128 道をあけよ
頭の片隅に、ずっと引っ掛かってる。
天井から落ちた力、散った光。エイミーさんの表情、ハージェストの態度。おかしいと思ったのは光。あれがどーしても『へ?』だ。そーだ、あれがだ。
「あのさ、聞く」
「何だろう?」
「結界を、どーんと落としたんですよね?」
「怖がらせましたら、すいません」
「いえ、カッコよかったです」
「やった!」
「んですが、セイルさんのキラキラが脳内で直結します。あの光はセイルさんだと脳みそが叫びます。してくれたコトをよーくよーく考えましても、力を光として見た覚えがございません。 …いえ、ちょーっぴりは見てます。ちび猫は『見た!』のですよ。そん時に確かに似てるな〜と思いました。
…どーんはお前の力なんか? お前なら碌に無いってえのは嘘か? つか、前に力の計り方がって言ってたし、さっきも同じ事言ったろ? ちょっぴりってのは〜 どん位よ?」
ハージェストの顔が面白い感じでみにょーんとなった。
「うああああ… わかるんだ?」
「普通におかしいかと」
「実はあるトコから、単に引っ張っただけでして」
アズサの目が細まる、これを形容するなら猫の半眼だろうか? いや、人だけども。人である事を大いに喜ぶ俺だけど!
力は使ってる、確かに使ってるが常に必要最低限で回してる。判然としない状況こそが、制御をモノにした俺のできる自慢で普段からの姿勢だからなー。しかし、猫で見た!と言われると返答に困る。 …でも、わかるのか。
ああ、わかるんだ。
やっぱり君は無力じゃない。
わかる君に、期待が止まらず膨らんでいく。確かに増えてる総量に想いが募る。それをグッと堪えて押えて抑えて、間違えない様に。傲慢にならない為に、見苦しい自分にならない為に。 …何度これを自分に言い聞かせてるのか!
自然に零れる笑みには前面に嬉しさを。浅ましさを隠し、性急さを流す。見映えだけでも泰然自若! …平気と言われても、まだまだ用心しなくては。自分の為に疑っとけ、俺ぇ!
「あれは兄さんの力。だから、遠慮なくどーんとしました」
「…判断、せ・い・か・い!」
「そうです、よくわかりました〜」
パチパチと拍手を贈れば、表情が斜めに変化して『馬鹿にしてる?』と書いてある。あるが直ぐに迷いが現れて心配が浮かぶ。内心がちゃんと読めます。
「…待て、普通わかるもんじゃないの?」
「わかる人にはわかります、わからない人にはわかりません。初対面であったり、情報と言えるだけのモノを見せていなければ思い違える者もいます。と言うか、思い違えさせられます。後で判明した時には、馬鹿にされたとかしたとか弱っちい奴が姑息にとか好き勝手な事を言う者もいます。そこから批判に騒げば、内実裏で笑われる事になったりします」
「うわぁーい、それって騙された方がアレな話? それとも騙した方があ〜?」
「いえ、個人の技術格差と心構えが表面化しただけの事実です。騙しとする表現には語弊があります」
澄ました顔と声で返せば、アズサが笑う。楽しくて俺も笑い返す。
意味を取り違える隙も無い。
『俺』に向いている感情を、もっとこっちへ。この先を強く望むから、平気と言っているこの上なく嬉しい現状を確実に『普通』にしてみせる。立ち塞がる難題を気持ち良く達成してこそ、深い充足感が得られる! 潰す程度の難題ならどーでも良い。
「以前言った通り、兄さんが館に結界を巡らせてます。この結界は侵入を遮断する為ではありません」
「え? なんの結界?」
「叩く為の結界。兄さんは敷いた結界を俯瞰の形で捉えてる。結界に触れた時点で場所の特定と実力を把握する、それを上から叩いて即終了。数が多ければ多い程、叩く力は勢いと上積みを重ねていくから最後に残ったモノは見るも無惨な感じになる。まぁね、大物を最初に叩くのが基本なんだけど〜〜 速度にモノを言わせて片っ端から叩き潰していくのは端で見てても楽しくて。兄さんも楽しんでるしさぁ。
その結界を引っ張って、どーんとしました。引いた時点で俺が何をしてるか丸わかり。俺は自分の力じゃないから、どれだけ使っても痛くないし困らない。それに引っ張った程度で結界が途切れる訳ないしー」
「…なんかすごくない?」
「はい、自慢の兄です」
反芻してから、ぽつりと言ったのに笑顔で答える。
自慢であり、手の届かない目標はあそこ。しっかし、そっち向かないでぇええ!と言えたらすっごく楽。楽でも魅せる行動を取ってないのに気弱な事は言わん。
誉め言葉で貰った煌めきは一つ目だ、この数を増やすんだ!
