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第九話 河西と片岡

あの頃は、毎日が衝突の絶えない、血気溢れる若者であった。

それがいつからか、奴の目の輝きが失せたのだ。次第に、感性をもしまい込んでしまった。

惰性の塊だ。今の片岡には、その形容詞が何よりも馴染んでいるのだろう。


『片岡さん、次回の作品、俺に任せてもらえないでしょうか?』

『ああ?、お前が・・。へっ・・、大した、自身だな・・』

『けど、片岡さんに、最終チェックお願い出来ないでしょうか。俺、そこまで、自信ないから』

『・・・。上手に、俺を使うよなあ。出来る男は、違うかあ・・』

『そんなんじゃないですよ!、お願いします。この作品、結構いけてるから、片岡さんの力借りたいと思って』


『俺の、チカラ・・?』

『はい、片岡さんの、“こだわり”が、必要なんです!』

『・・。ああ、いいぜ。“こだわり”は、誰にも負けないからな、俺は』

『よかった!。ありがとうございます』

片岡の、“こだわり”。もう・・、どれくらい前の“遺産”に、なるだろうか。既にもう、死語にも匹敵しているだろう。


片岡にとっても、疎ましいだけの過去の栄光のはずだ。

確かに、奴の小道具の手腕には、他人の真似出来ない、“格別”が揃えられていた。

課長の森田にしても、大いに、期待出来る人材だったに違いない。


元々、手先の器用な奴には、既製品では飽き足らない不満があった。

作れる物があれば、極力、自作。既製品の加工。職人技のオン・パレードであった。

そんな奴に、寝る間も有ろうはずが無い。泊まり込みが、奴の日常生活になった。


幾体もの、貴重なプラモデルを作り上げていく。片岡の小物作りの執着は、まるで命を削るかの如く、朝から晩まで、狂ったように生きた“分身”を、誕生させていった。

そんな奴の作り上げた、かけがえのない、“分身”に、災難が降り注いだのは、取るに足りないドラマ撮影のほんのワン・シーンの出来ごとだった。


カメ・リハ中のスタッフの一人が、何気なく発した軽はずみな“言葉”が、片岡の自尊を直撃した。


『あのさ、あのサイド・ボードの上の模型、外してよ。ごちゃごちゃしてて、邪魔!』

『これですか?、外しちゃっていいですか?』

『そうそう、何だ、すっきりするじゃない。OK!、いいよ』

『小道具さん!、これ、片づけてよ。邪魔だからさ、って言うか、この作品にさ合わないんだよね、これ』

スタッフの一人が悪気なく、つい脇に置かれたそれを、靴のつま先で押しやった。


小道具屋の魂をこめた、命の吹き込まれた物言わぬ“脇役”の、溜息が聞こえてくるようだった。

まさに、その瞬間だ。奴が、切れた。


『おい、なんだ、お前・・。おい、なに、やってんだよ!、おまえっっ!!』


片岡の、激しく込み上げる怒りと両手の拳が、スタッフの顔面めがけて突き刺さった。

止める間もなく、馬乗りになった片岡は、許しを乞う若い男を容赦なく叩きつけた。

唖然とする、その光景は、無声映画をほうふつさせるかのように、片岡の動きだけが目に焼きついていた。


鮮やかな鮮血の“赤”が、唯一、天然色を映し出していた。

他の者に押さえつけられた片岡が、床に這いつくばって、こう言い放った。

『バカ野郎っ!、俺の、大事な子供たちを、足蹴にしやがって!。お前ら、それでもまともな人間かあっ!!』

床に押し当てられた、奴の歪んだ顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。


警察沙汰には、かろうじて免れた。が、片岡の“自尊”は、その時、終身刑を言い渡されていた。


もう、十数年も前の、他人から見れば他愛もない事故だった。

それからだ、片岡の人格の崩壊。小道具の扱いへの、ずさんさ。あれほどまでに愛した道具は、亡きものへと追いやられた。


そして、最悪の結末とは。奴の大切なはずの家族までが、離れて行ってしまったことだ。


それからの片岡には、小道具への情熱の欠片なんて微塵もなくなってしまった。僅かに残ったものがあるとすれば、唯一、ひとり娘へ向ける愛情。年に数回の“面会”を、心待ちにしている。それくらいのものだろう。


