146 試しの時
アーティスは素早く音に反応し、ドアを見ました。
吠えずに軽快な足取りで向かいまして、ドアの前ではなく横で待機する所に賢さを見ます。やられた時には「うひぃー」でしたが、あーゆー風にドアが開くのを待っていたのかと思うと大変可愛いです。待ってる後ろ姿もイイですねぇ。
「誰か?」
返事をしたハージェストは、俺がゼイゼイと転がってる間もへーきな顔して笑ってました。そんで靴を履き直したりとしてました。シャツを引っ張ってやった形跡すら残ってません。
入ってきたのは、おばちゃんでした。
「あら、アーティス。何時の間にこちらに来ていたの?」
安定のご挨拶の前に気が付いて、アーティスに声を掛けました。アーティスが居る事に怒りも怖がりも驚きもせず、アーティスもおばちゃんの顔見て「やっほー」な感じ。それでも顔を動かし他に誰か居ないかキョロリして、余裕を持って場所移動。
これはこれで大変良い感じでしたので、おばちゃんとは良好関係を築いているのがわかりました。
「竜騎兵の方がお越しになられております」
「ああ、来たか。わかった、今から行こう」
それからおばちゃんは物言いた気な目になりました。でも、言うのを躊躇う感じでスッと視線を下げます。しかぁし! あっさり顔を上げました。
その間、約三秒。
あれは単に目礼だったのか違うのか、判断に迷う俺がいます。
改めて頭を下げて、低姿勢でハージェストに近寄り。声を落として耳打ちしてるその姿に、うーん。ナンかあったのだとわかる姿に、うーん。しかし俺には、なーいーしょ〜。
ナニがあったか俺も知りたいです。知りたいですが聞いたからとゆーても俺ができる事は〜 ないでしょう。ええ、ないでしょう。それならヘンに首を突っ込まない方が〜〜 と、思いましてぇも! これがストレスになっていくんじゃ?
聞かなきゃ良かったと思うかも知れない未来に、知りたがりの心を天秤に架ける。そーするとどちらがガッコンするか?
うぅ〜む… 理性が選ぶ未来は心を守るのか、はたまた心が未来を切り開くのか? そして好奇心は猫を殺すのか、それともストレスで禿げさせるのか!?
ラブリーキャッツを禿げさせたらハージェストが悪いだけじゃねーの? 可愛い猫の心痛を取り除こうとしない時点で悪だ。悪に決まってる。この悪党め! 自己満足に浸るだけの阿呆は猫に噛まれて血を噴くが良い!! にゃ〜はっはっは!
「その話なら承知している。この場で話すことか? 必要なかろうが。 …ああ、手が足りぬと言っているのか」
「いえ、その様なことは。 そうでは… あぁ」
わお、ハージェストぶち切ったよ! 冷酷っぽいテンシが降りてきてんよ!
おばちゃんは即座に否定されましたが口籠もられて〜〜 ナンですねえ… 上と下ががっつりと理解できる構図ってえ… 構図でもぉ… 叱責に近いもん見てて楽しい?
うーんうーん、バイト君してた俺としてはおばちゃんの気持ちの方が〜〜 あー、これを子供の頃から当たり前に見てたら、責任なんて考えずに「お前はクビだ」とかタコ殴りとかするよーになるんでしょーかね? 力関係がはっきりしてるのは悪い事でもなーんでもないと思いますけどね。
…悪いとなると平等が引っ付くんでしょーか? んじゃあ、リーダーも要らねーって話になるのは飛躍?
「あ、ごめんよ。君がそんな顔をする必要はないから、気にしないで …なんて言ったら心情を顧みない無能と同じか」
「ああ、申し訳ないことを。考えが定まらずに、ついお話をしてしまい… 至らぬばかりに配慮が欠けてしまうなど… 年の所為にはしたくないので、どうか今回ばかりは見なかったことにしてやってくださいませ」
表情をキュッと変えて微笑むおばちゃんの方が心配です。客だとゆーてたおばちゃんが俺の前で言うのは、よっぽどの事じゃないんですか?
心に余裕が残ってる? おばちゃん、ほんとに大丈夫? …それとも、俺の合いの手狙ってたりすんの?
