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002 阿川亜斗の悔恨

 昼間の出撃を終え、支部での終了ミーティングも解散となった頃には、空は茜色に染まり始めていた。ダルマチャクラのサドゥーたちが暮らす寮へと続く、舗装された一本道。まだアスファルトに熱が残る道を、阿川亜斗あがわあとは歩いていた。ミンミン、と鳴く蝉の声が遠くに聞こえ、潮の香りを運ぶ風が頬を撫でる。夏の終わりが、すぐそこまで来ていることを肌で感じた。


 隣には、同僚の井ノ上紗理奈いのうえ さりながいる。ヴァジュラに乗っている時の、全てを薙ぎ払わんばかりの獰猛さが嘘のように、彼女はただ静かだった。深く下ろされた前髪が目元までを覆い、その表情を窺い知ることはできない。戦闘時にオールバックに掻き上げる髪型とのギャップに、亜斗はいつも彼女がまるで別人のように感じられた。二人の影が、夕日を浴びて長く、長く伸びている。


 女子寮と男子寮の分岐点まで続く、気詰まりな沈黙。コクピットを揺らした衝撃の残滓や、鼻腔の奥に残るオイルの匂いが、まだ生々しく思考を鈍らせる。その静寂に耐え切れなくなったのは、亜斗の方だった。


「……あの、ごめんね。僕の決断が遅いせいで」


 絞り出した声は、自分でも情けないほどにか細く響いた。今日の戦闘、自分の判断が一瞬でも早ければ、先輩である宇土野うどのさんにあれほどの負担をかけずに済んだはずだ。


「大丈夫。わたしがちょっと攻撃的になりすぎてただけ。阿川君は何も悪くないよ。」


 紗理奈の視線はまっすぐ前を向いたまま、亜斗と交わることはない。ただでさえ、自分より少し背の高い彼女とは視線が合いづらいのに、表情を隠す髪が壁となって、二人の間を隔てているようだった。


 紗里奈のその返答は、亜斗には聞き慣れたお決まりの台詞に聞こえた。亜斗と紗理奈、そして宇土野の三人でチームを組んでから三度目の出撃。そして、三度目の、この会話。 一度目は、心からの謝罪だった。二度目は、宇土野が取りなすほど荒れていた紗理奈への、義務的なお詫び。そして三度目の今日は、もはや流れ作業のようだった。

 それでも、心の負債は消えない。宇土野さんの操縦でトライアドタイタン・ナイトが街のために盾になった瞬間の光景が、瞼の裏に焼き付いている。もっと上手くやれたはずだ。その悔恨が、再び亜斗の口を開かせた。


「でも、やっぱりごめん。僕がもっと早く敵を斬っておけば、宇土野さんにも迷惑かけずに済んだんだ。井ノ上さんも、そう思うでしょ?」


 ほとんど縋るような気持ちだった。誰かに「そうだ」と断罪されることで、この重荷を少しでも軽くしたかったのかもしれない。

 その言葉に対し、紗理奈は沈黙で答えた。

 是でもなく、非でもない。ただ、沈黙が二人の間に落ちた。風が彼女の前髪を揺らし、一瞬だけ、その切れ長の瞳が覗いたような気がしたが、すぐにまた隠れてしまう。彼女の薄い唇は固く結ばれたまま、何も紡ごうとはしなかった。

 その沈黙は、どんな言葉よりも雄弁に、亜斗の未熟さを突きつけているようだった。


  亜斗は、自分が正しい選択をしたのかどうか確信が持てず、頭の中で「正解」の基準が揺らいでいた。あの忌まわしい日から、誰かを自分の決断に乗せるのが嫌になった。その日のことははっきりと覚えているが、普段は思い出さないようにしている。もし思い出してしまえば、自分は何も決められない人間になってしまう気がしたからだ。

 気づけば、男子寮と女子寮の分かれ道に差し掛かっていた。亜斗は紗里奈に声をかけた。


「それじゃ、僕はこっちだから。気を付けて帰ってね。」


 彼女は無言で小さく頷くと、女子寮への道を歩いて去っていった。紗里奈との距離感は、未だにつかめないでいる。普段の彼女も、感情が高ぶっているときの彼女も、どちらにもそうだ。亜斗は自身を決してコミュ障というわけではないと思っているし、宇土野とは普通にコミュニケーションを取れているつもりだ。しかし、紗里奈とのコミュニケーションは難しいと感じていた。