既に、仕事や他人に対する思いは、奴の中には存在さえしてはいないのだ。


『片岡さん、この箱の中身、出してもいいんですか?』

河西がおもむろに、大きなダンボール箱に手を伸ばした。


『さわんじゃねえっ!・・。ちっ、うっとおしいんだよ、お前なあ。あっち行ってろよ!』

『俺、ここで、作業しないとダメなんです。だって、備品課だもん』

『じゃあ、俺に出てけって言うのかよ、お前!』

『そんなこと、一言も言ってませんけど・・。何か気の障ること、俺、しました?』

『お前の、存在そのものが、気に障るんだよ!』

そう言って片岡が、ふてくされたように、席を外した。


『なんだあ?、あの人・・』

『河西くん、どうした!。片岡と、なんかあったのか・・?』

恐る恐る、森田が様子を見に来たようだ。


『いいえ、たまたま喰い物の趣味が合わなかっただけです。それで、片岡さん怒って出て行きましたけど』

『なんだあ、そうか、それならいい。片岡ってさ気難しいとこあるから、河西くんも上手に付き合ってくれるかな』

『俺、大丈夫です。そう言うの慣れてるんで。心配ないです』


奴め、簡単に言ってはいるが、埋没していた不発弾を、掘り起こさなければいいが・・。



森田の一番の懸念は、そこにあった。

河西を受け入れること自体、それほど心配はしていなかった。しかし、今まで大人しくしていた片岡のスイッチに手を出せるのは、そう、怖い物知らずの河西しかいない。

森田の奴、相当、気が気ではないはず。


案の定、翌日、その効果は現れた。河西の担当するドラマのセッティング中にトラブルが発生した。

準備されていたはずの小物が、姿を消したのだ。


『木下!、俺の置いといたコーヒー・メーカー、知らない?』

『知りませんよ、河西さん余所へ持って行ったんじゃ、ないんですか?』

木下 純。備品課のアイドルだ。皆からは、“純ちゃん”の愛称で通っている。中々の美形だ。


『バカ野郎!、俺が動かすはず無いだろ、探せよ、時間ないんだよ!』

『“バカ野郎”は、余計です!。バカ野郎』

『お前ねェ!、終いには・・』

『河西くーん!、あったよ、あった・・。これじゃない?』

森田が、息を切らして河西に差し出した物。そう、奴の探していた小物だ。


『ああ、課長、すみません。で、何処に置いてあったんですか?』

『・・。ゴミ、置き場だ・・』

『ゴミ置き場・・。どうして!、何でそんな処に?。俺、午前中に確認しましたよ。なあ・・』

『な、なんで、そんな目でわたし見るんですか?、河西さん、ひどい!』

『そうじゃないよ、別に、お前を疑ってる訳じゃないさ。でも、誰が・・』

嫌がらせだな・・。よくあることだ。しかし、最近では、珍しいがな・・。


『騒がしいなあ、河西さん!。どうしたよ、血相変えて』

そう言ってひょうひょうと現れたのは、片岡だった。少しニヤケた顔で、大袈裟に首を回しながら近づいて来た。


『あーあ、疲れたなあ・・』

『片岡さん・・。どうして、ここへ?。練馬の現場じゃなかったんですか?』

『ああ、つまんない奴が多くてな、放り出して帰って来てやった。ざまあ見ろだ、はは、・・』

『片岡、お前また・・』

『またって・・、大袈裟なこと言いますねえ。森田さん。一年振りですよ、あれからは』

相当な、ひねくれ者だな。片岡よ、お前の首はかろうじて森田で繋がってるんだ。そのことを忘れるな。


『それにしてもどうしたんだ。この達の悪い“小物”はよ、壊れてんじゃねえか』

『ゴミ置き場に、捨てられてたんですって。それを、課長が見つけて』

『へえ、ゴミ置き場ねえ。丁度、いいじゃん。壊れてんだし』

『片岡さん、あんた、まさか!』

河西がたまらず、奴に言い寄った。


『何だあ!、お前。俺が、やったとでも言うのか!、おい』

『はい、そう思いました。今』

『なるほど・・。“暴言”は、相変わらず健在だねえ。なあ、河西さんよ』

片岡の、悪役ぶりはどうだ。堂に入ってる。見事に、熟練された演技だ。


『片岡、止めとけ。これ以上は、俺も面倒見切れない。頼むよ!』

『はいはい、承知いたしました・・。いいか河西よ、例え、この小物が並べられたとしてもな、画の邪魔をするだけだ。クソみたいな存在にしか、映らないんだよ!』


『いいえ、配置に間違いはありません。台本通りです』

『ちっ、これだから素人は情けねえ。あのな、このコーヒー・メーカー、新品だろ?』

『そうですけど、何か?』


『バッカじゃねえか!、おい。テカテカし過ぎてんだよ!、その小物。女優の肌以上にぴかってんの!。お前、この小物を主役に使いたいのか?、そうなのか?』


『いや、そんなつもりは・・』


『おい!、“つもり”で、仕事されたんじゃたまったもんじゃねえよ!』

『じゃあ主役です、その小物。だから、新品なんです。ほら、女優に負けてないでしょ?』

落下の衝撃で少し欠けてはいるが、まだ新品の輝きは失せてはいなかった。


『へえ・・、自信あんだな。で、そいつの台詞はなんだ。シーンのどの場で喋ってくれるんだ?。集まった奥様たちの愚痴に、反論してくれるんだろうな?』


『えっ?、・・・』


河西が、応えに詰まっている。それ程に、片岡は手強いのか?。


『調子こいてんじゃねえぞ!、お前。考えてもの言えよ』

そう吐き捨てるように、片岡はスタジオから出て行った。

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