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003 紗里奈の日常

 蝉時雨が降り注ぐ、うだるような暑い日々が続いていたあの夏の日から、もうどれほどの時が流れただろう。しかし、街に刻まれた傷跡は、まるで昨日のことのように生々しい。

 先日行われたヴァジュラによる出撃で、またしても多くのビルや家屋が破壊された。ダルマチャクラ麻生支部の会見場には、麻生支部長と、トライアドタイタンのリーダーである宇土野沙汰が並んで座っていた。フラッシュの嵐の中、深々と頭を下げる宇土野の姿が、井ノ上紗里奈の目に焼き付く。その真摯な謝罪の言葉を聞くたびに、紗里奈の胸には鉛のような罪悪感がこみ上げてきた。

 紗里奈も破壊したくて破壊しているわけではない。もっとも、あの言動を聞いている人間からすれば疑いたくなるだろうが、紗里奈自身は破壊魔でもなんでもない。ただ、ヴァジュラに乗ると攻撃的な言動を取るだけである。


 紗里奈は普段から口を開くことが少なく、友人もほとんどいなかった。はっきりと「友達」と思っているのは、おそらく阿川亜斗くらいだろう。普段はヴァジュラのことばかり考えて過ごしているほど、人との関わりを避けている。それは人間が嫌いだからというわけではなく、ただ自分が矮小な存在だと感じているからに過ぎない。

 学業は中の下、運動も特に秀でているわけではない。何か得意なことがあるわけでもない。自分なりに頑張ってみたものの、これといった得意なものや好きなもの、打ち込めるものを見つけることができなかった。性格も内向的なこともあって、友達らしい友達を作ることも苦手で、喋ったことはあるけれど、それほど仲の良い友達もいなかった。



 小学生の頃、校庭を元気に走り回り、「ヴァジュラごっこ」に熱中していた亜斗の姿は、紗里奈の目には眩しく映った。彼を見ているうちに、紗里奈もヴァジュラの魅力に取り憑かれていった。いつか、自分もヴァジュラごっこに入れてもらいたい――そう思った矢先のことだった。亜斗と彼の友達が大事故に巻き込まれ、それ以来、亜斗はまるで別人になってしまった。

 紗里奈は、そんな亜斗の姿を見たくなかった。あの頃の、元気で溌剌とした聡明な亜斗のままでいてほしかった。亜斗と同じ中学、高校へと進んだが、変わりきったような彼に話しかけることは難しかった。


 そう、自分なんて、何もできない女だと思っている。


 容姿だって、人に自慢できるようなものなど何もない。身長は亜斗を少し追い越してしまい、それが逆にコンプレックスになっていた。168cm、60kgという体型は、BMIの標準値だ。胸だって多少はあるが、自慢するほどのものではない。つまり、自分はどこまで行っても「普通より下」なのだ。

 小学校、中学校と特に打ち込んだものもなく、強いていうなら亜斗くんと話せるように詳しくなったヴァジュラについての知識くらい。でも、それは彼と話したいから身につけただけで、他の誰かと喋る気にはならなかったし、普段からヴァジュラのことを考えたりしていたら、周りの人間が寄らなくなってきていた。


 そんな自分を変える出来事があった。高校に入ってから行われたカルマドライブ適合試験で、なんと適性があったのだ。まるで、自分が選ばれた側の人間になれた気がした。何者かになれた気がした。


 しかし、現実は甘くなかった。実際に与えられたのは自分専用のヴァジュラではなく、3機1体のセット型のトライアドタイタンの一部、高速移動と多数殲滅戦が得意なフェンサー。自分はボスを倒す前のつゆ払い役だった。

 そして、自分にヴァジュラ乗りとしてのそれほどの才能がないことも露呈した。シミュレーターでは、かろうじて最低ラインの結果しか出せない。街を倒壊させずに戦い切るなど、それはまるで神業のように思えた。


 その神業をやってのけたのが、他でもない亜斗だった。高校での適合試験で適性があったのは、亜斗と紗里奈の二人だけ。その亜斗に、想像を絶するほどの差を見せつけられ、打ちのめされたと同時に、納得もした。


「あの時の亜斗くんは、やっぱり亜斗くんだったんだ……」


 自分が憧れた少年は、今も変わらず憧れの対象だった。あの亜斗と同じヴァジュラに乗るのに、気後れしているわけにはいかない。せめて、亜斗の気概を引っ張ってあげられるように。だから、ヴァジュラに乗る時、紗里奈はいつも自分に暗示をかける。髪を掻き上げ、自分は別人になると思い込む。


「私はヴァジュラに乗ればとても強い。だから亜斗にだって口出しできる。ハジュンだって一気に倒していける。」


 そして、心の中でそっと誓う。


「亜斗くん。私が亜斗くんの倒すべき相手までの道を切り開いてあげるね。だから亜斗くんは何も気にせずに戦って」


 瓦礫の山となった街を遠く見つめながら、紗里奈は静かに、しかし確固たる決意を胸に抱いていた。自分のため、亜斗のために。



 女子寮で一人、黙々と食事を取る。喋りかけてくる子はヴァジュラの修理を担当している水卜恵子みうらけいこぐらいだ。彼女は変わり者で、自分が担当するヴァジュラのパイロットの一人だと知った途端、旧来の友人のように話しかけてきた。ヴァジュラに乗ってる時の自分と勘違いしたのか、とも思ったがどうやら素でそうらしい。


