ワンポイント・リリーバー
彼には当時、健康で丈夫な身体がなかったのだ。
小児ぜんそくにより、激しい運動は制限された。色も細く、だから気持ちも弱く、特に小学校二年生ぐらいまでは進級も危ういほどの虚弱児であった。
そうした人間が、
「我々は、我々の国を、もっと強くしなければいけません! 世界の中で、かつてのような強い輝きを放ち、尊敬される国にならなければいけないんです! そのためには、教育、福祉はもちろんですが、何より経済です! 強い経済を持って、再びこの国の、国民であることを、皆さんが心から誇れるようにしなければなりません!」
いまでは、こんな風に力強く語るのだ。詰めかけた支持者の胸に届くのは、総裁選最有力候補・浅井信之という船の前に広がる、洋々たる前途である。
万雷の拍手を受け、間も無く彼のパートナーとなる君島任子と握手を交わす。眩く焚かれるフラッシュに、二人は、せーの、せーの、と握り合った手でタイミングを取りながら、右、左、そして中央とぴったり顔に張り付けた笑顔を向ける。
しかしフラッシュがひと段落するなり、さっさと壇上からはけていく君島がポケットから取り出したハンカチで丁寧に右手を拭う姿を、浅井は見逃しはしなかった。
女狐め。
腹に据えかねる思いがある。君島とその一派が排外主義を振り翳し、問題発言をするたび、「それも一つの意見として尊重しなければ」「国民の声の一つとして受け止めなければいけない」なんて言葉でやんわり擁護しなければならなかったこちらの身にもなってみろ。
しかし、それを表に出してはいけない。
「浅井」
離れたところで突っ立っている、痩せて枯れた老人。次期総裁を呼び捨てにして、手で合図することで呼び招くことが出来る男は、恐らく党内には限られている。
いや、他の重鎮たちは仮に内心がどうであれ、人前での振る舞いというものに一定以上の自制心が働くから、愛想笑いの一つでも浮かべて「浅井さん、ちょっと」ぐらいの声の掛け方をするはずである。
つまり、こんな態度で浅井に接するのは、釜元英光元総理しかありえない。
「これはこれは釜元先生。わざわざお足を運んでいただきまして」
秘書からは「わざわざ行かねえよ、だそうです」と、物真似付きで伝え聞いていたのに、先ほどのスピーチの途中で来ていることに気が付いた。人のいるところに来れば、今でも「釜元先生釜元先生」とちやほやしてもらえるからだ。でもって、「来ない」と言った上で現れればこの通り、浅井が平身低頭して傅きに来ることをよく知っているからだ。
「別にお前を見に来たんじゃないよ。ただ、任子が言うからよ」
先ほどのカメラマンたちに向けた笑顔のシールを外さないままで、浅井はいる。「それはそれは」なんて、中身のないことを呟きながら、父の跡を継いで政治家になって二十五年を振り返ったとき、一番多い姿勢がこの、膝を百二十度に曲げ、腰は百十度、しかし背筋はピンと伸びつつ、顔は前に突き出すようにして保つ、釜元に媚を売るときのものであった。
俺は総裁になっても、総理になっても、この体勢で居続けなきゃならんのか。
……と思うと内心で情けなくなって来るのであるが、いやはや、しかし、いまは苦難に満ちた道の先である。
浅井信之、五十四歳。いよいよ終生の夢叶うときを迎えようとしているのだ。思えば……。
「おい、ちょっと来い。ここじゃ周りがうるせえからよ」
「あ、はい、参ります」
我に返り、矮軀の老人の跡の後を追う。この席の主役は紛れもなく浅井なのだが、見送る報道陣の誰一人として、浅井が釜元の影響下にあることを知らない者はないのだ。
岩森政権となって一年余り。釜元派・河原崎前総理の後継を争った前回の総裁選で浅井が敗れて以来、釜元の党内での影響力低下は著しかった。
最大派閥としての面目こそ保っているものの、それはどちらかといえば、岩森が派閥解体に乗り出した結果、佐伯派、波多野派といった主要派閥が自ら看板を下げるという英断を下す中で、いつまでも釜元を中心とした釜元派が価値観を変えずに集まっていたからである。
