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ザクロと王子と魔物の顛末

 ザクロは魔物に滅ぼされた村の、ただひとりの生き残りだ。

 まだ幼い彼女が殺されずに無傷で残されたのは、彼女の特別な体質ゆえだった。

 ザクロは何もしなくても魔物のあらゆる攻撃を跳ね返し、触れた魔物にあらゆる苦痛を与えるという、魔物を殺すために生まれたような子どもだったのだ。


 それがわかった時、ザクロが住む小国のお偉いさんたちは、この特殊な娘を国のために役立てたいと考えた。

 そしてお偉いさんたち同士の議論と駆け引きの末、ザクロは王子の護衛を兼ねた侍女として城で育てられることになった。


 王子はザクロと数年しか歳が離れていなかったこともあり、彼女とすぐ打ち解けた。

 大人の護衛や侍女に混じって働くのは大変でもあったが、ザクロは自分を拾ってもらえたことに感謝していたし、今の境遇に満足していた。



 ザクロが十五歳になった時、事態は一変した。

 とある魔物が、彼女を探して城に入り込んだのだ。


 魔物は人間の男の姿で、下級貴族の格好をしていたものの、長い髪の毛はなんか勝手にうねうね動いているし、人間でないことは明らかだった。


「探したぞおお! この国で最強の魔物が来てやったぞ!」


 魔物は人を殺すことに興味がなかったようで、城のあらゆる護衛を威圧と魅了で足止めして、悠々と歩いてきた。

 ザクロの前までやってくると、魔物は目をらんらんと輝かせて笑った。


「俺はかつて最強だった同族を倒した。つまり最強を倒したこの俺が今は最強だ。だが、俺に負けたその同族がな、昔、どこぞの村を滅ぼした時に、魔物の攻撃がまったく効かない幼い娘に遭遇したと言っていたのよ。お前のことだろう!」


「殿下、どうやら私が目当てのようです。私の仇を倒した魔物が私を探しに来るとは、妙な因縁もあるものですね」


 ザクロは王子をその背にかばって言った。


「気をつけるんだよ、ザクロ。あれはこの国で最強の魔物だと名乗っているからね」


 王子は険しい顔で魔物をにらみながら、護衛の娘を案じた。

 しかし、魔物は王子など眼中にないようで、ひたすらザクロだけを見ていた。


「そいつが言うには、その小娘、魔物の威圧は素通りするし、魔物の魅了は効かないし、ものを投げつけても跳ね返されるか破壊されると。そんな人間がいるならぜひとも見てみたいと思ってここまで来たのだ!」


 王子を守ろうと取り囲む人々の前で、魔物はひとり、興奮に打ち震える。


「そいつは怒り狂ってお前に触れたそうだが、とたんにそれはもうすさまじい刺激に襲われて、頭の中が真っ白になって、全身が激しい痛みにしびれて指先ひとつ動かせず、その場に崩れ落ちたときたもんだ」


 まるで舞台の上の役者さながら、魔物は身ぶり手ぶりを交えて物語る。


「そいつは、なりふり構わず情けなくも逃げ出して弱っていたところを俺に見つかり、お前の話を最後に吐き出して俺に倒されたというわけさ」


「仇の魔物め、黙って死ねばいいものを」


 ザクロのつぶやきは王子にしか聞こえなかった。

 魔物はザクロをひたと見つめたまま、さらに語る。


「その話を聞いた俺がどう思ったか、わかるか? 俺は気になって仕方ないのだ。お前がもたらす、魔物を死に追いやるすさまじい刺激とやらが気になって、お前を探し続けていたのだ!」


