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神閥  作者: 村岸健太
野党議員
5/11

Current friend.

 初めて二人きりになったあの夜、はっきりと不快そうな表情を浮かべられたことは覚えている。

 鏡のように同じ表情を浮かべてしまった自覚が、大山にはあったから。

 TPOという言葉がある。政治家であろうとなかろうと、社会人ならば、大人ならば、私的な感情を公的な場において発することには強い躊躇いを持つべきだということを、大山も彼も、理解していた。

 ……のであるが、果たしてその場所が公的な場だったのか、それとも私的な場だったのか……、その瞬間、二人とも判じ兼ねたのである。

 まずいところを、まずい相手に見られちゃったな、ということを、まず思ったはずなのだ。お互いに、ついさっき……、この場所、議事堂別館三階の、非常階段で顔を合わせた瞬間に。

 駆け抜ける風が心地よい涼しさを帯びた十月上旬の金曜夜、八時四十五分を少し回っていた。

 国会閉会を国家保安法案について詰めの議論が行われている安保委、……国家安全保障特別委員会は、迫る会期末を睨み、紛糾していた。出版物の規制など、国民の自由権を認める憲法との齟齬を指摘する憲政党の筆頭理事として鋭く切り込む大山に対して、法案提出者である民友党側も強硬さを崩さない。解釈次第であり、この場合は柔軟な解釈が可能であるという主張を変えようとしなかった。

 八時四十分、一旦休憩が宣告された。多くの議員が疲弊し、トイレに行ったり、タバコを吸いに行ったり、軽食を摂りに行くものもいた。

 そんな中、大山は小走りに三階の非常階段の踊り場に駆け込み、イヤフォンを耳に差し、ワンセグの小さな画面に顔を寄せたのである。この建物はなぜだかワンセグの入りがよくなくて、この非常階段の外に来ないと満足に電波を受け取ることが出来ないのである。よって、大山はいつもこの建物での仕事(このところは国家安全保障特別委員会が主である)が入ると、休憩のたびにこの非常階段まで走って来ることにしていた。

 このドアは、外からは開かない。最初に来たときはうっかり閉めてしまって、会議室に戻るためにわざわざ一階まで駆け降りる羽目になったのだ。一定の注意は必要だが、それでも大山には今宵もこの場所に来なければいけない理由があった。

 ……八回の表、ツーアウトながらガイアーズは一塁三塁のチャンス、レパーズは正念場を迎えております。ここで、……あー鈴原監督出てきました、力投の先発芝田を諦めまして……、左のワンポイントの小田もいます、セットアッパーとしてチームを支えてきた西崎もいますが、アナウンスを待ちましょう。

 ……レパーズ、選手の交代をお知らせします。

 ピッチャー、芝田に代わりまして。

 ……折原。

 九番ピッチャー、折原。背番号1。

「おおッ……」

 思わず声を漏らしてしまった。レパーズのブルペンを支えるリリーフエースが、八回途中という場面での登板。そうだ、それでいい、それでこそだと、鈴原監督の采配に内心で手を叩く。何と言っても、ペナントレース最終盤、二ゲーム差で首位ガイアーズを追うレパーズは、この最後の直接対決三連戦に逆転優勝への望みを託している。

 となれば、もうなりふり構ってはいられない。このピンチを脱さなければ明日はないという判断を下すのは、当然である。

 頼む、頼むぞ折原、お前だけが頼りなんだ。お前がいたからここまで来ることが出来た。頼むぞ……!

 声に出さずそう呟いていた大山の背中で、慌ただしい靴音がした。

 扉が開いて、顔を覗かせたのが、……仇敵、と言っても良い、決して相容れるはずのない相手。

 国家安全保障特別委の委員長、国家保安法案の提出者筆頭であり、民友党若手の顔と言ってもいい、……浅井信之であった。

「あ……」

「……どうも」

「どうも……」

 ついさっきまで、丁々発止のやり取りをしていた相手と、こんなふうに、こんなところで、不意に顔を合わせる羽目になったのである。何をしに来たのだ、という表情を大山は浮かべただろうし、浅井は浅井で、なんでこんなところにいるのだと思ったに違いない。ただ、大山はここを去る気はなく、浅井も浅井で退こうとはしない。年齢は浅井のほうが五つも上であるが、こんな場所でまで年功序列を振りかざされはしないだろうと、大山は譲るつもりはなかった。ただ、背中を向けて画面に集中する。浅井は、タバコでも吸いに来たのだろうか? この非常階段の踊り場は禁煙のはずだが、喫煙が黙認されている。