ベッドに座り直した俺におばちゃんが寄ってきます。
「ご心痛ばかりをお掛けして… 本当に何とお詫びすれば良いのか… ああ、いえ。お加減は良くなりまして? 貧血と聞きましたが、 あら? お顔が… 少し赤いのでは?」
ぺた。 「うひゃ?」
俺の返事を待たずに手が額に接触しました。 …貧血なんてそんなもん、綺麗さっぱり忘れてました。そして手が離れると同時に今度は手首をガシッ!と。
「発熱がございました?」
俺の脈を測りながら真剣な顔と声でハージェストを振り返るおばちゃんの優しさにヤられます。そこ、吹かずに説明しろ! 俺のは単なるこきゅー困難と腹筋のほーかいだと言え! …いや、言うな。事実が事実であっても言わんでいーわ!
「まぁまぁ、そうでしたか。楽しかったのでしたら何よりです。本当に安心しました。ですが夕食はこちらにお運びしましょうか」
「本当に、ほんと〜うに大丈夫ですから!」
せめて、俺での負担は減らさなくてはと思います。
「後ほどお呼びに参ります」
「それまで寝てるか楽にしてて」
「あえ?」
「? どうかした?」
「……いやいやいやいや、あいっさー。いってら〜い」
「あ〜、また。 ま、良いか。じゃ、行ってくるよ」
「おー」
パッタンと閉まるのに、軽く手を振った。
おばちゃんもハージェストも出て行った。アーティスも行った。ごっはん、ごはんと尻尾を振って出て行くアーティスを止める理由はない。そして、止められない。
二人と一匹を見送ったら再びベッドにばったり。
ばったり以外する事がありません。
おばちゃんは伝言と夕食前の具合どう?の確認に来られただけなんで、美味しいご飯まであと少し時間が掛かるよーなのです。
「ふううう〜〜」
大きく息を吸って吐いて、だーつーりょーく〜〜。 …ご飯に呼ばれるまで腹筋でも鍛えてるほーが合理的?
「結局、そーゆートコに行く話が消えてしまった… しくしく。 かーなし〜〜い」
顔を覆って一人嘘泣き遊びをしていたら、引っ掛かりまでも思い出した。
スリットの入ったドレス、押し上げる胸、肩紐の長さに、ノーブラ。
『後から行くから』 『不用意に話しちゃダメよ』
紅を塗った唇に、声。
『自分を大事にしないなんて』
凛とした姿に、雰囲気。
事ある毎にココだけリピートされ続ける、この最低さ。ナンの重し? やだなぁ、こんなトラウマ要らんですよ。こーんな呪いっぽく思い出すモノを誰が欲しがるってんですか? まして、この手の話になる度に思い出すなんて冗談じゃないっての。苦い思い出にすらならないなんて迷惑極まりないですよ。
…でもまぁ、そーなってんのも自分の所為か。引っ掛かってんのは自分。 はぁ〜、試練の間とかわざわざ行く必要あんの? そこら辺に充分転がってない? だーって、あんなの技術か精神だろ?
経験、体験、合わせて上げるけーけんち〜。
獲得したけーけんが重くて動けませ〜ん。 軽くするのにちょっきんしましょ。軽くなったら楽ですが、カットした分けーけんち〜は〜 下がります? いえいえ、カットの技術が上がるでしょう。そっちの分に回るでしょう。
カットしたから損をした、損をする。
ふ、ふふふのふ。そんな考えやってられっかーー!! 換算、換算、別かんさーん! 換算できなくてもですよ? 『悩んだ分だけ損だった』そんな考えしてられっかーーーーっ!
しかしなー… どーも俺はカット技術ないっぽいしなー。
要らんと捨てたもんも後生大事に取ってもないのに、しつこくしっかり持ってたし。持ってる事に気がついてショックを受けたのには笑うしかないしー。こんな性格じゃなかったと思うのに。言われた通り、気にし過ぎなんかな?