 王子は仕事ができない臣下を見る時の目で、魔物を見た。


「やけに大げさな口をきく魔物だが、どうやら死にたがっているらしいな、ザクロ」


「そのようですね、殿下。仕留めます」


 ザクロが一段と腰を落として身構えると、魔物は両腕を広げた。長い髪もうねうねと宙に広がる。


「そうだ、小娘! 俺を襲うがいい。そして俺に圧倒的な痛みを与えるのだ! 誰にも真似できない強烈な痛みというやつを……!」


 なんだか雲行きが怪しくなってきて、ザクロは顔をしかめる。


「……私への興味というより、魔物を拒む私の体質で痛めつけられたいと言っているように聞こえますね」


「これは被虐趣味というやつか?」


 王子の顔は険しいままだったが、さっきとは別の嫌悪感もちらついている。


「私を油断させたくて嘘をついているのかも」


「魔物は嘘をつかないはずだ。とにかく強さで押し通そうとするからね」


「つまり……魔物は本気で言ってるんですか?」


 ザクロはちょっと引いていた。

 幼い頃に城へ引き取られ、王子のそばで真面目に育てられた彼女は、その手の世界のことに理解が及ばなかったのだ。


「私もあまり肯定したくないが、魔物は強さに自信を持っているからな……。それを打ち砕いたあなたに並々ならぬ関心を持っているみたいだ」


 王子も引き気味だったが、真面目にそう答えた。

 そこへ放置されていた魔物のいらだちの叫びが重なる。


「おい、そこの男! さっきからなんで小娘と親しげにしゃべってるんだ! そして小娘、お前はさっさと俺を襲え! 俺に痛みを与えろぉぉおお!」


 ザクロは素手で魔物に向かうべく、手袋を脱いだ。


「殿下、変態を喜ばすのは癪ですが、殿下を巻き込むわけにはいきませんので、さっさと終わらせてきます」


「うん、ザクロのことは、もはや妹のように思っているからね。自分の妹分をあんな変態に渡したくないから、ひと息に終わらせてきなさい」


 王子が差し出した手に手袋を託して、ザクロは前に進み出る。


「おお、待っていたぞ、小娘!」


 全身で歓迎の意を示す魔物、その首にザクロは手を回し、脚を胴体に絡め、全身でしがみつく。


「ああああ! これか! この痛み!」


 魔物は城中の人々が耳をふさぎたくなるような断末魔とともに崩れ落ち、息絶えた。

 見守っていた人々は歓声を上げ、魔物の亡骸はすみやかに片づけられた。



 ザクロは耳に手を当ててぼやいた。


「やかましい断末魔のせいで耳が聞こえづらいです」


 その手首をつかんだ王子は、声が届くよう、彼女の耳元に口を寄せる。


「なんで魔物にしがみつくような真似を?」


 ザクロは不思議そうに王子の顔を見上げた。


「だって、私に触れるのが魔物には一番効果的なんですよ。魔物にふりほどかれたり、投げ飛ばされたりしないように、しがみつくのが手っ取り早いじゃないですか」


 王子は少しばかり不満げな表情だ。


「だが、魔物は男の姿をしていただろう。あなたが男にしがみついているように見えて、少しばかり私は、その、心おだやかではなかった」


 ザクロも同じような表情になる。


「私も変態にしがみつくのは苦渋の選択でしたが、殿下を守るのが私の役目です。魔物が殿下を巻き込む前に倒す必要がありました」


「うん、そうだね。ザクロはよくやってくれたよ。ありがとう。あなたは悪くない。ちょっと私が動揺してしまっただけなんだ」


「変態でしたからね……」


「王子たるもの、この程度で動揺してはいけないのだろうが……」


 ふたりは顔を見合わせて、ふっと笑った。



 しかし、残念ながらそれで終わりではなかった。

 なんと魔物が復活したのである。


 ザクロが倒した魔物の亡骸は念入りに焼かれたが、わずかな肉片が焼けずに土に埋まり、そこから近くの植物を操って小型の魔物を捕食し、少しずつもとの大きさに戻ったのだった。


 ザクロが十七歳の時、魔物は再び彼女の前に現れた。

 今度は以前よりも若い男の姿になっており、王子より少し年上くらいに見えた。相変わらず長い髪が勝手にうねうねと動くので、すぐに魔物だとわかったが。


「ザクロぉお! お前の名前を覚えたぞ!」


 開口一番、名前を呼ばれてザクロは仏頂面になった。

 その後ろで王子も仏頂面になった。


「ザクロ、なんであなたの名前を魔物が知っているんだろうね」


「殿下、そんなことはどうでもいいので、さっさと倒しましょう」


 ザクロが前に進み出ると、魔物も前に進み出る。


「見てくれ、ザクロ、俺は復活したのだ。お前がもたらす恐ろしい痛みに包まれて死ぬのは本望だったが、もうちょっと味わってみたくなってな。その未練で俺は生き返った。魔物に死ねないほどの未練を与えるお前はすごいぞ!」


