第二話 河西の素性
その男、河西 拓、二十七歳、独身。現在は、私の持つ映画制作会社、“U・K”在籍。
入社4年目の、若手だ。音響効果、特殊効果を専門に、協力会社の窓口を担当。
下っ端ながら、精力的に想像力を働かせている。徹夜も日常的なのだろう、着替える間もなく、年 中、同じ出で立ちだ。若い体力の成し得る業だ。
父親は、役者だったと聞く。と云っても、“エキストラ”専門だとか。
その父親の名は、世間に出ることは無かった。ついに、役者人生を降りることなく、他界したとも聞 いた。役者のままで終える生涯。きっと、幸福であっただろう。
父親の、意志を継いだのか、同じくして、映画の道を志した。しかし、役者ではない。“どうし て”・・?。
お節介なことと知りつつも、どうにも気になる。まあいい。この事は、暫く後に触れることとしよ う。
それにしても、河西と云う若く放漫な男は、音響担当としては有望だったはず。
昨日の、“暴言”事件が、起こる前までは、だ。
河西の素性を知りたくて、奴の入社時に担当した面接官、人事部の課長を呼びつけた。
『どんな逸材だったのかな、横山よ、河西 拓は』
『はい、正直な男でしたね。臆するところがなく、それに、実に雄弁で・・』
履歴書には、高校卒業後の職歴が記されていた。大手ファミリーレストランに入社、フロア担当を経 て、食材部門チーフへと場を異動。そして、その4年後、退職。
退職理由は、横山の記憶からは、幾分、消されてはいたが。
『・・、確か、トップとの対立・・、とかなんか云ってましたけど・・、』
『ほう、ケンカ別れか・・』
『その様なことを、云っていた気がします。ああ、こうも云ってました。“ロボット”に食べさせる インスタント食品に、飽きあきした、とか』
どうせファミレス業界の、“先細り”が、なんて、云ったに違いないさ。
『で、河西の入社動機は、何だった。映画制作が好きって、云ってたか?』
『彼、高校時代に、演劇やってたらしいんです。履歴書にも、そう、特技に演劇って、書いてます。 で、演劇部だったの、って訊くと、いや、自分が立ち上げた別組織でやってた、なんて・・』
『別組織・・?。意味が判らん・・』
『私も、確かその時に、同じようなことを、訊いたような覚えがあるのですが・・、うろ覚えでしか ないもんで、どうも・・』
既存の、演劇部でなく、別組織か。やはり、一匹狼だ。
団体の、退屈には、辛抱出来ないのだ。
『ああ、社長。思い出しました。彼、面白いこと云ってたんですよ!。映画の話になったんです。洋 画派か、邦画派かって、そうしたら、別に、どっちでも無いって、面白いものは観ますって。けど、 邦画は、役者に不満がある。洋画は、翻訳に問題があるって』
邦画・・、役者。洋画・・、翻訳?。何となく、私の不満とも合致しそうだ。
『何が、つまらないと云ってた、どう、ダメ出しをした、奴は』
『ええ、洋画の字幕を見てると、ガッカリする。子供役が、子供になっていない。わずか9歳の女の 子が、喋る言葉じゃないって、怒ってましたから・・』
うん、理解できる。その通りだ。私も、同意見として訴えたい限りだ。
つまりこうだ、劇中の女の子が、大人に対して抵抗している。きっと、叱られてるのだ。
大人の都合で子を叱る、よく見かけるシーンだ。
残念ながら、子供には、叱られてる本質がよく解かってないから、反撃を試みる。が、更に大人は、 強引な説得に躍起になってしまう。
いよいよ、その子がこぼす・・。“大人って、“理不尽ね”ってな。
この台詞がこの映画の狙いならともかく、どう考えてもストーリと子供のそれが、リンクしてはいな い。9歳ほどの女の子が、吐き出す言葉では、到底ありえない。
翻訳家の誤算。そう、洋画ファンにとっても誤算のはずなのだ。
『そんなことまで口走ったか、奴は・・』
