140 四海、一転
「じゃあ、兄さん。そっちの連絡は後で回して下さい」
ガチャッ!
「…待て、戻ってこい」
「はい?」
扉に手を掛け、出ようとした所でこれだ。
まだ何かあったかと向き直れば真剣だった。目が恐ろしい事になってたから、問答無用で扉を閉めて急ぎ戻る。
こっちが行ってるのに、あっちからも来る。待ってない時点で、『何でだ!?』と思うと同時に嫌な予感がして腰が引ける!
グイッと腕を取られてサッと手を当てられた。 …何故に手当て?
「発熱でなし… 取り違えたか?」
「熱?」
「いやな、お前の背を見ておったら妙な乱れをだな」
何を取り違えたかと、首を傾げて苦笑した。
…コレこそ直感以上に確かなものだ! 俺の頭は狂ってなかった! さすが兄貴、さすが有能、類似性の高さから微妙な違いを読み取れるその優秀さ! あ〜、似てて良かった〜〜〜。 一人悶々する気は無くても、こーゆー形で知れるのは本当に有り難い〜〜。
外した所為で流したが、こーなると黙ってる方が馬鹿だ。
「あ〜〜のですね、実は俺の頭が終了したかと思う事が先ほどありまして」
「あ? …何時だと?」
一通り説明すれば即座に腕を取られて引っ張られ、引き寄せられて顔が近づく。同じ蒼が近づき過ぎて焦点がブレたが最後、素晴らしい音と共に痛みが炸裂した。
ゴチン!
「てぇ!」
「ついさっきだああ?」
ゴチッ!
「ちょっ!」
「何でその場で言わんのだ!」
ゴツッ!
「兄さっ! ちょっーー!」
「黙れ、兄とて痛いわ!」
ゴッゴッゴッゴッゴッ!
「いて、いて、いた! はい、すいません! 反省してます!頭突きはもう!」
「そうか、反省し・た・かっ!」
最後、押し当てた額でグゥリと押してくるのに黙って耐える。耐える、耐える、耐える。足を踏ん張って背筋で頑張る! 保て、俺の体!!
頑張れば、漸く圧が抜けて本来の見方になって楽になった。しかし、背中が痛い。痛いが言えない、悲しくとも正論なので何も言わない。
そろそろと背を正し、力を抜いて静かに呼気を繰り返す。
「…違いがわからんな」
「おかしくないですか?」
額を離し、俺を観察する表情が普段通りである事に心の底から落ち着ける!
「正常としか言えん。ならば先に見たのは何であったのか… 此処で見たのだな?」
「はい、そこです。そこに居たんです」
「そこか… 見えんとおかしい位置だな」
「ええ、兄さんの反応がなかったんで俺も『あっれ〜?』とですね」
「…お前はノイを見たのか? ノイだったのか?」
「それがナンか… ちょっとわからない感じもしてきてまして。姿形に色はそうでした、あの可愛らしさはそうでした!! ですが〜〜 よく考えるとアズサだと断言できないよーな… 本人が言ってた事と合致しないんですよ。話してくれてない可能性もあるんで、部屋に戻ってから聞こうと思ってですね」
「…… 」
「兄さん… 必要でもないのに、手札の全てを公然と話す者ってどれだけ居ます?」
遅いと書いてる顔に不貞腐れてやった。
義務でないものを教えろと責っ付いてどーしろと? 一歩引くのが普通だろ? それをさせない為に時間を掛けてるのに。 …ゆっくりやってる自覚はあるが遅いか? 遅過ぎか? …信頼作りに時短を望むは無功だろー?