それを踏まえれば、いま再び、釜元派から総理が出ることは、釜元とっては大きな事実である。
他方、他の議員からは、とりわけ岩森総理に近い議員や閣僚からは、公然と批判する者も出ており、党内でも意見が分かれている。
しかし、重要なのは有権者の受け止めであるというのが浅井の持論。幸いにして有権者は、経済問題、外国人問題に目が行き、民友党の派閥解体が(釜元の抵抗によって)進まなかったことについてはさほど重く見ていない。無論、外国人問題というさして実態のない問題を殊更大ごとのように騒ぎ立てることで目眩しを図ったのもほかならぬ釜元の仕事であるし、そのおかげで総理総裁の座が現実的なものとして視野に入ってきた浅井が文句を言う筋合いではないのだが……。
会場の外、登壇者控え室とはわざわざ別に用意された来賓室、……という体裁の、釜元のためだけの部屋に招じ入れられた。つい先ほど浅井と握手を交わした女が、ソファに腰掛けている。浅井を見ても、腰を上げもしない。彼女の隣にどっかと腰を下ろした釜元は、浅井を立たせたまま、こう訊いた。
「浅井。お前、どれぐらい総理をやったら満足する」
質問の意図を、瞬時に図ることは難しかった。
「と、仰いますと」
うっかり、地雷を踏んでしまった。
「質問に質問で返すんじゃねえ!」
それは、釜元が一番嫌うことなのである。
かつて彼が総理の座に就いてからというもの、その傾向は一層強まったと言われている。
野党議員からの厳しい質問に窮しても、総理たる者しどろもどろの醜態を晒すわけにはいかない。かと言って、釜元という人物の中に鋭い質問に対してしっかりとした言葉で返せるだけの教養が備わっているわけでもない。……ゆえにこそ、釜元という人物は教養、あるいは知性というものに対して極めて嫌悪感、ほとんど憎悪と言って差し支えないものを隠し持っているのだが、それでも彼なりに格好をつけようと考えた結果として編み出したのが、
「その質問は、こういうことですか、ご確認願いたい」
「どういう意図を持った質問でしょうか、ちょっとわかりかねるので、ご回答いただけますかな」
という形式の応答。
つまり、「質問に質問で返す」という時間稼ぎであった。これは一定の効果を得られたように見えたのだが、時間を空費するもので、当然ながら野党からは顰蹙を買い、とうとう……、
「質問に質問で返すんじゃねえよ!」
と憲政党・森田から議場で叱責を受けるという憂き目に遭った。森田には不規則発言として相応の懲罰が下されたのだが、翌日以降のワイドショーでは「森田議員の気持ちは十分にわかる」「釜元総理の答弁はあんまりにも不誠実ですよ」といった論調が広がり、これがただでさえ下落傾向にあった内閣支持率にトドメを刺す格好となった。
自分がされて嫌なことを、相手にしてはいけない……、という話であるが、この寓話的事実から何らかの栄養を得る人ならば、釜元の支持率があそこまで低下することにはならなかっただろう。
ただ、虎の尾を踏んでしまった浅井は、「これは、大変失礼いたしました」と深く腰を折って頭を下げるばかりだ。釜元の下で長らく働いていたから、歳の割に腰の柔軟性に優れているのが浅井である。
「その、……ええ、あの、釜元先生の温かなご指導ご鞭撻を賜りまして浅井信之、ここまで来たものでございますから、一日でも長くですね、国家国民のためにお仕えをしまして、出来れば憲政史上最長の……」
チャッ、と音がした。釜元がタバコを咥え、君島が火をつける音だった。
「長え長え。お前は話が長えんだ。総理の在任期間ぐらいは短く済ませちまえよな」
釜元はうんざりした顔になって、そう言った。
憲政史上在任期間が短い総理大臣を五人挙げよ、という問題を出せば、……五人全員は無理にせよ、二人ぐらいならば誰でも挙げられるものであろう。四人となればなかなかの強者、そして五人全員挙げられるとなれば、それが政治家を志しているものでなければ、逆にちょっと心配になるほどである。
