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ベビーシッター

 昼下がりの午後。

 少女は強敵なモンスターと戦っていた。

 その相手は身体こそ小さいが、無尽蔵の体力と加減知らずの暴れっぷりで少女を困らせた。


「ぎゃははは!」

「こらっ! もう、ダメだってば!」


 少女の今日の相手は五才の男の子。輝くような金髪も、スベスベな肌も、何もかも泥だらけにした状態だ。

 炎天下の下、ようやく外遊びを終えて帰宅したというのに、男の子は泥まみれのまま家の中を走り回っている。


「へっへーん、つかまえてみろ!」


 少女が必死になって追いかけてくるのがよほど楽しいのか、机の下をくぐり抜けたり、イスに飛び乗ったり、やりたい放題だ。


「あぶないって! ……もうっ!」


 少女の年齢は十八歳。まだまだ世間的には若い年頃だが、五才児が相手となると話は変わってくる。

 自分が年老いたような感覚を覚えながらも、身体にむちを打ちながら男の子を追いかけた。


「つかまえた!」


 接戦のすえ、少女が先回りをして男の子を捕まえた。

 前回も使ったコースで逃げるのが分かっていた少女、モニカのほうが一枚うわてだった。


「はなせーっ!」


 暴れる男の子を肩に担ぎ、風呂場まで強制連行する。


「はい、負けたんだから大人しく入るっ」

「ちぇー」


 しぶしぶといった男の子の服を脱がし、壁が木目調の風呂場に立たせた。

 はしゃぐ男の子が白いタイルで滑る前に、素早くモニカも長い茶髪をまとめてポニーテルにすると、羽織っていた白シャツと靴下を脱ぎ、ボーダーのキャミソールとデニムのショートパンツ姿で風呂場に入った。


