、兄さんが喚んで成功して、もう一度会えたらそれはそれで嬉しい。でも、そうなったら、それは兄さんの召喚獣で俺のじゃない。 一緒にいることができてもそれは違う… いつかそのことで納得するより、きっと怨みだす。恨んで疎んで自分を憎んで蔑んで、最後兄さんや召喚獣のことも拒絶してしまう気がする。
同じ能力でも違う奴ならいい。違う、なら、 違うの、なら…… 」
激高したあと胸を押さえて項垂れる弟に、胸中で「確認とは言え悪かったな」と呟く。胸を押さえた指先、服の内から何かが出てきた。よく見れば、首から下げた鎖の先にリングがあった。
…終わった黒の証か。
手のひらに証を握り締めて項垂れるその姿に今度は腹の底からすまんかったと、ため息が零れ出た。
子供の頃にしたように項垂れた頭を気持ち撫で、手を放して柔らかい口調で話す。
「なぁ、ハージェスト。お前の召喚獣は優しかったんだな。俺はお前の召喚獣に会っていない。
どんな姿か、どんな顔か、どんな声か何も知らない。どのような表情で、どうのような抑揚で、どのような雰囲気で語るのか何一つ知らない。同じ言葉でも抑揚一つで意味が違ってくる。人伝てに聞くのことでも、文字で読むことでも、意味はわかるが本当にその者が出した発露とは違うかも知れない。だけどな、いま、俺がお前の言葉から聞いて思い描いたお前の召喚獣は優しいよ。
お前は仕返しの一つもさせてもらえなかったと嘆くが、お前がそれをそのまま実行すれば、あの検査官はどうなったのだろう?
どうなっても俺は気にせんが、世間的には微妙な話になるかもな。気にしなければいい話だが、『召喚獣を大事にするのは構わない。しかし、その為に人を貶めた愚か者』と呼ばれたかもな。そういう意味では、させてもらえなくて良かったんだ。お前の召喚獣が違う意味でお前を守ってくれたと俺は思うよ」
「守って…?」
小さく呟く弟の声が、どつぼに嵌まった感がするのは何故だろうな? 何か言い間違えたか?
「ん? ああ、そうだな。そんな事まで考えていなかったかもな。だけど、犬もくれたんだ。お前の為にくれた犬だろう? 何よりこの犬はお前の傍が一番のようだぞ。 …明確な判別は今もってできんが、お前が喚んだ召喚獣はとても強いモノだったと思う。魔獣の変貌や意図的としか判断できない力の押さえ方、魔力が無いことを合わせて考えてもな。その中で、あの子犬はお前の心を思いやってくれたと思える行為だ。力の強弱を計るよりも、そのことが兄としては有り難いと思うよ。お前の心を慮って守るようにしてくれたことを嬉しいと思う。 お前は、きっと自分に相応しい以上の優しい召喚獣を喚んだんだよ」
微かに肩を震わせる弟に、安心させるためと願いを口にする。
「お前は一度も召喚獣について、詳しい姿も、その名前も口にしなかったな。それについて誰も聞く事はしない。お前の中で大事にするといい。いつか話したいと思う時に話せばいい、その時はいくらでも聞いてやるから。すぐには無理だろうが自分の中で折り合いをつけろ。それは誰でもないお前だけができることで、お前が一人で成すべきことだ。それ以外なら皆が居る。痛みだけを引きずっていくのは、お前も皆も苦しいだけだ。 今日はもう休め、な」
弟の肩を軽く叩いてから部屋を出た。
階下に降りながら、医者が書いた書類を厳重文書内に移す事と召喚獣についての禁句通達を思案する。
ハージェストは大丈夫だ。あれなら落ち着つける。今回の事で多恨を覚えたが、それに囚われることはなかった。それだけでも御の字だ。
明日は検査機関の長を叩いて、黒翼に稽古か。機関の長も判明したからな、叩き方も思案するか。そういや黒翼の上官は楽しみな雰囲気だったが、ヘイゼルは真逆な感じだったな。 …念入りにしてやるか。
今回のやり方は誇示する方法だったが、それをハージェストよりリリーが喜んだのが… なんだな。
リリーはそういった傾向が強いからなぁ。いや、ネイもか? ん? 双子だからか? 女だからか?