そして、泣き落としは最終手段に決まってる。
矜持その他の諸々が折れた時こそ、泣き落とし! その時は全力で君に泣きつこう、持てる手段の除外はしない。惜しくて除外なんぞ却下、却下、却下。完全にきゃっかぁああ!!
引き止められるのなら、『捨てないで』から始めてある事ない事色々言うのも有効か。 … いや、駄目だ! 事実無根では駄目だ! 捏造では普通に心情が離れてしまい、他者に対して隙が生まれる。愚策だ!!
こんな想定をしたくもないが、想定が立った上で何もしないのは阿呆過ぎる。ある事あった事を述べ立てられるよーに色々しておくか。 …積み重ねに上積み。 ナニすっかな〜。
「結界ってさぁ… こう〜 地面に魔石でガリガリ描いて作成した事あるんだけど、引っ張れるもんなんだ?」
「それを可能としたのは、俺の技術と特別枠のお蔭です」
『特別』
それを人は平等でないと言う。しかし生まれ持った自分の力の形を卑下してどーする? どーしたい? 卑下に回せるだけのヌルさも暇さも持ち合わせとらんわ。
『自身の力でもないのに何とも羨ましいこった。良いねぇ、お前さんは。 けっ、お前みたいなのが俺は一番嫌いなんだよ』
…思い出すと腹が立つ。
半殺しで止めるんじゃなかったな。うざったく絡むから望み通り俺の力で半殺しにしてやったが、途中で一応の気遣いから止めた俺は〜 まだまだ青臭かったなぁ。 あ〜 あ。
「どした?」
「あ、いやいや」
「特別の意味は?」
「俺の場合は血の繋がりで良いんだけどね、あは」
向かい合うハージェストが笑顔だ。すごく良い笑顔。
魔力質の話は聞いてる。だから、いざという時はセイルさんとリリーさんにお願いするっつー話でだな。
同質だから可能。
同質だから無制限。
同じだから。
同じ? こいつとセイルさんが?
そりゃー、キラキラ度は多分で頷く。んでも秤が違ってても計量物は変わらんのだから〜〜 前も思ったけどよ? それで同じってアナタ、やっぱやってられないでしょーが?
「セイルさんの力、つまりは筒抜け」
「そう、わざわざ連絡する必要なし。便利」
うん、便利。時短だな。しかし完全に駒だろ? 行動を把握できる遊撃可能な便利道具に思えてくるのは〜〜 少し前に人権侵害とか思ってたからでしょーか? GPSで監視な方向を連想したのは〜〜 都合良く使われてないかと疑うのは考え過ぎか?
