side巻き込まれ薬師【34】
夕食まで少し時間があったから庭でのんびりしようかなと思っていたら、準備を終えたらしいヴォルフィがやってきた。
その表情は迷っているような、それを振り切ろうとしているような、その間で揺れ動いているような不安げなものだった。
「サツキ、疲れてるところに悪いんだけど、明日の出発までに離れに行っておきたいんだ。今いいか?」
「うん、もちろん。行こう」
一緒に行くって約束してたのに急に出発することになったから、気になってたんだよね。
いつも離れの近くの芝生のところで出会ってたから、一緒に向かうのは初めてだ。無言のまま歩いて行き、木のトンネルに差し掛かったあたりでヴォルフィが急に立ち止まった。
「無理しなくていいよ」
私はトラウマとかをなんでも乗り越えるべきって考え方は好きじゃない。そこから逃げて、永遠に距離を取るという方法でも別にいいと思う。
大事なのは、本人に負担がない形で、トラウマに囚われている状態から抜け出せることだと思っている。それは克服することとイコールじゃない。
だから、ヴォルフィが過去を直視するために離れに入りたいなら協力するし、建物自体をもう二度と見たくないと言うのなら取り壊すのに手を貸してもいい。
「いや、今日行っておきたいんだ」
そう言って躊躇いを振り切るように首を振ると、しっかりした足取りで歩き始めた。私は遅れないようについていく。
そのまま立ち止まることなく芝生の広場を通り過ぎ、雑木林に踏み入った。手入れはされているようで、雑草はきれいに刈られていて、なんなく扉の前に辿り着いた。
ヴォルフィは「はぁっ」と息を吐くと、扉に設置されている魔道具に触れて解除した。そして、その勢いのまま扉を開ける。
扉に手をかけたまま身じろぎもせず中を凝視しているので、思わず反対側の手を握った。
「大丈夫?」
「……ああ」
そのまま手を繋いで、室内に足を踏み入れる。
締め切ってあるので空気はこもっているものの埃は溜まっておらず、室内も手入れされているようだった。
中に入るとすぐにダイニングルームになっていて、簡素なテーブルと椅子が4脚置いてあった。台所には鍋やフライパンが見えた。
ヴォルフィは無言のまま私の手を引き、奥へ進んでいく。
扉が2つ並んでいて、そのうちの奥側の前で立ち止まった。
「ここが俺の部屋だ」
そう言って勢いよく扉を開く。
部屋の中には書き物机とベッドと本棚しかなかった。さすがにベッドに寝具は置かれていないし、本棚の本もまばらでそれがより一層ガランとした雰囲気を醸し出している。
ダイニングルームもこの部屋も、広さといい家具の作りといい日本のどこかで見たような家を連想させ、それはつまりこの世界の貴族の住居としてはひどく質素ということだ。
無言のまま手を引かれて部屋の中に入り、真ん中あたりで立ち止まる。
「……ここは元々、庭師の一家が住んでいたそうだ。昔は一家で住み込んでいる使用人には、こんな感じの家を与えていたらしい。今も残ってるのはここだけだ」
どおりで質素なわけだ。
思うことはいろいろあるけど、飲み込んで黙ってヴォルフィを見つめる。今は彼が吐き出すことを聞いてあげたい。
「屋敷からこっちへ来た時のことは幼すぎて覚えていない。記憶にあるかぎり、ずっとここで暮らしていた。この隣の部屋に乳母がいて、あとはメイドが屋敷と行き来しながら俺の世話をしていた。乳母は親身に世話をしてくれたが、俺に感情移入しすぎたんだろう。いつの間にか俺を侯爵に推す奴らに取り込まれていたらしく、ある日いきなりいなくなった。……解雇されただけらしいが」
ヴォルフィは言葉を途切れさせると、窓の方へ目をやった。
その窓は離れの裏手に面しているので、見えるのは木ばかりだ。
「なあ、サツキ。伯爵のところ行って、王都でやることも片がついて、こっちに戻ってきたら俺ここで暮らしたい」
「んんっ?私はいいけど、ヴォルフィは平気なの?つらいこと思い出すなら無理する必要ないよ」
「……思ってたほど、つらくも悲しくもなかった。全く胸が痛まないってわけじゃないけど、『あぁ、そんなこともあったなぁ』って気持ちの方が強いんだ。なんでだろうな。あんなにつらくて苦しくてたまらなかったのに」
うん、うん、よかったね。それはヴォルフィがここを離れてから今に至るまで、いろんな人に出会っていろんな経験をしてきたからだよ。もうここがヴォルフィの世界の全てじゃないからだよ。ちゃんと過去を「過去」にできてるんだよ。
ってことを話しているうちに私の方がボロボロ泣けてきて、抱き締められながら頭を撫でられた。
そこはお前が慰めるところだろ、って思うでしょ?