本音で言えば、あんな言葉で誇示するより実力行使で、手っ取り早く不明な形で不幸な事故を起こす方が簡単で確実なんだがなぁ。魔力誓約は成したが永遠に続くモノなど、まぁないからな。完全な沈黙が可能かわからんが言質は取っておくべきだ。
犬も成長するわけだしな。火を吐くのは魔獣と同列で構わんとしても、俺の結界をそのままにすり抜けて… あれには参った。確かに、どのような事が可能かある程度確認しておかんと拙い。入手経路はどこだと一件を穿り返されるのも気に入らん。
機関の奴らに、もし魔力誓約を強制解除する手があったら面倒だ… そんな便利な手立てはないはずだが… ああ、誓約を心臓にでも絡めるか? 黒翼のあの二人は置いといても、まだ良さげだが機関の奴らは本当にどうするかな。明日の対応の次第では、やはりサクッと夜道歩かすか?
……はっ! いかんな。
思考が短絡になりかけている。あー、まずい。俺も結構キてるのか。
リリーもネイも今回の件では、やはり動くと言っているからな。俺が調べるようにはしているが、女の情報網からの内容を聞いてからにしても良いか。
子犬が示した能力一つでも、機関にしてみれば垂涎の的だ。機関でなくとも知るところが知れば煩わしい。子犬であるということも大きい。条件を提示した上で内部公表の後に正攻法で始末するか? 思案のしどころだな。
それにしても本当に思う。
弟が喚んだ召喚獣は強いモノだったのだろう。力の現し方が常とは違っていただけではなかろうか。一緒にいれば弟の望みは正しく叶ったのかもしれん。
だが、力の有る無しを問わず、あの弟が喚んだ事実だけで十分可愛がれたのだが… ああ、残念だ。本当に一体どんなモノだったのだろうな?
兄に言われた言葉を思う。
守ると約して守れなかった自分が守られている、この現状が泣きそうなほどに忌まわしい。
兄が置いていった酒瓶を手にしたが、入っている酒量が三分の一程度なのは気遣いなんだろうか?
ああ、うん、この量だとやけ酒も無理だな。
小さく笑ってグラスに注ぎ、少し口に含んで飲んだ。
手の中のグラス。僅かに満たす酒。
それらを意味なく眺めて考える。
何もできなかった自分を。
子犬の権利を手放さない。始めから俺のモノ。それでも確実にするその為に言いたい事も飲み込んで沈黙した。嫌みの一つ怨みの一つも言いたかった。口を開けば罵倒の言葉しか出なかっただろう。出た罵倒は己に還る。間違いなく還ってくる。誹った言葉が言った端から己の行動に直結して、お前に不手際はなかったのかと追求する。誰が言わなくても心が言う。『お前の行動に非はないか』と。
そうして、得たものを奪われる位なら…
悪意が鎌首をもたげて蠕動しようとする。それを押さえつけるだけでも、押さえつけねばならぬのかと相反する意志が逆巻いて歯ぎしりする。
己の沈黙一つで購えるのなら安いものだ。
それでも、考えても考えてもやり直しなどできない。
足元の床でいつの間にか眠っていた子犬を籠に入れる。
生きて眠る子犬。鼻がピクッと動く。
子犬を見ていれば胸にこみ上げるやるせない気持ちが瞼を押さえさせ思考の総てを鈍らせる。
グラスの残りを空けると吐息が薄く酒気を帯びたが、酔えもしない。
寝台に横になり天井を眺める。
終わってしまった世界に静かに想いを馳せた。
夢をみた。
アズサと話をしていた。何を話したかも覚えていない。でも、確かに笑って話をしていたんだ。
アズサが立ち上がって歩いていく。呼び止めようとすれば声がでない。体が動かない。遠くなっていく姿になにも出来ずに見送ることしかできない。アズサが振り返った。
上がらない声を必死に上げたところで目が覚めた。
「 はぁ…… っ 」
吐き出した息が苦しかった。胸が重かった。
重苦しい胸が温かい。
天井を見上げていた顔を引き下ろした目の前に、白い足裏の黒と桃色が混じったまだ柔らかそうな肉球がみえた。肉球と同時に揃えた両足から肛門部まで見えた。 朝一に見るか?
