落ちこぼれの流派
あの後、なんとか暴走する師匠をなだめることに成功した。まさか酒で酔っ払った勢いで師匠が今の歳で彼氏がいないということに悩んでいるということを聞くとは思わなかった。いやはや酒の力とは恐ろしいものだ。間違っても酒だけは飲まないようにしよう。
「カイ、そろそろ行くぞ」
「はい師匠」
師匠の声が聞こえて、僕は簡単に準備を始める。これから僕たちは家の近くにある森の中に向かう。11年前、師匠に拾われてから毎日あの人と森へ出向き、鍛練している。この森の中は魔獣や、妖精が存在しているため、修行にはうってつけの場所だ。ただ、ここは立ち入り禁止区域とされているため、一般人は出入りすることを禁止されている。じゃあ11年間その森に通い続けている僕たちは何なんだって話だけど、そこら辺は僕もよくわからない。立ち入り禁止区域なんて規制おかまいなしにずかずか入っていく師匠が悪い。
鍛練といっても準備は簡単だ。動きやすい服に着替えて、木刀と真剣、それぞれ一振りずつ用意する。これで準備は完了だ。あとは師匠と一緒に森の中へ赴くだけだ。
「準備終わりました」
僕が準備を終え、家の外で待つ師匠の元へ向かうと、師匠は煙草を吸いながら待っていた。僕と同じように動きやすい恰好をしている。
「来たか。じゃあ、今日もそろそろ行くか」
そう言って僕らは森の中へと進む。
――――――
森の中をしばらく歩いたところにある深部。そこに僕らはいた。
この場所だけは森の中でも他と違い、かなり開けた場所になっていて、そこの地面だけはこの森の中で唯一踏み固められていている。何十回、何百回と木刀を振り、刃を交えた場所だ。11年間の思い出が詰まっている。
「そろそろ始めるぞ」
適当に荷物を端に寄せ、木刀を持ち、軽く木刀を上下に振り、体を慣らし始める。
「よーし、じゃあいつも通り素振り千回。アタシは寝るから終わったら起こせ」
そう言って師匠は地面に横たわり、寝始める。この人は僕が素振りをしている間いつもこうして睡眠を取っている。その姿だけ見れば飲んだくれのおっさんに見えなくもないが、見た目は美人だ。このずぼらな性格が禍してなかなか彼氏出来ないんだろうなぁ……
前に一度、師匠が寝ているのをいいことに、素振りをさぼろうとしたことがあった。しかしこの人には全て筒抜けのようで、すぐに目を覚まして回数を追加されてしまった。ほぼ熟睡しているのに何故さぼろうとしたことが分かってしまうのか。いまだに理解できない。
「フゥッ……」
熟睡している師匠を横目に、僕は素振りを始める。
足を前後に開き、木刀を構え目を閉じる。深呼吸をし、心を落ち着かせる。
……暗くて誰もいない空間が広がる。僕だけの空間だ。闇の中、木刀を構えた僕が波一つ立てない水面の上に立つ。ゆっくりと木刀を振り上げると、全身の毛穴から汗がにじみ出てくる。そして、力強く、出来るだけ速く、正確に振り下ろす。ピンとした張りつめた空気を振り払うように。すると、今までいた暗闇から現実へと引き戻される。
「ハァ……」
息を吐き出し呼吸を整える。ゆっくりと目を開け、心身をなだめていく。これで一回。この作業をするだけで、呼吸が荒れ、急激な脱力感が襲ってくる。これをあと九百九十九回
その単純な動作を何度も繰り返す。 ただ一心不乱に―――
――――――
素振り千回を終えた僕は流れ出る汗をタオルで拭き、呼吸を整えていく。森の中をよそ風が吹き、火照った体を静めていく。森の中でしか味わえないこの心地良い感覚が僕は好きだ。
「師匠、起きてください師匠」
完全に熟睡している師匠の体を揺さぶる。すると師匠の瞼がピクリと動き、ゆっくりと目を開けていく。
「ん……? ああ、やっと終わったか……」
師匠が大きく口を開け、あくびをする。日常的にこんなことしてるから、いざというときにボロが出るんだろうなぁ
「そんじゃあ今日は“牙の型”いってみるか」
「分かりました」
師匠が言った“牙の型”とは、僕が十一年前師匠に拾われて以来彼女の下で修業している【黒蝕流】殺戮刀術。あらゆる敵を圧倒し、蹂躙するために生まれた流派。その一部だ。
殺戮刀術と、名前こそ物騒だが、煉も魔力もない僕が、この世界で生き残るために師匠が示してくれた唯一の希望だと思っている。
この黒蝕流には“牙”の他に、“舞”“冥”“翔”“鬼”“嵐”と、合わせて六つの型がある。ちなみに、このうち僕が使えるのは、“冥”と“鬼”を抜いた四つの型だ。
師匠はポケットから赤い球体が数個入った瓶を取り出した。瓶のふたを開け、中の球体を取り出し、それを地面に叩きつける。
すると、叩きつけられ粉々になった元球体はシュウゥと、音を立てて空気に溶けていった。
あの紅い球体は、魔寄玉と呼ばれる、傭兵なんかが魔獣を呼び寄せるときに使う代物だ。特定の魔獣が好む食べ物や血の臭いをしている。
人間にとっては悪臭以外の何物でもない。
師匠がこの玉を使うときは、決まって僕に魔獣と戦わせるときだ。
「ったく、相変わらず臭いなこの玉は」
師匠は眉間にシワをよせ嫌そうな顔をしながら手で軽く辺りの空気を払う仕草をする。
しかし、こうして魔呼玉を使い、魔獣を呼び寄せるのは何回目だろう? ある程度まともに【黒蝕流】を使えるうようになってからは、こうして森に入り、魔獣と戦わされている。
最初の頃なんて、全身に魔寄玉の臭いを染み込ませられ、わらわらと群がってくる何体もの魔獣が、全滅させるまで無限に追いかけてくるという地獄を味わった。
まだ【黒蝕流】を習い始めたころだから5,6歳の頃だと思う。そんな年端もいかない少年に生き地獄を味あわせるなんて中々できたことじゃない。
「おい、なあにボーっとしてんだよ」
僕が色々と過去を振り返っていると、師匠から声をかけられ、額を人差し指で小突かれる。
「いえ、色々あったなーと思いまして」
「何の事言ってるかよくわからないが、そろそろ来るぞ」
そう言って師匠は森の奥の方に視線を促す。
ズシン。と、低く響く振動と共に、何かの足音が聞こえてくる。その音は次第に僕らの方へと近づいてくる。
「ほう、アイツか」
師匠が口元を釣り上げて笑う。
そこには、六つの瞳に、三つの頭。黒い皮膚の巨躯。
「ケルベロスですか」
地獄の番犬と呼ばれるAランク以上の危険な魔獣。師匠が倒したアッシュドラゴンと同格かそれ以上の化け物がそこにはいた。