でもね、私を抱き締めることで顔が見えないようにして、ヴォルフィもこっそり泣いてたよ。隠したいみたいだったから、気づいてないふりをしてたんだ。いつもの頼れるヴォルフィに戻れるまでこのままでいようね。
しばらくたってふたりとも涙が止まり、そろそろ夕食だし屋敷に戻ろうってダイニングルームに出てきたら、急にヴォルフィが扉の方を向いて警戒し出した。
「誰か来る。俺の前に出るな」
こんな時間のこんな場所に、誰だろう?
言われた通りヴォルフィの後ろに隠れて扉を窺っていると、控えめにノックされた。
「……開いてるぞ」
数秒の間があってからカチャリと扉が開き、そこに立っていたのは初老の女性だった。使用人のお仕着せを着ている。
「ああ、ヴォルフガング様……!こちらにお戻りになられたのですね!」
と言うなり泣きながら崩れ落ちる使用人の女性。
ヴォルフィは困惑した表情で立ち尽くしたままなので、慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「はい、はい。取り乱しまして申し訳ございません」
彼女はすぐに自分を取り戻すと、立ち上がって頭を下げた。
「ヴォルフガング様にもご婚約者様にも失礼をいたしまして、申し訳ございません。私はハンナと申します。ヴォルフガング様がこちらにお住まいの時分は厨房に詰めておりましたので、お食事のお世話をしておりました」
「!? ハンナか!? 気づかなくてすまなかった。頭を上げてくれ」
「ありがとうございます。僭越ながら、ヴォルフガング様が冒険者となられてからもこちらのお掃除をしておりまして、今もそのために参りました。てっきり別の者がお掃除に来ているだけと思ってしまい、お二方のお邪魔をいたしまして大変申し訳ございませんでした」
「いや、構わない。むしろ、ずっと気にかけてくれていて嬉しく思う。……ありがとう」
「過分なお言葉をありがとうございます。室内は私以外にもミーナとアンが、建物周りはディグがお手入れをしております」
「そうか!皆変わりないか?」
「ディグは……怪我をいたしまして騎士団を退き、今は庭師をしております」
「そう……か。明朝には旅に出てしまうが、帰還したら顔を見せてくれと皆に伝えてほしい。頼めるか?」
「承知いたしました」
「それと、帰還後に父上の許しを得られたら、またここで暮らしたいと思っている。その時には力を貸してほしい」
「……!? はい、もちろんでございます!またヴォルフガング様にお仕えできることを心の底より嬉しく思います。どうぞご無事でお戻りくださいませ」
そう言って頭を下げると、ハンナさんは離れから出て行った。
「ごめん、サツキ。こっちだけで話をしてしまって」
「ううん、いいよ。……気にかけてくれてる人がたくさんいて、よかったね」
「……ああ」
さっきの話に出てきた使用人さんのことを、屋敷に戻りながら教えてもらった。
ハンナさんは屋敷から食事を持ってきたり片付けたりしていて、子どものヴォルフィに食べやすいように食事をアレンジしたりもしていたそうだ。
ミーナさんとアンさんは洗濯や掃除をしていた使用人さん。
ディグさんというのは、ヴォルフィに冒険者の心得を教えてくれた騎士さんだそうだ。怪我をして引退したという話を聞いた後だから、ディグさんの話をするヴォルフィは少し複雑そうだった。
「帰ってきたらみんなと会って、それから離れを暮らしやすくしないとね。家具はあのままがいい?変えるなら私の収納スキルでサクッと入れ替えよう」
私がわざと明るく言うと、ヴォルフィも「そうだな」って笑ってくれた。
誰も味方がいないって思ってた過去を、少しずつ幸せな今で塗り直していけたらいいなって思う。そしたらきっと、未来も明るいって信じられるよね。
翌朝はまだ暗いうちに起こされ、ここへ来るときに着ていた冒険者っぽい服装に着替えた。
屋敷の前には家紋入りの馬車が止まっていて、護衛の騎士3人とメアリも既に準備万端で待っていた。
わざわざ侯爵とお兄さんたちまで出てきて見送ってくれたのは、家族らしくしようっていう気持ちの表れなんだと思う。
「ヴォルフ、サツキ殿、王都で無事に会えることを願っているぞ」
「はい、父上」
「行ってまいります」
こうして始まった王国東端への旅。
私はこの旅の中で、もう一つの「運命の出会い」を果たすのだった。




