第六話 河西の予言
しかし、馬鹿ばかしい話を思い出したものだな。
『一度切りだ・・。魔が差した。若者の戯れだとも弁明しよう。しばらくは後悔もしたさ。でもな、いい事も残されていたよ。あの時の隣の彼女が、今の嫁さんだ・・。相当、怒ってはいたけどな。とても簡単な事だったよ。あの時、あいつが○○が好きって言わなけりゃ、大人しくしてた・・。つい、嫉妬しただけだ。そんな他愛もない行動さ・・』
若さとは贅沢だ・・。次から次へと、欲望が走る。使っても減りやしない。
そんな頃を思い出しながら、冷静に奴の前に立った。
『残念ながら俺は、この会社をぶち壊すほどの覚悟は持っていない。今の自分の生活を、変える気など、更々ない。保身だ、この先の老後の楽しみを、ただじっと待っているだけだ。物分りのいい、おじいちゃんでいたいのさ』
それはまるで、目の前の河西に、私の託す“バトン”の行方を示唆しているかのように呟いていた。そこまで極端でいいのか?。相当なギャンブルだぞ。
窓越しの屋外の景色は、春の訪れを楽しむかのように強い風が、街全体を駆け抜けているようにも見えた。
『明日から俺、小道具の達人になろうと思います。そして、いつかこの国の映画を、好きになりたいと思います』
突然、間の抜けたような奴の素直さが、嬉しいのか、物足りないのか・・。
いいさ、奴なりの映画の付き合い方が見え始めたのだろう。
“この国の映画を好きになる”・・か。果たして、その頃まで私は元気にいられるのか?。
譬え、存命してたとしても・・。ボケては?、いないだろうな。
『頼むぞ!、くれぐれも俺を裏切ることのないようにな』
そして河西も、一礼することもなく、この部屋を出て行った。
おいおい・・。常識の無い社員を育てたものだ、俺の会社は・・。
心配の種は、その日以来、真面目に働いているようだ。責任者の森田も河西の行動には、目を見張るものがあったようで、時折、私に嬉しそうに報告をくれる。
そうか、それは安心だ。今は基礎を知れ。所詮映画なんて人の手の入り込んだものだ。
何人を味方に付けて、どう、戦うかだ。
開け放した“心意気”を、何人に伝えるかだ、そいつらと言いたい事が本気で言えるのか、まずは、人格との闘いだ。認めてもらえ、そこからだ。
河西のNGを喰らった、あの“作品”が、どうやら暗礁に乗り上げていたようだ。
責任者の太田が、小さくなって私の部屋をノックする。
『失礼します・・』
『どうした、今度は、誰が暴れたんだ?』
『いや・・、その、実は、例のクランク・インの件なんですが・・』
『遅れてるんだろう、聞いてるぜ。すべて・・、他の奴からだけどな』
『ああっ、失礼しました!。最終的に確認が取れるまではと・・、思っていまして・・』
『状況報告はしろや!。最終、決まってしまったら、俺は何と言えるんだ?。お前たちにNG出して、事が解決するのか?、次の作品が化けるのか?。だから、トップは嫌なんだよ。お母さん役の上司には、いくらでも喋りかけるのに、ことの、父親役の俺には何にも言いやしない。いいか!、母親と父親が不仲だったらどうする!。家の中の会話が無くなるだろ!。肝心の子供たちの事が判らなくなってしまうだろ。同じ家族なんだ、それを判れよ!』
一人、ジレンマを感じてしまう。仕方ないさ、優しい父親を演じ切れない私が、罪を被ればいいのだからな。
『で、どうなった。その後』
『はい、今しがた、女優のNが出演を断念しまして・・』
『断念?、おい、正確に言えよ、拒否したんだろ』
『はいっ・・!、拒否・・されまして・・』
『どうした、ギャラか?。それとも、やっぱり、あいつが気に入らないかぁ』
『はあ・・。自分の思い描く役柄と・・、マッチしないとか、なんとかで・・』
『人気者はいいねえ。どんどん仕事が入る。うちみたいな会社には、安売りしたくないか』
『どうせ、大手スポンサーの息のかかった別の映画に、魅力感じてんだろ!。役柄って言える程の演技もないくせによ!。どうりで、最近、髪型変えてたよな、あの作品だろ、目当ては』
仕事を秤にかけるとは・・。大した自身だ。
少々、甘やかし過ぎたか、この国の映画作りは・・。
河西の予言通り、“先細り”はすぐ目先の配役に影を落としていた。
人気ばかり先行して、その技術ときたら何ともお粗末な限り。そんな小物に、こぞって群がる貧弱この上ない業界。
何とも恥ずかしいほど、層の薄い役者たちではないのか。
それを良しとする私たち企業にも、勿論、同罪は下されても反論は出来やしない。
河西の唱えた“暴言”。私はあの時、公平にジャッジ出来ていなかったのだろうか?。
河西の正当性を誇示するために、会議室に乱入出来なかったのだろうか・・。
我が社では、こんな作品は扱えないと、強引に引きちぎれなかったのか!。
しかし、もう遅い。私は、物分りのいい“おじいちゃん”でいたいのだ・・。
『太田っ!。お前の見立てで探せ!。この原作に合っていれば誰でもいい。いいか、N子に固執するな、この作品で新しいヒロインを生み出す!。それ位の気概でやってみろ!、いいな!』
久し振りに、会社の役に立ったような気がした。
映画に最も欠かせない“女優”選びに、誰でもいいなんて格好良く言えたものだ。
そうだ、中身だ。誰が演じるかでは無い。この原作を、命を懸けて演じる事の出来る役者こそが、大事なのだ。
順番が狂っている。我々の目が曇っていたのだ。
N子の出ないこの作品こそが、値打ちがあると云うもの。
さあ、見せてくれ!。予測不可能なほど、ドキドキする新しい画を!。河西の、奴のほざいた新しいものを!。
次の日から、主演女優不在の知らせが、関係各社に伝わる。
ここ現場でも、蜂の巣をつっついたようにスタッフが躍動を始めていた。
どうやら、ここにきて尻に火が点いたようだ。
各方面に走りまわる、若手スタッフ達の汗。ベテラン男優の説得に、苦笑を強いられてる古株スタッフの嘆きの声。
そうだ、どんどん苦しめ!。思いっきり悩め。これが限界だと吐き出してしまえ。
お前ら、この業界に命を預けたのなら、“死の直前”まで、狼狽していろ!。
それと引き換えでしか、最高のものは出来ないのだからな。
お前たちの命を差し出してみろ!。お前たちの魂に火を入れろ!。
立ち止まるな、誰であっても、“媚びる”んじゃない!。
スパルタだったあの当時を、もう一度、再現出来ないものか。
そうすれば私も、第一線に立てる。汗臭いあの連中と一緒に、束の間の夢に浸っていられる。
遠慮なく、正面からモノが言えるのだ。
現場でしか味わえない臭いで、極上の酒を浴びることが出来るのだ。気に入らない事には平気で“ツバ”を吐ける。
そして何よりも、あの河西と、あの“若造”と組めるのだから!・・な。
映画を作ろう。我々の満足の出来る、唯一の画を撮ろうではないか。やがて観客の、思わず声を失ってしまう様を、その感動を、手に収める事が出来るのならば。
可能だとも。奴となら・・。そう思えて仕方ないのだ。