【幼き日暮れのプロポーズ】
※この作品には結構な『偏見』が出て来ます。それに対する罵詈雑言も出て来ます。読んで不快に思う方もいるかも知れません。ご注意下さい。あんまり難しく考えず、肩肘張らずに楽しんで頂けたらば、これ幸いです。
『ねえ、りうのことすき……?』
『よっと。なにいってんだ、あたりまえだろ! これからもずーっと、おれがプロのバスケせんしゅになってもりうとずーーっといっしょだ!!』
『………! うん! りうもるーくんのことだいすき!! りう、おっきくなったらるーくんのおよめさんになるの!!』
思い出とはかくも美しく暖かく、そして何故こんなにも残酷なものだろうか。しかもそれが印象的であればある程、比例して脳内再生の回数は増えて行き、完全に焼き付いてしまって最早忘れたくても忘れられない領域へと昇華して体験した自分でさえ手の届かない代物となり、改竄や捏造の余地さえ奪ってしまう。
幼い子供、それこそ一桁程の年齢の子供が発する『結婚しよう』というフレーズにどれだけの意味があるだろう。妙齢の大人が長い恋愛期間の末、緊張と共に囁くその言葉とは覚悟と重みの点で同音異義な程の違いがあるのは分かる。だが思いの強さで言えば全く負けているとは今でも思っていないし、むしろしがらみや打算などがない分、比較にならない程に宝石めいた純粋さを輝かせる。
そう考えればあの日、夕焼けの公園で彼がバスケリングに鮮やかなジャンプシュートを決めた後に交わした約束は紛れもなく『プロポーズ』だし、本人同士の口約束とは言え明確に覚えている以上、その効力は失われる事はない。強いて言えば、証となる指輪や書類があるかないかの違いくらいだろう。……それがどれ程、今の私に遺恨している事か。忘れたくても忘れられない、『忘れた』と口に出しても所詮己を欺く事など出来はしない。何故あんな事を口走ったのか。何故あれ程までに純粋だったのか。もしも時を遡れるなら、あの瞬間の自分の口を塞いで連れ去ってやりたい。
……いや、それは少し違う。何が違うって、あの日あの時あの言葉を発した私は紛れもなく本心を口にしていた。例え『結婚』という言葉にただ甘いだけの響きしか感じていなくても、幼心に『彼と結婚してもいい』と心の底から思ったからこその発言だった。それだけは認めざるを得ない。あの頃の感情を文言するなら、それは単純明快なまでに『恋』。彼はあの頃の私にとって世界一大切な人だったのだから。
思い出自体は綺麗なものだ。今はどう思っていようが、あの輝かしくも暖かく、こそばゆくて甘酸っぱく、一片の曇りもない宝石みたいな『初恋』の記憶は、私という人物を形作る上で欠かせない重要なピースである事は間違いないし、誰か別の第三者に穢されるのは我慢ならない。では一体、何が変わってしまったのか。何があの頃とは同じでないのか。
時も人も、移ろい往くものだ。決してひとところには留まれない。流れ流され、刻一刻と色を変え形を変えて世界を巡り、成長・成熟・精錬を繰り返して行く。それが思春期の子供ならば尚の事。……そう、実に単純な話だ。あの頃の彼と私は、もうここにはいない。全てが変わり過ぎていて、その変化が劇的過ぎていて、同じ気持ちを持ち続ける事が出来なくなった。たったそれだけの事だ。
「オウフwwwwwあ○にゃんペロペロwwwwwデュクシwwwwwww」
…………そうなのだ。十数年の歳月を経た彼は何をどう間違えたのか、見た目から中身から何処に出しても恥ずかしくない程に完璧な『オタク』になってしまっていたのだ―――――