 男子寮へと歩きながら、亜斗はぼんやりと今日の戦いのことを考えていた。セオリーに従うならば、トライアドタイタンでは紗里奈のフェンサーで敵を一掃し、残った強敵を自分のベルセルクで倒すべきだった。宇土野がナイトに組み替えて耐える必要性はなかったはずだ。


「どうしても、自分で決められなくなっちゃったなぁ。」


 何かを決めようとすると、手が震える。軽い頭痛もして、吐き気が込み上げてくる。これが「今日のアイスは何を食べようか」といった自分だけに関することなら気にもならない。だが、誰かに「アイス買ってきて、味はテキトーでいいよ」と言われると、話は別だ。決断しようとするだけで手が震え、吐き気まで出てくる。

 元からこうだったわけではない。幼い頃に背負ったトラウマが原因だということは、亜斗自身にも分かっていた。その深い傷が、彼の決断力を鈍らせ、彼を常に葛藤の中に置いているのだった。

 

 

 あの時も、蝉がやかましく鳴く暑い夏の日だった。小学生になるまでの亜斗は、ある事件を境に変わってしまったが、それまでは活発で率先して行動するリーダータイプの子どもだった。子どもの頃、亜斗はヴァジュラに乗って悪者を倒すことに憧れていた。地球外生命体「ハジュン」を倒すヒーローになる。そんな、子どもっぽいけれど、ごく当たり前の夢を描いていたのだ。

 その頃の彼は友達も多く、いつも遊びの中心にいた。ガキ大将というよりも、みんなのリーダー的存在だった。頭もそれなりに良く、運動も得意な方だった。誰とでも仲良くなれ、友達も多かった。


「ハジュンを倒すヒーローになる」――その夢に深い亀裂が入ったのは、小学校に入学したばかりの頃のことだ。その日、亜斗は3人の友達と公園で遊んでいて、まだ遊び始めたばかりの時間だった。

 今日の遊びは「ヴァジュラごっこ」。近くのダルマチャクラ支部にあるヴァジュラや、ニュースで有名なヴァジュラなど、みんながそれぞれ思い思いに好きなヴァジュラに乗っている。空想の仮想ハジュンをみんなで倒そうと、攻撃したり防御したりする真似をして遊んでいた。


「ボクのヴァジュラは両手に剣を持ってるんだ!これでシュババババってハジュンなんかやっつけられるから!」


「こっちはおっきな大砲持ってるから、一撃でハジュンはぶっ飛ばせるんだぜ!」


 亜斗が剣を振る真似をすれば、友達の一人、そーまくんが大砲を構える。あれこれと騒ぎながら、自分の乗っているヴァジュラが一番強いと張り合っていた。その時間も楽しかった。いつもはそうやって誰が強いかを決めようとして、夕方まで決まらずに帰りの時間になるまではしゃいでいたものだ。しかし、その時間は唐突に終わりを告げた。

 突如、警報スピーカーから大音量で避難指示が鳴り響き、子どもたちの中でスマホを持っている子のものが盛大に震え始めた。亜斗もその一人だった。


「大変だよ、亜斗ちゃん!逃げなきゃ!かいじゅうがくるよっ!」


「みんな、こっちだ!」


 亜斗は警報の意味を悟り、みんなの先頭に立って走り出した。指定された避難場所は小学校の体育館。現代の体育館には地下シェルターがあり、狭いながらも付近の住民をかくまって3日間過ごすことができる設計になっていた。


 子どもたちはひたすらに走った。この日に限って、大人とすれ違うこともなく、子どもたちは不安に駆られながらも無我夢中で亜斗の後ろ姿を追いかけていった。そのうちの一人、ハルキが亜斗に声をかけた。


「亜斗ちゃん、がっこうはこっちだよねー!?どうしてそっちに走ってるのー?」


  「こっちのほうが近いんだ!はやくついた方が良いからね!!」


 亜斗は通学路ではない、自分が見つけた道を走った。その方が5分は近くなる。だが、それが後悔の引き金となった。


 走っている間に、物音が近づいてくる。亜斗の走る近道は、原っぱや工事前の場所など、見晴らしの良いところだった。戦闘区域を選んだヴァジュラ乗りは、安全だろうと思われた見晴らしの良い開けた場所を戦場にしたが、それがかえって仇となったことにまだ気づいていない。足元を子どもたちが走っているなど、思いもよらなかったのだ。

 ハジュンが誘い出され、攻撃を開始する。瞬く間に土煙が巻き起こり、前後が分からなくなる。


「うわぁぁぁぁぁぁ!」


 それでも、亜斗は友達の手を握り、前だと思う方向に走り抜けた。後ろの方で大きな何かが倒れ込んだような音がした。瞬間、ググッ! と握った手が重くなるのを感じた。とても前に踏み出せないほどに重い。