腹の中で自問自答して納得に満足してたら、指を振られて意識を向ける。
「まぁな、思いやれと言ったのは俺だしなぁ… 手法は掻き混ぜ。そこに哄笑を用いた時点で視角は要らんが、その分拡散の幅が大きくなる。失敗を避けるには領域の限定をする必要があるが〜 ハージェスト、お前は何故それを見たと思う?」
「え? …さぁ?」
「あ? 何か言ったか? もう一度、言ってみろ」
「え。 えー、えー!えーと!! …眠たいのに寝れずに腹が立つ感じからそれでえーーーーーー と。 ……現実として、自分の中でナニか欠如したとは思わず思えず気にならず。だから、今じゃなくてもと流す方向にですね」
「……姿はノイであったんだな」
「はい、あの可愛い猫の姿にものすごく和んで緩んで心がホッとして〜〜〜」
腕を組んで天井を眺める姿に失敗したとは思うが他に言い様が無い。しかし、可愛く咥えてぐるってから煩くなったとしか。
「あのな」
「はい」
「俺が言うとすればだ。 俺に探知できぬ物はないと断言できん以上、確定はできん。この前の件でも腹が立つと言うに。一つはお前に外部干渉があった、俺の界を潜り抜けて干渉しやがった。はっきり言って自信喪失に繋がりそうで八つ当たりにドコかを蹴り飛ばしたくて仕方ならんのだがなぁ、本当に。
二つ目はお前自身が何らかの混乱を避ける為に自らそうした、納得する為に一番受け入れ易い形を模索してノイの姿を用いて自身の混乱を沈めた。 …お前が何に対して混乱したかわからんのがアレだがな。
…もう一つ言えるとすれば、お前の力は増加している。確かに増えている。それはノイの手に依る力だ。
つまり、お前がノイから力の干渉を受けて良い様に回され遊ばれた、だ。この三つ目の推測が正解なら、お前は内から食われて終わる。その兆候とわかっているか? ああ?」
兄の表情に、揶揄する声に、その意味に。
心が一気に冷えて硬直した。
アズサの顔、可愛い猫の姿、人であると理解した時の喜び、一緒にと浮かれた。
大事だと、最後の機会だと。
俺の心を温めていたそれらが一気に冷えた。
代わりに思い出す、黒い力。
『そんなんどーした!どーでもいーわ! 目の前のアズサが落ち着けばイイんだよ!』
そう、蹴り飛ばした。
自分の行動。
嘲笑うかの如く心が冷えてる。
全て? 全てが逆に回る? こう成る為にと回ってる?
数々の土産は目を眩ます為の贋物。その時に至る迄、その為にある物。本物であるが故に見破る必要のない騙しもの。その為の最上の罠。油断をさせて馴染ませて、程好い頃に食うのは当たり前。
そうと見做せば何の為のモノか。
最初から截然としてるじゃないか。「それと、これとは違うだろ」と反論する自分の声は小さく、断言できない事実により冷える。
俺はこの身にナニかを抱え込んだのか? 抱え込んでいるのか?
相手に疑問も疑念も抱かせずに意のままに回して遊ぶ。
それは操る、と言うのだろう?
気概そのものに思考も曖昧になって操られる? 誰が? 俺が? 何時? さっき? 何処で? 此処で?
意識を搦め捕られて操られる、その栄えある第一歩?
血の降下と同じく全てが冷たい。指の先まで凍えたような。
恐ろしい勢いで恐怖に近い感情と疑いが頭を擡げ、心を闇雲に引っ張り回す。気持ちに体が反応しそうになる。怒りに任せて何処へ手を上げるのか? 自嘲も『共に』と込み上げる。
頭の中を占める怒りが回り続け、見えていたモノが実は違っていたのだと怨嗟を交えて低く呟く。その呟きが、気にする所かあった事さえ気が付かなかった紗幕を一枚剥ごうとしている。
剥いだその先に、黒い力があるのだろうか。
…あった所でそれがどうした。
怯えて逃げる? は、ナンだ? ソレは。 俺を馬鹿にしてるのか?
脈絡無く思い出す。
手を合わせ、感知した。
本来なら反発作用だけなのに引き摺られた。僅かでも引き摺られた。引き摺られた、あの感覚。
引き摺られる。
それは力で負けてるからだ、釣り合っていないからだ。
俺が劣っている。
もしかして、いや、もしかしなくても俺は馬鹿か? 最初の増加こそ偶然であったとしても手を合わせたあの時に、いや、あの偶然が …あれは偶然か? 教えるのが必須なら必然だろが。誰かに教えさせるなんて論外だ。 なら、必然が今の俺の礎? こうなる事が運命?
……見殺しにした、俺への仕返し?