では六番目に在任期間が短い総理大臣と、在任日数はといえば……、
「三〇〇日を目処に辞めろ」
釜元総理の、三〇一日なのである。
「はっ……?」
「二度も言わすなよ。辞めようなんていくらでもあるだろうがよ。理由が必要なら俺が考えておいてやるよ」
「え、あの……、えっ……、どう……、どういう……」
五十も半ばになった男が、額から汗を滲ませて、慌てふためかなければいけないことがあるなどと、少年の頃の浅井は想像だにしなかった。
総理大臣になれ。
ノブ坊、いいか、男ってもんは、なんでも、志したなら一番を目指さなきゃいかんのだぞ。
憲政党の前身である、民政党の党首を務め、民友党と激しい戦いを繰り広げたすえ、参議院では首班指名を受けたことさえある男、浅井照信の長男として生まれた浅井信之は、四歳のとき、小児ぜんそくを発症した。少年期には外で遊ぶ同級生たちを羨ましく眺め、かといって発作が起きれば激しい喘鳴に苦しむこととなり、幼いながらも自分の生死というものを意識させられた。
そんな信之少年の心を慰めてくれたのは、プロ野球、時鉄レパーズの選手たちだった。
レパーズは「西の名門」と称され、人気・実力ともに東のガイアーズと双璧を成す存在であった。地上波で、まだ当たり前のように七時になれば野球中継が流れていた時代である。画面の中の選手たち、……剛球投手辰野のストレート、チームのムードメーカー広木のガッツ溢れるプレイ、そして稀代のホームランアーチストと謳われた日永の描く美しい放物線に、胸を熱くした。
大きくなったら野球せん手になりたいです、……と作文に書いたことが、懐かしく思い出される。同時に、その夢を叶えることが出来ないということをも、当時の信之少年は理解していた気がする。何せ、ボールを掴んで投げたことだって数えるほどしかなかったのだから。
彼の家には、バットもボールもなかった。代わりに、本は読みきれないほど溢れていた。家にいる時間が長かった信之少年の夢は、まもなく力よりも筆、理、知といったものに彩られるようになっていった。父の影響の大なることは認めざるを得まいが、仮に他の家に生まれた子供であったとしても、政治家、さもなくば学者、教師、医師……、といった道に進むことを、きっと選んでいたはずである。
小児ぜんそくの苦しみからようやく解き放たれた信之は、父からカバンや地盤を受け継ぐことを潔しとはしなかった。父には「もうお前は死んだものとして考える。どこへなりとも行け」と言われ、傷付きもした。しかし「あんたのお父さんは、ずっとずっとあんたのことを『誇りだ』って言うておったよ」と葬儀の場で言われたときには、厳しくも優しい、尊敬できる政治家であった人の息子であることを胸に刻み、自分もまた立派な政治家になろうと決意を新たにしたものだ。
しかし……。
政治家になり、総理を目指すということは、想像を絶する苦難、屈辱の連続。浅井の胃は泥水の飲み過ぎで、毎朝嫌な口臭を放つようになった。そして周囲の政治家たちも、そうした口臭を漂わせる者たちばかりだった。
確かに釜元という政治家には、力がある。かつて総理総裁の座まで上り詰めたのは、……国会での答弁に四苦八苦するぐらいの人間でありながら上り詰めることが出来たのは、裏を返せばそれだけ彼が当時、いまの浅井にとっての釜元的な存在との付き合い方に長けていたからでもあろう。各界に太いパイプを持ち、上手に恵みを分配して築き上げた独特の世界は、「釜元帝国」とでも呼べようか。
そして彼はそうして蓄えた力をいま、浅井のような下々の者たちに向けて存分に振るうのだ。
「俺を超えようなんて思うなよ。お前の次は、任子だ。でもって、俺の次も任子だ」
ニコニコと、君島は微笑んで頷く。
「だから、わかってるだろ浅井。お前の仕事は、任子のところと民友党をくっ付けて、任子の出した法案をいくつかさっさと通して、こいつの実績にするんだ。それだけやったら、さっさと退陣だ。党内の意見を統一させて、マスコミにも声を掛けて、『次は君島任子しかない』って空気を作る仕事は俺がやってやる」
