第十六話 河西の策略
落ち着き払った、平凡な日常を取り戻した私には、特に河西を取り上げる必要も無く、その必然性も皆無となっていた。
“何も無いのだ”。心騒ぐ事件も、河西の突然の訪問も無い。
勝手なもので、何かが起きると煩わしい、けれど、何も無いのでは物足りない。
待っているのだ。私にしても勝手で、何か事の起きるのを期待してしまう。
そうでも無いと私の口元は退屈過ぎて、どうしようも無く語りたがっている。
ストレスが心臓を圧迫して寝付けない夜など、奴の夢を見たくなるくらいに、恋しくもなる。
私に出番を与えてくれるのなら、奴を、河西を、“犯罪者”に仕立てあげてもいいさ。
それくらい、非常に間延びした日々が、倦怠感と劣等感の両方を私の足元に忍ばせている。
それにしても、最近は現場に顔を出すことが多くなった。
そうか、現場の臭いが恋しいか。雑然とした片手間の安心感が、そこには備わっていた。
ちぐはぐな折り合いのつかない小競り合い。対等なはずが、つい、力関係で引かざる得ない舞台裏の矛盾。
誰しも“良いモノ作り”を目指しているのはずなのに、解せない対人関係。
相当やったものだ。あの頃若かった私には、気力も体力も申し分なかった。先輩も上層部も無かった。
あったのは、そこに渦巻く情熱。計り知れない野心だけだった。
残念な事に現在、この業界が無意識に作り上げたシステムに、誰しも混沌としている。
隠された落とし穴、毎回、足をすくわれてしまう被害者。事前のアナウンスなど、耳打ちさえしてはくれないスタッフ。
一体感の喪失。・・・細分化されすぎたか。
つい時間外、担当外だとして、流れを止めてしまう。妥協を許してもくれる。
仕方ないさ、社会全体の構図だ。そんな企業の都合を責めても、誰も後押しはしてはくれない。
崩せない“失念”が、立派にそこに君臨している。
この国の映画か・・。まったく、この国の体質そのものかも知れないな。
列島規模のオーディションの報告が、ようやく私の元に届く。
担当の安田が、忙しく状況を知らせてくれた。手ぶり身振りで、まるで溺れかけた魚のように見せる。
安田の上司の村上からは、相変わらず何の連絡も無い。奴は昔からそうだ。私とは反りが悪い。
もう、そんな関係も長く続けていると、妙な安心感さえ伝わってくるから不思議だ。
“便りのないのは、無事な知らせ”か。お互いに、干渉しなくて済む。
それでなくても、奴の顔など拝みたい訳でもないからな。これも信頼関係の証しだ。
安田よ、今後も上手く立ち回ってくれよ、いっそ、村上の代わりに仕切ってくれても、私は一向に構わない。いや、是非それを期待したい。
一般公募の大まかな内容はこうだ。
全国からの応募総数。14、032名。二次審査に残った者、132名。最終審査に選ばれた美女、18名。
僅か一か月間のうちに、よくもこれだけを選別出来たものだ。
G企画のネットワークも、まだまだ衰えてはいないようだ。さすが村上とでも言っておこう。
『安田君、よくもここまでの期間で納まったな。俺も、まさかとは思っていたのだが、凄いことだ、異例だよ!』
『ありがとうございます。植木社長にそこまで褒めてもらうと、ほんと嬉しいです・・』
“嬉しい・・”か、なるほど・・。それにしても、安田の奴、えらく歯切れの悪い返答だ。
『どうした、何か不満でもあるのか?、君にしては言葉が足りないようだが』
『はあ、実は・・』
後頭部を手で掻きながら、言いにくい様を露出させる安田が、急に直立不動に転じた。
『お願いがあります!、植木社長っ!!』
『おいおい何だ今更、深刻ぶりやがって。やけに他人行儀だな、どうした』
『社長に・・、その・・』
『どうした!、安田っ!!』
つい、大きな声で安田を追い詰める。
『実は・・、今回の最終審査の役員を・・、お願い出来ないものかと、社長に・・。いえ、正式には・・すでに、決まってたりする訳で・・して』
『んん・・?』
決まってる?、だと。審査員に・・。
『ま、まさか俺にか!。どう言う事だ!、俺の一番苦手な分野だってこと解かってるだろ!、お前!。しかもだ、決まっているとは何事だ!、村上はこの事を知っているのか?。・・・そうか、村上の奴、俺への腹いせのつもりだな。おい、安田!、村上に伝えろ、俺が今から行くと!』
