side巻き込まれ薬師【36】
結果から言えば、かなり揺れたので抱っこしておいてもらって正解だった。
ヴォルフィもメアリも三半規管が頑丈なのか馬車に慣れているからか平然としているのに、私だけが馬車酔いを起こしてぐったりしていた。
でもスピードを上げたおかげで、雨が降り出す前に街に到着して宿に入ることができた。宿は今回もこの街で1番高級なところだそう。
モンテス子爵領から移動する時には見てない宿だなと思ったら、通ってる道が違うから通過する街も違うんだって。
私がぐったりしたままヴォルフィに抱えられて馬車から降りたので、宿の人たちを慌てさせて申し訳なかった。ただの馬車酔いなんです、ごめんなさい……。
そのまま運ばれていった部屋はものすごく広かった。
後で聞いたけど、このフロアは高位貴族用で、ワンフロアを1組で使うようになってるそうだ。だから、主人たちの豪華な部屋がいくつかあるだけでなく、使用人たちが使う部屋も複数あるそうだ。さらに、使用人に食事を用意させることもできるように、本格的な厨房もあるらしい。
ヴォルフィは私を寝室のベッドに下ろすと、「用事をすませてくる」と言って部屋を出ていった。
残された私はメアリに手伝ってもらって、締め付けないワンピースに着替えた。
侯爵邸に滞在しているうちに、身支度を手伝ってもらうことにすっかり抵抗がなくなってしまったよ。
さすがにお風呂の手伝いだけは断ってるけど、湯上がりの肌や髪のお手入れとマッサージはやってもらうほうが断然気持ちいいし効果あるんだもの。特に魔道具に追われている日々は、マッサージしてもらわなかったらバキバキに凝ってたと思う……。
楽ちんな服装になり、冷たい果実水をもらって飲んでいるうちに馬車酔いはほぼおさまった。
メアリもいつものような服装になり、今日明日で使うものを荷解きして部屋のあるべき場所に置いて回っている。
いつの間にか激しい雨が降り出していて、窓にバラバラと当たる音がしている。まだ夜になってないはずなのに外は真っ暗で、雷が光っているのが見える。
ベッドの端に座ってそれを見るともなしに眺めていると、ノックの音がしてヴォルフィが入ってきた。入れ替わるようにメアリが一礼して出ていく。
ヴォルフィは隣に座ると、私の肩を抱いた。
「一人にしてごめん。具合はどうだ?」
「もう気持ち悪くないし大丈夫。雨ひどいね」
「ああ、明日中にはおさまるだろうという話だが、出発は明後日になるな。ただでさえギリギリな日程だというのに」
侯爵邸からシュナイツァー伯爵のところまで半月、数日滞在して、王都に向かうのに一週間弱だそう。行きで時間を食うと、伯爵のところでの滞在日数を削らざるを得ない。
シュナイツァー伯爵のところでは冒険者カードを返すだけということになっているけど、招待されている形になるから、数日は滞在してもてなしを受けるのが礼儀なんだそう。
それに、ヴォルフィには見知った冒険者たちもいるだろうから旧交を温めてほしいとも思うし、滞在日数を減らし過ぎるのは避けたいところだ。
「移動を優先して進むことにしたから野営も入ってくると思う。あと、サツキのスキルの練習もあまりできなくなるかもしれない」
「あー、それはもういいよ。馬車の中で筋トレだけしとく」
鞘に入れたままの短剣をダンベルがわりにしよう。あとは飲み水を出すのに魔法を使おう。それぐらいでいいや。モチベーションがダダ下がりだから、むしろそれぐらいでちょうどいいわ。
「チャンスがあったら、『収納』と『鑑定』がどれぐらいのものなのかは確かめたいかな」
どちらもなんとなく使ってるけど、容量とか精度をよくわからないまま使い続けるのは不安だ。どうせ私は戦闘要員にはなれないのだから、こういう補助的なスキルは使いこなせるようになっておきたい。
「わかった、それはやろう」
「うん、ありがと」
どうやってそのふたつの性能を確かめるのがいいんだろう。『収納』はとりあえず容量だから、なにかを大量に入れてみるか。そういえば時間経過しない収納ってのもラノベにあったし、なにかナマモノを入れておいてみようか。生肉なんかは腐ったら悲劇だから、薬草とかを入れて萎びるかどうかを見るのが安全そう。『鑑定』は知らないものに使いまくるしかないか。見れる情報量はスキルが習熟すると増えたりするのかな?
