第二十二話 菊池カナの真相
『18名全ての審査が終わりました。さて、先生方に最後を委ねるとしましょう。しかし、皆よう頑張ったなあ!。もうこの時間やったら、今晩泊まりの娘、居てるんと違う?。いい店知ってるよ、どう飯でも一緒に・・。冗談やて、冗談!』
・・・。後藤田のスタミナには、感服させられる。吉村工業か、さすが隆盛を極めるだけの力は持っているな。
審査員室の盛り上がりが、直前までの激選を示唆するかのように言葉が飛び交っている。
勿論、河西も応戦中に違いない。どれどれ、覗いてみるか。
『やっぱり千葉の娘かな、中島結衣。ダントツだよ!。見栄えも、演技力も』
『彼女くらいだな、この役演じ切れるのは』
やはり、中島か・・。確かに、カメラ映りのいい最高の美女だった。
『私も賛成だ。中島結衣で、決まりだな!』
結城が、半ばごり押しするかのように付け加えた。
どうした河西よ、異論は無いのか?。さっきから、だんまりを決め込んでる。ついに、消沈したようだな。菊池カナが外されて、余程残念なのだろう。
『あの、俺・・。菊池カナは外すべきだと思います』
んん?、予想外だ。いくら、あんな落ちが着いたにしても。お前の方から彼女を諦めるのか?。
『菊池・・。ああ、あの娘ね、もちろん無理だよ。彼女、審査も何もあったもんじゃない。論外だね』
菊池を外す。そうとも、お前の希望通りの展開だ。
それより、誰も中島結衣の決定に反論は無いようだ。しかもあの結城の顔を見ろ、権力に依存しきった奴の顔は、得意満面にこの部屋に君臨している。
『誰だって、いいんです。この役は・・』
『投げやりだなあ、河西くん。俺たちは中島で決まりって言ってんの。彼女以外、居ないでしょ!、あの役こなせるのって』
河西よ、今のお前の意図がさっぱり見えない。我がまま以前の、得体の知れない異星人にも匹敵しているぞ。
『ええ、菊池以外であれば、誰だってこの役こなせると思います。皆、レベル高いし』
『何かあるの?、さっきから、菊池、菊池って。あんただろう、外すって言ったの』
『この役は、彼女にはさせられません。もったいなくて』
『・・?。だから、言ってるじゃん。彼女、そう言う器じゃないの、最終審査に何で残ったのかさえ、それも怪しい。裏で何かあったんじゃないの?』
『そうじゃなくて!、この役こそが、彼女に追いついてきてないんです!』
理解不能だ。河西の言っていること全てが、調子外れもいいとこだ。
お前の、菊池に向けられた評価は、一体、どっちに行きたいのだ?。
『そもそも、この役は、いや、この脚本そのものが幼稚なんです。原作を活かしきれてないんです。愛する人が死んでしまう。そりゃ、誰だって悲しいですよ。問題はそこなんです。“死”に対する悲しみだけで泣かされてしまう。泣きたい映画には、なっていないんですよ!。菊池カナはこう言いました。“死ぬ事は当たり前”だって。“人を愛することの歓びに気付けた”って。“人は、変われるんだ”、そう言いました。彼女以外の娘に、この作品のメッセージを、本質を、語った娘いましたか?』
根底を覆しやがった。人気“キャラ”で小銭稼ぎの作品の本質を、ついに、暴露してしまった。
見識のある映画関係者であれば、誰しも口を開くたくなるさ。
出来ないんだ・・、河西よ。立場は言葉を消してしまうのさ。勘弁してやってくれ・・・。
『もういい・・。河西君、もういいから出てってくれ。植木さんには僕からよく礼を言っとくから。ね、帰ってくれよ、お願いだ!』
結城が、呆れたように河西を追いたてた。
本当は、結城にも解かっているさ。河西の言いたい事が。原作は、そのまま映画化にはならない。いや、してはいけない作品もある。
難解過ぎるのだ。客が着いて来れないのでは、映画にしてしまう意味が無い。
菊池カナは、この作品の“底”を、垣間見てしまったようだ。
河西の、菊池カナへ向けられた思いは、ここにあったのか。そうだったのか・・・。
その後は、結城の独壇場だった。
