すべてを諦めた地味令嬢は若き氷帝の寵愛を受ける【アンソロコミック&コミカライズ単話版発売中!】
「――婚約を、破棄させてもらう」
いつか、この時が来るのではないかと恐れていた。
どうかそれが杞憂でありますように、と願っていた。
だって彼――ドメニー王国王太子キウェテル殿下と私は王命で定められた婚約者で。たとえ彼の心が移ろいだとしても、彼と結ばれるのは確実。
そのはずだったのだから。
「殿下、それは本当ですか」
震える声で。今にも泣きそうなのを必死で我慢しながら、私は言った。
冗談だと言ってほしかったのか。聞き間違いであってほしかったのか。それは自分でもわからないけれど。
「誠だ。お前のような非道な女を婚約者にはしておけない。……ノエル、来てくれ」
「はぁい」
語尾にハートマークがつきそうなほど甘ったるい声を響かせ、入ってきた女がいた。
プラチナブロンドに鮮やかなピンクの瞳の可愛らしい彼女は私に向かってニヤリと微笑み、彼の隣に並び立つ。
美女美男。二人はよくお似合いだった。
栗色の髪に茶色の瞳の、地味すぎるほど地味な私と違って。
「お前は彼女に危害を加えたそうだな。ノエルが勇気を出して教えてくれたのだ」
「冤罪です。証拠は……あるのですか」
「ノエルの言葉が偽りだというのか。ふん。せめて己の罪を認め、彼女に謝罪するなら許してやろうと思っていたが、その必要もないらしいな」
キウェテル殿下は怒りを込めた声で私を責める。
どうしてその女を信じるのだろう。私は今までの数年間、殿下にずっと尽くしてきたはずなのに。
それは全て無駄だったのか。
そう思うと虚しくて……そして恐ろしくて、膝から力が抜け、情けなくも座り込んでしまう。
「そして俺は新たに、ノエル・シュミレ男爵令嬢と婚約することをここに誓う!」
パチパチ、と控えめな拍手が響き、それはやがて大きな喝采となっていく。
それを聞きながら、体の芯がすぅっと冷えるのを感じた――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
実家のベルドナン公爵家において、私――フェアルザ・ベルナドンは要らない子だった。
理由はただ一つ、地味だからだ。
顔立ちは、少なくとも悪くはないはずである。
しかし、今は遠い国へと嫁いだ歳の離れた姉がたいそう美しかったものだから、期待をかけられ過ぎて生まれてきてしまったのだった。
「フェアルザ、お前のような醜女に利用価値はない。十五までに縁談が来なければ、お前を消す」
野心が強く、娘を政略の駒としてしか見ていない父――公爵は、私にそう言い続けていた。
私は常に父に怯えていた。いつかきっと私は殺されるんだと思っていたから。
――しかし七歳の時、私に初めて利用価値ができた。
王命があったのだ、ベルドナン公爵令嬢を、当時はまだ第一王子だったキウェテルの婚約者にするように、と。
殿下と年齢的に釣り合うのが姉ではなく私だったので、私が選ばれた。
それから私は一日たりとも努力を欠かさなかった。
美しいキウェテル殿下に一目惚れして。この方を支えるためならと厳しい王妃教育に励んだ。
「可愛げがない」と罵られても、どれだけ邪険に扱われても耐え続けた。
