side巻き込まれ薬師【40】
急速に意識が浮上し、私は目を開いた。
同時に、意識を失う前のことを思い出す。
「巨大な蛇が!!」
そう叫びながら体を起こすと、蛇の姿はかけらもなかった。
それどころか、さっきまでいた鬱蒼とした山の中ではなく、広々とした草原だった。
見渡す限りの草原と青空が、地平線まで続いている。
遮るものは、なにもない。
「嘘!?ここどこ!?なんで!?ヴォルフィどこ!?」
今までに感じたことのない焦りに襲われ、パニックになりながらあたりを見渡す。
人の姿はない。
人どころか、建物や木さえない。
ただただ緑色の絨毯と青い空が果てしなく広がっているばかりだ。
さっきまでとは違う恐怖に呑まれ、私はへたり込んだまま恥も外聞もなくボロボロと涙をこぼした。それを拭うことさえ思い浮かばない。
「ヴォルフィどこ……。どうしよう、もう会えなかったらどうしよう。きっと心配してる。ごめんなさい、ごめんなさい。お願いだから無事でいて。このまま会えなくなったらどうしよう……!!」
泣きながら、浮かんでくる不安をそのまま声に出して叫び続けた。
散々泣き喚くと、どうにか少しだけ落ち着くことができた。
「戻らなきゃ。絶対心配してる。ごめんなさい、ごめんなさい」
ふらつきながらも立ち上がり、もう1度周りを見渡した。すると、私の後ろ側の50mほど離れたところに小屋が建っているのが見えた。
「あれ? あんな小屋あったっけ?」
不気味に思うが、さらにもう1度ぐるりと見渡しても、その小屋以外は草原しかない。
「行ってみるしかないか……」
近づいてみると、小屋はかなりボロボロだった。人が住んでいるというより、放置されてる物置小屋と言われる方がしっくりくる見た目だ。
「ごめんくださーい」
ボロボロとはいえ、誰かの家かもしれないから一応声をかける。まあ、こんなおかしな場所に住んでる人がいるとしたら人ではないような気はするが……。
「ごめんくださーい」
再度声をかけてもなんの反応もない。中から物音がすることもない。
「どうしよう……」
私は迷った末に、扉に手をかけた。扉を開けた後で家主が来たら謝ろう。
粗末な引き戸に鍵はかかっておらず、がたつきながらも開けることができた。
「ごめんくださーい。お邪魔しまーす」
そう言いながら小屋の中に足を一歩踏み入れた瞬間、私はありえないものを見て硬直してしまった。
「嘘……」
そこにあったのは、白刃を煌めかせた二振りの日本刀だった。
冷静に考えたら、そんな怪しげなところにそれ以上踏み入るべきではなかったと思う。
だけど、その時の私は魅入られたかのようにふらふらと刀に近づいていた。
四畳半ほどの広さの小屋の中央にテーブルのような台が置かれてあり、その上で静かに煌めく日本刀。
その刀は二振りとも短くて、脇差と呼ばれる刀だと思う。
鍔はなく、柄は黒い布をぐるぐると巻きつけたような造りになっていた。
博物館なんかで見たことのある刀に比べると、だいぶ簡素な作りに思える。
刃紋は対照的で、片方は控えめだが、もう片方は派手とも言えるぐらいに刀身に広がっていた。
そして、それぞれの刀の前に紙が置かれている。
静かな刃紋の方には「影月」と、派手な刃紋の方には「櫻月」と、それぞれ日本語で書かれていた。
「そんな……。じゃあこれって……」
日本人が作った刀だ。
もしくは日本人が持ってきた刀だ。
それは刀を作ったり使ったりするような時代から、この世界に来た人がいることを表している。
衝撃に呑まれたまま、私は無意識に刀の近くにあった帳面のような紙の束を手に取って、表紙を捲った。
そこにも日本語が書かれていた。
「ああ、ああ……」
そこに書いてあったのは日本語ではあるけど、博物館で見た古文書のような字だった。しかもそれを慣れない羽ペンで書いてあったので、とても乱雑で読みにくいものだった。
私はそれを翻訳機能で読んでいたと後で気づいたけど、その時の私は日本語を目にした感動に打ち震えていた。
帳面の内容は作業メモのような走り書きだった。
それによると、このメモを書いたのは一貫斎という名前の刀鍛冶で、彼がこの刀を打ったようだった。一貫斎がどの時代の人かはわからない。
断片的なメモだから、彼がどんな経緯でこの世界に来たのかとか、どうやってこの刀を打ったのかとか、どんな暮らしをしていたのかもわからなかった。
ただ、何度も「べら」という名前が出てくるのが目についた。その人が相槌を打ったらしい。
名前からしてこの世界の人だろう。
それも、おそらく女性。
そう、日本刀を打つのはひとりではできない。
私はそれを能の「小鍛冶」という作品を見て初めて知った。
そのあらすじはこうだ。
三條小鍛冶宗近という刀匠は一条天皇に刀を打つよう命じられたのだが、相槌を打てるものがいない。それを使者に訴えても聞き入れてもらえない。進退極まった宗近は稲荷明神に助けを求めて祈願する。そこに現れた不思議な少年が、相槌を打つから用意して待つように言って姿を消す。
翌日、宗近が準備を整え神に祈っていると稲荷明神の化身(眷属という表記もある)が現れて相槌を打ち、無事に刀が完成する。
それを初めて見た時に、「日本刀ってひとりで作れないんだ!?」と驚いた記憶がある。
閑話休題。
その帳面を読みながら私は涙が溢れて止まらなかった。
この二振りの刀、影月と櫻月は間違いなくこの世界で打たれたものだ。
一貫斎は重い病を患っていたようなので、何年前にこの世界に来たのかわからないが、おそらく生きていないだろう。
それでも、かつてこの世界に日本からやってきた一貫斎という日本人がいて、確かにこの世界で生きて暮らしていた証がここにある。
その事実は、私の心を言いしれない感動で深く震わせるものだった。
「ほお、結界が歪んだと思って来てみれば、珍しいこともあるものじゃ」
感動で号泣している私の背後から、急に人の声がした。
心臓が止まるほど驚きながら振り返ると、そこには絶世の美女が立っていた。
抜けるような白い肌、腰まで流れる淡い金の髪、空を映しとったような澄んだ水色の瞳。ほっそりした肢体に、狩人のような簡素な服を纏っている。
そして何よりも目を惹くのが、鋭く尖った両の耳。
見紛うことなきエルフの姿だった。