浅井は、自分がどんな表情を浮かべていたのか、全く覚束ない。
それなのに、
「なんだ、不服なのかよ」
と問われれば、
「滅相もございません」
と答える。
「そうだろうよ。……だいたいよ、一つの党で『派閥』なんて考え方はもう古いんだよ。これからは、党を超えて、他の党も巻き込んででっかくなっていくんだ。それが、わかるか任子、新時代の派閥ってもんなんだよ」
「ええ、わかりますとも、先生」
君島がおべっかを言い、シミの浮いた釜元の手を握った。
「浅井先生がワンポイントリリーフをしてくださるおかげで、釜元先生の大いなる思いが結実するのです」
「ワンポイントリリーフ。……はっはっは、そりゃあ言い得て妙だ、聞いたか浅井、そうだよ、お前はワンポイントリリーフだ。どの野球チームにもいる、貴重な戦力じゃねえか。謹んで拝命しろよ、ピッチャー浅井!」
浅井は脇の下も背中も、嫌な汗でびちゃびちゃになりながら頭を下げて、部屋を出た。
堪らなくなって、トイレに駆け込む。顔を洗い、ポケットから取り出したマウスウォッシュで口を濯ぎ、……鏡の中に映った男の頬はこけていた。
民友党、選手の交代をお知らせいたします。
ピッチャー、岩森に代わりまして、浅井。
浅井は冷静に現状を分析することが出来る。新総裁として、次期総理として、少なからず歓迎ムードは醸成されるだろう。一方で、民友党の旧態依然たる力学によって総理総裁の座を追われることとなった岩森の支持率は、判官贔屓の国民性を反映してか、退陣の決まった内閣のそれとは考えられないほどの勢いで急上昇した。
そこへ、「旧態」の象徴たる釜元の子飼いである自分が総理となれば、「ご祝儀」と呼ばれる就任直後の支持率の高さもどれほど持つものだろうか。
ワンポイントリリーフと言えば聴こえはいい。ファンからの声援も受けることにはなるだろう。しかし万が一失投すれば、「だったら岩森を交代させなくてもよかったじゃないか」という声が上がるのは必然。
そして、命を削るようにして仕事を終え、マウンドを降りるときには、釜元によって醸成された「次は君島しかない」の思いを受けて、あの女がマウンドに上がるのだ。
ピッチャー、浅井に代わりまして、君島。
大歓声とともにマウンドに上がった君島が長期政権を築き、釜元帝国は永遠に続いていく……。
自分は、歴史の中に埋もれるばかりの存在なのだ。
「あ……」
考えの中に沈み込みすぎたか、長身の男がトイレの入り口に立っていることに気付くのが遅れた。向こうはさほど驚いた様子はないが、浅井ははっきりと驚いた。鏡に映ったその男のことを、浅井は知っていたから。
男は、
「これは、失礼しました。フリーの新田と申します」
と長身を折りたたむように頭を下げた。
「新田……、ああ、新田くん、いや、新田さん……」
初対面ではあるけれど、知った顔であったもので、うっかり「新田くん」などと口走ってしまった。この記者は、記者という職業にしては珍しいほどの長身で、素晴らしい体格である。
その理由を、浅井は知っていた。「いるでしょ、最近出入りするようになった、背の高い……」「ええ、わかりますとも。青陽の新田くんでしょ」「そうそうそう、折原の球を受けてた……。まさかねぇ、記者になっていたとは思わなかったよね。でも、なかなか見どころあると思うよ」「親しくなっておけば、折原のサインぐらいはお願いできるかもしれませんよ」「あっほんと……、それはいい、それぐらいはいいよね……」なんてやり取りを、少し前、親友としたばかりた。
新田は浅井を見てもたじろぐことはなかった。背筋を伸ばして立たれると、長身が強調される。鋭く折原を叱咤していた姿が、ありありと思い出された。
「こうしてお会い出来たのも何かの縁……、と解釈してもよろしいでしょうか」
なんと、縁。浅井の方こそ、折原尚人に連なる縁と思えば、「ああ、もちろん、それはもちろん」と頷いてしまう。新田くんと話をしましたよ、なんて後で親友に話してみようか、なんて考えも頭に去来したタイミングで、
