7 Χίμαιρα《キマイラ》
―――とある秘書官のメモ
「侵略者から故郷を取り戻す為、強化人間を作り送り込む事が議会で決定した。重力に負けない骨を、筋肉を! そんな中、月裏研究所から提案があった。『ただ人間を強化するだけでは芸が無い。神話の生き物を生み出し送り込みましょう』月裏の狂人達と鋏は使いようだ。この件は月裏研究所に一任することに決定した。問題が起れば奴らをスケープゴートにする。ただそれだけだ」
◇ ◇ ◇
旧世界の神話やお伽噺に出てくる半人半鳥の怪物、ハルピュイア。
鷹のようなブラウンとホワイトのカラーリングの翼と羽毛を持つ彼女は俺達を睨みながら言い放つ。
「発信機は壊すなって言われてたわよね? アンタたちがユミルのパーツを見つけたのは知っているの。死にたくなければ寄越しなさい」
モンスターみたいに話が通じないと思いきや会話はできるのか。だが、これって……最初からこのように強奪して取引するつもりが無かったのか? だとしたら卑怯な奴等だ。ウルドはいつもの妖しい笑みを浮かべ、おっとりと答える。
「残念だけど……何のこと?」
「しらばっくれないで!? そのダサい帽子……」
なかなか酷い言い草だ。あいつ気に入ってるのに。ウルドはキャップを脱ぐと残念そうに見つめた。彼女も気に入っていたのかもしれない……彼女は俺にそれを預けた。
「これは借りただけよ? 持ち主はココにいないわ。 あなた、主から頼まれたお遣いも出来ないなんてダメじゃない! ねぇ、聞こえてるんでしょ? こんな奴に渡せないから薬と同時交換以外は認めないわ。それが嫌なら【モイライ】って奴らもパーツを集めてるから彼らに売るわ♪」
「あんた! 何勝手に話してるの……え? 取引相手は女じゃ無いんですか? でも言われたキャップを緑髪の女と、茶髪で髪を結ってる男です……はい……それだけは……分かりましました」
誰かと通話しているみたいだった。
「お話は終わったかしら?」
ハルピュイアは怒りに震えている。彼女がすうっと息を吸った途端、ウルドは俺の耳を塞いだ。
ピィィィィィィィーーーーーーーイ!!!!!
大きな鳴き声が聞こえ大気がビリビリと揺れる。
耳がキンキンする!!
ウルドの目にノイズが走り、視界の端ではガラスが割れている。素で聞いていたら鼓膜の無事は保障されない。
「……と言う事で、あの子の鳴き声と鉤爪に気を付けて♪」
ウルドは笑いながらウインクして俺に注意して見せた。……少し遅かったな?
ハルピュイアはぜいぜいと肩で息をしているが、ウルドはどこ吹く風といった表情で立っている。それが気に障ったようだ。
「何でアンタ無事なのよ!? どうせ、聞こえてないかもしれないけど、お前らもダサキャップの本人も殺す!!」
ダサキャップ……。
俺は可愛いと思うな……このキャップ。
「―――らしいから、相手してくるわ。レンは物陰で休んでて?」
いかん!現実逃避したらまた怪我をするぞ。
俺はウルドに話しかけられて我に返り返事をした、
「わ、分かった……本当に大丈夫か? 一応、武器は持って来てるけど……」
「大丈夫。観客が居ないと演技に熱が入らないのよね」
「……? ああ……じゃぁ……」
俺はそう言いながら、広場の端へ捌けようとした。
「何余裕ぶっこいてんだよ!! お前もここで死ぬんだよ!!」
鉄柱から俺に向かい急降下してきた。鋭い鉤爪が迫ってくる。
防御しようと慌てて武器―――伸縮式の槍を伸ばして展開するが、肩の痛みで一息遅れた。痛みと衝撃を覚悟したが、それは俺に届かなかった。
奴との間にウルドが立ちはだかり、銃身で攻撃を受け止め跳ね返した。
「―――!」
「人の男に手を出さないでくれるかしら? 相手は私よ?」
人の男って……ウルドは冷たい声でハルピュイアを威嚇する。そして広場の中心に着地した彼女の元へ向かい、ウルドはかつかつと歩みを進めた。
またウルドに助けられてしまった……俺は唇を噛み、大人しく広場の端へ移動する。
「あんた何者!? 声も効かないしその怪力は!!」
「名乗る程の者ではないわ。さぁ舞台の始まりよ♪」
そう言ってウルドはハルピュイアの顔近くに蹴りをお見舞いするが、ひらりと避けられる。そして鉤爪がウルドを掠める。再びウルドが攻撃しては羽根を掠める、といった攻防が繰り広げられた。
クリティカルは出ないが、ウルドの戦いには余裕が有り安心感が有る。だが、銃を撃つ気配がない……防御に使う位で攻撃に転じない。
鉤爪がウルドの右腕を掠めた。パーカーと一緒にウルドの表皮が裂けて中の機械が見えていた。
「あーあ。今は資材も少ないから治すの大変なのに」
呆れた様なセリフを言うが、ウルドはハルピュイアを睨み見る。
やっと攻撃が当たり嬉しいのと、ウルドの正体を見破った彼女は笑いながら挑発する。
「ふ~ん、古っるいお人形だったのね。そんな不細工なシリコンの皮、私が綺麗に切り刻んでもっと美人にしてあげる!」
アンドロイドに向けて挑発している。無駄なのでは?