筋書き通りの審査で、オーディションは幕を閉じた。
選ばれたのは、やはり中島結衣。河西にも、予感出来ていたのだろう。
確かに、河西の向けた菊池カナへの意識は、私にも理解できた。しかし、その異様性がまだ見つけられていない。
菊池カナにこだわる、何かが、奴の中にあるはずだ。それを確かめないと、今夜、私はベッドの上で寝付けなくなるのだ。
会場の明かりも消え。辺りは街灯に照らされていた。既に人影もまばらになっていた。
『ごめんね、君のこと傷つけたかも知れない。あの時言ったこと。随分、泣いたねって訊いたこと・・。無神経だった。申し訳ない』
『いいんです。わたしがいけなかったんです。取り乱しちゃって。助かりました、河西さんがフォローしてくれて正気に戻れました、あの時』
玄関先で、河西と向かい合っているのは、そう、菊池カナだ。会話の内容が掴めない、一体、何を詫びているのだ、奴は。
『何かあったの、ゆうべ?。いや、言いたくなければいいんだ。・・・。けど、興味本位でないことは知ってて欲しい。本当だ』
『・・・。聞いてもらえますか・・。いえ、聞いてもらった方が、わたし楽になるかも知れません』
『無理しなくて、いいんだよ・・』
そうか、ドクター・ストップの理由が訊きたかったのか。
『死んじゃったんです・・わたしの、彼・・。おととい、病気で。それでわたし、ゆうべ通夜会場に行ったの。でも、入ることが出来なくて・・。彼の、両親の顔も知らなかったし・・。わたしの地元で会ってたから。誰も・・、わたしのことなんて知らないし、そんなわたしが顔を出したら、場違いかなって・・、そう思ったら急に怖くなって、彼のことが思い出せなくなって・・』
今にも崩れ落ちそうな彼女からは、余りにも惨い現実が吐き出されていた。
一瞬、河西の困惑した顔が、街灯に映し出された。
『彼、余命半年って判ってて。でも、わたしにはずっと黙ってて、就職の準備があるから、家にもどるって・・。広島を離れたの』
ポツリと西野カナが口を開き始めた。
『わたしが映画のオーディションに受かったこと、喜んでくれてて、電話の声とても明るくて・・。東京に会いに来れるねって、楽しみにしてくれてたの・・』
『東京に着いたら連絡してねって。でも・・、オーディション会場には、行けそうにないなって、カナに迷惑かかるから・・って。病室で祈ってるよ・・って』
真実なのか?・・。彼女から漏れ始めた言葉は、私の聞き間違いではないのか?。
『ごめん!、もういい、いいんだ!。ごめん、俺はやっぱり無神経だ!、君を辛くさせただけだ!、もういいんだ!』
菊池カナの肩を、両手でしっかりと支えた河西は、自分の犯した罪に、後悔していただろう。
何気なく訊いてしまった己のあさましさを、興味以外の何物でもないことを。河西は恥じていた。
『東京駅に着いてメールしたの。でも、返信が無いの。どうしてって、どうしたのって、ずっと心配になって・・・』
『もう、いいんだ!・・。判ったから!』
彼女を抱きしめながら必死に河西は、彼女のことをかばっていた。
彼女も河西の胸の中で、こらえていた涙の全てを流していた。
遅れて会場入りした菊池を、その状態を察知していた河西は、この時点である種の判断をしていたのだろう。“この娘には、何か特別な予感がする”とな。
それにしても、よくもオーディション会場に辿り着けたものだ。
彼の死を、乗り越えた訳ではあるまい。恐らくは、いたたまれなかった。自分の居場所さえ見失ってもいいはずだ。そんな彼女の居場所とは、そう、ここに来るしかなかったのだ。
ステージの上で、崩れ落ちた彼女にも頷ける。夕べも、一睡も出来なかったのだろう。
“死ぬのは当たり前”。死を肯定したのでは無い、健気にも、立ち向かっていたのだ・・・。
この映画で、“菊池カナ”を、彼女を使う訳にはいかなかった。
既存のキャラで金儲けを企む愚作になどに、彼女は不釣り合いなのだ。
河西は、それが言いたかったのだ。