友達同士の、じゃれ合いじゃないのだ。村上の奴、変な企みを起こしやがった。
『早く連絡をとれ!、安田!』
『はあ・・・』
『何をやってるっ!』
安田の緊張した顔が、困惑へとスライドを始めた、その時だ。
『失礼します!。・・おっ、安田さん早速ですね、仕事早いなあ』
河西が何故、このタイミングで・・?。
『社長!、聞きました?。最終審査の件。いやあーっ、ラッキー!。最終ですよ、最終審査。羨ましいなあ・・。若い娘の、いやっ!、スターの卵の、発掘!。』
・・・。ようやく全貌が明らかにされた。謎はこの瞬間、迷宮入りを拒まれた。
私の理解力も、まんざら平均並みを維持出来ているようだな。安心した。
そうか・・、河西か。やはりこの男が、裏で操っていたのだな。
“風が吹けば、波が立つ”。道理ってもんだ。そして河西が動けば、事が起きる。なんら不思議でも無い。今更・・だ。
『安田、もういいぞ、村上には快諾したと伝えておいてくれ・・』
『はい・・、ありがとうございます・・』
河西の横をすり抜けるように、安田が“するする”と、部屋を抜け出た。
どうする。この部屋の空気は、重力を無視出来るほど、余りにも“ヘビー”だ。
河西と村上の間で交わされた、“密室”での取引は、善良なこの私を流罪にでも押しやると言うのか・・。
『安田の顔を立ててもらって、ありがとうございます!。いやあ、俺、心配で心配で、つい来ちゃいましたよ、あいつ頼りないから』
心配・・?。悪いが河西、今のお前の下手な芝居には、正直、がっかりしている。
お前の価値を、値踏みしたくもなったぜ。
いいか安田を使うな、正面から来い!。今のお前は、目の前の小物にしか手を出せないでいる、哀れなコソ泥のように醜いぞ・・。
『黙れっっ!!』
精一杯のこの一言が、奴への私の反論でしかなかった。
河西に投げる言葉には、細心の注意が必要なのだ。用意周到。何処からでも、打ち返させれてしまうからな。
奴の選球眼は、どうして侮れない。
しかし、先ほどの奴の“いただけない台詞”には、NGを出さなければならないようだ。
そうだ、“発想”がおかしい。作り手の情熱など、そこには見えやしない。
お前らしくない無神経な役作りだったな。そんな猿芝居で、私を口説き落とせるとでも思ったのか。やはりここは、“NG”を出すべきだ。
『そんなに怒らないでくださいよお!。安田だって必死なんですから』
『河西よお前がやれ。お前の目利きで、スターの卵を見つけて来い』
『えーっ!、俺がですか?』
『とびっきりの娘を掘り出して来いって言ってんだ!。俺の代わりによ。けどな、俺の目に叶わぬ娘を連れて来たが最期、お前はここには残さん!。出て行ってもらう、いいな!』
私の代役とまでは、奴もさすがに考えが及ばなかったのか、河西の真面目な顔つきが、私の前で静止していた。
中々の好青年の面構えだ。立ち姿も堂に入ってる。
そして数秒後に、奴の“エンジン”が始動した。
『・・・。いい娘を、見つけて来ます。必ず!、俺!』
覚悟が出来たようだな。今回はいささか驚きもあったのだろう。奴の口元は真一文字に結ばれたままだ。
『いいか河西、お前のスタンド・プレイはこれが最後だ、会社の代表を無視したお前の行動には、当然、罰則が待っている。この“U・K企画”の名を、汚しでもしてみろ!、即刻、お前の居場所は無いと、そう思え』
トップの言葉の重みを受け止めたのか、神妙に奴が語り始めた。
『社長、勝手な行動をして迷惑を掛けてしまいました。でも、今回の代役、本当にありがとうございます・・。それと、俺の台詞に付き合ってもらって感謝します。まさに俺の台本通りです!』
『なん、だと・・・・!』
お前!、まさか一部始終を・・。
安田にしても私までも。配役に起用していたのか?。
『社長の“オーディション嫌い”は有名ですもんんね、村上さんも云ったましたよ、無理だって。でも、うちの会社にも権限あるんですから、もったいないですよ!。そうでしょ。でも、俺みたいな若造が出しゃばれるような甘い世界でも無いじゃないですか!。考えちゃいましたよ。今回はすごく』
・・・お前に付き合えるのは、恐らくは、今回が最後だ。
まったく、これで最後にしてもらいたいものだ。私の“本音”を、ついこぼしたくなった。