…他人の顔色伺ってない分、まだましか。
……そーだ、数学と同じでちょーーっとだけ人より飲み込みが遅いってな事でえ〜 あ? あ。 あー にゃははは! 数学は基礎の積み重ねの応用だと怒られたなー。
『中一の基礎の上に中二の内容があり、中二の内容の上に中三の問題がある。数学の授業は連結方式で成り立っている! 積み木だ! 勉強方法がどーのじゃなくて、わからんなったら基礎からやり直せ! 確実にわかってるトコからしろ! ああ? 嫌味に取るな、変換すんな! どこがわからん?と聞いてもそれだけだとこっちがわからん。どこからわからんのかわからんかったら教える順番がわからんとゆーコトがわからねーか!? 積み木だっつーの!! 数学は感覚の上に成り立ってんじゃねえぞ、ごらあ!』
ふはははは、なつかしー思い出だな〜。頑張ったのに、こーんなあたまぁ〜 は、思い出に浸ってる場合じゃない。現実とゆー積み木は積み上ってる。
…余罪に判決がどーなったか聞くべきか?
ああ、やっぱりうざい。加害者もまた被害者でガッコンとかねえ? …可哀想と持ち上げられたい訳じゃない、そんなん鬱陶しい。たださー、こっちよりあっちだったら被害者である俺の気持ちを二重の意味でガッコンさせる訳でえ〜。
被害者より加害者の人権のほーが大事ですとか言われたら腹立つわ。
加害者にもかわいそーうな問題があっても加害した事実を押し退けて被害者である俺のほーが我慢するとか変。更生の前に罰しろよ。罰を受けてから更生だろ? 更生受けるのが罰とかないわ、おかしいわ〜。可哀想の理屈で正面から筋を捻って歪めるなよ。
…ああ、セイルさんの判決にそんなんないか。ないわ、違うわ。んじゃ、なんで俺はこーゆー ほんとは判決聞くよか、あの目を見るのが嫌なだけかも。「ナンか言ってよ、取り成ししてよ」みたいな。終わった後でも言われそーな。
書記さんぽかった人の目、思い出せる。伺ってないけど気になってるなら終わってる。
終わってる。
死んだ俺への判決 どーなった?
あああああああ。
もうこれストレス、なにこのストレス!! ぐるぐる呪いは要りませんー! 何の役にも立ちませんー! 誰かーっ へるぷうーーーーっ!!
あ〜 返事がないですねえ。当たり前ですけど。まぁ、すっきりしたよーなしないよーな。 は。 こんな時に精神浄化の魔法があったら昇華されてぽーんと終われたんだろか? 終わらなかったら、「なんて強力!」になるんかな? あーはーはー。
……はぁ。 逃避しても意味ないな。んじゃ、どうするか?
今、上手にできないんなら。
今、具体的な対策が見つからないんなら。
しかし、放置もできないんなら。
積んでる積み木の重点を一つ置き換えちまえば〜 イケそーでしょ?
あった事をなかった事にはできないから。
できないのだから、あるがままにあったコトを掏り替えてしまえば良い訳ですよ。あったコトなのだから、そこに虚偽は入らない。入らないからココロに負担も掛からない。
思い出の中にあるままに、重点だけを。
難しい事じゃあない。そう、難しくない。単にソコの支えを柱にするか壁にするかってな話。強度は同じで変わらない。なら、後はセンスの問題。
あの女の人はぁ、領主館にお仕事に来てたんです。はい、そのお仕事はといーますと〜〜 ええ、服装とご本人のお言葉と態度からそーゆーお話。
そーゆー話のお話を頭の中で進めると〜 やっぱ、相手はセイルさんでしょ。だよな、セイルさん以外に考えられないですよねー。うん、セイルさんだったはず。
気怠気な女の人と〜 セイルさんのお二人でヤッてたトコにヤッてたコトを想像しましょう。はい、最初はどーゆーカッコから? どーゆー感じで近づいて? どーゆー感じで手を伸ばし? どーゆー誘い方をするんでしょ? 誘って凭れて脱ぎますか? それとも脱がずに捲り上げ?
どんな顔で肢体を撓らせ、どーゆー声をアゲるでしょう? そんで、どーゆーコトして本気で声をアゲさせる?
どーゆーテクを使ってみせる?