今の俺は普段通り。しかし、それは見た目だけ? 他者にはわからない状態はアズサと同じと言って良いものか? それが正解か? それで正解か? なら、俺は手を突っ込んだのか? 無知蒙昧な子供の様に。 …汚らしいと感じた記憶も拒絶もなかったけどな? …しなかった時点でもう終わってるのか?
それとも力が強過ぎてわからない? う、あ〜 はははは!
一度滑り出せば止まらない思考が傾れ落ちて暗い向こう側へと落ち込む寸前、教書が浮かんだ。知識足らずで居てなるかと読み込んだ教書。
思い出した文言に口角が吊り上がる、奥歯を噛み締める。教訓は誰かの成した体験に根差したものでもある。だから、教訓なのだ。
『 召喚獣を見掛けで判断してはならない 』
基礎中の基礎を忘れるなんざ、俺は甘ったれた馬鹿か? ああ?
「ハージェスト、誓約はどうした? 契約はどうなった? 何故に召喚獣と約を結ぶぞ? 兄はお前が食われる事を望んではいない。この身が虚ろと成り代わる? 考えたくもないな、兄は生きた器を望んだ事は無い。器を持って喜ぶ阿呆は居れども兄は要らぬ。 この力、衰えたとて器なぞ不要よ。そんなモノに縋るくらいなら愚と呼ばれたがましだ。己で足掻くわ」
腕を掴まれ、引き寄せられて。
頭を抱えてガシガシと掻き回される。 …違う、手荒く撫でられた。
「ノイが危険だとも言わんよ、あれは人だ。そうだろう? そして庇護を求めて願った有り様に演技も嘘もない。只な、わからぬだけだ。異なる故に力の有り様がわからぬだけだ。その時に、不幸な事故や怪我に至らぬ為に防波堤として約がある。互いに約する。約を交わせば俺の弟は呑まれたりしない。約には置くべき重点があり、何処に何の重点を置くかわからぬ弟でもない。俺の弟は基本できる、大丈夫だ。今がお前の踏ん張り時なだけだ」
頭を撫でられ、耳元で先を読めと示される。
大丈夫だと支えられる。
この手に、以前も支えられた。
あぁ… 疑念だけを前面に出すなとした教訓すら吹っ飛んで。 参った、完全に頭がイカレてやがる。
我に返ると撫でられている現状が非常に恥ずかしいが、止め時と逃げ時がわからん。どーするか? そして頼れる相手の存在に安堵してる自分に「うーわーあ〜」とか思ってる。
あんまり見くない自分がいる。 か〜〜〜〜〜〜〜 ダメ過ぎだろ、俺。
「落ち着きました、有り難うございます」
「落ち着いたか、それは良かった。 もう一度言っておく、全てが憶測だ。どれも外れているやもしれん、正解はお前が原因であるかもしれん。ノイを問い詰めても正解がお前にあれば、お前が終わる確率が高い。確率が高い故に悔いを残さずやれ、必ずやり切ってしまえよ」
「は… ぃ?」
ナンでそんなにイイ顔するんですかね? 兄さんは。
「はっきり言っておくぞ、ハージェスト。兄はノイを手放す気はない、毛頭ない。次期としても絶対に手放せん、手放してどーする。だからな、お前がものの見事に滑ったら、ソレを踏み台に用意周到に準備して兄が遠慮なく貰ってやろう。ノイが俺を駄目だと言うなら安心しろ、他にも候補なら山と居る。どれが良いかわからんのなら渡り歩かせれば良し。適当に取っ替え引っ替えするのも楽しいかもな〜、あっはっは。 ま、巣を限定する傾向を考えると難しいかもしれんが、やってみると存外楽しめて性格もコロッと変わるかもしれんしな〜、ははははは」
違う意味で冷えた。
急冷速度なら、さっきと比肩する。
兄さんが取るだろう手法が勢いよく脳裏を駆け巡る。
手法を幾つかに限定し、分岐を読み続ければいや読み切っても切れなくても! アズサが今とは違う笑いをしている気が大いにする。良くも悪くも違う気がする…
そんなものは見たくない。しかし、アズサが善しとしたら誰も… いや、クロさんの強制介入は? アズサが「にゃあん」と泣きつけば一発で頭をグッ!と押し込めてだ!