全ては王太子妃に、そして王妃になって、父に認めてもらうため。
そしてキウェテル殿下が好きだったから。
それなのに、ダメだった。
成金のシュミレ男爵家の息女ノエル嬢が、玉の輿を狙ってかキウェテル殿下に接近してきたことが原因だ。キウェテル殿下はすぐに絆され、彼女の言葉を信じるようになった。
ノエル嬢は巷で流行りの恋愛劇のヒロイン気取りなのだろう。
庇護欲そそる可愛らしい少女であるヒロインが、性格が悪くひどいことばかりする悪役令嬢と呼ばれる存在に虐げられ、ヒーローに救われるのだ。
実際、私のことを「悪役令嬢みたいでいい気味ね!」とノエル嬢自身が言ってきたこともある。
そのことを訴えなかったわけではない。ただ、誰にも聞き入れられなかっただけで。
私を擁護するよりはキウェテル殿下の意見に同調した方がいい。そう考えた貴族たちは多かったようで、今や誰もがノエル嬢の味方だ。
そして、本来ならキウェテル殿下と私が婚姻するちょうど半年前にあたる、とある夜会にて宣言されてしまったのだ。――キウェテル殿下からの、婚約破棄を。
私にとってそれが死刑宣告に等しいということを、キウェテル殿下もノエル嬢も知らない。
キウェテル殿下はただ純粋にノエル嬢の言葉を信じ、ノエル嬢は私を陥れられたことを喜びながら、それぞれ幸せな未来予想図を頭に描いているのだろう。
これで私の未来は絶えたというのに。
私はすぐに噂の的となって、ベルナドン公爵家の名を穢してしまう。
当然、そんなことを父が許すはずはなかった。大々的に家を追い出された後に暗殺者によって殺されるか、あるいは表向き病死ということにされるか。
どちらにせよ私に生き残る道なんてない。
私の人生は、一体何だったのだろう。
認められようと必死だった。キウェテル殿下の妃になって、父を喜ばせることが唯一の目標だった。
でもそんな夢は叶うわけもなかったのだと現実を突きつけられる。
いくら着飾ってもノエル嬢のように愛らしくなれない、地味で可愛げのない私には王太子妃なんてとても無理だったのだ。
ここに父が居合わせなかったのは幸いだったが、一度この夜会のホールを出てしまえば私は殺される。夜会が続くのはあと何時間だろう。それとも婚約破棄事件のため、私は早く帰らされるのだろうか。
……まあ、考えても無駄だろう。どうせ早いか遅いかの話でしかないのだし。
国王陛下は長年病床に臥せっており、キウェテル殿下が実権を握っている。だから交渉をする余地もない。
このままおとなしく時を待とう。王太子妃という役目を失った私に、利用価値なんてないのだから――。
「なら、余がその娘を貰い受けても良いだろうか」
しかしそんな声が聞こえてきて、全てを諦め俯いていた私ははっと顔を上げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
目に飛び込んできたのは、煌めく銀髪。
あまりの美しさに息を呑みながら、私は目の前の人物の名を思い浮かべた。
――『氷帝』ラルフ・リンゼイ・カルーヤ。
弱冠二十歳にして大陸一の大国であるカルーヤ皇国の皇帝というすごいお方。銀髪碧眼の美丈夫であるが、誰に対しても冷たい瞳を向けることから『氷帝』などと呼ばれている。
そんな彼が、今、なんと言った?