 かがんで男の子と同じ高さに目線を合わせると、シャワーで泥を流し、泡立てたスポンジで丁寧に体を洗ってあげた。


 一体、この小さな体のどこにあれほどの力が秘められているのか、モニカはふしぎだった。


「くらえ!」

「きゃっ!」


 男の子はいつの間にか手に溜めていた泡のかたまりをモニカの顔面に向かって投げつけた。


「ぎゃははは!」


 そのすきに全裸でドタドタと風呂場から脱出した男の子。


「……」


 泡が顔から落ちるまで、モニカは一歩も動けず放心状態だった。

 子供の相手なんかよりも、ボスモンスターを討伐するほうがよっぽど楽だ、と顔を拭いながら彼女は思った。


 濡れた足をマットで軽く拭き、男の子を探しに行くモニカ。


「あれ~、どこいったのかな~?」


 口ではそう言うモニカだったが、風呂場から伸びる濡れた足跡がクローゼットで途切れていることには当然ながら気がついていた。


「ここだぁ!」

「うわぁ! くっそー!」


 全身泡まみれでクローゼットに隠れていた男の子を再び風呂場へ連れ戻した。


「じっとしててね~」


 すっかり冷え切ってしまっていた身体を温めるようにしながら泡をきれいに洗い流した。

 風呂場から出ると、大きなバスタオルで頭と体を拭いてあげた。


「まだ!」


 モニカが体を拭き終えるが早いか否か、パンツも履かずに脱兎のごとく逃げ出そうとする男の子を背後からバスタオルでくるむように捕まえたモニカ。


「こーら! じっとしてなさい!」

「はやく~」


 何とか上下の下着だけつけさせると、男の子は水を得た魚のように飛び出していった。


「モンスターだ……」


 モニカはため息まじりにそう呟いた。

 そして脱いだシャツと靴下を着け直すと男の子のもとに向かった。


「みてみて! ジャーンプ!」


 モニカが追い付いたとき、男の子は木製のイスの上をぴょんぴょん飛び跳ねていた。


「だからっ! それ危ないからやめなさい!」


 風呂から上がっても男の子はまだまだ遊びそうだった。

 イスから机へ、そしてまたイスへ、得意げに飛び回ってはモニカに見せびらかした。

 せっかく苦労して汗と泥を流したというのに、このままではまた汚してしまう。


「まだちょっと早いけど……仕方ないかな」


 本当はあと一時間ほど経ってから昼寝をさせるのだが、ほかに男の子を鎮める方法が無いため、今日は早めに寝かしつけることにした。


 モニカはシャツのポケットから指揮棒のような白い杖を取り出した。

 そしてそれを振りながら透き通るような声で歌い始めた。


「~~~~♪」


 ぽかぽかとした陽気のなか、モニカの歌声が部屋にやさしく響いた。

 モニカが歌うと、暴れ馬のような男の子の動きが少しずつ鈍くなってきた。まぶたが重そうだ。

 イスからゆっくりと降ろしてあげる。


「はい。いい子だから、ねんねしましょうね~」

「ん……」


 目をこする男の子の手を引き、彼の寝室まで連れていった。

 男の子には冒険者になりたいという夢があるようで、壁には歴戦の冒険者たちのポスターやオモチャの剣が飾られている。


 男の子が子供用の小さいベッドで横になると、剣や盾などの武器が描かれたブランケットをやさしくかけてあげた。

 そしてモニカもベッドの片隅に腰かけ再び歌い出した。


「~~~~♪」


 すると間もなくして、あれほど猛り狂っていた、といっても大げさではないほど興奮していた男の子がスヤスヤと寝息を立てて寝始めた。


「よし……っと」


 杖を再びシャツのポケットに仕舞い、男の子にブランケットをかけ直してあげたそのとき、パサッという音が窓際から聞こえた。見ると青い小鳥が部屋に落下していた。


「あ」


 モニカが使ったのはスキル『アブソリュート・スリープ』。

 自身の歌声を聞いた生物を眠らせるスキルだ。


 今回はごく弱い魔力を歌声に乗せて運んだが、窓枠で聞き耳を立てていた小鳥には少々強すぎたようだ。小鳥をやさしく手に取り、ケガがないことを確認すると、頬をツンツンして起こしてあげた。


「おーい、起きておくれ~」


 小鳥は頭を左右に少し振って眠気を飛ばすと、窓から飛び立った。


「ふぅ……」


 これでようやく一息つける……わけではない。今のうちに男の子が散らかしたり汚したりした部屋を元通りにしなければ。


 ベビーシッターは忙しい。


 今日は朝九時に訪問して保護者から引き継ぐと、すぐさま公園に遊びに出かけた。暴れまわる男の子がケガをしないよう、細心の注意を払いながら自身も一緒になって遊び、十二時になったら男の子を半ば無理矢理に家に引っ張って帰り昼食を食べさせた。

 多くの子は食後にお昼寝をしてくれるのだが、この男の子はまた公園に行きたいと騒ぎ立てたので二回目の外出をした。


 ベビーシッターは自分の思想に基づいて子供の相手をするのではなく、あくまで保護者の教育方針に則ってシッティングを行う。


 モニカが担当している他の子の保護者は比較的、パズルやお絵描きなど、知育遊びをして欲しいという人が多いが、この子の保護者は元気に外で遊んで欲しいという要望を出している。

 そういった細かな要望に応えるため、スケジュール帳とは別に、子供たちの特徴や親御さんからの要望などがまとめられた手帳を持っている。


 モニカは持ち前のスキルがあるので、夜のシッティングを依頼されることが多かった。アブソリュート・スリープの存在は誰にも明かしていないが、モニカがみてくれると子供たちが大人しく眠ってくれると評判なのだ。


 今日も、このあとに夜のシッティングが入っている。

 しかし男の子に付き合ってさんざん動き回ったモニカのまぶたは重かった。


「ああ、ダメダメ! 今のうちの片づけを済ませておかないと」


 ゴーン


 そのとき、外で大きな音が響いた。


「またなの……」


 ボスモンスターがダンジョンの外へ出て、近くの森かどこかで暴れているのだろう。

 ここのところ頻度が増している気がした。


「しっかりしてよもう」


 モンスターがダンジョンの外へ出てしまうのは、冒険者パーティが押されている証拠だ。

 せっかく寝たこの子が起きてしまったらどうしてくれるのか。幼い体に何度もこのスキルを使用するのは対象の負担になってしまう。


 モニカはため息をついて部屋の窓を閉めると、足早に音のするほうへ向かった。


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