「……キ、サツキ。聞いてる?」
「え?あ、ごめん。考えに没頭してた」
呼びかけられてたのに気づいてなくて、体を揺さぶられてやっと我に返った。
「もう気持ち悪くないなら夕食を用意させるけど、どうする?」
「あ、うん。もう食べれるよ」
ヴォルフィは頷くと寝室の扉から顔を出して、メアリに指示を出した。
「すぐに届くと思うし、こっちで待ってよう」
促されて寝室から出ると、手前の部屋は広いリビングダイニングみたいな部屋だった。ベッドに直行して寝込んでいたので全然知らなかった。
ソファに並んで座り取り止めのない話をしていると、メアリがワゴンを押して戻ってきた。
「ヴォルフガング様、給仕いたしますか?」
「いや、全部並べて下がっていい。この後のことは気にしなくていいから、もう休むといい。騎士にも交代で食事して休むように言ってくれ」
「かしこまりました」
メアリはダイニングテーブルに手早く料理を並べて下がっていった。
「そうだ。これを渡すのを忘れていた」
そう言ってヴォルフィはマジックバッグから腕輪を取り出した。銀色の本体に、いくつも魔石が付いている。
「状態異常を防ぐ魔道具だ。今日の夕食もそうだけど、これから宿泊先で用意されたものを食べることも多くなる。毒や怪しい薬の類を警戒した方がいい」
そう言って私の左腕にはめてくれた。ぶかぶかだった腕輪は、はめた瞬間に私の手首にぴったりなサイズになった。
「俺の魔力が登録してあるから、どうしてもはずしたい時は言ってくれ。でもできるだけつけていてほしい」
「私が狙われることなんてあるかな?」
まだ魔道具も表に出ていないし、私に毒を盛る意味なんてないと思うんだけど……。
「貴族というだけで身代金目当てに誘拐される可能性はある。見る人が見れば、俺たちの中でサツキが1番武術の心得がないのは一目瞭然だ」
「うう、わかったよ。足手まといにならないように気をつけるよ……」
傷口に塩を塗り込められた気分だわ……。本当のことだから仕方ないけど。
「ごめん、傷つけたいわけじゃないんだ。でもサツキになにかあったら耐えられないから」
「心配してくれてるのはわかるから付けとくね」
毒や変な薬が私に触れたら、自動的に魔石が無効化するらしい。毒の強さに応じて消費する魔石の数が変わり、全部使っても防ぎ切れなかった場合は、無効化できなかった分の影響は受けてしまうそうだ。それでもだいぶ被害を軽減できるようだから心強い。
こういう時に、もう私は一般庶民じゃなくなっちゃったんだと実感して、ズンと心が重くなるわ……。自分で選んだことだから仕方ないとはいえ。
まあでも、アクセサリーをプレゼントしてもらったんだと思えばいいよね!
食事は宿の専属料理人が作っているそうで、とてもおいしかった。
赤ワインも用意されていたので試しに飲んでみたら、とても飲みやすくておいしかった。おかわりして、ふわふわしてきたなーと思いつつさらにおかわりしようとしたら、グラスを取り上げられてしまった。ひどい。
食べ終わった食器はワゴンに戻して廊下に出しておけば片付けてもらえるそうで、私も自分のお皿を載せようとしたら1枚目から手が滑って落として、「もう触るな」と言われてしまった。
自覚してるより酔ってるのかも?
ちなみにお皿はフカフカの絨毯の上に落ちたので無事だった。
「サツキ、風呂入れるか?水飲んでおくか?」
「うーん、お水飲んでもうちょっとしてからにするー」
「そうか。じゃあ先に行くな」
「うん?」
酔ってぼーっとした頭で「部屋に帰って入るのでは?」って思った瞬間、ハッと気づいて一気に酔いも覚めた。
ここはなんの部屋だ?
いわゆる主寝室というものではなかろうか?
だとすれば、そこは主人夫妻の寝室で……。
酔いとは違う熱が一瞬で体を駆け巡る。
そんな私の様子を見ていたヴォルフィが困った顔をしている。
「ごめん、同じ部屋だってわかってると思ってた。嫌なら違う部屋を使うから……」
「嫌じゃない!」
何度同じことを言わせてしまうんだろう、私は。
「嫌じゃないから、一緒にいたい……」
反射的に縋りついた私を軽く抱きしめると、すぐに離れてお風呂に向かって行ってしまった。でも通り過ぎる時に顔が真っ赤なのが見えて、彼も緊張してるんだと思うと逆に変な力が抜けた。
入れ替わるようにお風呂へ行くと、いつか見たような透け感のある夜着が置いてあった。メアリが用意していったのだろう。手早く入浴し、夜着を身につける。
深呼吸して浴室の扉を開けると、部屋はかなり明かりが絞られて暗くなっていた。浴室の明るさに慣れた目では寝室の扉がどこにあるのかわからない。
急に雨音と雷の音が大きくなった気がする。
「どこ……?」
思った以上に弱々しい声を出してしまって、そのことにさらに狼狽えていると「こっちだ」という声がして軽々と抱き上げられた。
「ヴォルフィ、どこにいたの?」
「ソファ。サツキは暗いのが苦手か?」
「苦手じゃないけど、夜目はきかないよ」
日本の夜は明るかったから、本当に暗い闇の中を進んだ経験なんてほとんどない。目が慣れたら多少は見えるだろうけど、きっとこっちの世界の人ほどじゃないと思う。
そのまま寝室に運ばれて、ベッドに横たえられる。
少しずつ目が暗さに慣れてきて、私に覆い被さるようにしているヴォルフィの姿が見えてきた。
時折光る雷に銀色の髪が照らされ、とてもきれいだ。
思わず手を伸ばして髪に触れると、燃えるような緑色が近づいてきて視界いっぱいに広がり、唇に熱いものが押し当てられた。
そのまま止められない熱に溺れているうちに、雨の音も雷の音もなにも聞こえなくなっていた。




