side勇者【2】
本日2話目です。
俺は玄関の前にへたり込むと、その体勢のまま扉をノックした。もう一歩も動けない。
「はい」
閉じたままの扉の向こうから女性の声で返事があった。よかった、留守じゃない!
「すみません!助けてください!もう動けないんです!」
疲労困憊の俺は必死に叫んだ。
細く扉が開き、女性の姿が見えた。黒目に黒髪で、村人たちとは違う日本人的な顔がそこにあった。
女性は俺の姿を見て、目を見開いて驚いている。
「日本人なんですよね?麓の村でサツキさんって人がいるって聞きました。あなたなんですよね?俺も日本人で、さっきこの辺にきたばかりなんです!」
俺はここぞとばかりに捲し立てた。失礼かどうかなんて構っていられない。
「……どうぞ」
女性が扉を開けてくれた。助かった!!
「ありがとうございます!」
半ば這いずるようにして中に入る。
「そのマットのところで靴を脱いでください」
日本人的な習慣に嬉しくなりながら、靴を脱ぐ。焦りすぎてうまく脱げない。
「ゆっくりで構いませんから」
どうにか靴を脱ぎ、敷いてあるラグに倒れ込んだ。
「助かったー。死ぬかと思ったー」
「お水置いておきますね」
ラグにはローテーブルが置いてあり、そこに水を持ってきてくれたようだ。俺は突っ伏したまま「あざーす」と返す。
このまま寝てしまえるぐらい疲れきっているが、喉もカラカラだ。
ローテーブルを支えに体を起こして、コップの水を飲む。ビンも一緒に置いてあったので、2杯3杯と続けて飲んだ。
「もう少ししたら夕飯の用意をしますが、食べれますか?」
「食べれます!お願いします!」
ようやく人心地がついた俺は改めて向かいに座った女性を見た。
肩あたりで切りそろえた黒髪に黒い目。たぶん俺より年上な気がする。真面目でおとなしそうな雰囲気だ。
「私は後藤彩月です。3年ほど前に転移してきて、薬師のようなことをやっています」
「俺は山本敦史です。今朝、目が覚めたら森の中にいました。この山の麓の村にどうにかたどり着いたら、『サツキさんに似てる』って言われて、聞いた名前も日本人っぽかったので同じ転移者じゃないかと思って訪ねてきました」
「そうでしたか。村に行ったんですね……」
サツキさんが転移してきたのは結構前だ。それならこの世界のことも詳しそうだし、勇者についても知ってそうだからいろいろ教えてもらえるだろう。よかったー!
「一応聞きますけど、日本には戻れない感じですか?」
「そうですね……。戻る方法はないと言われています……」
「やっぱり、そうなんですね」
サツキさんは言いづらそうな表情をしているが、俺はそこまで日本に執着はない。たいして給料のもらえないサラリーマンを永遠にやるより、勇者の方がワクワクする冒険が待ってそうだもんな!
「麓の村では村長さんにも会いましたか?」
「会いました。それで、明日領主のところに連れて行かれるんですけど、その前にこの世界のことを聞いておきたくてお邪魔しました」
「そうですか……」
サツキさんは少し困ったような顔をして考え込んだ。何か不味かっただろうか。
俺が続きを話そうとするのをサツキさんは手で制すると、
「先に食事の用意をしますね。続きは食べながらにしましょう。だいぶお疲れのようですし、明日はかなり早い時間の出発になりますし」
と言ってキッチンに立った。
待ってるだけの俺は、ぼんやりと家の中を見てみた。
玄関から見て右手の壁には暖炉があり、煌々と火が燃えているおかげで室内は暖かい。板張りの床の上に分厚い絨毯とラグを重ね、ローテーブルが置いてある。テーブルから少し離してソファも置いてあった。
部屋の奥には扉があるので、別の部屋もあるようだ。
暖炉の向かい側はカウンタータイプのキッチンになっていて、横に廊下があり奥へ繋がっていた。
この世界の住宅事情はよくわからないが、山の中にあるにしては大きな家に思える。
サツキさんは手際良く作業をしており、鍋からいい匂いが漂ってきている。
疲れと部屋の暖かさで俺がウトウトし始めた時、突然玄関がノックされて目が覚めた。それもドンドンドンと激しく叩かれている。
サツキさんがパタパタと玄関に近づくと、
「俺だ。サツキ、大丈夫か!?」
と男の声がした。
誰だろう。何かあったのだろうか。
サツキさんが扉を開けると、険しい顔をした男が立っていた。
美しい銀髪を短く刈り込み、強い意志を感じさせる緑色の瞳をしている。身長は俺より高くて、細身ながら鍛えているのが見てわかる。銀色の狼を思わせるような男だ。サツキさんの恋人かなにかかな。だとしたら、かなりいい男を捕まえていると思う。
その狼のような男は家の中にいる俺に気づくと、射殺さんばかりの眼差しで睨んでくる。物凄く怖い。圧迫感で勝手に体が震え出す。
「ヴォルフィ、落ち着いて。その人は本当に私と同じところから来た人で、話をしてただけだから、そんなに殺気を向けないで」
「だからと言って、一人暮らしの女性の家に平気で上がり込むとか、どんな神経だ」
「ヴォルフィ、この人のことをどうして知ってるの?」
「村から知らせが来た。サツキと同郷らしき男が現れて、村長の家に泊まるように言ったが聞かず、サツキの家に向かったと。本当になんともないんだな?」
「うん、大丈夫。とりあえず上がって」