「一刻を争う時は本当に楽、何も言わなくても応援がくる。必ずくるから専念できる。でもま、兄さんがしてる範囲に俺が居てできる話。居なかったら、できない笑い話。誤摩化しを前面に出す必要がある時は誤摩化すよ? 物を使っても使ってないと判断させる。制御力の勝利です」
イイ顔で笑って手を上げる。リッチな指輪がきーらりん。
暗い影もない、僻もない、明るい顔。 …どーも俺の穿ち過ぎ? そうだなー、セイルさんやリリーさんは馬鹿にしてないし〜。
…リオネルくんが怒ったのはあ〜〜〜 そうだよな、これは兄弟仲良しで終わってよし! うむ、遊撃に出た後の不明の事態を回避する安全対策の為のGPSである! 大体、指定範囲あるしな〜。
よしよしよし! ならば、残る不安材料を払拭すべしってね。
「同質で無制限、ならお前がセイルさんにされたらどーなんの?」
「ん? どうにもならないよ」
「へっ? …どうにもならない? ……使い潰されて終わり? え、まじで? え、え? ああ? まさかの諦め? 自己犠牲みたいなあ!?」
「は?」
「しらばっくれるなよ! お前が使い過ぎたら自滅だと!」
「自滅? ……自滅とは役に立たないの意「おま、おま、おまえはぁああああああ!!」
「ぐぇっ! げっ! まっ… 」
突然の強襲だった。
ベッドで膝立ちになったアズサが手を伸ばす、その位置に『ああ?』とは思った。咄嗟に弾こうとする自分の手を『駄目だ!』と握り締めた。
アズサの手は迷う事なく俺の首を掴む。両手でがっちり掴んで押えて前後にブンブン振ろうと、実際に振るうぅううう!! アズサが容赦なく振るから、俺の体も前後に揺れまくる!!
「げほっ がっ… はぁはぁ はぁああああっ し、死ぬ から、ちょ はああっ」
「煩いわあああっ!」
手首を掴んで握力で隙間を作る。息ができた。
大声で叫ぶ返事。
全く緩める気が無いらしい、拙いんで手首を掴んだまま腕力で腕をぐーーーっと広げてはい。
俺はアズサの魔の手から自分の首を守り切った!
いや〜、実に意外な魔の手でした。良いトコ絞めて上げよーとするね、アズサ。君でなければ即座に一撃喰らわせて、その後は握り潰す程度に動くのに。
「えー、ちょーっと今のは頂けませんが?」
「寝間着を着てないお前が悪い!! 着てたら襟掴んだわぁあ!」
…おかしい、俺は何を失敗したんだ? なんでそんな顔に? え、まさかで泣いたり?
「死ぬ、死んで し に、 諦め 早 すぎだろー がっ!!」
俯き加減で思いっきり両腕を振った。
「ぅ、わ!」
「あ」
ボフッ!
逆らわず手を放した。勢いに軸がブレて後ろに倒れた。ベッドにばったりした。 …放す時が拙かったよーでごめん、それは狙ってないです。狙うなら俺の方に倒れさせますんで。
それで一体全体、何が悪かったのだろうか?
「あ〜のさ」
…えー、そのままふて寝に移行されても困ります。顔を埋めないで起きて下さい。 …いやー、失敗は自覚してるから。あーはははは。 こっち向いてくれない?
俺が転がった方が早いか、これは?
「すいません、わかりました。齟齬が発生してます、俺と自滅は無関係。 …結果、怖がらせたとは考えもせず配慮が足りず」
「怖がってない」
「…では、驚かせたで。心配を有り難う」
「…心配かどーか知らん。俺がその状態を嫌だと思っただけで、お前への心配になると思えん」
「えー、そんな寂しい。心配だってー」
「えー、俺自分意見言っただけだもんよー」
ちろっと見る目がいじけてる。
違いがある世界の常識が、やはり俺への罠だった。
「可能の幅が広がるのであって〜〜 同質だからと相手の魔力に手を突っ込むなんてない。ほら、手袋で説明したろ? 術式や物へ付与された力の移行が可能なのであって、直にってのは恐怖。そんな事をすれば手が汚れる。斑になって汚らしい、それを穢れと呼ぶ人もいる。わかり易いのは君が持ってた、あの珠。あれこそ穢れと呼んで良い」
「…けが、れ」
「魔力の同調展開も協調展開も可能。だけど穢れと言い表す中に、わざわざ自分の手を入れるかと言いますと… ないですよ。まぁ穢れが大げさなら大火傷ってトコだけど? その行為には何の意味も意義もない。同質でも、俺と兄さんは別人だ。反発する事なく溶け合うのなら、それこそ器で個は不要。自己が不要なら生きてない。生きていない器もまた不要。なんだけどね?」
