side巻き込まれ薬師【18】
「……俺は、母上の顔を知らない。ものごごろついたときに側にいた女性は、母ではなく使用人だと言われた。別邸で静養していると知ってからも、決して会ってはいけないと言われていた。姉上とは行事の際には顔を合わせてはいたが、俺に近づけないように兄上たちが姉上を囲んでいた。だから俺は姉上に睨まれながら、みんなと離れて一人でいた」
「……うん」
「父上や兄上たちは離れにいる俺に会いに来てはくれたが、いつも一人で離れた場所にいなければならない俺は、だんだんとここにいてはいけないんじゃないかと思うようになった」
「……うん」
「騎士に稽古をつけてもらうようになって離れと鍛錬場を行き来していると、たまに知らない大人が話しかけてくるようになった。そいつらはみんな揃って『本来なら侯爵を継ぐべき方がこのように追いやられておいたわしい。私はその辛さをわかっております』みたいなことを言うんだ。当時の俺は意味がわからなくてただただ不気味で、誰にも言うことができなかった。最終的にたまたま見かけた騎士が父上に報告したらしく、そいつらに会うことはなくなった。そいつらは俺が銀髪だから、それだけで俺が侯爵を継ぐべきだと思っていたそうだ」
「……うん」
「それがあってから、ますます俺はここにいてはいけないと思うようになった。とはいえ、出ていく先もないからどうしようもなく、日々思い悩むだけだった。そんな俺を見かねた騎士のひとりが、『自分は冒険者上がりだから、冒険者になるのに必要なことなら教えられる』とこっそり冒険者の戦い方なんかを教えてくれえるようになった。『出ていかなくて済むならそれが1番いいが、選択肢があるというだけで気が楽になるものだから』と言っていた」
「……うん」
「その頃には、俺の将来はどこかで職を見つけるか息子のいない貴族家への婿入りになるだろうということは知っていた。俺にとって貴族の女性といえば姉上のイメージだし、婿入りは嫌だった。後で知った話だが、俺のせいで侯爵家はゴタゴタしたって噂が広まっていて、俺の存在は社交界では腫れ物に近かったらしいから、まともな婿入り先が見つかったかどうかも怪しいが」
「……うん」
「冒険者についてある程度教わり、なんとかやっていけるだろうと感じた時に、俺は冒険者になることに決めた。職を見つけなければいけないなら冒険者でいいだろうと思って父上に相談したら、了承はしてもらえたが、貴族籍は残しておいてたまに顔を出せと言われた。俺は言われるままに、元冒険者の騎士に装備を見繕ってもらって家を出て、他領の冒険者ギルドに行った」
「……うん」
「冒険者になるのに身元は問われない。俺も姓を出さずに登録し、初心者向けの依頼をこなしていった。多少の金は持たされていたから、生活することより腕を磨くことを優先できた。ただ、俺の髪色はどうしても目立つ。ほぼ貴族にしかいない色だからすぐに噂になり、遠巻きにする者と貴族なら取り入りたい者に二極化した。お遊び気分の貴族なのか、トラブルを抱えた貴族なのか、いつまで続くかなんかで賭けの対象にもなっていたらしい。パーティを組む気はなかったからそれはまあいいが、俺の出身がアイゼルバウアー侯爵家らしいという噂が広がり始めたから俺はそこを離れた」
「……うん」
「それからはあちこちの領地を短期間で転々としていたが、王国の東の端にあるシュナイツァー伯爵領には世話になった。シュナイツァー伯爵領は隣国との境に当たる険しい山脈に接していて、凶暴な魔獣が出没する。だから伯爵は徹底的な実力主義者で合理主義者だ。伯爵領の騎士団は平民出身でも部隊長を務めているし、実力があれば冒険者も歓迎される。逆に貴族であっても役に立たなければ切り捨てられるから、そこで成功するということは実力があるという証拠になる。俺はそこで伯爵の推薦をもらってAランクまで上がることができた。俺の『銀狼』という通り名も伯爵がつけたものだ。恥ずかしいから断ったが、勝手に広められていた。でもシュナイツァー伯爵に認められていると広まったことで、俺はようやくまともに冒険者ができるようになった」
「それは、いい出会いだったね」
半分独り言のように話しているからかヴォルフィさんは敬語じゃなくなっていて、私もそれにつられていた。