 前回ほどの大げさな身ぶり手ぶりはないものの、今回も魔物は饒舌にしゃべる。


「ところでザクロ、俺は生き返りながらお前との記憶を反芻していたのだが、お前は後ろにいるその男と親しいのか?」


 魔物は王子を指差した。

 教えるつもりのないザクロは、ふんと鼻を鳴らした。


「お前になんの関係がある?」


「関係があるぞ!」


 魔物は目を輝かせて、両手を胸に当てた。


「俺はザクロに結婚を申し込むからだ!」


 その場が一瞬、静まり返った。


「……は?」


 両手を今度は胸の前で祈るように組み合わせ、長い髪を波のようにうねらせて、魔物はとんでもない求婚の言葉を語り始める。


「俺は長く生きてきたが、お前のようにすさまじい刺激をもたらす人間を他に知らん。だからずっと俺のものにしたいのだ」


 魔物はなぜか得意げに手を差し伸べる。


「それに俺はお前の刺激を毎日味わいたい。結婚すれば、人間は裸で全身を絡ませ合うのだろう?」


 すさまじい速さで、ザクロは魔物の側頭部を蹴飛ばした。


 蹴られた魔物の頭がぐらりと落ちてくると、その頭を片手でつかみ、もう片方の手であごをつかみ、無理やり魔物の口を閉ざす。

 魔物はのどの奥で悲鳴を上げながら全身を震わせ、しばらくして崩れ落ちた。


 ザクロは魔物の頭、首、心臓に両手をしっかり押しつけて、魔物の息の根を止めた。


「ザクロ、大丈夫か?」


 人々が後処理に奔走する中、王子はザクロに声をかけた。


「殿下、申し訳ございません。魔物を黙らせるのが遅れたばかりに、殿下と皆様のお耳を汚してしまいました」


 ザクロは無表情に見えたが、王子はそれが自分のミスに怒っている時の顔だとわかった。


「ああ、いや、確かにあけすけな言葉だったが、仕方ないよ。魔物があんなことを言い出すなんて誰も思わなかったから」


「私は何も聞いていません」


 ザクロは早口で否定した。


「……だがザクロ、あの魔物はあなたに求婚……」


「いかがわしいことを言っていたので、すみやかに倒しました。そうですよね、殿下」


「……そうだね」


 王子は気圧されてうなずいた。相手は変態の魔物だったことを思い出したので。



 残念ながら、魔物はまた復活してしまった。

 ザクロが十八歳の時、魔物は城を訪れて、再びザクロに求婚したのだ。


 復活までの時間が短かったためか、魔物はさらに若返っており、王子と同じくらいの年齢に見えた。

 おまけにどこで学習したのか、今までより上等な衣装を身にまとっていた。

 魔物の長い髪は、ひとつの太い三つ編みになっていたが、編んだ状態でもうねうねと動いているので、よく見ればやはり魔物だとわかった。


「ザクロ、私はあなたに求婚するために戻ってきました」


 外見の若返りに反して、魔物は落ち着いていた。いちいち叫んだりしないし、話し方も以前より大人びている。


「何度倒されても、あなたをあきらめることができません。その肌がもたらす類まれなる痛み、他のどんな魔物をも寄せつけぬ圧倒的な強者の力。それを感じるためなら、私はなんでもするでしょう」