「なんだお前は」
「今はフェアルザ様とわたしたちがお話しをしているんですぅ」
「隣国の皇帝に対してなんだはないだろう。それに、話というよりは一方的な断罪に見えたが?」
「「皇帝……!?」」
最初は強気に出たキウェテル殿下たちは、それを聞いた瞬間に怯んだ。
二人ともどうやら知らなかったようだ。それでどうやって王太子とその妃をやっていくのだろう、と私は心配になった。
「もう一度問う。キウェテル王太子、彼女との婚約を破棄すると貴殿は言った。ならば彼女を貰い受けるのは問題ないな?」
「……あ、ああ」
「では」
そう言いながら、『氷帝』が私を振り返る。
彼の碧い瞳がまっすぐに見つめてきて、ドキリとしてしまった。
「フェアルザ・ベルナドン公爵令嬢。貴女に婚約を申し込みたい」
「…………」
「突然のことで、動揺するのはわかる。だがどうか今はこの手を取ってほしい」
私を貰い受けるだとか、手を取ってほしいだとか、先ほどから彼が何を言っているのかがさっぱりわからない。
どうして『氷帝』が私を求める? 心当たりは、ない。それに『氷帝』はどんな女性からの求愛も断り続けていると噂だったというのに。
「カルーヤ皇国皇帝様、恐れながら、私はたった今こうして婚約破棄された身。あなた様に求められても、応えられる立場ではございません……」
「それでもいい」
「ですが」
『氷帝』は座り込んだままの私に擦り寄ってきた。
何をするつもりだろうと震える私の耳元に口を寄せた彼は、小声で一言。
「――帰ったら殺されるのだろう? 殺されるくらいなら、余を選べ」
どうして彼がそんなことを知っているのか、私にはわからなかったけれど。
彼が口にしたことは事実で、首を振るわけにもいかなくて。このままおとなしく公爵家に連れ戻されるよりは、『氷帝』の真意を問いただしたいと思ったから。
利用価値のない私に求婚なんてことをした、『氷帝』の心のうちが知りたくなったから。
「…………」
沈黙のまま、そっと彼の手を取った。
馬車に揺られながら、私たちは見つめ合っていた。
といっても向かい合って座りながら、というわけではない。私の席はなぜか『氷帝』の膝の上なのだ。隣に座ろうとすると「いつベルナドン公爵家の者に襲われるかわからないだろう。故に余が守り続ける」と言って離そうとしてくれないのだった。
今私たちが向かっているのは、『氷帝』が治めるカルーヤ皇国。
我が国まで外遊に来ていた『氷帝』は、元々今日に帰国する予定だったらしい。
「――あの。お話しいただけますか、皇帝様」
「ラルフでいい。もちろん、貴女に事情は話すつもりでいる。まず何から聞きたい?」
今にも互いの顔が触れ合いそうな距離にいるというのに、『氷帝』――ラルフ様は少しも動じた様子がない。
内心動揺し続けている私は、どうにか質問内容を口にした。
「どうして私に求婚などなさったのですか。傷物になった私は、政略的な価値がありません。……持参金も用意できないかも知れないのですよ?」
「そんなのは理解の上だ。別に金目当てに貴女を選んだわけではないからな」
金目当てではない?
王族や貴族の結婚は言ってしまえば金目当てが基本だ。
でも他の理由が考えられない。体目当てだとすれば皇国内の女性を適当に娶ればいいのだから、その線もない。ということはつまり彼が私個人に興味を持っているということになるわけで。
「……いやそんなまさか」
惚れられる要素がどこにもない。
以前、何年か前に王太子の婚約者としてラルフ様と顔を合わせたことはある。だがそれだけで、別に大した接点はなかったはずだった。
それに私は皇帝様に想いを寄せられるほど美人ではない。――姉と違って。
そしておまけに愛嬌もなく、男に媚びることもできない。――ノエル嬢と違って。
そんな私が見初められるわけがないではないか。
なのに。
「初めて外遊でドメニー王国を訪れた時、キウェテル王太子の隣にあった貴女を一目見た時から、強く惹かれた」
ラルフ様は真剣そのものの顔でそう言うのだ。
「申し訳ございませんが……到底、信じられません。私のどこにそのような魅力があったというのでしょう」
「最初は貴女の儚い美しさに釘付けになった。それから貴女について色々と調べたんだ」
「…………」