 後ろを振り返ると、友達の足が倒れ込んだハジュンの指先に潰されているところだった。


「う、うわぁぁぁ!?そーまくん!?」

  「いたい!いたい!いたいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!」


 土煙が少し収まると、友達のそーま君が両足を潰され、骨が見えるほどの大怪我をしていることが分かった。頭の中が真っ白になり、亜斗は何も考えられなくなった。

 とどめを刺そうとするヴァジュラ乗りが亜斗たち子どもたちに気づき、銃口を瞬時に外し、武装を巨大な刀身へと持ち替えた。接近戦にして、せめて誤射の可能性を減らそうとしたのだ。相手はすでに手負いで、もうとどめを刺すだけの段階だった。肉食恐竜を思わせる姿のハジュンの胸に大きな刀身を突き刺し、絶命させる。


 その時、亜斗は記憶が混乱してどうなったかははっきりと覚えていない。他の2人は助かり、そーま君一人だけが大怪我をしたことを後から知った。


 その後、親と共にそーま君の入院先に何度も謝りに行ったことを思い出す。そーま君は「自分の運が悪かった、亜斗が悪いわけじゃない」と言ってくれたが、幼い亜斗にはその言葉で自分を許すことは到底できないことだった。そして、成長した今でも、自分を許してはいけないと思っている。


 両足を失った友達の姿を見るたび、亜斗は自分の決断が間違っていたと、強い後悔の念に苛まれてきた。宗馬君は今でも友人関係を保っているが、彼の前向きな姿を見るたびに、自分がしてしまったことの大きさを痛感する。それ以来、亜斗は何かを決断するたびに【これは間違いじゃないか?】と自問自答し、答えが出なくなる。動けなくなり、思考が停止するのだ。


 それまでとは正反対の性格になり、消極的で、引っ込み思案な子供になった。その後は小学校、中学校を過ごし、高校に入った時に自分と同調するカルマドライブがあることを知った。


 自分がヴァジュラに乗れるなんて、夢にも思わなかった。だが、亜斗は自分よりも上手く乗れる人間はきっとたくさんいるに違いない。少なくとも、自分よりも正しく乗りこなせる人間はと考えていた。


 実機を見ることで、その思いは強くなった。カルマドライブが搭載された機体を見て、さらに自分にはふさわしくないと思ってしまった。量産型でもなければ、遠距離型でもない。超接近型の対巨大ハジュン型ヴァジュラ。しかも、3機1体型の合体方式のヴァジュラだった。自分が判断する割合が大きい。とても一緒に乗る2人の命を預かって戦うなんてできないと思った。


 幸か不幸か、亜斗は訓練においてはかなりの好成績だった。しかし、実戦に近い模擬戦となると判断力が鈍くなり、どうしても後手に回ることが増えた。自然と3機一体のトライアドタイタンでは、他二人の足を引っ張ることになる。


「すいません、僕があそこで本当はトマホークで叩かなきゃいけなかったのに。」

「すいません、僕があのときに右によければ余計なダメージを負わなかったのに。」

「ごめんなさい。僕が戦わなかったら、負けることはなかったのに。」


 模擬戦を繰り返すたびに、亜斗は自信を失っていった。自分の判断が、決断が、ことごとく間違っていると感じてしまうからだ。あの夏の日の出来事が、彼の心の奥底に深く根ざし、彼のあらゆる行動に影響を与えていた。


 しかし、ある日、普段は口数の少ない紗理奈が、ヴァジュラに乗る前に放った一言が亜斗の心に響いた。


「あんたじゃなきゃ、戦えない。」


 その言葉は、彼が抱える重荷を少しだけ軽くし、彼をこの場所に留めていた。


 だからこそ、亜斗は今、ここにいる。戦うたびに込み上げる吐き気と戦いながら、彼はヴァジュラに乗り続ける。後悔はすでに彼の心に深く刻まれている。だが、もう二度と過ちを犯したくないという強い思いと、彼の人生を狂わせたハジュンへの赦せない感情が、彼を突き動かしていた。

 阿川亜斗は、暗闇に包まれ始めた寮への帰り道を、一人、拳を強く握りしめながら歩んでいく。彼の心の中には、過去の痛みと未来への不確かな決意が混じり合っていた。

今回の話を読んで、何か思ったことや感じたことがあれば是非ともコメントや感想を残してください。


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