ヴォルフィと呼ばれた男はそれを聞いて殺気を向けるのをやめたようで、圧迫感が消えた。俺は無意識に息を止めていたようだ。深呼吸して気持ちを落ち着ける。チビらなくてよかった……。
男が家の中に入るときに、小さな声でサツキさんに「どっちだ?」と聞いていた。どっちって、なんのことだろうか?サツキさんは男の体で隠れてしまっていたので、なんと答えたのかはわからなかった。
そのままサツキさんはキッチンに戻り、男は腰の剣を外して、俺とサツキさんの間になる位置に座った。剣は抱えたままで、俺に警戒するような視線を向けてくる。何か変なことをしたらすぐに切り捨てる、と言われているかのようだ。何もしないって。
「俺はヴォルフガング、冒険者だ。なぜ村長の家にとどまらずここへ押しかけたんだ?」
「俺はヤマモトアツシです。なんでって、俺は今朝この世界に来たばっかりでなにもわかりません。そこに、俺より先に転移してきた人がいるって聞いたんで、いろいろ教えてもらいたいと思って……」
俺の返事を聞いたヴォルフガングは大きなため息をついた。
「だからと言って、女性の家に夕暮れに訪れる必要はないだろう。それとも、下心があってわざとやっているのか?」
ヴォルフガングの威圧感が一気に増した。
「違いますって!そんなつもりはないですって!確かに悪いなとは思いましたけど、なんにもわからないのが不安で不安で仕方がなかったんです!」
俺が焦って説明すると威圧感は消えた。
この人はこの世界の人だから、いきなり違う世界に飛ばされた俺やサツキさんの気持ちはわからないんだろうな。
それに、正直サツキさんは俺の好みじゃない。ああいう真面目で、一人で生きていけそうな人は苦手だし、俺が勤めてた会社の口うるさい先輩に雰囲気が似てる。俺はもっとにこにこしてて、俺を楽しい気持ちにさせてくれる女の子が好きだ。
だから本当になにもする気はない。そりゃあ向こうから望んでくるなら話は別だけどさ、そういう火遊びとかできなそうだし。恋人がいるなら尚更だ。
「明日、領主のところへ向かうと聞いている。村から領都までは馬車で半日はかかる。できるだけ早く出発できるように、夜明け前にはここを出るぞ」
「え、早っ」
何時に起きなきゃいけないんですか。こんなに疲れてるのに……。
「領主様へ知らせは行ってるの?」
いつの間にか夕飯ができていたらしく、木の腕をテーブルに並べながらサツキさんがヴォルフガングに聞いている。
「鳥を飛ばしたそうだから、もう伝わってるだろう」
「そう、よかった」
ヴォルフガングも手伝って、テーブルに夕飯が並べられた。
なんかいろいろ具が入ったスープと黒いパンだ。暖炉で炙っていたチーズをサツキさんがパンに乗せてくれる。
これがこの世界の普通の食事だとしたら、かなり残念だ。サツキさんは日本食を再現とか考えなかったのかな。まあ、もともと料理が好きじゃないのかもしれない。
サツキさんが「いただきます」と言って食べ始めたので、俺も口をつける。
スープはいろんな野菜と肉?なんかふやけたビーフジャーキーみたいなのが入ってる。出汁はいい感じに出てるので飲めるけど、野菜が食べたことない風味がして正直苦手だ。
チーズはおいしいけど、パンは日本で食べてたのより硬くて酸味がある。腐ってるんじゃないのかって思ったけど、サツキさんもヴォルフガングも平気で食べてるからそういう味のパンのようだ。
食生活は不安になるな……。こんなことならもっと料理をしておくんだった。
空腹のおかげでどうにか食べ切ったところで、サツキさんがお茶を出してくれた。ハーブティーっていうんだろうか。これまた独特の風味があってあんまり美味しくない。
「サツキ、ポーションと薬の製作はどうなってる?まだ足りてないなら明日は俺だけでこいつを連れて行くが」
「納品分は足りてるかな。ヴォルフィに渡す分のポーションを作ろうとしてるところだったから、それだけちょっと待ってくれる?」
「手持ちはまだあるから急がなくていい。じゃあ明日はサツキも一緒に行くんだな?」
「そうだね、そのほうがいいと思うし」
ぜひお願いしたい。この男と二人なんて嫌すぎる。平気で俺を置き去りにしていきそうだし。俺は勇者なのに。
「じゃあこの世界のことを簡単に説明しますね。
ここはオーレンシア王国のモンテス子爵領です。領地のほとんどが森と山で、冒険者を誘致しての採取や討伐がメイン産業になっています。小規模なダンジョンもあるので、腕を上げたい初心者から中堅冒険者が主に滞在しています。
この世界は、いわゆる中世ヨーロッパ風な世界で、魔法があって科学はありません。魔法は、生活魔法は大体の人が使えます。魔道具もだんだん普及してきてはいますが、日本との違いに慣れるまで戸惑うことも多いと思います」
サツキさんはぼかして説明してるけど、かなり遅れた世界みたいだ。さっきも「馬車」とか言ってたし。トイレとかお風呂とかどうなってることやら……。あ、でも先に肝心なことを聞いとかないと。
「俺、勇者なんですけど、魔王とかいるんですか?なにと戦うんですかね?」
俺が「勇者」と言った瞬間、サツキさんがピクリと反応して表情が一気に曇った。そんなサツキさんをヴォルフガングが心配そうに見つめている。どうしたんだろ?
