side巻き込まれ薬師【22】
「はあ……」
ひとりサロンに残され待つこと、体感では30分ほど。
ため息が止まらない。
ちなみにこの世界に時計はない。各領主が水時計や日時計を持っていて、一刻(2時間)ごとに鐘を鳴らして時間を知らせる。
日本の江戸時代と同じように日の出から日の入りを6等分したのが一刻なんだけど、日本と違って季節ごとに日の出や日の入りの時間が変わるわけではないので、一刻の時間は一定なのだ。
時計ってどうやって作るんだろうか。一応、こういうのがあったってだけ提案してみようか。
緊張を紛らわせるために関係ないことを考えて逃避しているわけなんだけど、全身の変な汗は止まらない。
侯爵との話し合いはどうなってるんだろう……。
「はあ……」
何度目かわからないため息をついた時、近づいてくる執事さんが視界に入った。
「サツキ様、旦那様がお呼びでございます」
いよいよか。
緊張に緊張が重なって、変な汗が吹き出してきた。
すっかり冷め切ったお茶をぐいっと飲み干して立ち上がり、執事さんに続いて廊下を進む。
昨日も来た執務室に着くと執事さんが私の来訪を告げ、「入れ」との返事を聞いて扉を開けてくれる。
「失礼します」
私は一礼してから室内に踏み入った。
侯爵とヴォルフィさん、そしてなぜかベルンハルトさんもいる。
部屋の空気はそこまで張り詰めてないように思う。……たぶん。
侯爵に座るよう促され、ヴォルフィさんが自分の隣を示したのでそこに座った。
「さて、サツキ殿。ヴォルフから話は聞いたが、まだ私の見解は述べていない。サツキ殿にも関わることだから来てもらった。よいかな?」
「はい」
唾をごくりと飲み込む。
無意識に手をきつく握っていたところに、横から手が伸びてきて重ね合わされた。ヴォルフィさんを見ると、彼も緊張した面持ちで私を見ていた。どちらからともなく頷きあって侯爵に向き合う。
「ヴォルフの意志は、侯爵家へ戻ること、それからサツキ殿を妻に迎えることだ。サツキ殿が昨日希望していた内容と異なってくるがよいのか?」
「構いません。もともと薬師や冒険者は、知らない世界でひとりで生きていく手段として考えていたことです。ヴォルフガング様が私を望んでくださることは嬉しく思いますし、私も同じ気持ちです」
「そうか……」
侯爵は少し思案する顔をしてから、ベルンハルトさんをチラリと見た。
「ベルンからもふたりの関係を認めるよう進言があった。そうだな?」
「はい、父上。サツキ殿の価値は今の所未知数です。それなら繋ぎ止めておく方がいいでしょう。もし当家に仇なすとわかればその時に切り捨てればいいんですから。繋ぎ止めておく方法として婚約するのも妥当なところでしょう」
「……本心を言いなさい」
「ふはっ。本当のところはカンです。そうする方が面白いことになると思いますよ」
なにが楽しいのかベルンハルトさんはクスクス笑っていて、それを眺める侯爵は微妙な表情をしている。
ヴォルフィさんをチラ見すると、困惑した表情でベルンハルトさんを見ていた。
ややカオスな空気になってきたところで、それを打ち消すように侯爵が咳払いをした。
「わかった。まずヴォルフとサツキ殿の婚約は認めよう。ただし、サツキ殿が当家に迎えるにふさわしいとわかるまでは、婚姻は認めん。ふさわしくないとなれば、当然ながら解消もありうる。よいな?」
「はい」
「ひとまず猶予は1年とする。その間にヴォルフが責任を持って、サツキ殿を貴族にしてみせよ」
「はい!ありがとうございます!」
思わずヴォルフィさんと見つめ合う。
よかった。
とりあえずスタートラインには立つことができた。
「サツキ殿のスキルもヴォルフが教えることを認めるが、別の講師を手配するべきだと思ったらすぐにそうしなさい」
「はい」
「それから、できるだけ早く冒険者資格を返してきなさい」
「っ、……はい」
ヴォルフィさんはものすごくつらそうな表情を浮かべたけど、全てを飲み込むように頷いた。侯爵は「けじめをつけろ」と言いたいのだろう。
「おいおいヴォルフにも仕事を与えていくことになるが、まずは婚約者をきっちりサポートしてあげなさい」
「はい」
ひと段落した空気になったところで、ベルンハルトさんが口を開いた。
「父上、いいですか?」
「なんだ?」
「魔道具開発と販売の補佐にコンスタンツェ嬢を呼びたいのですが、よろしいですか?それに、サツキ殿に貴族女性の教育を施す人間も必要でしょう。コンスタンツェ嬢なら間違いないかと」