……わぁお、ダメじゃん。終わっとこ。
もうすぐご飯で、お呼び出し。想像するにもタイミングってなものがねえ? そう、何事もタイミングとゆーのが大事ですよね〜。あっはっは〜、イケナイ状態なってたらご飯を食べるドコロじゃねーよ。さーいあく〜。
しかしまぁ、今度から良い感じにあっちに頭が染まりそう〜。うん、エロ変換でほーんと健全。鬱にも変身しそうなもやもや、グッバイ・スッキリ、にゃっはあーん。
………なんかハージェストの言葉が正解? タマッてるだけ? うっそーん。 って、それならまーた止めたんか。あ〜あ、考えるだけ意味なさげ?
そーだな、もうちょっとの時間はあるんだよな。 ならあ〜 今から・今直ぐ・ソッコーで。 …………ぬぅ、ちょー最速チャレンジは勇者か馬鹿か。試してみるのもイイですネ、今を外すとできない馬鹿さ。馬鹿は馬鹿だと笑える内に試すもん?
風呂とトイレ。
違う、こっちの部屋だとトイレ一択。
コン!
途中、手頃な部屋の扉を叩く。意識して打った音は良い感じに廊下に響く。
ガチャリ。
振り向く姿に顎をしゃくって部屋に入れば、アーティスが共にと隣に寄り添ってくる。入り口に向き直れば、同じ様に向き直り座る。その姿に自然に手を伸ばし、頭から顔を撫でてやる。鼻を軽く鳴らして見てくるのが可愛い。
アズサに撫でて貰って機嫌も気分も浮上した。
アーティスの中でアズサが重点を占めるのは当然だと思う反面、俺の苦労は?とも思う。甘える姿に腹立たしさは感じない、兄さんの時の様に盗られるとも思わない。それでも、どこかで『報われたい』と願う感情の芽生えだけは留められない。
…俺が包容力もなければ余裕もないガキだからか? もう一段階登れば違うナニかに成れるのか? あ?
追求したい気持ちをグッと押し止め、控えて待つ姿に目を向ける。
現実の対処が先だ。
「それでギルツが威圧でもしたのか? 今の段階でやるとも思えんが」
「そうでは、あ、全くではありませんが… 姿を求めても見えず、連絡を受けた者も居ず。一人が竜騎兵の方と何処かへ行くのを見たと。その後、洗濯係から話が上がった事で疑心暗鬼が生じまして… 」
「対処は?」
「私の一存で手の離せぬ用事をしているだけだと」
「それで良い。他に何が問題だ」
「内密であるとするだけで皆がどうにも浮き足立つのです」
「己もまた試されているのだと気付かせろ」
端的に告げれば唇を引き結んで下を向いた。表情に目の動きを観察してもしなくても、焦燥は読める。健全とは離れた心境だな。
「気持ちはわかるが嫌疑が入り、調べが始まったのなら終わるまで終わらん。しかし、誓約の破綻は感じられん。ならばその事は加味される。だが、用いる術があるのかと疑いの目を向ければ時間は掛かる。当然だ。他には?」
落ちている気持ちに一筋の光明を投げ入れてから、お前にできる事は無いと告げて終わる。心情を理解するが、心情に引っ掛かって時間を掛けるのはアズサだけで良い。全ての心情に添える程、俺はヒトができてない。そして報告を一部で終わらすな。
「行った事に対する報告は他にないのか?」
「はい! 親の対処について姫様からお声が入りました」
「姉上が?」
『娘の罪が確定したならば、如何するのか?』
親であるかと試す内容から、穏便と変わらぬ形で頷かせた事に姉さんの充実振りが伺える。兄さん、楽してるな〜と思うが、現段階で強権を振るえば連発になって萎縮と荒と阿呆を引き出し兼ねないから助かる。
俺としてはこれ以上話す事はない。が、この対処では最善に遠い事を理解してる。そして楽をする為の努力を惜しまない、それを人は有意義と呼ぶのだと知っている。
「待つのも力。待つ事もできぬ者に雄飛の時が望めるか? どれだけ時を堪え忍んでも一時の事に気を取られ、時を見過ごし次を待つか。 は、よくよく余裕があるものだ。舌に乗せた悲願の言葉は感情一つで右へ左へふらつくか。それともお前も同罪で裏では企む口なのか? あ?」
「いいえ! その様な事は!!」
毒を盛る気分で煽ってやれば食らい付く。
「先にお話ししました通り、この領の行く末を!」