眉根が寄って思考が回ってる、ならどんどん注ぎ込もう。
「構築済みの結界に手を伸ばし、同質の力で張り巡らされてる力を引き落とした。そうやって術式に手を掛けた。もし、これが潰し合いなら術式が維持されるか、されないかだ。解けた術式は速やかに大気に還るのだから。
君が言う、他人の魔力を搾取して術式を展開するのは無理。他人の力を意図的に誘導するのは〜〜 不可能ではない、考えられ得る事は幾つかある。しかし、それは決して誉められる事ではない」
「待て、待て待て待てぇ〜〜 手を合わせて魔力誘導しよーとしたろ!?」
「え? …ああ、あれは誘導じゃないよ。反発作用の利用だよ」
「はい? …誘導じゃない?」
他人の魔力を奪って自分に都合良く補充する、それなんてぇ夢物語。そんな発想は、これっぽっちもございません。さすが異世界発想、すげえなー。
そんな奴が居たら、まず異常者だ。それに体内魔力に手を突っ込んで誘導する奴が居たら、そいつも異常者だ。教授と呼ぶ誘導は人格形成に影響を与える。「そんなつもりではなかった」と言いながらも、支配下に組み込める状態を作り出すから始末が悪い。
幼いと斑になっても最後は飲み込まれて染められる。子供に手を出す異常者なんぞ、ナかせシバいてシめアゲて、タたないよーにツブすに限る。
君の場合は、違う感じがした。
有するなら強弱はあれど、互いの力の反発で決して直に触れ合う事はない。無力なら反発はない。手応えもない。だからと言って安易に染まる事もない、個があるのだから。
君は違う。
反発ではない、内なる力が引っ張られるのかと驚愕したあの僅かな感覚… あれを何と言えば良いのだろう?
「魔力に向かい合う時は、自分の中に在る事を意識させる事から始まる。魔力の接触には、無意識でも自己防衛に体は動く。魔力同士の接触に依って在るコトの自覚が生まれ、自覚に依って形を掴む。その形を表そうとする意識が式と呼ぶ術を力づくで生み出す。体内で渦巻く力の本流をあっちと流すのは本能と言える。 …基本、幼児の内に覚える。もっとわかり易く言うなら子供の大泣き。あれこそ何も要らない感情の塊。
だから、術を展開できなくても式を展開できないってのは… 大抵の者はできるって教えたと思うけど、実際はできない方が珍獣」
アズサの目が開き、口がうにゅーっと横に伸びる。面白くて可愛い。
「ご・ど・も・のギャン泣きぃ!? ギャン泣きで覚えるとかあ!! うにゃーーーーっ!」
「うん、一番覚え易くて早い。景気よくどっぱーんと流してく」
「だーーーーーっ!」
「構築に至らない式をどれだけ放出した所でねー、最後は疲れて寝て終わり。可愛いもんだよ、無駄な垂れ流しを見守るのは。 あはははは。 赤ん坊の内は、さすがにできないから熱を出すんだけどねー。魔力からの発熱、対処法はあるから心配ないよ」
こういう感じで一緒に話すのは楽しいなー。
「納得して頂けましたでしょうか?」
「…一応は」
「同質である事は有利で力を行使できる事も有利です。それでも力を有して尚、届かない事は多々あります」
「…前も聞きました、届かないとわかっても望むんですか?」
「はい、対外的な理由もあります。一番大きな理由は俺が納得してないからですが」
俺を見る目に憐憫はない、呆れもない。観察もない。
向かい合う目に宿る光に俺への疑問が浮かんでいるが、もう答えは言ってる。
同じ話、変わらない答え。
なら、繰り返す事を煩わしいとする奴は居る。あっさり切って終われるのは強さの一つと言える。一度で終わる方が早いのも事実。
それでも繰り返す波は同じに見えて違う、波間を転がるイシは変化する。少しずつでも角は取れ、丸みを帯びて 時の積み重ねだけが変えさせるモノがある。
それが変えられるナニかになれる。
掛ける時間が俺の好機。
少し笑うに留めたが、アズサの心情の方が大変そうだ。…表情豊かな方が良いよな〜。
隣で寝っ転がってるから聞き間違えもしない。
穢れと聞くとどっかが痛い。早とちりも痛い、繋がって弾き出した答えは違ってた。違ってて良かったと心底思う。思うが珠と聞いて思い出したあれが。
あれが。
なんでかムンクの叫び状態のナニかが珠のなーかでぐーるぐる。呪いを込めてぐーるぐる。出られない場所でぐーるぐる。ひたすらひたすら出口を求めてぐーるぐる。ぐぎゃあああああ!