…泣きつけば、か。 そうだなー、幾ら兄さんでもあの存在を前にして無茶はしないだろう。やったら絶対に余波が飛ぶ。
するってーとナニか?
どー傾くか不明でも、そこに居ないのは俺だけか? 俺は見捨てられる と、ゆーか… あ? どっちでも俺が居なくて要らなくて? てってって?
笑顔の兄に笑顔を返す。
笑顔を返し切る!! 腹の底から気概が溢れてぶん殴りてぇ!!
「理性と自重を積み重ね、人生を掛けて行動しますので問題は一切起こりません。大丈夫です、本当に平気です。ご教授賜りまして本当に有り難うございます、兄上様」
俺の努力の結晶を美味しく美味しいトコだけ掻っ攫っていこーとか、誰が認めるかい!
「この後は現場へ出向く予定でしたが、申し訳ありませんが取り止めてアズサと色々話したいと思いますので宜しいですよね?」
「………心身の異常に原因を把握した上で伺うお前はこの上ない勇者だな。初期治療が今後の全てを左右すると言うに。申し訳ないなら遠慮なく申し訳なさがって完全に悪化するその時まで働けば良いわ」
「単に遠回しに言ってるだけだっての!! 悪化の確定!? 時、既に遅しじゃねーか!!」
「何だ、気付くのか」
悪怯れずに笑う姿に自己主張は本当に大事だと思う。 そーだ、自分は大事だろーが!!
「いよっ …とぉ!」
体を宙に踊らせる。
ダンッ
大股で歩いて歩いて気分で階段から飛び降りた。
衝撃は受け流せても音を殺しきれない。はい、残念残念。残念でも靴にも原因があるしなー、俺の技量だけじゃないしなー。
気分を上げて部屋へ向かうが、何と言って聞き出そうかと悩む。説明は説明として問題ないが問題はその後だ。疑いを聞くのだから言葉に直せば尋問だが、尋問も詰問もしたくない。
廊下で立ち止まり、考える。
出しなに言われた事も考える。
『今回の事、正解がノイにあるなら兄は一つだけお前に言おう。お前がどの様にノイを詰ろうと、それは問わぬ。だがな? 取りし行いに間違いであると断定はするな、してやるな。行いを間違いであったと断定して良いのは本人だけぞ。違うか? 俺とて全てを受け入れるできた器の持ち主ではない、だから相手を誹る・罵る・非難する。それ以上に行う。
行いには、その者の理屈と同時に気持ちを伴う。気持ちが道を作りもするし、気持ちで道を探ろうともする。心が伴う故に行動する。その行動に対して結果論と己が主観で間違いだと断ずるを傲慢と呼ぶのだろうよ。
優しくあれば、また違いもするのだろうが… 思いを間違いと断じるは強者か残った者の言い分よ。だがまぁ、どんな者でも己にとって楽な方を選ぶが常よな。気持ちが楽な方が生き易いのは真実。しかし都合が悪いと消すならば、ご都合主義とは言い得て妙。 兄は諭しとは遠い故に汲みして臨め』
「 …心を汲む、か」
その場で大きく息を吐く。
汲むは己か相手か、どちらを指すのか。それでまた変わると言うもの、それでもだ。てめーの顔付きが良くないから繰り返しておくとか言われるとなー。
「全くだ、人生を掛けた選択に間違いなんぞと言い切られてなるか。断定するは己で足りる、他者を断定できるなら己が過去を振り返れ。ドコにもないと言い切れるなら、その頭こそが間違いだ。 そーゆー頭が反省を理解しない! した振りで終わるだけの阿呆だ!」
それに罪は罪。
思いは断じなくても罪は断じる。混同はしない。繰り返すなら落とすだけ、落とさせるだけ。
拳を握り締め、自分の気持ちに喝を入れ、自分の中に活を求める。
顔を上げ、ゆっくり一歩踏み出す。
どう話を回そうかと真剣に考える。
考えるが、考えて、考え抜けばナンか煮詰まる気がすんな。スパッと聞く方が良くないか? グサッと突き刺す傾向にだけ注意すればイケるだろ? 大体、俺の頭が飛躍して、羽を大きく広げ過ぎたのが間違いで、アズサがしたってゆー確証ないんだっての! アズサがするはずねーしぃいいっ!! それに俺があからさまに馬鹿になったらアズサに責任転嫁が! 少なくとも疑いの目が向けられてだ!