 護衛の人々も、なんだこの魔物は、といぶかしむ様子が見てとれる。


「殿下、あまりよくない流れですね。魔物が知恵をつけているように思えます」


「そうだな。人間のことを学習しているようだ」


 ザクロと王子が言葉をかわしていると、魔物はつと王子に目をやった。


「ところで、そこにいる男性はザクロの大切な人なのでしょうか。人間の女性は、ひとりの男性としか結婚できないのですよね?」


 魔物が、ぐっと目に力をこめる。威圧を受けた王子が小さくうめいた。


「この男性がいなければ、ザクロは私の求婚を受け入れてくれますか?」


 魔物の視線を遮るように進み、ザクロは魔物の目の前に立った。

 たちまち魔物は王子への興味をなくして、熱を帯びた目で彼女を見つめる。そればかりか、わざわざ身をかがめてザクロと目の高さを合わせた。


 ザクロはすばやく手を伸ばし、魔物の目を覆った。

 あああ、とうめく魔物の声は痛がっているようにも、悦んでいるようにも聞こえる。


「あなたとは結婚しません」


 そう言ってザクロは魔物の目に己の指を突き刺した。


 つんざくような悲鳴を上げて魔物がのけぞると、その心臓にザクロが両手を押しつける。

 魔物は断末魔とともにザクロを抱きしめたが、彼女の全身に触れたことでたちまち果てた。



 ザクロは自分の指先の汚れを丁寧に桶の水で洗い落とした。


 ついでに桶の中へ唾を吐き捨てる。

 魔物を苦しめる自分の唾をかけておけば、洗い落とした魔物の血から魔物が復活するのを防げるかもしれない。

 いや、単に自分を抱きしめた魔物への嫌悪感から唾を吐いただけかもしれない。


「殿下が攻撃されるのではと思って、とっさにやってしまいましたが、あまり気持ちのいいものではないですね」


 そう言って手を拭く彼女を、王子はなんともいえない表情で見ていた。


「殿下?」


「……ザクロ、いつも私を守ってくれて感謝している」


「それが私の役目です、殿下」


「だが、妹のように思っているあなたがここまで手を汚してくれたのに、それでも私は今後のことを考えると安心できなくてね」


「確かに、ここまで復活が続くと不安ですね」


 ザクロは王子の警備体制について考えながら、あいづちを打った。



 その夜、護衛を同席させずに父王と話し合っていた王子は、部屋に戻ってくるなりザクロを呼んで、こう言った。


「ザクロ、私と結婚してみる?」


 彼女は一瞬、魔物の求婚騒ぎで王子の頭がおかしくなったのではないかと疑った。


「……ご冗談を。無理ですよね?」


「身分の問題で序列はかなり下がるけど、第四夫人として迎えることならできるよ」


 どうやら王子の政略結婚の相手は第三夫人まで枠があるようだ、とザクロは思った。

 この国では、貴族であれば一夫多妻が許されている。王族も多くの世継ぎを確保したい都合上、一夫多妻が基本である。


「私があなたを寵愛していて、常に連れ回していることにすれば、私のそばで護衛は続けられるんじゃないかな。陛下も目をつぶってくださるそうだし」


 王子は仕事の話をする時と同じ調子でそう言った。


「……私が殿下の妻になれば、なんらかの問題が解決するのですか?」


 ザクロの問いかけに、王子はふと目を閉じる。


「そうだね。まず、あなたが未婚のままだと、あの魔物が復活した場合、また求婚してくるだろう。あなたが既婚者になっていれば、魔物もあきらめるのではないかと考えた」


「可能性はあるのですか?」


 ザクロが言うと、王子は言いにくそうに言葉を続ける。


「魔物にもいろいろあって、略奪したがるものもいれば、その、初物にこだわっていて、他人のものになった獲物からは興味を失うものもいるそうだ。あの魔物が後者の可能性もあるので、試す価値はあると思う」


「でも殿下、それだけなら私と結婚する必要はありませんが」


 ザクロを既婚者にしたいのなら、王子に忠誠を誓っている部下の誰かに嫁がせればいいだけの話だ。


 王子はむっと口を引き結ぶ。

 自分に都合の悪いことを言われた時の顔だな、殿下も子どもの頃の癖がまだ残っているんだなとザクロは思った。


「……ザクロは私の大事な妹分じゃないか」


「もったいないお言葉です」


「大事な妹分を任せられる男なんて、そうそういないだろう?」


 わりといるから、王子はもうちょっと部下を信頼すればいいのに、とザクロは思った。


「それにザクロ、あなたは私を守るためなら、魔物の目を素手でえぐることもためらわない。たいていの男はそんな女を恐れて、妻になど選ばないものだ。ならば私が」


「お言葉ですが、殿下の部下の皆さんでしたら大丈夫だと思いますよ」


 ザクロに遮られて、王子は「……え?」と小さく声をもらした。


「護衛騎士のアオギリ様は、自分の妻にするならば殿下のために戦える女がいいとおっしゃってました。私は合格だそうです」


 王子は口を開いたまま、ザクロを見つめて「……聞いていないが?」と言った。


「そりゃそうですよ。部下同士の品評会みたいな話ですから、殿下の前でそんな話はしませんって」


 王子はあっけにとられているようだったが、彼女の言葉は止まらない。


「次に、侍従のクロマツ様は、私が殿下を守るのを見ていて興奮するタイプだと伺いました。その手の女を妻のひとりに加えたいとおっしゃってます。さっきも、今日の魔物との一戦は最高にたぎった!とのお言葉をいただきました」