他人の婚約者に惚れ、さらにはその近辺を調べるというのはどうなのだろう。
しかもそれを本人に直接こうして話すのはいかがなものか。
私はそう思いこそしたが、相手は大国の皇帝陛下だ。もちろん口にするようなことはしない。
黙って話を聞き続けた。
「そして貴女の恵まれない生い立ちを知り、それでも屈さず立派な王太子妃を目指していた貴女を心から応援するようになった」
ラルフ様は私の髪を撫でる。
真っ青の瞳は愛しげに細められていた。
「けれど、貴女が王太子から冷遇されることを知っていくうち、たまらなく悔しくなった。余なら幸せにできるのにと。
だからずっと機会を狙っていた。王太子の元から貴女を連れ出す機会を。そのためにあらゆる手を尽くした。あの男爵令嬢と王太子を会わせたのも余の企みだ」
「私の、ために?」
「貴女のため、というのが勝手なのは承知している。だが、決してこの先、貴女に過去を悔やむような思いをさせないと誓おう」
私は役立たず。
それなのに、この人は、一度しか顔を合わせたことのなかったこの人は、私を見捨てないでくれるのだろうか。
わからない。わからないけれど、キウェテル殿下に不要とされた私にはこの道しかなかった。
国に戻ったところで私は殺される。それなら、この人の言うことを信じてみよう。
ただ利用されるだけかも知れない。でも、利用価値があるというだけでも嬉しいではないか。
「……よろしくお願いします」
口元を笑みに歪めると、ラルフ様は深く頷く。
「受け入れてくれて、良かった」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからラルフ様と共に皇国入りした私は、ドメニー王国とは比べ物にならなほど大きな宮殿に招かれた。
皇帝陛下がついに寵妃を連れてきたと、侍女たちは大騒ぎしながら私を部屋へ案内した。
「結婚式の準備が整うまではここでお過ごしください」
「結婚式……ですか」
私はまだいまいち実感が持てなかった。
『氷帝』ラルフ様が私を寵愛し、妃に求めているなど。
けれど事実私はあの場で彼の手を取ったのだ。婚約は事実双方の合意によって成立していた。
私は一体何をすればいいのだろう、と柔らかなベッドの縁に座り込みながら私は考える。
今までドメニー国の王妃になることばかり考えていて、その他のことは何も、本当に何もしてこなかった。
窓の外をぼぅっと見つめながら想うのは、キウェテル殿下のこと。
今頃彼は、ノエル嬢と仲良くやっているのだろうか。私を嘲笑っているだろうか。
私はあの人に恋していた。
いや、恋ではなかったのかも知れない。執着。ただ生き延びたいがための、執着。
彼に捨てられたことは悲しいし辛い。
でも、もう何も言っても仕方ない。私のこの先の人生はきっとキウェテル殿下と交わることはないだろうから。
そんな風に考えていた時だった。
「フェアルザ嬢、いるか」
「……ラルフ様」
ドアを軽くノックし、私が答えるなり当たり前のような顔で『氷帝』ラルフ様が入ってきた。
キウェテル殿下が霞んでしまうほどに美しい。この人はおそらく、世界で一番の美丈夫なのではなかろうか。
「浮かない顔をしているな。この先のことが不安なら、余に話せ」
「いえ、祖国でのことを思い出していたのです。この城や、ラルフ様が与えてくださっている高待遇に不満はございません」
「そうか」
ラルフ様はぼふんと音を立て、私のすぐ隣に腰を下ろす。
そして次に私に向けた瞳は、愛しげでありながらとても冷ややかに見えた。
「ラルフさ――――んっ」
一体どうしたのだろうと名前を呼ぼうとした私の口は、しかし直後塞がれていた。
ラルフ様の唇によって。
口の中に舌が入ってきて、本当は拒絶してもいいはずなのに、私はそれをしなかった。
しかし口付けはほんの一瞬。ハッと我に返ったらしい彼が、私からすぐに身を離した。
「貴女がまだあの王太子に心残りがあるのだと想像し、我慢できなくなってしまった。……悪い」
何が起こったのか、あまりに一瞬のことで自分でもよくわからず、「いえっ」と上擦った声で答えた私だったが、改めて考えて戦慄する。
ラルフ様は私がキウェテル殿下のことを考えていると見抜き、嫉妬したのだ。
「好きだ。可能なら、もう一度口付けて良いだろうか」