「その後もあちこちを転々とするのは変わらなかったが、周りが俺をきちんと冒険者として扱うようになったからだいぶやりやすかった」
「……うん」
「それでも、それでもだ。俺はどうしても疎外感を拭い去ることができなかった。『冒険者』になったというのに冒険者たちの『仲間』にはなれなかった」
「……うん」
「家を出ても顔を出せとは言われていたけど、俺は1度も帰っていなかった。姉上に会うのも嫌だったし、不甲斐ない姿を見せたくなかったんだ。Aランクになった後にモンテス子爵領で依頼をこなすことがあって、久しぶりにここに帰ってきた。タイミングがいいのか悪いのか、ちょうど上の兄の婚約が整って相手が来ている時だった。その時の俺以外の家族はみんな『貴族』で、俺は服だけ着替えてももう同じじゃないんだって思った。俺はここでも異物なんだって思った」
「……うん」
やっぱり私が想像してた通り、ヴォルフィさんはどっちの世界にも居場所を感じられなくて苦しんでいた。
私にはそれが自分のことのように辛くて、思わずヴォルフィさんの頭を抱くのに力を込めた。
「その時に俺は家を完全に出るべきなんだと思った。冒険者としても異質だけど、依頼さえこなせれば生きていける。でも、ここには俺が役立つことなんてないって思った。だけど、どうしてもそれが寂しくて言い出せず、父上も何も言わないのをいいことにそのままにしていた。姉上が嫁いでからは顔も出しやすくなって、ずるずるとここまで来てしまった」
「……うん」
ヴォルフィさんの肩が震えている。
「俺は……戻りたくても戻ったらダメなんだ。邪魔なんだ。足を引っ張って役に立たない……!」
嗚咽まじりの血を吐くような言葉に、私の目からも涙が溢れた。
話を遮らないようにしてたけど、我慢できなくて抱えている頭を撫でながら優しく語りかけた。
「お姉さんはヴォルフィさんに家族を奪られたって思ってるんだろうけど、ヴォルフィさんからしたらお姉さんにこそ奪られたんだよね。お父さんともお兄さんとも離れて暮らさなきゃいけなくて、たまの集まりではみんなでお姉さんを囲んでて、それを遠くから見てなきゃいけなくて。それがヴォルフィさんを守るためだったとしても、寂しいよね。お姉さんがいなくなってやっと帰ってこれるようになったけど、そこまでにかかった時間が距離を広げちゃったんだよね。ひとりで今までよくがんばったね」
ヴォルフィさんは返事をする代わりに私の背中に両腕を回した。
お兄さんの前でやたら犬っぽいというか子どもっぽかったのは、ヴォルフィさんの中の癒されていない子どもの部分がそうさせてたんじゃないかと思う。
「戻りたいなら戻ろう。侯爵様も戻ってきていいって言ってたんだから、戻っていいんだよ。それで、ヴォルフィさんに向いてる役割を一緒に見つけよう。それでもどうしても合わないって思ったら、私が初心者冒険者やる時にお守りをしてよ。一緒に他国に行ってもいいんでしょう?」
それは私が不安がっていた時にヴォルフィさんが言ってくれたことだ。
そうならないに越したことはないけど、昔のヴォルフィさんが言われた通り、選択肢があるだけで気が楽になるものだからね。
「冒険者はさ、実力さえあれば大丈夫なんでしょ。だったらおうちに戻って、それでもやっぱり向いてないダメだって思ってからまたやるのでもいいんじゃないの?さっきお兄さんが言ってた『何かを選ぶことは他の全てを捨てること』ってのも真実だと思うけど、残しておける逃げ道は置いておいていいと思うよ」
私の腕の中でだんだんヴォルフィさんが落ち着いていくのを感じた。
しばらく無言のまま頭を撫で続けていたら、ヴォルフィさんが微かに身じろぎした。
「サツキさん、ありがとうございます。今夜一晩考えてみるので、明日父上に報告にいく前にまた聞いてくれませんか?」
「もちろん」
明日じゃなくてもいい気はするけど、本人がそうしたいならそれを尊重したい。
「それから、やっぱりサツキさんに剣や魔法を教えるのは俺がやりたいです」
「私もそれが嬉しいです」
私は人見知りではないけど、それでもやっぱり知らない人と接するのは気疲れする。
まあそれに、好きな人に教われるならそうしたいじゃないですか。