 王子は若干うつむいて「自分の侍従の性癖など知りたくなかったぞ……」とつぶやいている。

 ザクロも内心ちょっとそう思っていたが、無視して話を続けた。


「それと、側近のセンダン様は私の仕事ぶりを評価してくださって、婚姻によって私に身分を与えたいとお考えだそうです。さすがに第一夫人にはできないが、第二夫人として迎えるのもやぶさかではない、とのことでした」


 王子はため息をついた。長い長いため息をついた。


「……よくわかった」


「おわかりいただけましたか、殿下」


「ザクロは私と結婚しなさい」


 ゆっくりと彼女はまばたきした。


「なぜでしょう? アオギリ様もクロマツ様もセンダン様も、殿下へのゆらがぬ忠誠心をお持ちですよ」


「でも、三人ともあなたを妻にと考えているのだろう。誰かひとりを選べば、のちのち揉めるかもしれない」


 王子はザクロの顔をのぞきこみ、その肩をがっしりとつかんだ。


「ならば、三人の主である私が、あなたを妻にしたほうがいいのではないか?」


 ザクロは、納得した顔で王子を見返した。


「一理ありますね」



 かくしてザクロは王子と結婚した。

 序列は第四夫人だったが、他の妻はまだ婚約の交渉中か、せいぜい婚約どまりだったため、王子としては最初の結婚だった。


 魔物の復活前に済ませるため、王族としては異例のスピード結婚だったが、王子はザクロを愛人ではなく正式な妻とすることにこだわった。

 小規模だったが結婚式も行い、ザクロは王子に嫁いだ女性として王族の家系図に名を刻まれたのである。


(ちなみに花嫁の実家の役割は、王子の側近のセンダンが務めた)


 そして、王子はザクロを形だけの妻にするつもりはなかったので、初夜の行為もつつがなく行われた。

 魔物が初物にこだわっていた場合、白い結婚ではザクロを守れないから、と理由をつけていたが、部下たちは愛想笑いでそれを受け流した。


(王子の側近のセンダンは、もし花嫁を冷遇することがあったら実家として彼女を連れ帰りますからね、と冗談を言ったが、その目は笑っていなかった)



 ザクロは滅びた村の出身で、平民の孤児だ。

 こんなに早く結婚する日が来るとは思っていなかったし、王子に嫁ぐなんて想像したこともなかった。

 生きていれば予想外のことが起こるものだな、と思った。


 それに、自分のことを妹扱いしていた王子が、少しためらいながら彼女の体に触れるのは、めちゃくちゃむずがゆい心地がした。

 一方で、魔物の血で汚れた彼女の手を握る時はためらわない王子に、ひどく安堵を覚えた。


 いずれ王子は他の夫人たちのものになって、夜の訪れもなくなっていくだろうが、自分は死ぬまで殿下を守ろう、とザクロは決意したのだった。



 そして案の定、魔物が復活した。


 十九歳のザクロと相まみえた時、魔物は驚いた様子で目を見開いた。

 魔物は前回同様、王子と同じくらいの年頃の男の姿だった。上級貴族の格好で、長い髪をひとつの太い三つ編みにしている。


「ああ、ザクロ」


 魔物は静かにうめく。


「私はあなたに求婚しに来たのに、あなたはもう結婚してしまったのですね」


 ザクロは素手で身構えたまま答える。


「そうです。私はあなたと結婚することはできません」


 魔物は初物にこだわるタイプだったようだ。べしゃり、と床に崩れた魔物は、それでも立ち去ろうとしなかった。


「あなたはもう他の男のもの」


 その顔が苦悶にゆがむ。


「それでもザクロ、私はあなたがもたらす刺激的な最後を忘れられません。また味わいたくて、何度でも戻ってきてしまうでしょう」


 ザクロの手で殺される時、いつも魔物は笑っているか、驚きの表情を浮かべている。こんなふうに苦しそうな顔をしているのは初めて見たな、とザクロは思った。


「魔物というのは哀れなものですね」


 ザクロは魔物を見下ろす。


「私の故郷は、あなたが倒した魔物に滅ぼされました。私の家族も皆、その魔物に殺された。私は親の顔も思い出せないんですよ。そいつのせいで」


 彼女には故郷の記憶はないし、復讐心で冷静さを失うなと訓練されて育った。だから最初にこの魔物がやってきた時も淡々と倒せたのだ。


 しかし、自分の夫となった王子が、いずれ何人もの妻を迎えて子宝に恵まれるであろうことを思うと、その家族を一瞬で失うというのはどれほど恐ろしいことか、考えずにはいられなかった。