「紗里奈!お疲れ様!!今回はそんなに破損させなかったね、扱いが上手くなってきたんじゃない?」


「あとく、阿川くんの技術が凄いだけ。あと宇土野さんも。私が上手くなってきたわけない。」


 頬杖をついて、対面から覗き込むような姿勢で見てくる恵子。自分と違って、出るところがハッキリとしているので、その姿勢は男子が見たら騒ぎそうなものだ。確か、しっかりと彼氏もいるらしいことを前に聞いた。羨ましいことに違いないが、自分に縁がある話かと思うとそうでもないので割り切りはできた。


「でも、雑魚ハジュンは一掃できたんでしょ?この間みたいに、手間取ってないんだから進歩したわよ。」


 確かにその通りだった。小さな3mほどのハジュンは時間をかけずに一気に殲滅するのことが求められているが、2回目の出撃の時はうまく敵を巻き込めずに撃ち漏らしを多数作り、反撃を許したせいで宇土野さんが急遽ナイトスタイルにチェンジして攻撃を防ぎきったことがあった。


「それをいうなら、フェンサータイプの性能のおかげ。私の技術よりも性能で戦えてる。」


「そう?さすがアタシら整備班の仕事よね。十全に活かさないでも、5割の実力で戦えちゃうとか?」


「さすがに、私もそこまで卑屈じゃない。せめて、8割。」


 紗里奈は自己評価が低いわけではないので、妥当なラインに訂正する。


「冗談よ、さすがに。でも9割ってところかな?本気出すにはもうちょいウデが欲しいねぇ。」


 そう言って、腕を捲って力こぶを作る真似をする。彼女は多分、自分を励ましにきたのだろうと推察する。


「大丈夫、今回のも私のせい。でも、次にやるべきことをやれなくなるほどじゃない。」


「あんた、本当にいつもそれだけど。いざという時に頼れる人間がいた方がいいんだよ?アタシとか。」


 恵子は恩着せがましい笑顔を見せたが、それは本心でもあるようだった。それでも、紗里奈は自分の実力やその他の面で、恵子と相応しい間柄にはとても思えず、ちょっとした知り合い以上の関係にはなれずにいた。

 恵子の言葉に黙って食器を下げに行く。紗里奈が席を立つと、恵子も慣れたもので「また明日ね!」と声をかけてくるだけで、それ以上一緒に移動してくることはなかった。視界からいなくなるギリギリのところで、手を振っておく。相手が見ていたかどうかは知らない。



 自室に戻り、自分の課題を考える。今抱えているものは、攻撃の精密さを上げることだった。どうしても、攻撃する対象にばかり目がいって、街中のことを考えられなくなってしまう。ただでさえ、フェンサーの移動速度は他の2パターンを凌駕する。高速移動で次々と撃破していくスタイルなのだ。雑に扱うと、それだけで街を破壊してしまう。自分は戦おうとすれば、周囲が目に入らなくなり、周囲を気にして戦おうとすると戦いそのものが疎かになる。


 どうすれば、亜斗くんのように戦えるのか。どうすれば宇土野さんみたく周囲を見渡しながら戦えるのか。紗里奈の頭の中には、その問いが繰り返し響いていた。彼女は机の上に置かれたヴァジュラの模型をそっと手に取り、その冷たい感触を確かめた。


 明日、学校から帰ったらシミュレータで訓練するしかない。そう考えると、気持ちは一応は収まった。気分を変えるために、シャワーを浴びて気持ちを切り替えてからベッドに入る。濡れて少し鬱陶しい前髪を払って、天井を見上げる。自分の好きなヴァジュラは以前はカーンタイプだった。重装甲と高火力の王道ヴァジュラ。でも、最近は3人で戦うトライアドタイタンも悪くない気がしてきていた。出撃があった日はストレスからか眠りが浅くなりがちだ。今夜はせめて良い夢を見れるといいなと思いながら、瞼を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、戦うことを決めた、亜斗くんの姿だった。


 翌朝、紗里奈は普段よりも気分良く目覚めた。身だしなみを整え、食堂へ向かう。食堂では、いつものように恵子が話しかけてきたが、紗里奈は適当にあしらいながら朝食を摂る。朝食は、いつものトーストとサラダのセットだ。恵子は朝からしっかり食べる派なので、ご飯にウインナー、卵焼き、そして味噌汁という組み合わせだ。

「今日は機嫌が良さそうじゃない?」と恵子が尋ねてくる。

「普段通り」と紗里奈は恵子に伝える。

 トーストなので先に食べ終えた紗里奈は、静かに席を立った。ひらひらと手を振りながら食べ続ける恵子を見つつ、食器を返すと、去り際に軽く手を振った。


 いつも通りの通学路を歩いていると、男子寮との分かれ道で、少し先を亜斗が歩いているのが見えた。亜斗の背中を見つめながら、学校へと向かう。今日はたまたま亜斗と一緒の登校になった。5回に4回くらいの頻度で、こうして同じ道を歩けることがある。たまに見かけない時があると、残念に思う。


 紗里奈にとって、今日は良い日になりそうだった。彼の後ろ姿が、彼女の心を静かに満たしていく。

今回の話を読んで、何か思ったことや感じたことがあれば是非ともコメントや感想を残してください。


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