「え。あ、ですが」
私たちはまだ未婚。うっかりこれ以上の行為には及べない。
そう言おうとしたが、またも唇が迫って来たので、私は諦めて目を閉じた。
――その後、細いのに筋肉質で逞しい腕に抱き寄せられ、何度も口付けられて、たっぷりラルフ様の愛を身をもって知らされることになった。
「愛している」
「早く貴女を余のものにしてしまいたい」
「『氷帝』と呼ばれるような態度をしていたのは周囲の女の目に入りたくなかったからだ。見つめてもらうのは、貴女だけでいい」
低く、蕩けるような声で愛を囁かれ続けながら日々を過ごした。
カルーヤ皇国の貴族たちへの根回しはあらかじめ行われており、結婚式の準備はドレスを仕立てるくらいなものだったらしく、帝国入りして十日目に結婚式が行われることになった。
皇妃になることは、まだいまいち実感が持てないけれど。
豪華な花嫁ドレスを着せられアクセサリーを飾られたおかげで、姿見に映る自分の姿が普段の私では信じられないほど美しいのを見て、少なくとも皇妃として不足はないなと思った。
侍女に送り出され、結婚式の舞台となる宮殿のホールへ。
そこで待ち受けていたのは銀髪の美丈夫――ラルフ様。結婚式のために仕立てられた白いタキシードがよく似合っている。
「フェアルザ嬢、綺麗だ」
「ありがとうございます。しかしラルフ様の完成された美と比べてしまえば、私など」
思わずそんな卑屈な言葉を吐けば、ラルフ様がわかりやすく眉を顰めた。
「貴女を卑下する者はたとえ貴女自身であっても余は容認しかねる。以後、気をつけるように」
そう言った彼の口調があまりに本気過ぎて、私は慌てて「はい」と頷く。
そうこういるうちに司会を務める人物――ラルフ様の側近だという青年が司会席に着いた。
もう少し何か言いたげな顔をしていたラルフ様だったが、さすがにおとなしく口を閉ざしてくれた。
「では今から式を開始します」
――そうして、式が始まる、はずだった。
しかし侍女の一人が走り込んできて、こんな知らせをもたらさなければ。
「皇帝陛下、大変でございます!」
「……どうした」
ろくでもないことであったら首を落としてやる、と思っていても不思議ではないほどの冷たい声でラルフ様が問いかける。
一方、私は何事だろうと首を捻った。
「ドメニー王国の方々が話をしたいと城まで押しかけて来ております。もしも会わなければ我が国へ宣戦布告すると」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「余とフェアルザ嬢の華の結婚式を台無しにするとは皇国に対する侮辱に他ならないだろう。戦争もやぶさかではない」
最初こそそう言って結婚式を続けようとしたラルフ様だったが、「とりあえず話をしましょう」と私が必死に宥めて、どうにかドメニー王国の者たちと交渉することで落ち着いた。
だが納得がいかない。どうしてドメニー王国が脅しに近い言葉と共にカルーヤ皇国へ押しかけてくる必要があるのだろう。
考えても疑問の答えは出ない。実際会ってみなくては。――私の悪い想像は、もしかすると外れるかも知れないのだし。
しかし、応接間が整えられて城の中に招き入れられた王国からの者たちを見た時、都合のいいことなんてないのだと現実を突きつけられた。
私と向かい合うような形でソファに腰を下ろしているその人物の名を、私は知っている。
――ドメニー王国王太子キウェテル殿下。
そしてついでにもう一人、キウェテル殿下の隣に並ぶのは、ベルナドン公爵である私の父だった。
ああ、やはり。
私はぎゅっと唇を噛み締めた。
「フェアルザ。数日ぶりだな。お前に一つ、朗報がある」
皇帝であるラルフ様を無視し、キウェテル殿下は真っ先に私に話しかけてくる。
それがこの上なく非常識であるということを知ってか知らずかはわからないけれど。
「公爵令嬢フェアルザ・ベルナドンのドメニー王国の帰還を要請する。――俺のお飾りの妃としてな」
「喜べ、役立たずのお前に再び殿下が利用価値を与えてくださったのだ。これを慈悲と言わずしてなんと呼ぶ」
キウェテル殿下に続いて口を開いた父は、口元にわずかながら笑みを浮かべていた。
ドメニー王国への帰還? お飾りの妃? 利用価値? 慈悲?