「ふむ、そうだな。先方には私から連絡しておこう。……お前とアルビーの婚姻についても予定を早めねばならんだろうな」
「私はいつでも構いません」
誰の話をしてるんだろうと思っていたら、ヴォルフィさんがこっそりと「ベルン兄上の婚約者だよ」と教えてくれた。
おお、未来の義姉かもしれない人か……。
貴族女性の教育ってあれだよね、マナーとか教養とかそういうやつだよね。
うわぁ、不安しかない。
「サツキ殿、コンスタンツェ嬢は子爵家の令嬢でね、要するに高位貴族の生まれではないんだ。私の婚約者に決まって高位貴族の教育を受けて習得した女性だから、生粋の高位貴族に教わるよりはいいと思うよ」
「なるほど。ご配慮ありがとうございます」
「それに、たぶんふたりは気が合うと思うから」
ベルンハルトさんがまたひとりで楽しそうに笑い出したので、どんな人なのか気になるけどそれ以上質問する気が失せてしまった。
すぐに私とヴォルフィさんの婚約の手続きのため、公証人の手配が行われた。今日中に公証人が必要書類を持ってくるらしい。
それから、私のスキルを念のため神官に鑑定してもらうことになり、神殿にも使いが出された。こちらは明日になるそうだ。
私たち3人が退室するのと入れ替わりに、アルブレヒトさんが入っていった。
「ねえ、魔道具の打ち合わせしたいんだけど。昨日できてないし。それに他にも聞きたいことあるでしょう?」
執務室を出るなりベルンハルトさんにそう言われ、サロンに移動してお茶を飲みながら話すことになった。
「ベルンハルト様は私たちの援護射撃のために来てくださってたんですか?」
「まあ、それが半分で、あとの半分はコンスタンツェ嬢を呼ぶための口実に使いたかったからだね」
さっきから気になってたことを聞いてみると、予想外の理由だった。
「コンスタンツェ嬢は優秀だから是非とも魔道具に関わってほしいんだけど、婚前から同居するのはあまり外聞がよくないからね。呼び寄せるための理由は多い方がいいんだ」
なるほど。
私の教育係も兼ねている方が都合がいいから、私を教育係が必要な立場に持っていきたかったということか。
「それに兄上の婚約者よりコンスタンツェ嬢の方が気が合うと思ったのは本当だよ」
「アルブレヒト様の婚約者……」
次期侯爵だし婚約者がいるのは当然だけど……。
「あのう、この国の適齢期はよくわかってないんですけど、アルブレヒト様がまだ未婚なのって遅くないですか?」
ヴォルフィさんが19歳ならアルブレヒトさんは20代半ばか後半だろう。イメージ的にこの国の人はもっと早く結婚してそうなんだけど。特に貴族は。
「うん、遅いね。まあちょっと事情があって、兄上や僕の年代って高位貴族はなぜか男ばっかりだったんだよね。同年代と、少し下の年代もかな。男爵や子爵には娘がいたから伯爵位までの長子と、僕みたいな次男以下は同年代で相手を見つけられたけど兄上はそうもいかなくてね。国外まで候補を広げたりもしたけど、結局ずいぶん年下の侯爵令嬢が婚約者になったんだ。今年でようやく15歳かな」
「……15歳」
私の約半分じゃないですか!?
それが……義姉……ですか……。
確かに性格以前にそんな年下に教わるのって精神的に無理かも……。
「そろそろ婚姻の話が本格的になる頃ではあるけど、さっきの父上の雰囲気だとかなり早めに進めそうだね。なんてったって次男と三男がふたりとも婚約者を連れ込むんだからね」
またベルンハルトさんは楽しそうに笑い出した。この人のツボは理解不能だわ。
「真面目な話、コンスタンツェ嬢をかなり待たせてはいるからね。彼女は僕の2つ下なんだ。兄上の方が進まないなら僕の結婚を先にしてほしいと願い出ることも考えてはいたけど、そこにヴォルフとサツキ殿だ。後に2組もつかえていたらとりあえず婚姻は急ぐだろう。すぐに夫婦関係を持つかどうかは、まあ僕たちには関係ないしね」
関係ないのか……?
後継者に関わってくるから関係ないとは言えない気がしたけど、つっこむのが面倒で黙っておいた。私が子どもを持つ気がないことは言いたくないので、深掘りしたくないのもあるし。
ヴォルフィさんもずっと微妙な表情で沈黙を守っている。
「そろそろ本題に入ろうか。魔道具開発の話を進めよう」
ベルンハルトさんの表情が真面目なものに変わったので、私も気持ちを引き締めた。