 しかし、いつまで経っても煙の臭いは漂ってこなかった。

 画面の中ではプレイが再開されている。初球は際どいところストライク。二球目はボール、三球目は、フォークで空振りを奪い、追い込んだ。相手はガイアーズの四番、早田。恐ろしい強打者ではあるが、早いタイミングで追い込むことが出来たなら、勝負の天秤は折原に傾いたと見て良い。斜め後ろの浅井に気付かれぬよう、右手に拳を握り、頑張れ頑張れ折原、願いを籠めて見詰める画面の中、投じられた四球目。折原の指先から糸を引くようなストレートは、ガイアーズ早田のバットの根っこに当たって打ち上がる。内野フライだ。早田は悔しげにバットを叩きつけて一塁に向けて走り出すが、折原は勝利を確信して雄叫びを上げる。

 やった!

 大山はすんでのところで声を飲み込んだ。

 が、次の瞬間、

「ガッ……」

 という、声未満の音が溢れていた。

 ふらふらと上がったフライを追って行った一塁手と二塁手が、交錯して転倒した。風の悪戯か、それとも打球に不規則な回転でも掛かっていたのか。運の悪いことにボールが落ちたところはインフィールド、大急ぎでライトがカバーに入るが、三塁ランナーは既にホームイン、これで一点差。ライトがボールを掴み上げたときには一塁ランナーも三塁を大きく回っている。大慌てのバックホーム、返球はあさっての方向へ逸れて、止まり掛けていた一塁ランナーは再加速して、これで同点のホームイン。

 そして。

 三塁手が全力疾走で拾いに行ったグラブの先、ボールがすり抜けて、三塁側ガイアーズのベンチへと転がり落ちた。

 野球のルールでは、インプレー中にボールがフィールドから外へ出た場合、その時点でボールデッド、一旦試合が中断される。ボールデッド時点で各走者には二つの安全進塁権が与えられる、……堅苦しくて却って判りにくいが、端的に言うとボールがベンチに転がり落ちた時点で、打者の早田は二塁を回ったところに居た。

 つまり早田は無条件でのホームインが認められるのである。

 悪夢のようなミスが三つ重なって、レパーズは逆転を許した。痛恨、あまりにも痛恨、そして致命的な……。

「あ……ああ……、ああ……!」

「ばかな……、そんな……、そんなぁ……」

 ホームベース後方で呆然と立ち尽くす折原の姿を見ていることはもう出来なくて、イヤフォンを耳から抜いて、天を仰ぐ。指先が冷たく凍り付き、頭の中は真っ白だ。

 ここを抑えて勝って、勢いのままに逆転優勝だという夢が、一瞬で潰えてしまった。

 こんなにも残酷な出来事があっていいのか、こんな……。

「ぐっ……うぅう……」

 押し殺したような呻き声は、自分の食いしばった口元から溢れたものだと思っていた。しかし我に返った大山の振り返ったところ、がっくりとくずおれているのは、浅井。

 まるで、自分の姿を見ているようだった。彼と自分の違いは、立っているか膝をついているか、ただそれだけしかなかった。

「……浅井さん、あなた、もしかして……」

 大山はひざまずき、彼の背中に手を置いた。浅井が顔を上げ、潤んだ瞳で大山を見る。

 同じ顔をしていることは鏡を見なくともわかったし、その瞬間、二人の間に言葉は要らなかった。

 事実の是非を問おう……、とは思わない。

 しかし、「国家保安法」は結局廃案となった。委員会再開後の議論は、その中心たる浅井・大山の間でまるで煮え切らないものとなり、結局時間切れ。その翌年にはインフラ不正入札問題が民友党を揺るがすこととなり、国家保安法どころではなくなってしまった。大山はたびたび質疑に立ち、民友党を激しく攻撃し、対して浅井は揺れ動く党の中でも力を蓄え、釜元派の実力者、総裁有力候補としての立ち位置を確立していく。

 浅井は民友党の、大山は憲政党の、言うなればエースで四番という役割を帯び、国会というフィールドで直球とフルスイングで勝負するようなライバル関係は、今に至るまで続いている。右派から熱烈な支持を受ける浅井に対して、大山はリベラル層から強い期待を受けている。