わけがわからない。どうして今更。そう思うけれど、父が何を考えてこんな行動を起こしたのか、少し考えれば理解できてしまった。
王家との繋がりが絶えるのは父にとって望ましくない。だからきっと、キウェテル殿下をそそのかしたのだ。
――今から妃教育をするのでは間に合わない。私をお飾りとして正妃に据えて面倒ごとを全て押し付け、ノエル嬢を寵妃とすればいいのだと。
もちろん、私が一度捨てられた事実は変わらないのだから悪評は付き纏うけれど、それでも王太子妃になることは変わりないのだ。
私はまだ、父にとっては政略の駒のままだった。
たとえカルーヤ皇国の皇帝の妃になるべく、花嫁ドレスに身を包んでいたとしても。
すっかり見捨てられたと思っていたが、籍を正式に抜かれていたわけではないから、私はまだベルナドン公爵家の娘なのだ。
だから父はここまで強気に出られる。
「……貴殿ら、正気か」
私の手を握りしめるラルフ様が、静かな怒りに声を震わせた。
今まで感じたことがないくらいの威圧感が漂い、一気に空気が張り詰める。しかしキウェテル殿下や父は少しも怯む様子を見せない。
――私が従うと、従わざるを得ないと思っているからだ。
私はただ、父に認められることに必死だった。
いつどんな時でも父の言葉に従って。キウェテル殿下の傍にあるために必死で。だからどんな仕打ちを受け入れてきた。
でも。
「ラルフ様、この方たちとのお話は私がつけます」
「このような輩と貴女が言葉を交わす必要はない」
「大丈夫です。信じてください」
今回ばかりはおとなしく従うことはできないと、私は声を上げる。
きっと私が黙っていても、ラルフ様はしっかりと怒ってくださるはずだ。しかしこれは私がけりをつけるべき事柄だから。
「――ドメニー王国王太子殿下、並びにベルナドン公爵閣下。私へのご温情、感謝いたします」
私はあえて、彼らを他人のように呼ぶ。
いや、ようにではない。私はもう、彼らとは実質他人だった。
「ですがそのお話、お断りさせていただきます。私はすでにカルーヤ皇国皇帝ラルフ様の求婚を受けた身。それに、役立たずの醜女と罵られながら生きるのは、もう嫌になってしまいましたので」
ラルフ様に大切にされ、溺愛されるようになって気づいたことがある。
それは、ラルフ様にとって私はただ存在するだけで喜ばれるのだということ。
無理をして常に我慢し続けなくていい。いや、もちろん皇妃になる以上、無能の役立たずではいられないのだけれど、ただただ耐え忍ぶ必要はないのだ。
確かに私は特別美人ではない。ノエル嬢に比べればずいぶん見劣りする女だが、それでもラルフ様は私を必要としてくれる。
大切に抱きしめて、口付けて、愛してくれる。
こんなにも優しくされて、惚れずにいられるわけがなかった。
たった十日という短い期間を共にしただけだが、私は断言できる。私はラルフ様に恋してしまったのだと。
だからもう、キウェテル殿下の元へ戻りたいなんて思わない。思えない。
「何を生意気な! お前に慈悲を与えてやるというのだぞ」
キウェテル殿下は激昂し、はしたなくも私に向かって唾を飛ばす。
ああ、どうしてこんな方に私は執着していたのだろう。今となっては、もはやわからない。
「はい。ですからご温情には感謝しています。ですが慈悲であれば、それを受け取るか受け取らないかは私の選択では? 押し付けの慈悲は、慈悲とは呼びません」
「お前はベルナドンの娘だ。王国のため、そしてベルナドン家のため、命の限りを尽くす義務がある。それをこのたった十日で忘れたというのか、愚か者め」
ベルナドン公爵が何の躊躇いもなく私を罵る。
確かにそうだ。ベルナドン公爵家の娘ならば。