言い募り続ける声と目の強さが誓約時を思い出させる。整然と語れた領の内情とロベルトの同意に良かれとした。善かれと願っての甘い決断などしない。
「その強さも買って誓約をした。成すべき役目は誰かを蹴り落とす事でも踏み付ける事でもない。ならば、共に領を案じた者がと思っても今は落ちる時ではなかろうが」
「はい… はい。 お見苦しく情け無く」
面を上げて意志を示した姿に頷くが、本当に奮い立つより食らい付くで合っている。
「情け無くはない。感情の細やかさは優しさを有する、それ故に助かっている事もある。移り変わるシューレの内情を見てきた事実は卑下するものではないし、してはならないものだ。最も優しさを履き違え、独断を織り込む者もいる。それがなかった事実に据えている事を忘れるな」
「…有り難うございます」
己の役職を引き合いに出せば綺麗に立ち返った。逆効果で萎れなくて助かる。
「お心に添い努め、この領に善き変化を」
「ああ」
一礼する姿に落ち着きを見るが、これを一途とするか執念と呼ぶか判断が着け難い。この手合いを動かす事はできるし、家の事だからするがこれは俺が担うべきものか?
いいや、違う。俺は領主ではない。
気には掛けても、その程度の相手をわざわざ背負う優しさは何かの序で以外ない。今の俺に負ぶさって良いのはアズサであって他は要らん。事実、背負って歩いた。
そう、アズサがいるから必要だが頃合いでもある。 …やはり、面倒だ。見切ってさっさと回してしまおう。
「この場で問うは許しではない。 心構えを聞いてやろう。 望むならば、領を主とするはならぬ・認めぬ・許しもせぬ。汝、行いの内に終生に渡る主家を定めたか?」
「はい! エルト・シューレ伯爵に、伯爵が生家ランスグロリア伯爵家に。この身の帰属を賜りたく」
「真、偽り無く? 我と交わせし誓約とは重みが違うぞ?」
「惜しむ物もなく」
「…良かろ、誓約を含めて兄上に話しておく。後は兄上のお心に添えるか否かだ」
「有り難うございます!」
『お前も澱みと言えば澱みの一つ、刷新した方が早い。期待はするな』
打って変わった震える礼に頷いても、そうと告げぬ己の優しさは優しさであるかと自問もするが、優しさの価値を決めて計れるガキでもない。
「お時間を取らせてしまいました。こちらでございます」
「ああ」
これだけ確認を取っとけば兄さんも駄目出ししないだろ。 …問うてやるに繋がった理由が連行と思えば笑えもするが、コレがそれに気付けば大事と解して心に咎と残すのか?
『欲の成就に、涙を見せて捨てやしないか?』
前を行く浮き立つ背に問うてみたくもなると言うもの。 なぁ? アーティス。 …選び間違える事のない犬とは比べようも無いな。
「こちらです。お待たせを致しました」
「ハージェスト様」
開いていた扉をそのままに入れば、直立で出迎え滑らかに礼を取る姿に薄く笑って答える。
「こちらは良い、手は要らぬ。遅くなるやもしれぬ、食事に待つ必要なしとの伝言を」
「承知致しました」
「アーティス、待たせて悪かった。食べに行ってこい」
「ウォン!」
軽く撫で優しい言葉で促せば足取りも軽く出て行くアーティスを見送り、続く一礼した姿が静かに扉を閉めていくのを見届ける。そこから目を移せば知りたがりな目が物を言う。
「帰還の命に準備を整えましたが… ご下命は?」
「持ち帰るブツを親父様がどう扱うかだ」
「…どう、とは? 売り先ですか?」
「絶対に売らん。鑑定に人を呼ぶか、回すかだ。呼ぶなら誰か、回すなら何処へだ」
「…当たり前になさられる事では?」
「そう、当たり前であるから出入りがあってもうっかり気付かなかったはやめろよ」
「……ハージェスト様、死ねと仰られておいででしょうか?」
「誰が言ってる」
卓を挟んだ向こう側、真剣な声と顔で言うから真顔で答えた。
「先読みに同時並行でなくて良いのですか? …助かります。一瞬、死を覚悟しました」
立ち姿で本当に胸を撫で下ろす大げさな安堵に苦笑するが、確かに親父様を相手に立ち回りと思えば覚悟は要る。