中のナニかがキレそーになってる。
そんな映像が浮かんだ。
……ひじょーに怖いホラー系。恐怖さんがのーみそにぴっとりして他を足蹴に、にっこり笑う。他を隠す良い笑顔。 なんか怖い、妙に怖い。 BGMはヘレンさんの呻き声。重複続けるエンドレス。 違う、幻聴だ!幻聴以外の何でもない!! …この部屋ナニか出たりしないよね? ね?
「どう… あ、しまった。疲れが出たか。 ごめん、長く話し過ぎた。気持ちの整理も大事だけど、今日はもう寝よう」
「え、あ。 う、うう」
灯りを消すなと言いたいが、灯りがあると寝れません。怖い事は怖いと言うと話したが、この怖さはナニか違うから言い難く。夜に話す事ではないと思います。近寄ってくるって怖いよね? …寝てしまおう。そーだ、寝てしまったもんの勝ちだ。
「おやすみぃいいいいい… 」
「おやすみ」
少し間を空けてる隣の気配、安心要素。目を閉じて、フッと息を吐く。弛緩する体に妙な疲れを意識した。…こんなんばっか。でもこれは魔力に当てられたじゃないな。
嫌な思考をペイッとしまして、良かった事を思い出して今日は寝ましょう。 …あったっけ? え? あ、慰め。そう好意。 そう、金魚♪ キラキラの金魚達。
クロさん、お休みなさいです。
時を遡れば、二つの扉の音がする。
「んう」
「意識が戻ったか」
『庭』から出れば、警備兵二名に左右から腕を掴まれ引き摺られた。ズルズルと引き摺られて靴の甲が描く線は、後続に続く者の足跡で歪になった。
歩く速度は速く止まる事がない。気が付いたとて、引き摺る事を止めはしない。歩かせる気が無い。
早足で引き摺り続けて辿り着いた詰め所には、竜騎兵と警備兵が一人ずつ待っていた。
「お疲れ様です」
「そちらも同様に」
口調は軽く、笑みもするが姿勢はぶれない。
会話をするのは竜騎兵のみ、そして視線は一つに注がれる。
「コレだ」
「若いですね」
「正面からキッた、自覚がないとは言わさんよ」
「度胸では済まされん事も理解できんとは」
「ま、虫認定をなされていたからな」
「…ああ、何れはの類いがまだ跳ねてましたか。いや、違うのか。 それでも心根を入れ替える事はできただろうに」
「全くだ。殺意が含まれなければ許される、もしくは軽減されると思っているのなら子供の道理より愚かしい」
「は、子供の道理は通らないのが常なれば。地下は冷える、女子供には辛いだろう。少なくとも一人の子供は堪えたが、お前は幾晩過ごす事になるのだろうな」
「決が下るまでは必ず生かす、安心しろ」
「夜の内に下る事を喜びに思え、次に見える陽の目には深く有り難みを覚えるだろうよ」
見下げる目は品定め。
これから取り掛かる仕事への段取りを組むのに重要である。
「では、この時よりこちらで引き継ぎます」
「よろしく頼む」
会話が途切れた所で後ろに控えていた警備兵が素早く近寄り、挟んだ書類をバインダーごと差し出す。内容に頷き署名をして引き継ぎを終えた。
敬礼を互いに交わして踵を返す。
拘束している警備兵達が再び引き摺りながら詰め所に入り、竜騎兵がそれに続く。最後はバインダーを小脇に抱えた警備兵が敬礼を為し、ガチャリと扉を閉めた。
竜騎兵達の宿舎となっている別棟の入り口で、出迎えた兵と執事の会話がされている。
「連絡は受けた。執事殿、それは何処へ置くつもりだ?」
「お手数をお掛け致します、一室と言えど客室には置けません。…皆様方がおられますので、残っている空き部屋はご存知の通りです」
「まぁな、下か上かのどちらかだな」
「はい、どちらに置くかは皆様方の判断に任せよと仰せつかっております」
「そうか、指示は任せよか。了承した。執事殿、代わろうか?」
「まだ大丈夫でございます。見ての通りの年寄りですが、若い頃には多少はできたものでして」
「それは失礼した」