ウルドは無表情で彼女を見つめて言い放った。
「へぇ……あなた、重力6倍で胸垂れてるわよ。ああ、重力の所為じゃないか。失礼、元からね?」
ハルピュイアのこめかみに青筋が浮かぶ。え? ウルドさん??
怖っ……互いに挑発が効いてる。この口喧嘩に首を突っ込みたくない。
喧嘩の売買が成立した彼女達は再度動き出した。ウルドが彼女の懐に潜り込み顔に思いっきり打撃を入れて奴は吹っ飛ぶ。遺跡にぶつかりそうになり羽ばたいて鉄柱の上に避難した。
「レディの顔を狙うなんて……アンドロイドの癖に躾がなってないわね!このポンコツ!!」
「レディ? あなたこそ鳥の癖に汚い声で啼くのね。品良く囀りなさいよ」
「「はぁ??」」
二人とも口汚い。
血とオイルの熱が上った二人はまた激突する。
ウルドは奴の攻撃を細かく避けるが、それが悔しいハイルピュアは息を切らしながらも翼をばたつかせ鋭い爪で蹴りを繰り出す。奴の渾身の一撃がウルドを吹き飛ばした。
「その銃は玩具なの? あんたなんてこの爪でスクラップにしてあげ……」
―――ドンッ!!
ウルドが起き上がったと同時にレールガンを放ったのだ。
ハイルピュアの後方にある建物に命中したらしく弾痕が見え、遺跡内に音がこだまする。
本当に撃ちやがった……
驚いたのは奴も同じらしく、それをウルドは見逃さなかった。
思いっきり走り距離を詰める。空に逃げようとする奴の足を引っ張り地面に引きずり落とすと馬乗りになり胸に銃口を突きつける。これで勝負は決した。……が、いつもの魔女の微笑でハルピュイアに囁いた。
「弾、欲しいんでしょう? あげる♪」
「ひぃ……いや……助けて……ドナール様!!!」
命乞いも聞かずウルドは立ち上がり、躊躇なく引き金を引いた。
……嘘だろ?
―――ジュッ!!
その電流が流れる音と共に奴の体はビクリと跳ねた。そして動かなくなる。
「はい、お終い♪ じゃあ、また会いましょう? ドナール様ァ♪」
ウルドは彼女の首に銃を突きつけ構えていた。死体撃ち!? そこまでする必要はないだろ! 俺は慌て二人に駆け寄る。
「ダメだ! ウルド!! それ以上は!!!」
やめろ! 失望させないでくれ……
しかし無情にも引き金はひかれた。
―――バヂィ!!
そんな……
ウルドは満面の笑みで振り返り俺の方を見ると叫んだ。
「はいカット♪ いい演技だったわ」
「は? 何だよそれ……何したかわかってるのか? 死者に対する冒涜だぞ!?」
俺の怒りを受けてウルドは真顔になる。そして静かに尋ねた。
「月から侵略した怪物なのに、怒るのね?」
「当たり前だ! 命乞いだってしてただろ? 対話が出来そうだったのに……」
思わず全て吐き出してしまった。ウルドは、悲しそうな表情をして目を伏せた。
言ってしまった後に悔いた。安全な所から戦わず見ているだけの俺に、こんな事を言う権利なんて無かったのでは……静寂の中ウルドが口を開いた。
「聞こえてるかしら? 私、怒られちゃった」
誰に向かって……俺はウルドの視線の先を見るとハルピュイアと目が合った。その目は死人の目ではなく、生きて戸惑いに溢れていた。
「な……なぜ……殺さなかった……」
「だって……私、人間は殺せないもの」
「生きてる……ウルドどういう事だ? こいつは撃たれたんじゃ……」
ウルドはしゃがみ、ハルピュイアの首に巻かれていた首輪を取り外しながら説明した。
「この銃はスタンガンとしての機能も持っているから、彼女には電撃を喰らってもらったの。二発目はこの首輪を壊す為にね。二人ともいい具合に驚いてくれたから、この状況で信号が途絶えたら……ドナールさんもこの子は死んだと思うんじゃない?」
思わず膝の力が抜けてへたり込んでしまった。
良かった……ウルドが人を殺さなくて良かった……
「あら? 大丈夫……」
「ああ。ウルド、何も知らずに責めて悪かった……」
ウルドは驚いた顔を見せたが、その後ふんわりと優しく微笑み、俺に手を差し伸べた。
「素直な所は変わらないのね。いいのよ、私も二人を騙していたんですもの」
穏やかな彼女とは対照的に、痺れて動けなくてもハルピュイアは強がりを見せた。
「捕虜に……されるくらいなら……死ぬ!……殺せ!!」
「捕虜になんてしないわ。月裏に居る仲間か家族を盾にされたのでしょうけど、あなたの裏切りで誰かが死ぬことは無いわ」
「でも……私の代わりに……妹達が送り込まれる……」
何だよそれ……こいつらも弱みを握られながら戦っているのか?
