side巻き込まれ薬師【45】
「さて、先に影月と櫻月のことを教えておこうかの。それが済んだら夕餉じゃから、その席でお主の世界の話を聞かせよ」
「わかりました」
「お主は事象の真実を見抜くのであったな。まずは自身で櫻月を見定めてみよ」
わかりにくい言い方だけど、櫻月を鑑定しろってことだろう。
脇差
銘 一貫斎
号 櫻月
状態:最高
属性:火
備考:エルフの付与魔法により火の属性が与えられている。火魔法が使用可能。
こっちは銘が一貫斎さんだけになってる。二振りともふたりで打ったんじゃないのかな?
そして火属性らしい。
とりあえず見たままをイザベラさんに伝えた。
「うむ、その通りじゃ。ではサツキ、櫻月に触れてみよ」
「はい」
言われるままに櫻月の柄を握って持ち上げると、櫻月と繋がる感覚がした。
影月にしたのと同じように、櫻月に意識を集中する。
それは火花か桜吹雪か。
視界を埋め尽くすかのように深紅の花弁が舞う。
焼け焦げるのではないかとわずかに恐怖した瞬間、手に触れたその花弁が匂い立つような紅梅色であることに気づく。
ではこの紅はどこから?
見上げると紅い紅い満月。
月の光をその身に受け、紅梅色を深紅に染め替えた桜吹雪がどこまでもどこまでも舞っている。
それは果てしなく紅い深淵を覗き込んだかのようだった。
「サツキ!」
ヴォルフィの声で目を開くと、至近距離に見慣れた緑の瞳があった。
立っていたはずなのに、膝をついてヴォルフィに支えられている。
櫻月を取り落とさないように、柄を握っている私の右手ごとヴォルフィの大きな手に握り込まれていた。
その握り込まれた右手が、微かに震えている。
「どうした!?」
「……怖い」
無意識に口から漏れた言葉に自分で驚いて、すぐに納得した。
そう、怖かった。
あのどこまでも紅くて赤い世界が怖かった。
影月の静謐な世界とは違う、狂気を孕んだような櫻月の世界が怖かったのだ。
近付いてきたイザベラさんが私の手から櫻月を抜き取り、台の上に戻した。
私はヴォルフィに寄りかかって、頭を撫でられながらヴォルフィにだけ意識を向けるようにしていた。
そうしないと瞼の裏に残る深紅に引き摺り込まれそうな気がしたのだ。
慣れ親しんだ匂いと体温にだんだんと体の強張りが解け、震えもおさまっていった。
「もう大丈夫。ありがとう」
体を離そうとしたら、逆に強く抱き寄せられた。
「なにがあった?」
「えっと……」
どう説明するか迷っていると、イザベラさんがふうっと息をつくのが聞こえた。
「影月と櫻月はの、それぞれ妾とカンなのじゃ。意志を持つまでは至らぬが、かなり強く個性が出ておる。と、カンが言っておった」
影月がイザベラさんで、櫻月が一貫斎さん。
影月がイザベラさんなのは、なんとなくわかる気がした。静謐で、そして穏やかで優しげな あの空間は、なんだかんだで面倒見の良さそうなこのエルフの姫に通じるものがある。
それなら、あの美しくも恐ろしい空間を内に秘めた一貫斎さんという人は、一体なにを考え生きて死んだのだろう。あの狂気は、なんなのだろう。
「パスがつながっておるから、櫻月はお主を使い手として望んでおる。あとはお主次第じゃ。影月と櫻月はふたつでひとつじゃから、影月だけを渡すわけにはいかぬゆえ、どうするかよく考えるがよい」
「……はい」
「……カンはのう、どんな男であったかというと妾にも未だわからぬ。じゃからこそ、こうしてずっとカンが遺したカタナの守りをしているのであろうよ。だからの、お主がなにを見たのか知らぬが、それに対して妾がしてやれることはないのじゃ」
そう言ったイザベラさんはとても寂しそうだった。
イザベラさんと一貫斎さんの間にあった感情がどんなものだったのか、恋人だったのか違うのか、それはわからない。不用意に踏み込んでいいとも思わない。
「イザベラ様はご自身で影月と櫻月を使おうとは思わないんですか?」
影月と櫻月がふたりの愛の証的なものなら、それを別の人間に使わせるのは嫌じゃないんだろうか。
なんとなくそう思って聞いてみたら、イザベラさんには本当に予想外の質問だったようで驚きに目を身張っていた。
「それではカンが見ていたものがわからぬではないか」
それもまた抽象的な言葉だったけど、腑に落ちるものがあった。
イザベラさんは今でも一貫斎さんのことを知りたいと願っている。
一貫斎さんは刀鍛冶で、自分が打った刀を誰かが使うということは何度も経験してきただろう。それに対して、イザベラさんが打ったのはここにある二振りだけ。これを誰かが使わなければ、一貫斎さんと同じ経験はできないのだ。
イザベラさんが自分が使ってしまっては、決して一貫斎さんと同じ経験はできないのだ。
きっとイザベラさんの本音は、なんとしても私に櫻月も使わせたいんだと思う。だけど彼女は優しいから、私の様子を見て無理強いはしないでいてくれてる。
ここで私が刀を返しても、イザベラさんは黙って受け入れてくれるだろう。また一貫斎さんから遠ざかった寂しさを抱えたままで。
それを思うと、このまま諦めてしまうのは悔しいと思った。
「……櫻月も連れて行きます。私にどこまで使いこなせるかわかりませんが、できるところまでやってみようと思います」
私が決意を込めてそう伝えると、イザベラさんはふわりと微笑んだ。
「そうか」
その一言には、言い表せない重みと感情が詰まっていた。
「今日はここまでにしておこう。マナの使い方や、影月と櫻月それぞれの固有の魔法は書にまとめておくゆえ持っていけ。いずれわからぬところが出てくれば、またここへ来るとよい」
「はい、ありがとうございます」
「今宵は妾が世話になっている里に部屋を用意してもらっておる。こっちじゃ」
草原から入ってきたのとは違う扉をイザベラさんが開けると、石造の空間に出た。石でできたトンネルのようだった。薄暗くて私にははっきり見えない。
「おい、明かりをつけるぞ。サツキは暗いのが苦手だ」
「構わぬぞ」
ヴォルフィがイザベラさんに断ってから、カンテラ型の照明の魔道具をつけてくれた。差し出された手に掴まって、イザベラさんの後についていく。
里というのはイザベラさんが言っていた東の里ってところだろうか。でもさっき、「世話になってる」って言ってたから故郷とは別の場所なのかもしれない。
そんなことを考えながら進んでいくと、重厚な扉が現れた。繊細な紋様が彫り込まれた扉は見上げるほどに大きく、なんの素材でできているのかよくわからない。
紋様の中に文字が混ざっていて、そこには「偉大なるビヨルンとエドゥアルドを称えて」と書かれていた。
イザベラさんが扉に触れると、全く重さを感じさせない滑らかな動きで扉が開いた。
扉の向こうも屋外ではなく、石で囲まれた空間……洞窟の中のようだった。
洞窟ってエルフというよりドワーフのイメージなんだけどな……。
そう思いながらイザベラさんに続いて扉を潜ると、目の前にはドワーフが並んで立っていた。