「いえ、そこまでは自分の役目と思っておりますので。ですが倍の時間と距離になりますと、腰に差し障りが出る様になってしまいました」
「はは、無理なさられるな」
「有り難いお言葉です」
一人は精鋭である故に、一人はこの地での長年の労を持ち合わせる故に。
互いにそれなりの礼儀を持って向かい合う、慎重を期すのは執事の側だ。向かい合う相手の視線は強い。担がれた者には最初に一瞥くれて終わっている。
その目は既にメイドと見做してはいない。
「中へ行きましょう」
「はい」
竜騎兵の手で、入り口の扉がガチャンと開かれた。
扉を潜り、廊下を引き摺られ、別の扉の前で止まる。扉は既に開かれ内部は見えていた。
「おう、来たか」
「「 は! 」」
「どうだ?」
「ああ、これで良いだろ。通常と同じ物では悪かろうし、それなりの物をだな」
後から入った竜騎兵に答えるのも竜騎兵。
入り口で拘束したまま頭を下げた警備兵二人は、今度は引き摺らずに素早く場所を空けていた。
一人の竜騎兵が差し出しているのは制御環である。
部屋の灯りに鈍い光を返すソレは、誰が見ようと見るからに着けさせられたくない一品だ。だが逆もまた然り、『あれを手にして己の欲に』 『あれに印を刻んで都合良く』そんな事を考える不届き者も居る。しかしその程度、作製側とて配慮する。
制御環、真意に至れぬ者を誘う大いなる罠である。
「さて… 行う前に二人に聞こう。コレとは懇意か? 懇意であれば代わらせよう、可哀想だと感情を持つのは悪くない。しかしそこに私情を挟んで動けば、次はお前だ。行うかもしれぬ配慮をせなんだと、叱責されるのは嫌でな」
「不幸な出来事を増やさぬ為にも聞かねばなあ?」
笑顔で問いながら、片手の制御環を玩ぶ。
その姿に二人の警備兵は、拘束したまま直立不動でしっかりはっきり返事をした。
「この部屋には公平な者しか居ない、良かったな。 この制御環をどこに嵌めよう? 足か、手首か、首か、それとも細工の一つも施して頭にするか」
「器用な事をしたからな、手首か頭のどっちかだろ」
「ん〜、そうだな」
制御環を手にする者が歩み寄り、力なく項垂れる姿に手を伸ばす。
汚れて皺の寄ったメイド服、止めるピンもメイドキャップも失くして散けた髪。泥に塗れ、みすぼらしく汚らしい。その頭髪を掴んで顔を上げさせ、物柔らかく問い質す。
「優しい所もみせてやるよ。選ばせてやろう。手首か頭か、どちらが良い? 選んだ方に後悔が立たない程度の痛みもやろう。何、それは一時だ。 お前にそんなつもりがなくてもな? 選んだ人を侮辱されりゃあ、誰しも腹を立てるだろう? 俺らがその場に居合わせたら、これで済んだかわからんぞ? お前は運が良いよなぁ。 ま、それでも此処に俺らが居るから強運でもないけどよ」
上げされられた顔、睨む目。
その目に宿る力は強くあったが、それでも震える唇を引き結び声を出そうとしなかった。
「は、時間の無駄だ。義理立てでもナニかであろうとも、為した行いは消えん」
「だからそれを聞いてやるよ、地下でな」
「あ、 いあっ! あ、あーーーーーーーーっ! あっ、あっ、 あぐぅう!!」
悲鳴を上げた時には環は嵌まり、付属の痛みが襲っていた。
「地下へ降ろす」
「「 はっ!! 」」
痛みに身を捩り、暴れる女を拘束し続ける警備兵二人も必死である。これで拘束が解けようものなら『不合格』の判が押される。そこからシゴキが再開する。
任務の一つもまともにできずに私情を滔々と語るだけなら叩かれる。先に進まないのなら、判は加算し再教育が開始する。
そして地下への扉は開かれた。
コツリコツリと下り行く靴音は女の呻き声に消され、それもまた次に開く硬質の音に掻き消されるのだ。
「行き着く先の者に会えるぞ。意識して見るがいい」
ガシャ ァアア ン… !