ウルドはしゃがみこみ、真剣な眼差しで彼女に語りかけた。
「これは秘密なのだけど……今の月裏には宇宙船を新造する力はない、半年前の作戦も失敗と見なされて廃止に。作戦の責任のなすりつけ合いで忙しくなる。次、月からこの星に来るのはもう少し先、少なくともハルピュイアじゃない」
それを聞いて、ハルピュイアは目を丸くした。
「もう……ない……の?」
「そうよ。月には帰れないけど、もう何の柵も無いわ。あなたは自由よ。どうする? まだ正義のヒーローごっこ続ける?」
そう問われハルピュイアの目から涙が零れ落ちる。涙と一緒に言葉を絞り出す。
「もう、痛いのも……苦しいのも嫌……どうでもいいわ、月と地球の争いなんて」
その後ハイルピュアは涙を流し続けた。俺達は痺れて体が動かない彼女の傷の手当てをする。嗚咽がおさまり彼女が落ち着いた所でウルドが話しかける。
「骨折はしていないみたいだけど、他に痛い所は無い? しばらくすれば体は動く様になるわ。こんな遺跡の近くでも森が有って果物が成ってる。この時期なら餓死も凍死もしないわ」
「分かった。ありがとう……あんた名前は?」
「ウルド。あなたと同じ月裏で造られた神話よ。私は生きてないけどね」
「何よ、同郷だったの? 意味の無い戦いしてバカみたい……ウルドありがとう。沢山傷つけて悪かったわ……新人類あなたの名前は?」
「レンだ」
「レン……人みたいに扱ってくれてありがとう。研究所の連中よりいい奴ね。……私は森で大人しく余生を楽しむわ……これ以上情けない姿見られたくないから、行きなさいよ。大丈夫、地上の奴らは殺さないから」
「わかったわ。……ではいい余生を」
俺達はキャンプに戻るため彼女に背を向けて歩き出した
背後ではハルピュイアの泣きじやくる声が聞こえる。
「なぁ……月の怪物とはいえ放置でいいのか?」
「無益な殺生をしなければいいわ。彼等はこの重力下では長くない、それに宇宙放射線の影響で短命なの……。大人しく過ごしても順応する前に死んでしまう者が多いの。本人たちが一番分かってる」
「キマイラって一体何者なんだ?」
「彼らはこの星で適応する為に様々な生物の遺伝子を掛け合わせて作られた人造人間よ。それでもこの星に降り立って戦うのは辛いはず。可哀そうに」
「人間って! 人体実験なんて月では許されるのか?」
「もちろん許されてないわ。月の裏側に倫理は無いわ……月の裏側からは今後も厄災が生まれ続ける」
ウルドは立ち止まって手を握り締めた。青空に浮かぶ白い月を睨み憎々しく言い放つ。倫理の無い箱庭で造られ、戦う事を強いられた彼等も被害者なのかもしれない。一体月では何が起っているんだ……
「レンが月の裏側を心配する必要はないわ。それを解決する役者は決まっている。それに時期も今ではない。悔しいけどね……さあ、帰ってシュウに帽子を返しましょう」
悔しそうな顔でそう言って、彼女はまた歩き出した。
キャンプが終り街に戻った時、噂が流れた。森で歌う半人半鳥の美女。
月に向かい哀しい声で歌う彼女に見とれてしまったと。しかし、その噂は長くなかった。ただそれっきり。
以後、彼女の姿を見る物はいなかった。