「勇者ですか……」
そう言ったきり、サツキさんは何かを考え込むように黙ってしまった。もしもーし。ここが一番重要なところなんですけど!
「災厄が起こる時に合わせて、勇者と聖女が降臨すると言われている」
見かねたヴォルフガングがため息をつきながら続きを説明しはじめた。
「災厄がなんなのかはその時によってまちまちのようだ。100年単位で起こることだから断片的な伝承しか残ってないが、魔獣の大発生であったり天変地異、疫病などが記録されている」
んんっ?天変地異?疫病?それも俺がどうにかするの?無理じゃない?てか、聖女もいるのか?ってことは他の転移者だよな。
「異常というほどではないが、確かに魔獣は増えているようだから、今回の災厄は魔獣の大発生かもしれないな……」
ヴォルフガングも難しい顔をしている。でも魔獣なら勇者として活躍できそうでよかった。大地震をなんとかしろと言われてもどうしようもないし。
「勇者なら王城へも知らせないといけないし、アイゼルバウアー侯爵にも立ち合っていただかないと」
「おそらくもう侯爵へ知らせは行っているだろうから、王城への対応は任せておけばいいだろう。侯爵家の指示をモンテス子爵のところで待っていればいい。不必要にサツキが巻き込まれないようにしてくれるはずだ」
ようやく自分の世界から戻ってきたサツキさんとヴォルフガングがなんか相談してるけど、話に入れない。アイゼルバウアー侯爵って誰ですか?
「聖女ってサツキさんですか?」
俺が無理矢理挟んだ質問に、サツキさんはこれまで以上に険しい顔をして、硬い声で「違います」と答えた。なんとも居た堪れない空気になってしまった。
「今日はここまでにしよう。明日は早いからもう寝た方がいい。俺は彼と外の風呂を使ってくる」
その空気を無理矢理断ち切るようにヴォルフガングが話を終わらせた。
外の風呂?露天風呂??
サツキさんが渡してくれたタオルに石鹸、着替えを持ってヴォルフガングと外に出る。この家以外には灯りひとつないようで真っ暗だ。なんか不気味な鳴き声が遠くから聞こえてくる。
家の隣の小屋に入ると、浴槽がボンと置いてあるだけの風呂場になっていた。水道らしきものはない。まさか水汲みからやるのか?
と思っていたら、ヴォルフガングが浴槽の一角に触れると、お湯が勝手に湧き出てきた。魔法か?
「これ、どうなってるんですか?」
「湯の出る魔道具が設置してある。これだ」
指を指されたところを見てみると、透明な石みたいなのが浴槽の内側に貼り付いていて、そこからお湯が出てる。このぐらいの技術はあるらしい。
「領主のところに行く時にはその服を来ていた方がいい。洗濯してくるから脱いで貸してくれ」
こいつに洗われるのは抵抗があるが、絶対に洗濯機なんてないに決まってるから自分で洗うのはめんどくさい。一瞬の逡巡の後、洗ってもらうことにして素直に脱いだ服を渡した。
シャワーもないので頭や体を流すのも大変だったが、さっぱりして外へ出る。サツキさんに渡された服はヴォルフガングのものなのだろう、袖も裾も長くてめくらないといけなかった。
洗濯してきたらしきヴォルフガングが入れ替わりで風呂へ入ったので、俺はサツキさんの家に戻った。俺の服が吊るされている。暖炉の火はだいぶ弱めてあるが、乾きやすい化繊の服だから明日には着られるだろう。
ローテーブルが部屋の隅にどけられていて、毛皮とか布みたいなのがたくさん置いてあった。これを着て寝ろということのようだ。
サツキさんも湯上がりらしくさっぱりした雰囲気でキッチンに立っている。さっきの風呂とは別の風呂もあるのか。
ヴォルフガングが戻ってくると、サツキさんは奥の扉を開けて引っ込んでいった。あそこが寝室らしい。俺とヴォルフガングは毛皮なんかを分け合って、居間で横になった。ラグは敷いてあるものの、フカフカのベッドが恋しい。そう思っているうちに、疲れ果てていた俺は眠りに落ちていった。
ご覧いただきありがとうございます。
明日からは1日1話ずつのペースで更新していこうと思います。ストックが尽きるまでは……。