地下から漂う冷えきった空気に快適さはない、下は暗い。
扉を潜るとホールに出た。
休息の為の椅子が並び、鉢植えが置かれる。真正面にある階段は幅が有り、豪勢に見えるが煌びやかさに欠ける。
そこに竜騎兵達が待っていた。
椅子に座る者、その後ろに立つ者、階段の手摺りに凭れる者、階段に腰掛ける者も居れば、階上から下を眺める者も居る。
進めば皆の視線に晒される。
「執事殿、そこで降ろされよ」
「は… ですが」
「勤めの気持ちもわかります。それにご配慮をされるのもわかります。ですがそれが呻くのは足ではない。自分の足で立てと言っているだけですよ」
荒げる事のない声はよく通り、己の理を通させようとし、それを仲間の視線が援護した。結果、執事はその場に降ろして一歩下がる。が、忘れてはならじと声を上げる。
「この者の手当てをと言われております」
「手当て? この手に対する?」
「然様にございます」
「…器と見受けるモノへの手当て?」
「おい、それは誰の指示か?」
「領主様でございます」
「………次期様が? そんな無駄な事を?」
「無意味だろが。本当にご指示されたのか?」
「はい、確かに。 …推測でよろしければ望みを聞き入れられたのかと」
「誰の?」
「…弟様が手元に置かれた方です」
「へー」 「ふーん」 「あー」 「うっわー」
白けたではないが、それぞれの表情がナニかを語る。達観に似せたナニかだ。
椅子に座って足を組む者が、両手を広げて尊大に言った。
「無駄な望みを叶えよと。はーん、それはまた豪勢な」
「時の経過が一番の薬とみたが?」
「説明せずにいたのなら聞く必要があるとされたか。それとも逆手の意趣返し」
「アレの手当てねぇ、は」
次々に発される冷めた口調に観察の目。誰もが笑う。
一人が笑って、こう告げた。
「手当てと呼ぶ仕置きをご希望の様だ」
そして手当てが施される。
近寄った男が手を伸ばすが体に触れはしなかった。向けて描いた力のナニかが宙で光って形状を現し、瞬間の拡大後に素早く光の尾を引いて雁字搦めに巻き付いた。
「…え? あーーーーーっっ!」
細く高く室内に反響した女の声は、息が切れて直ぐに止んだ。
硬直から前のめりになり、そのまま横に倒れた体は再びの痙攣を繰り返し、やがては止まった。天井を斜めに見上げる目は虚ろだが、浅く早い呼吸を紡いで体は生命維持を担っている。
手当てとしたナニかを受けて、赤黒く染まった手は急速に色が薄れた。普段よりやや赤みを帯びただけの手には、代わりの様に細く赤い筋が浮かんでいる。
「術式に長けるだけでは一流とは呼べなくてよ。裏のやり方にも精通している奴を指す。しかしまぁ、線引きは線引きだ。 ふん、器の力の誘導なんぞ簡単だ。流れる様に流せば良い。裏からやれば術も不要、式も不要、描く道筋に添って勝手に流れ出す。
嫌疑のある者に解放があると思うか? 笑わすな、お前の力で自縛しとけ」
仕上がりに笑って言った。それに対して仲間が返す。
「粗雑」「いまいち」 「大雑把」 「もう少し」 「残念」
「うるせえな! 俺は極め人じゃねーんだよ! ったく、お前らもそこまでできん癖に」
「ははは、ハージェスト様程にできるかよ」
「おい、服も靴も脱げ。 ああ、下着は脱がんで良い」
談笑の中で掛けられた言葉に何も返せず、動けずにいたが意識を戻した目が動く。
「ん〜? 脱がないなら剥ぎ取るぜ?」
「あの… 皆様方」