「…話を纏めますと、ハージェスト様の考えを裏付ける為の連絡要員で良いのですか?」
「そうだ」
「次期様からの連絡を真に受けない… やれとのお言葉に否は言いませんが、物が何かとお聞きするのは許されるのでしょうか」
伺う眼差しに、にっと笑って腹で迷う。
内々に限ったとしても何れは親父様も披露する。効果的な時期は必ず選ぶ。内情を知れば監視下に身を置く事になる。下手な監視よりも確実な約を身に重ねるだけだが巻き込みとも言える。縛りである以上はしんどくもなる。負担でしかないモノは苦痛だろう。
…まぁ、他人の人生を景気よく巻き込む程度でやらんと進まんし、辛気臭い人生よりよっぽど良かろう。
「お前はランスグロリアに仕えるのだろ?」
「はい、ランスグロリアのハージェスト・ラングリア様にですが」
に、と笑い返してくるのにそれこそ苦笑する。
「そこまで俺を買われてもな? いざとなれば兄さんに頼むから心置きなく行け」
「は?」
「連絡の内容次第では逃げる」
「え? あの〜 それなら自分もそちらに居たいのですが」
「だから信用している」
「手酷い仕打ちに泣きそうです!」
「気にするな、ルーヴェルにも内緒だ」
「あ、それは朗報です」
「逃げる際にはあいつも要らん、捨てて行く」
「素晴らしく憂さが晴れます。立場を考慮すれば、一緒に行く方がおかしいですから捨てて当然です!」
途端にニヤつき始める愉快な顔が、直ぐに問う眼差しを寄越してくる。理由を求める目に応える前に成す事は。
わかっていても選ぶ試しは厭らしく。
一つ違えば下品なだけ。選定を違えてはいないかと、片隅で案じる自分に気付きもするがこれが早い。見立ての甘さは自分に返る。ならば、己を嗤うが筋。何より、わかっていても口にするかしないかが重要だ。
見つめる目に笑って問うた。
「お前は誰の犬か?」
問うた鳶色の目には怒りも憤りも逡巡もなく、単純に瞬いた。戸惑いもせず、屈辱と震えもしない。普段と変わらぬ声で答えを寄越す。寄越した後で告げてくる。
「どうかしましたか? 今更な事を」
「気ままな野良と呼べば口が過ぎるが、お前なら問題ないだろう?」
「……それは少々堪えます。子供の赤面ものな話は止めて下さい。立身出世にも色々ございますが、飼われていると笑われるよりも飼われる価値で見下げてみせます。互いの値踏みはある事ですが不遜に不穏は臭うもの、嗅ぎ分けられるのが良い犬です。自分の嗅覚にはまぁまぁの自信ができていますが、昔の話ばかりは勘弁して欲しいものです」
真面目に返す口調に以前の調子が混じり合えば、こいつの時は止まらずに進んだのだと実感する。そして薄く照れながら、飼われる事に安心したら余裕が生まれて気概と生き甲斐と遣り甲斐がと続くから選定は間違ってない。心にもない世辞も滑らかに口にできる奴だが、今のツラは違う。だから、良しとする。
「本当にどうしたので? 聞く程に気掛かりな事がございましたか?」
「…気掛かり?」
不意に浮かんだ顔は非難よりも一歩後ろに引いた顔。それでどうしようと見てる顔。人の顔でも猫の姿が重なれば、振り向かずに走って行きそうで怖い。
始めたから、簡単に見失わないはずなんだが…
ああ、そうか。さっき案じたのは君の態度が引っ掛かってたのか。積み上げてきた関係にわかっている答えの再確認。それだけの事に『早いから』と自分に言い訳をした自分。それは俺が取った態度に引いたから。
居ない所で言い訳を用意する自分がいじましいのか、いじらしいのか、痛々しいのか… わからねーなぁ。現実に早いし、こいつも気にしてない。恥ずべき行動に言動はしてないが… うーん、悩ましい。
君が引くのは、きっと円卓の所為。
断固とした命令を聞き慣れてない所為 の、はず。
改善するなら慣れだろう。
命を下す立場には置かないから、慣らすのはどうかとも思うが履き違えさせる気はない。アズサ自身もそう思うから雇う話を持ち出した。大丈夫だ、俺が気を配る事が前提なだけだ。全く普段と変わらない。
良し、慣れに慣らせば為して成る! ココロを共に平らかに成してみせる!