『通常、面接は20分程度で終わるんですが、彼の場合、面談になってしまいまして。そうですね、 一時間余り喋ってたと思います』
『横山君、君、一人が担当したのか?、その面接』
『いいえ、基本二人で面接です。あの時は・・、そう、太田さんでした。制作の』
制作責任者の太田。そうさ、河西の上司だ。昨日の机の殴打はさぞかし痛かったろう。
『太田か、そうか、奴が見込んだのか、河西を』
『ええ、癖があって、この業界には面白いって、太田さん笑ってましたけど』
そうか、太田の奴も同罪だ。河西の暴走を、予感出来ていただろうに。何をやってた。
『母親の他に、兄弟は居るのか』
『はい、確か妹が・・。3歳違いの妹です。えーっと、母親の地元、長野の松本に親子で住んでいま すね』
松本か・・。いい処だ。
『サンキュウ!、解かった。手間を取らせたな、横山』
『いえ、とんでもありません。失礼します』
厄介者か・・。組織に馴染めずに弾き飛ばされるのか、自分の世界を作り出すのか、いずれにせよ、 映画作りには妥協を許さないと、云うことだ。
父親の血だ。役者バカの血が、映画バカを作っちまった。それだけのことだ。
あの場での、言葉の滑舌さは、いかにも役者であった父親の血を継いでいた。
見事なまでに、出席者に響いていたからだ。ただ、その場所がいけなかった。残念ながらそこは、劇 場ではなく“会議室”だ。
先輩諸氏を相手取っての戦に、勝機などあろうものか。勿論、勝ちを意識して奴が切り出した訳では ない。
実に不甲斐ない、保守的とも思える大人どもの言動に、憤りを隠せなかっただけ。許せなかっただけ なのだ。
幼い頃からの、父親の映画に注がれた情熱を、嫌というほど見て育ったのだろう。
金にならない、名を残せない役者。決して、字幕になど、流れることの無い父の名。
そして、朝から晩まで働き詰めの母親の、献身的な姿。
名も無い役者の大半は、こうした家庭生活を覗かせている。それが、この業界の現実だろう。
スクリーンの中の華やかさなんて、余りにも微塵なのだ。誰もが憧れる“銀幕のスター”など、ごく 稀有な場末の幻に過ぎない。
カメラに映らないその裏側では、熾烈な出番争いが続けられている。
凡そ、自由から見放されたスターと云う名の道を、多くの者が目指して止まない。何てことだ、それ は余りにも軽薄過ぎはしないか。
スクリーンに映り込む煌びやかな幸福とやらは、決して、そこになど無いかも知れないと云うのに。
少なくともその生涯が栄光に満ち溢れているなんて、空言。
やっとの思いで見つけ出せたものは、カメラの中の情けないくらいの、“愛想笑い”だけ。
いつ消え果ててしまうかも知れない残像を身籠り、眠れない夜を、幾つも過ごしてしまう。
人気なんて、時間が過ぎれば儚くも散ってしまう。代わりの役者なんて、そこいらに転がっている。
気がつけば、ひっそりと思い出にしがみ付いてでしか生きていけない。寂しさの塊を、心に抱きなが ら・・。
しかし、そんな人生の価値なんて、誰も決められはしない。当事者の、弁明でしか伺うことは出来な い。そんな綱渡りの生き方が、役者の宿命であるのならば、それに甘んじるしかないのか。
他人事のように、そんな人生も容認したい。いや、そうじゃない。認めるもなにも、私には関与出 来ないのだ。
過ぎて行く、事実にのみに目を向ける。そうして、その人たちに向けて、ささやかながら祈りを捧げ ている。
どうか、その人生が、あなた方の望む方向へと、そして、この先ずっと安泰でありますようにと常に 願い続けている。
いささか、余談が過ぎたようだ。僅かではあるが、これが河西 卓の、私の知り得るところだ。
この先の映画人としての彼を、そして、興味深い私の“安心感”の向かう先のその男を、見届けたく なったのだ。
会社のトップと云う立場ではなく、この、老いぼれた私の余生に、どれ程の“金の雫”を沁み込ませ てくれるのかと。