しかし、確証出しに「してないよねー?」だと話にならんから聞き出し方に注意って言ってるだけでどんな聞き方であっても返答に嘘が混ざってないかを読み取るのが俺の技量ってもんでえー、だあーー。
ゴンッ!
「てえな… 」
壁に一撃くれて歩き出す。
しかし、アズサじゃなければ原因はナンにある? 俺? 俺の中の何が混乱してる? 混乱の最中に『正解』を咥えた猫が可愛らしくぐるぐるして混乱が終息するのが訳わからん! むしろ、馬鹿にしてるだろ!? でも、あの仕草ほんとに可愛く
ゴッ!
「だから、思考をそこへ持っていくな! 進まんだろが!」
もう一撃くれて歩き出す。
罠、罠、罠。
罠と思うのは銀環だ。あれが最大級だと思っていたが違ったのか… まさか、これは女神とやらの時間差で発生するナニかだとか? まさかあの銀環、使用期限があったとか? 期限が過ぎたら勝手に次の段階に進むとか? まっさか〜あ、 いやでもほんとに、ま・さ・か・な。
…どうしてか? 顔もわからぬ女神とやらが淡く微笑んでいる気がしてならない。その唇が紡ぐ言葉が『ほんっと駄目ねぇ』なのか、『鈍いわねぇ』なのか?
微笑みに隠して腹の中で笑い転げているのではないかとも思えてくる。そんな姿が重なって見える…
ゴッ!
いやいや、落ち着け。落ち着け、俺。
ゴッ!
居ない相手に罪を被せてどーすると? 現実を読み解け、現実から目を逸らすな!
「あああ… そんなんしたら痛いって」
そうだ、痛い現実を見つめ直し問題を洗い直す。現実を攻略してこそ先へ進める!
ゴッ!
「や、だからやめとけと」
思考を止めれば先へは進めん、安楽を望んで現実を放棄すれば問題は拗れる一方! 誰かが片付けてくれると期待しての放棄は自分以外の事でやれ! いや、違うやるな!! 自分の事だけにしろ!! 放棄は不当で不遜で鬱陶しいから箒で掃ける程度でないとめんどくせーだろが! す・る・な!
ガンッ!
俺は混乱してねぇ!!
「だからやめろ、この馬鹿! 馬鹿になるぞ!!」
「煩いわ!! 誰がこの程度で …ん?」
感付いた以上に叫ぶナニかを押し殺し、ギリギリと顔を向ければアズサが扉を盾にして顔を覗かせてた。こっち見てた。その目と表情が物語る。 …どーしよう、引いてる。引いてる引いてる引いてる引いてるけど釣りじゃないから掛かってない。釣り針ないから逃げられるぅ〜〜 逃げられて〜〜 にげにげげこげこ げーっこっこ とか? …頭がやっぱりおかしいよーな。
「…しょーきか? 大丈夫か? そっち行ってもへーきか? 手ぇアゲねーだろーな」
「はい! 大丈夫、落ち着いた、問題なし!!」
「……三遍続けてうさんくせーですなぁ〜」
「ええっ、そんなあ!?」
言葉とは裏腹に、気にしてない様子で寄ってくる。
上げた手に触れられた。
「うーん… ちょっと腫れてないか? 赤くなってるしさあ」
「あの… 擦ってくれるのは嬉しいけど押すのはどうかと?」
アズサの手が俺の額を優しく撫でるが、確かめる感じで患部をクッと押すのはご遠慮申し上げたく。
「え? してなーい、やってなーい。状態を確認しただけでーす。 んじゃ、冷やそうか〜」
え?と思えば手首を掴まれ、ええ?と思う強さで引っ張られ、えええ〜っ!?と握力に驚いてる内に有無を言わさず連れ込まれた。
…心配からの引き合いだと思うと嬉しい。やっぱり、君がするはずない。
「で、なんで壁と勝負してた?」
「精神安定を求めて」
「こわ〜。 …どーしてかは聞かんけどじしょーはすんな。わかったか?」
「え… 自傷の意図も無く」
「うっわ、始末わるぅー。ほら、横になる」
「え? 重病でも何でも」
「おらっ!」
「わお」
…ああ、まぁ、普通はね? そーゆー感じだよね?