「あの、ハージェスト様」
「出したのは土産の先渡し。モノは宝飾と、これを数点。後は手紙だ。他は替え玉兼、姉さんのシューレの土産。もっとあれば兄さんの方だな」
引っ掛けてきた上着の内から取り出した小袋を揺らしてみせる。口を広げて卓の上に、三遍、音を起てて置く。
「同じブツだ。手にして良いが見るに留めろ」
「素手でも?」
「構わん。力での判別をせずに見破れ、どれも同じ性質だ」
「諾」
慎重な手付きで原石を取り上げ、首を捻る。裸石を眺めて、「確かに同じ」と一度笑う。そうして貰った時に、兄さんへの対抗心から僅かに力を注いだ裸石を手に取った。
お前が正しく犬かどうか。
鼻の利く犬なら嗅ぎ分けて、これだと吠えてみせてみろ。
手のひらの乗せた小さな石を睨み続けて、顔を上げる。久しぶりに見た歪んだツラに、変わってないとも思う。こんなだったな。
「これは魔具ではありません。見掛けもその辺の石と変わりません。変わりませんが… これだけに気付くか気付かぬかとした気配を感じます。終わりはひび割れ、やがて崩れる。崩れそうにない只の石が同じ質。有り得ないと呟けば無能ですか?
俺はですねぇ、約したお人の気配も追えない犬ではないんですよ? んで、消耗するだけのもんがなんで崩れねーんですかい」
低く抑えた声音の内に、恐れも興奮も感じ取れないのが実にこいつらしい。ルーヴェルが静かに興奮していたのとは対照的でも食らい付く目は同じだな。
「…これが試しの要因で?」
「そうだ」
サラッと笑って流せば、まぁ満更でもない顔をする。すると視線を下に考え出す。考えるから時間をやれば、何か閃いたのか笑みを見せた。
「こいつの仕組みはわかりませんが怖いもんですね。それにしても内々での喋りは本当でしたか。すごいですね、ハージェスト様。召喚獣の帰還、おめでとうございます」
晴れやかに言ってくれるんで、卓に肘を付き、ちょいちょいと指で呼ぶ。身を屈めるのに合わせて腕を伸ばして襟を掴む。
「え? あの、」
吐息が掛かる程度にグッと顔を引き寄せ、一撃。
ゴッ!
「だっ!」
「誰がそれを言い出しやがった?」
「え? 誰って… いえ、そんな全体のしゅうしゅ ぐえっ」
「ちっ」
絞めた手を離せば飛び逃げて、げほっと噎せる姿を一瞥した。
どう説明し、納得させるか? 広めなくても俺のトコの連中だけは納得させねばならない。それか選定した者だけに話をするかだが… 駄目だ、言わんでもどうにかして嗅ぎ付け情報共有を計るだろう。それができねば、拗ねるか愚痴を零すか他に向かって更に収集の手を広げるか。
俺の力量が試されるだろう未来に頭が痛くて重い気がする。この重く感じる頭の上に灰色の子猫が乗って、にんまりにまにましている気もする。 …共にある以上は絶対だ。
絶対に。
絶対であるから重くはない。重い訳がない。君が重いのであれば俺が相応しくない。
成り下がった、それだけだ。
それだけに、鼻で笑って絶対に踏み越える。踏み越えて。 あの灰色の子猫に証明してみせる。してみせなければ。共に、と響いたのだから。
本日の国語辞典と英和辞典。
成すと為す。
同じ括りにされてしまう場合もあるよーなのですが〜
成す… achieve
為す… do
見ての通り明確に違います。今回、「行うから、し遂げる」と自分は書きました。以降も以前も、打ち間違いがあれば笑うしかなく。