「私はここに宣言いたします。あなたたちとの一切の縁を切ることを」
縁を切って他人になってしまえば、道具として好きなように使われることはない。
私の務めはラルフ様の妃としてその隣に並び立つことだ。それ以外の立場は不要だった。
「血迷ったか」
「いいえ、血迷ってなどおりません、ドメニー王国王太子殿下。私は長年あなたの妃となるつもりで生きてきました。王太子殿下はすでにノエル嬢の手を取ったのです。私も、私の幸せを選ぶだけのこと」
そう言い返せば、キウェテル殿下は「お前を婚約者にしなくて正解だった」と負け惜しみのように口にしたが、もうどうでもいい。
ラルフ様にそっと身を擦り寄せれば、彼はほんの少しばかり微笑み、私に囁いた。
「貴女は強いな。余が口を挟むまでもなく、絶縁を決意できるとは」
「ありがとうございます」
その間、キウェテル殿下や父は私を糾弾し続けていたが、控えていた近衛兵にラルフ様が命じて城から追い出されることになった。
たとえ宣戦布告されても構わない。
国力的に考えてカルーヤ皇国が勝利するのは目に見えているし、たとえ争わなくともキウェテル殿下に王は務まらないだろうから、同じことだと思った。
――しばらく後。
戻ってきたホールにて、抱き合う私たち。
ドメニー王国の者たちの邪魔は入ったものの、こうして無事に結婚式を挙げられた。
結婚式への参列者たちの前で何度も何度も何度も何度も、耳に、頬に、唇にとキスの雨を降らされて顔が赤くなってしまう。
ラルフ様は『氷帝』に相応しくない柔らかな笑顔を私に向ける。
「やっと貴女を余のものにできたな」
「いいえ。ラルフ様、あなたが私に救いの手を差し伸べてくださった時からずっと、私はあなたのものですよ」
私は微笑み、ラルフ様のことを愛おしく思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
昼も夜も片時も離れず、私とラルフ様が新婚気分を味わっていた頃。ドメニー王国は大変なことになっていたという。
キウェテル殿下とベルナドン公爵の行動は貴族や他の王族たちの知るところとなり、大きな反感を呼んだのだとか。カルーヤ皇国皇帝のラルフ様の妃になった私に絶縁を告げられたほどなのだから当然だった。
病床に臥せっていた国王陛下が起き出して、キウェテル殿下の王位継承権剥奪とベルナドン公爵の爵位剥奪の上、公爵家の者や王太子の婚約者だったノエル嬢などの関係者も含めて投獄を行うという結果に。
彼らがその後どうなったかは知らない。
そして王太子はまだ十歳と幼い第二王子になり、引退間近のはずだった国王陛下は無理を押してこれから数年王を務める予定らしい。そんなくらいならキウェテル殿下が私へ婚約破棄を告げる前に手を打っておけば楽だったろうにと思う。
「まあ、今の私たちにはさほど関係のないことですが、ドメニー王国との開戦にはならなくて良かったです」
だって――。
「ラルフ様が、面倒ごとに煩わされずに私の傍にい続けてくださるんですもの」
お読みいただきありがとうございました。
面白い!など思っていただけましたら、ブックマークや評価をしてくださると作者がとっても喜びます。ご意見ご感想、お待ちしております!
2024年11月21日、comicスピラ様の『一途に溺愛されて、幸せを掴み取ってみせますわ!異世界アンソロジーコミック 7巻』に当作品のコミカライズが収録、コミックシーモア様で先行配信されています。
2025年1月16日より、単話版も先行配信中です。
評価★★★★★欄下に販売ページのリンクを掲載しています。
美しい作画で、原作の何倍も甘々で素晴らしいので、もしよろしければぜひお読みください♪