「あなたは一応、私の仇を倒してくれたようですし、できればお望みどおりに何度でも殺して差し上げたいのですが、そのたびに騒動を起こすのはいただけません」


 そう言うザクロを、魔物はすがるような目で見上げる。


「私はただ、あなたに殺される衝撃を何度でも味わいたいだけなのです。他に何か方法はないのですか?」


 王子と目配せしたザクロは、魔物に向き直ると、ある方法を提示した。


「では、私と私の夫に決して歯向かわない犬となりなさい」


 魔物は表情をやわらげ、不思議そうに尋ねる。


「犬、ですか?」


「そうです。忠実な犬として働くのであれば、その対価を与えましょう」


「どのような対価を?」


「人間は犬を褒める時、犬の頭や体をなでてやるのですよ。犬になって私になでられたら、あなたはさぞかし刺激的な最後を味わえるのではありませんか?」


 その言葉に、魔物はきらきらと目を輝かせた。

 こいつ本物だな、と王子は遠い目をしたが、話が丸く収まりそうだったので黙っていた。



 ザクロに倒された魔物は、翌日、血のように赤い大型犬として復活した。


 犬となった魔物はザクロの監視下で躾けられたのち、城の護衛犬として働き始めた。

 どんな間者でも見破って捕まえるという能力があったので、たちまち重宝された。


 夜の警備を終えて朝になれば、犬は王子の後宮にやってくる。

 ザクロが全身をなでてやると、犬は喜びの鳴き声とともに息絶える。

 そして夕方には復活し、護衛の任務に戻るのだ。


 犬になった魔物は言葉を失ったが、いつも高速でしっぽをふってザクロに好意を示した。

 しっぽの速度と可動域が常軌を逸していたので、初めて見た人は皆ぎょっとするのだった。



 朝食を早めに済ませたザクロが部屋へ戻ると、床に座っていた赤い大型犬が立ち上がり、猛烈にしっぽをふり始める。


「今日もお疲れ様、私の魔物さん」


 ザクロはしゃがみこんで、犬の頭をなでた。


「あなたのおかげで、殿下の第一夫人のもとに送り込まれた刺客が捕まりましたよ。殿下と第一夫人、それに陛下からもお褒めの言葉をいただきました」


 くううん、と犬が鳴く。


「あなたが見守っているあいだ、私の娘には何もありませんでしたか?」


 わん!と一声鳴いて犬は最後の息を吐くと、夕方まで続く眠りについた。

 乳母に抱っこされていた幼い娘が、「わんわん! わんわん!」と甲高い声を上げる。


「こら、静かになさい。ワンちゃんは今、眠ったばかりなんですからね」


 そう言ってザクロは、王子とのあいだに生まれた娘のほおをつつく。


 魔物の犬を恐れない小さな王女は、母親を見上げてにっこりと笑った。



 魔物のあらゆる攻撃を跳ね返すザクロの体質と、正統な王族の高貴な血、その両方を受け継いだ王女のもとに見合いの打診が殺到するのは、それから数年後のこと。


「いくら貴族の婚約が早めに決まるものとはいえ、さすがにこれは早すぎないか……?」


 第一夫人から第三夫人までを後宮に迎えた王子は、そんな中でも第二子の懐妊に至った第四夫人ザクロの肩を抱きながら、大変渋い顔で見合いの手紙の山を見つめる。


「他の王子や王女が産まれればまた状況は変わりますよ、殿下」


 王子に長く仕えてきたザクロは、王族の婚約が内定までに何度もひっくり返る様子を見ているので、鷹揚に構えている。


 その足元で、何も知らずにけらけら笑う幼い王女は魔物の犬を叩く。

 そして魔物の犬は、幼児の手がもたらす微弱な刺激に喜びで震えながら、激しくしっぽをふるのだった。


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