「では、不躾ながら。……浅井先生が総理総裁となられた暁には、正民党と連立を組まれるという見方が大勢を占めていることはご存知と思います」
いきなりずぶりと、深く懐へ踏み込んできた。
自分を強打者であるとも思わないが、ストレートを内角に突っ込む強気なリードである。
「それは、まあ……、いろんな見方があるでしょうね」
「これまでの先生のご発言からしても、正民党の君島先生とはかなり近いお考えのお持ちのことと解釈しております」
びゅん、初級よりも厳しいインコースへのボール球。思わずのけぞり、足元も動かされた格好だ。こうなると、アウトコースの球が実際よりも遠く感じられる。
いや、冷静さを失ってはならない。深呼吸を一つ。
「それはね、まあ……」
「先日の出馬会見の際にも、外国人の政策については明確なお答えがありませんでした」
あくまでインコースをストレートで攻めてくる。球威で押して、詰まらせようという魂胆だろうか。折原を厳しくリードする、西国大附属青陽高校の頭脳・新田くん。折原の入団が決まった当時、浅井は「新田くん無しで大丈夫なのかしらん」と危惧したものだが、折原は見事独り立ちして、ルーキーイヤーから今日まで活躍を続けている。
浅井は、新田に心の中を読まれているような気になった。捕手が打者の、スタンスのわずかな変化から待ち球を見抜くように、自分の些細な表情の違いから、この記者に考えを見透かされているのではないか……。
「浅井先生は夏の参院選にて、正民党の某候補が『この国の最大の懸念は外国人問題であり、入国の審査に親日かそうでないかをテストすることを検討していくべきだ』という発言をして大変な騒ぎになった際、こうおっしゃられました」
ああ、アウトコースに変化球が来た。
もちろん覚えている。浅井は「国民の皆さんの中に、外国人に対しての不安があることは事実ですからね、差別を助長するものであるとは、私は思いませんよ。テロや犯罪を未然に防ぐ意味でも、まあ『テスト』っていうのはやりすぎかもしれませんが、審査の強化など、一定の対策を講じるにあたっての議論っていうのは、あってもいいんじゃないですか」……と言ったのだ。
発言元の議員は大炎上したが、正民党の「火種」はこの発言に止まらず、今日はあっちで、明日はこっちで、次から次へと火の手が上がるもので、幸いにして浅井のこの発言まで延焼するには至らなかった。人の噂も七十五日、まだ期日までは十日ほどあるが、このまま逃げ切れるものと思っていたところに……。
「まあ……、ね。今となっては、ちょっと、過激なことを言ってしまったなと思ってはいますけど」
バットを出し掛けて止めた。相手が「新田くん」出なかったら、ついついカッとなってしまっていたかもしれない。カウント、ツーボール・ワンストライク。
しかし新田は「左様ですか」とあっさり引き下がった。
「お忙しいところ、失礼いたしました。ご活躍をお祈りしております」
拍子抜けするようなタイミングではある。さっさと居なくなった背中を見送って、しばし立ち尽くした末に、すっかり意気消沈して用を足す。
これまでの、自分の立ち回りを省みて、……間違いがなかったとは思わない。票を集めるために、かなりに際どい発言も臆さずに行ってきたし、ことによってはそれは、意に沿わぬものであることもあった。
実際のところ、同じ釜元派であり、釜元の寵愛を受けていることを承知しているがゆえにこそ……、というところではある。排外主義的思想は、浅井照信の息子として容易く飲み込めるものではなかった。
しかるに、総理になるため。
少年期、野球という夢をあきらめて進んで来た道、あらゆる痛みを堪え、意に沿わぬ求めに応じてきたすえの、総理総裁というチャンス。前回は確かに岩森に苦杯を舐めさせられたが、お膳立ての整った今回。いかなる理由があろうとも、膳をひっくり返すわけにはいかない。