俺の呼吸に応じて子犬の体も上下する。 重いわ。せめて頭をこっちに向けないか?
視線を籠にやれば当然、空だ。
両手で触れて確認する。前肢をまっすぐ、後肢もまっすぐ。 犬ってこういう寝方するのか? 子犬だからか? いやまて、どうして俺の胸の上で寝てる。
…昨日、ちがう、その前の晩は俺が抱いて寝台で一緒に寝た。昨日はしなかったが、この子がそれを覚えて寝台に登ってきた場合、叱るのは間違いな気がする。では、この場合どうすればいい? お前の寝床はあそこだと、どう覚えさせよう。
というか、この寝姿。可愛いのだが犬としてこれでいいのか? その前にお前、寝台にまで跳び上れたのか? よく上がれた。すごいぞ、お前は。
毛並みの手触りが良く、ついそのままの姿勢で子犬を撫で続けていたが呼吸が辛い。子犬を持ち上げ起き上がって胡座を掻き、足の上に子犬を降ろす。
顎が外れそうな大あくびをして、んー?という顔で俺を見上げて尻尾を振った。
…なぁ、アズサ。俺、どう躾けたらいいんだ?
窓から朝の光が射し込んで、今日一日が始まる。
心の中が澄み渡っているわけでもない。焼き付いた憎悪が消え去ったわけでもない。それでも、ここにいる子犬の存在がこの場に立ち止まることを良しとしない。
兄の言った『折り合いをつけろ』その言葉が心を巡る。
言われれば、ただひたすらに反発する気持ちと諦観から来る理解に、かく有りたいと願っていた自分自身に持ってる気持ちが入り乱れる。
強くなりたい。
強かに、なりたい。
そう、思う。 そう、望む。 そう、足掻きたい。
夢でみた。
最後に、遠く、振り返ったアズサの顔が話をした時と同じように笑っていればいい。
そう願って階下に降りるべく子犬と一緒に部屋を出た。
by、子犬
覚えてる。ちゃーんと覚えてる。傍いて。 横で寝てた。潰されそうなった(泣) 上で寝た。 前、足元逃げた。でも朝、蹴飛ばされた(痛) だから、上。丸くなったら滑ってく、手足伸ばして押さえた。 頭いーでしょー。ほーめて。
何時までも子供ではいられない、何時までも子供でいたくもない。やって来た人生の転換期。迎えて望むその道は。今とは違う成長を。出会ったことで生まれた道を。
卵は雛に。蛹は羽化を。
生え変わる毛並みは、やがて訪れる未来の姿。研ぎ澄まそうとする牙に力強さを。
道を歩む。
子供から大人へ。道を歩んで変わろうとする。
見据えた目を逸らさなかったことにこそ祝福を。痛みから心を偽らなかった意志にこそ片鱗を。
道の先に望むのは自分。
道の先を望むのも自分。
ならば意志以て道を歩む。
成長軌道に到達。
がんばれ、その1。しかし、その1の忍耐力と精神力が跳ね上がった代わりになーんかが落ちた気がしてしょーがない。が、なにが落ちたか不明。現時点みたくない知りたくない。
補足するなら〜
最善の為に沈黙を選択。なーんもできなくて黙っていたわけではないです。兄いなかったら奮闘。但し、権利確定は不明です。力技が一番有効ですが、出し方間違えると評価を下げて失効です。無効でなく失効。召喚規約その他等が顔を出す。そうなると楽しくツツくとこですが(笑) 取られるもんは取られます。巻き上げられます。事後訂正も可能ですが、かなり面倒かと。
単純に喚き散らさなかった分、育ちが良いというか気質が良いというのか… 最も自分の立ち位置もがっつり理解してる多感期です。本性は兄弟同様、攻撃型なので恐ろしく我慢してました。
今回最重要ポイント。異世界のこの国において飲酒に関する法律はない。自己責任。以上。