馬鹿だと誹っても間違えてると言わない君はそれはそれは素敵だ。理由を聞かない思い遣りに満ちた態度もとても優しく気遣いに溢れてる。その優しい気遣いが話す切っ掛けを殺しもするんだけどね。
促してくれたら、ぺらっとイケたのに。
他力本願で愚痴るだけ、みっともねぇなぁ。
額に当て続ける面倒さから寝台に転がる。
乗せた濡れ布巾から柑橘系の香りがした。香りに嗅覚を刺激されるが香りが緊張を解しもする。この香り、覚えがある。
「これさ」
「あ、どう? それ。思い付きを実践してみた」
「仄かに香るのが良いね」
「おやつに頂いたカットフルーツの皮を利用したんだ。染みになるかと後で気付いたけどもう遅いしさー、あははは。フルーツはオーリンさんのお土産な」
「ああ、帰ってきてたんだ」
「そ、お土産付き。 んで、話をしてたんだけど… 色々したんだけど、街の様子とかも話してくれたんだけど〜〜 竜の話から話が飛んで、ランスグロリアへの帰還にはおそらく俺も竜か角馬に乗って行くとゆー話になってだよ。騎乗経験ないなら練習あるのみ、寝てる暇は無い。だから早く元気になーあれってゆー声援を貰ったんだわ」
「……そうだねー、姉さんも騎乗で来てるから馬車も竜車もないねー。いや、シューレのならあるけど。オーリンと話してたんだ」
「うん、騎竜で走るのは気持ちが良いけど長距離は普通に疲れる。角馬はまだしも、俺が竜に一人で乗るのは危険だから安全を考慮して二人乗りになるだろうって」
「……まぁねー、体力保たないようなら車も考えないと駄目かな? ずっと話してたんだ?」
「ん、フルーツ食ってからも喋ってて〜 少し前まで。寝てる暇無し言われたが、その為にも今は寝るべきだろーと思いましてね。安眠を求めてリフレッシュな香りを布巾に作成してみたのだよ。できたから皮の片付けと手洗いと出すもん出そーと洗面所いってたら、遠くからゴンゴンと妙な音が時間差で近づいてきてナンだろうかと」
「あはははー、ごめん。 コレもごめん、君が頑張ったのに俺が使ってる」
「使う必要がある奴が使うのが正解。こんなのでも気分転換にはなるだろ? 温かいとまた違うんだろーけどさ」
体が寝台に沈み込んで脱力する。
唇が薄く笑いを描くが脱力してる所為か、乾いた笑いでは無いと思う。
俺の正解は。
俺の四海は、先に、今に、 転じて移ろう。 移ろいし時の一つを誇張するだけは愚かし。
香りが頭をすっきりさせた。くれた配慮が心を楽にした。何より尋問詰問必要なしとわかった自分が一番楽、これだから自白に自供に告白って良いよな〜〜。はは、定義が違うか。
さぁ、君と話をしよう。
「はい? …俺は着替えていません、そんな時間はございません。しかし、ちび猫がいたですと?」
「俺の頭の問題で、君には関係なかったみたいだけどね」
「ゆーめーの〜 まーぼろし〜 な、こーねーこ〜。 …お前は俺だと思ったんだな?」
「はい、あの可愛らしさは君だと!」
「姿形に色目も同じ」
「うん、可愛かった」
「待てや、俺でも外部干渉疑いますよ? 俺の時とはナニが違う?」
「兄さんの領域内で俺自身が転けなかった」
「セイルさんが目の前に居たってもー!」
「ほら、言ったろ? 蚊」
「かぁ〜〜〜!!」
寝台の上、互いに胡座を掻いて向かい合うが納得しない顔で睨まれても困る。俺もこれ以上の説明はできない。
「お前の基準はセイルさんでブレんのかあ!」
「はい、全く」
「…………… 」
「だからそんな顔をしたら」
じっとり見てくる目が怖いなー、こんな目で見られるのは嫌だなー。本当にナンの混乱から姿を借り受けたのかなぁ?