 そんな二人が、「翔豹会」という、ごくプライベートなレパーズ応援団を組織していることは、誰にも知られてはならない。

 前回の「国家保安法」の際、あの悪夢のようなミスの連鎖を目の当たりにして心に傷を負った二人が、再開された委員会にてもう、全く持って無気力状態となってしまった。浅井側は当時単独で安定多数を持っていた民友党の立場を利用して強行採決に踏み切ることも出来たのだが、「いや、まあ、国民の皆さんからも色々な意見があったわけで……、野党の皆さんがおっしゃってるのも、国民の皆さんの意見の一つなわけでね……」と浅井は歯切れ悪かったし、大山も九時以降はほとんど発言をしていない。本当はこんなことではいけないのである。仕事なのだから。国の舵取り、大切な大切な仕事なのだから!

 しかし、誰にも知られぬところでは仕事を忘れてこっそりと、レパーズの優勝を願い、一つの勝利を噛み締め、敗戦に涙する……、そんな空間があってもいいだろう。

 鼻のいい記者に嗅ぎ取られぬよう、場所はさまざまだ。憲政党の本部の裏口、議員会館、あるいは永田町駅の一番人通りの少ない階段、もちろん今日のように大山のホテルの部屋ということもある。会員制のバーなどは、却って良くない。もっと自然に、当たり前の風景に溶け込める場所がいい。二人きりのときはお互い仕事を忘れて、心の底からレパーズを愛する男となる。

 今日の昼、新田が目撃したというあの瞬間もそうだった。スーツを新調しに行ったついでに手に入れたものを、是非浅井に渡したいと、民友党の食堂に昼食のカレーを食べに寄ったその足で、記者会見前の浅井を訪ねた。すぐに人払いがされて、二人きりになった。

「これを、私に?」

 大山の差し出したものを見て、彼は全顔を歓喜に潤わせた。懇意にしているテーラーに頼んでいたネクタイが完成したのだ。上品な赤地に、ゴールデンイエローの糸が縫い込まれ、少し遠目には淡いオレンジに見える。ゴールデンイエローがレパーズのシンボルカラーであることは言うまでもない。

「これは……、このゴールデンイエローは、なんて気品溢れる色だろう」

「お揃いですよ。もっとも、流石に私は公的な場で締めることはないでしょうけど」

「いっそ、衆議院の本会議でお揃いにしてみたらいいんじゃないかな。本当に嬉しいよ、ありがとう」

 言うなり、浅井はそのときしていた民友党カラーの緑色のネクタイを外して、大山に贈られたネクタイを締めた。スーツはダークグレー、ワイシャツは白だから、概ねネクタイの色は選ばないコーディネートである。

「お似合いです」

「いや、嬉しいな、本当に……」

 それから、彼はふと真剣な顔になって、

「今夜、きっと決まるんだね、私たちの夢が」

 厳かな口調で、そう言った。

 レパーズは「マジック1」という状況でこの日を迎えている。本拠地で、マジック対象チームのガイアーズとの直接対決。既に優勝は揺るぎないものであるが、これまで幾度も辛酸を舐めさせられてきたガイアーズの目の前での胴上げをこそ、レパーズファンが願い続けてきたことは言うまでもない。

「ええ。……未だ現実味がありません。今年のレパーズは本当に……、本当に強かった」

「しかも、ねえ、ベンチ入りメンバーを見れば生え抜きばっかりじゃないか。もちろん助っ人の、ロメロと朴はいるけれど。彼らはとってもナイスガイだ。レパーズは本当に強くなった……」

 語る言葉はこの場でも尽きることはないが、何しろ浅井は大仕事を控えている。双方仕事が終わったらホテルで、と約束を交わして部屋を出た。その帰り際、用を足しにトイレに寄ったところを、新田に目撃されたのである。

 まさかこれぐらいでおおごとにはなるまいと思ったが、記者というものは煙の臭いを嗅ぎつけるのも上手だが、火のないところに煙を立てることさえしてしまう連中である。まさか自分の動きをきっかけに、釜元までもが動き出してしまうなどとは思わなかった。

 民・憲連立政権。

 浅井を総理とし、大山も閣僚として、彼を支えるポジションに就く。

 子供の妄想に等しい。

 大山と浅井は確かに密やかな友人であるが、政策も思想も全く相容れない。ただお互いに、好きなものが同じであるがゆえに、友人であるというだけだ。少なからず寂しいことではあるが、好ましい友人が、好ましいビジネスパートナーになれるわけではない。大人として弁えておかなければいけないところではあろう。

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