「あー、執事殿。自分の流儀の果てに開けた道に可哀想等と言っては、それこそ可哀想ですよ?」
「そうそう、なっている以上は自業自縛と言うのです」
「自分の中に巡る力を縛鎖とする。実に効率的で無駄が無く」
「牢に入れぬ事を考慮しましてもね? 容疑者の逃走を未然に防ぐ処置は取りますから」
ノロノロと身を起こして靴を脱ぐ、時折感じる痛みに震えが走る。震えるのは手ではない。服に手を掛ける時には腕が止まった。が、脱いだ。
「立て」
「…は、い」
ふらつきながらも立てば全身がわかる。白の下着姿。キャミソールを押し上げる胸元も、すんなり伸びた手足にも走る赤の筋が目立つ。
「優しいからな、今宵の尋問は止めてやるよ」
「自分が行った事を思い出せ、覚えがないなら考えろ」
「自死を望むなら自縛の意味を考えな」
「執事殿、確かに預かりましたのでその旨お伝え下さい。手数ですが〜〜 これらも持って行って下さい」
「…わかりました」
達観したか、メイド服を手に執事は下がる事にした。
入り口の扉に手を掛けた所で耳にした。
「改めてようこそ、竜の巣へ。仮の巣な上に、内部はそっちも把握しているだろうがな」
その言葉に複数の笑い声が上がる中、外に出て、扉を閉める為に振り向き一礼する。顔を上げれば、見ていた一人と目が合った。その一人に目礼し、外と内を隔てる為に静かにカチリと扉を閉めた。
ぴちゃん… ぽちゃ…
薄暗い中、魚の鰭が水音を立てる。
ピシッ!
ぱちゃっ! ぱちゃちゃっ!!
床を打つ黒い長い尾。黄玉の瞳。
物言わぬ黒い猫は見た物を反芻し、どこかうっとりとした顔を宙に向けた。そして金魚鉢と称された器に目をやり、そこを泳ぐモノをにんまりとした顔で見た。
番猫には五ヶ条の使命がある。
第一条が望まれた最大の要因なので、最高に重要だ。第一条に連動する第三条は当たり前。しかし、特例項目を含む第二条を蔑ろにする事は、決してあってはならない。
第四条の行使権は可愛い可愛いお子様の為にあるが、対応には配慮が必要で、条件が揃わなくてはならない。
番猫は、ずっと見守っていた。
そして腹に溜め込むしかないモノを色々きっちり溜め込んでいた。使命と役目と状況が、溜め込む以外の事を許さない。決して決して忘れない。忘れられない。故に現時点では不可能でも、既に予定表は組まれている。
お守りは、叫ぶ為に守る為に存在の為に搾取した。
容赦無い搾取であったが、力の搾取は生命力の搾取であって回復すれば戻る程度の搾取である。意識の戻らぬ搾取はしていない。
この時、これ幸いと刈り取ったのが番猫である。番猫に無駄は無い。
赤と黒の金魚達は輝きを纏って泳いでいる。
同じに見えて纏う光度に違いがある。その違いは生命力の違いだろうか? それとも命の重さの違いだろうか?
番猫の口が開き、舌舐めずりをした。
ピシッ!
尾が再び床を叩けば波紋が広がる。
その波紋が器に届けば、金魚達が一斉にぱちゃぱちゃと泳ぎ出す。
喜んで遊んでいた姿に顔を思い起こせば、無上の喜びが押し寄せる。やはり子供の遊びには玩具があった方が良い。実に楽しく遊んでいた。
本体がどうなろうとも構わない。金魚は金魚鉢で泳ぎ続ける。
泳ぐ姿に番猫は笑む。
可愛い可愛いお子様の目を楽しませる為に、徹底して仕込んでやろうと。
ふと、目を凝らし静かに耳を傾ける。
語りくる小さな意識に心が震える。震える心が喜びを語る。
愚者も賢者も覇者も不要。
愛しいお子の笑顔の前には、そんなモノに価値はない。
至る流儀に 道を あけよ。