「ほんとーに俺と同じだったと… 」
「え?」
「許さねえ」
「は」
「セイルさん基準は流せても、俺じゃないのに俺とは認めない。外部干渉でないと誰が言っても俺は認めん」
「え? ちょっと?」
「俺と似たラブリーキャッツが何匹もいる訳ねーだろ!! グッドタイミングでほいほい出てくる訳ねーだろ! 絶対にナンかの干渉に決まってるだろが!!」
握り拳を突き付けてくるから気持ち体を後ろへ傾ける。今日は背筋で頑張る日らしい。
「お前は… 猫の俺を脅かす、俺の地位を揺るがす一大事であると何故に理解しない!」
アズサ、それよくわからない。
「理解しろよ! 俺の偽者が出たって話だろーがあああっ!!」
…現状が脳内派生だと示してまして、ドコにもそんな証拠がございません。
もう一度説明したら更に怒られた。
「セイルさんがお前見てナンか変だと思ったのはドコいったあああっ! 基準値だろーが!」
「兄さんも人だって、見間違う事がない訳ではありません。疲れもするし」
「お前は、お前は、おーまーえーは〜〜〜〜〜っっ! おかしいわ!!」
掴み掛かってきたから、また揺さぶられる事を覚悟した。らぁ。
ゴッチン!
「てぇっ!」
「だあっ!」
「あ… いっつー」
「勢いを間違えたが黙れええっ!」
「え?」
額を俺の額にグリグリ押し当ててた。
アズサが見方を使える事に驚いたが、応じて直ぐに力を抜いた。まだ話してくれてない事はあるのかと思うが、それとは別に。
『俺からも探れる絶好の機会』
反射で思ったから反射で目を開けたが視界不良に目を閉じた。そして気持ちに蓋をした。真剣にしてるアズサに失礼で、俺からの逆流でわからなくさせたら馬鹿だ。
…アレに触れたくないと思ってる自分も、確かにいる。
「む〜〜〜〜〜! わからん」
「何も掴めなかった?」
「お前が前にしてたのを真似しただけでやり方もナンもさーっっぱり、わかんねー!」
「え …そっち?」
ゴロッと転がるが、俺も事実に脱力したい。
不貞腐れてる顔に何と声を掛けるべきか?と思ったが、ちょうど良い。前髪払って、手にし続けてた濡れ布巾を額に返す。香りは少しでも、作った成果は試すべきだ。
「心配させてごめんよ。けどさ、黙ってる方が良くないと思ったし」
「…どーやっても人の俺にはわかんねー。 …わかんねーのは仕方ない、わからないんだから仕方ない。んじゃ、わかるほーでやったろーじゃねーの! 視界をぐるっと一回転な!」
「え?」
香りを味わってもいない内に跳ね起きた。
不貞腐れてた顔がやる気に満ちた良い顔になってた。
「よいっ!」
心のままに飛び降りる。それに対して寝台が遠慮がちに笑った。
しかし、これをどうするか?
落としたままだと湿るから手に取り、軽く嗅ぐ。 香水でもないからなー。 …もう卓に置くがましかあ。
「あのさ」
「そこ動くなよ! こっちくんなよ!」
「あ、はいはい」
「そーれ、にゃんぐるみぃいいい〜〜〜!」
「にゃーん」
俺の目の前に灰色の子猫が現れた!!
俺は手にした布巾を卓に向かって放り投げ、両手を広げて歓迎した!
目の前の 君が最高 一番だ。
はい、本日の国語辞典〜。
本文に記載したのでカットしようと思いましたが、まぁ一応。
四海… ① 四方の海。 ②世界、天下。 ③仏語の四海。
②の解釈が広くなると国内・世間と。
四海でよく言われるのは、四海兄弟ですね。人類みなきょーだい〜の意ですが、ナチュラルに『しかい きょうだい』と読まれた方には大きくペケ採点を差し上げます。
截然… 慣用読みで『さいぜん』です。覚えるなら『せつぜん』の方が良いかと。意味は二通りございます。後は任せた。
無功… 功績が無い事。
無効… 効力が無い事。法律の効果を生じない事。
無功… 無い事。
どこぞに見えない文字がございました場合も、ご自分でどーぞ。見えてる方には問題ないので何よりでございます。 おーさまの耳は耳ですよ〜っと。